1.そんなものは豚にでも食わせろだ
※じつは本作は、2017年に投稿した16,000文字超の短編でした。
今回、『木枯らしの風景企画』に投稿するにあたり、加筆修正するとともに、短編にしては長すぎる気がして(情報量も多すぎますし)、いったん削除し、新たに連載ものへと変更しました。
ですので、過去に感想を頂いた方には大変申し訳ありませんが、今回の対応につきましてはご了承ください。
レクリエーションの時間は憂鬱だ。
いつもの食堂の窓際を陣取り、湯呑を両手で包んだまま、わしはだんまりを決め込んだ。こうなったら甲羅に身を引っ込めて苦痛の時間をやりすごすしかない。
ところが男どもときたら、開いた口が塞がらない。
我先に女性入居者に混じり、お手々つないで黄色い声を上げてダンスにうつつを抜かすのだから。
根っからボンボン育ちの元電力会社経営者の町田氏をはじめ、畳職人一筋だった梅澤さんや、板前歴半世紀の早川さんまでもが若い職員にそそのかされ和気藹々とやっているのだから、人は見かけによらない。
むろんレクリエーションの存在意義はわかっているつもりだ。
風船バレーは腕の機能訓練であり、 ボール蹴りは足の機能訓練、トランプ遊びは脳のそれだ。
身体を適度に動かすことで身体機能の維持と向上を計り、手足や頭を刺激することによって脳を活性化させ、認知症の予防及び、すでにその症状であるならば進行を遅らせることができる。
また人とのコミュニケーションを通じて生き甲斐を取り戻し、わしら高齢者の生活の質、すなわちquality of life、略してQOLの向上につながるというものだ。施設のパンフレットに書かれた謳い文句の受け売りだが。
コミュニケーション?
そんなものは豚にでも食わせろだ。
それがどうしたってんだ?
施設では入居者への医療ケアやリハビリを提供し、最終的に在宅復帰を名目としているが、わしらのほとんどは、元いた家に帰れることは望むべくもない。
よしんば復帰できたところで、どうせ独居老人ばかりだったのだ。息子夫婦に押し込められる形で入居している人だって少なくない。今さら居場所などあるというのか?
退路は断たれたも同然だ。
太古より言われ続けた現代の姥捨て山、人生のリストラ組、黄昏の残光が差す最後の砦。
大方はここで老いさらばえ、悪くすれば特別養護老人ホームへ移され、死にゆくのを待つだけの身だ。
それが早いか遅いかだけで、ちょいとばかり早めたいと思ったところで、咎められる筋合いはない。
おっと……。
大広間の向こうから靖川 まなみがやってくるぞ。
またぞろ話しかけられる恐れがある。
20代前半の新人介護職員は、なにかとわしから昔話を引き出そうとしてくるから手強い相手だ。
あと3年ほどもすれば百合の花が開いたように、さぞかし美しい女になるであろう。今はまだ小娘にすぎない。
口が達者で、テキパキとよく動き、新人とは思えぬほど知識が豊富で自信に満ちていた。
それだけにわしにはまぶしく映り、思わず腰が引けてしまうのだ。
わしは窓ガラスの外から斜めに入ってくる物憂い光を受け、うたた寝しているふりをした。
「アカデミー賞なみの演技力ね、田力さん。5秒前までお目々、パッチリ開けて外を眺めてたじゃない。レクは見送るつもりですか?」と、靖川は軽やかな口調で言い、わしの両肩を揉んだ。「たまには参加して欲しいんだけどな。散歩に出かけたいんでしょうけど、こうも木枯らしが吹いてちゃ、お身体に障りますからね」
「風邪から肺炎をこじらせるリスクがあるからね。とくにインフルエンザが流行してる今は、外出を控えた方がよさそうだ」
と、わしは狸寝入りから眼を醒まして言った。




