1話 殺人狂 丨迦楼羅《カルラ》
この世界に足を踏み入れて一年。
俺は仲間だった沙羅を食った。
一年前、俺はウン億ドルという大金を賭けた、キャリーオーバー制のゲーム世界に挑戦した。
別名【殺人RPG】
参加者には三つのハートが与えられ、種族とクラスを選んでゲームを開始する。
もっとも、俺はこのゲームを始めたその日から、まともに攻略なんてしていない。
何故なら、何を倒せばクリアなのかすら分からないクソゲーだからだ。
世界そのものは、一昔前に腐るほど粗製濫造されたRPGの二番煎じへ、頭のおかしい奴が余計なエッセンスをぶち込んだような代物だった。
始まりの町の周りには、強すぎるモンスターに身体を千切られた冒険者や、毒に侵されて紫色になった死体がゴロゴロ転がっている。普通のRPGなら、町の外にいる雑魚を倒して経験を積むところだろうが、このゲームで初心者が最初に覚えるのは、とにかく逃げることだった。
逃げながら、自分でも殺せる希少な弱いモンスターを探す。
最初からクリアさせる気があるのかすら怪しい、粗悪な同人ゲーを命懸けでやらされているようなものだ。
だから本来なら話しかけるべき相手も、何かが始まりそうな相手も、敵だと思えば先に斬った。それくらい狂っていなければ、こっちが先に死ぬ。
もっとも、ゲームについて誰かに聞くこともせず、ストーリーまで一年間ほったらかしにしたのは、この世界のせいだけじゃない。
その結果、ゲームが何をさせたいのかは今でもろくに分かっていないくせに、敵を殺すことだけなら、この辺りの冒険者には負けなくなった。
回復薬や回復魔法は存在するが、失った身体まで元に戻してくれるような都合のいい力はない。腕が吹っ飛べば傷口は治せても腕は戻らず、死んでハートを一つ使ったところで、失った部位まで再生するわけではない。
だから仲間が死んだ瞬間、残った連中は散らばった肉片をとにかくかき集める。腕も脚も、拾って身体に戻してからハートを使わなければ、蘇生したところで欠損したままだからだ。
沙羅は、そのハートを三つとも使い切った。
もう生き返ることはない。
だからといって死体を残していけば、何をされるか分からない。死体であろうと女を辱める奴はいくらでもいるし、腹を空かせた魔物に食われることだってある。
供養のためでもあり、自分への戒めでもあった。そして何より、人間でいることに拘っていては、この世界では自分まで死ぬ。
そんなことは、一年もいれば嫌というほど分かっていた。
「悪いな……沙羅。俺はお前を美味いと感じている」
見渡す限り背の低い草が続き、その遥か向こうには雪を被った山脈まで見える。風が吹けば草原全体が波のように揺れ、夜になれば満天の星が広がった。
人間を食うには、腹が立つほど綺麗な場所だ。
こんな平原では肉を長く保存することもできない。それでも俺は簡易テントを張り、何日もかけて食べられるだけ沙羅を食った。
やがて肉片を口に入れるたび、舌がピリピリと痺れるようになった。身体が拒絶し始めたのだろう。
俺は簡易テントを片付け、残った沙羅を土に埋めて手を合わせた。
「中年になると涙腺が弱くなるからいけねえな……」
それだけ言い残し、俺は【始まりの町】へ向かった。
ここから歩けば一週間はかかる。
水を探し、食える草や木の実を拾い、獣でも見つけられれば超ラッキー。そんな道のりだが、一年前とは違って、今の俺には左腕がある。
正確には、人間の左腕ではない。
この世界へ来て間もない頃、魔物に左前腕を食いちぎられた。その代わりに技工士から勧められたのが、【戦闘用ギミック】だとか【ワイヤーギミック】と呼ばれる改造だった。
最初はロケットパンチみたいで無茶苦茶ダサいと思ったが、戦闘用にしておいて良かったと今では思う。
人間の手ほど器用に指を動かすことはできないが、ワイヤーで繋がった左腕を数百メートル先まで飛ばせる。獲物を捕らえるには便利なもので、一人旅となった帰り道では大いに役立った。
お陰で食料に困ることもなく、わりとイージーに町まで辿り着くことができた。
石壁の向こうには赤茶けた屋根が密集し、その間を剣や杖を持った人間、獣人、エルフが行き交っている。町の中央にある広場にはゲームを始めたばかりの連中が集まり、今日も新品同然の装備で掲示板の前をうろついていた。
一年もここにいると、誰が新人なのかは嫌でも分かる。
装備じゃない。
五体満足で、目がまだ死んでいない。
◇
「おお、久しぶりじゃねーか? 元気してたか、迦楼羅?」
「あ? オヤジ寝ぼけてんのか? ここに元気な冒険者なんて、初心者以外あまりいねーだろ」
「ちげーねえ。それより……沙羅は……死んだのか……」
「ご覧の有様だ。それより酒を……」
「あいよ……」
マスターはそれ以上聞かず、片足を引きずりながら酒を取りにいった。
昼間は冒険者でごった返す店も、夜になるとカウンターに残るのは、名前を知らなくても何度か顔を見たことのある古参ばかりになる。
このマスターも元はゲームの参加者だ。
最初にブローカーを選んだお陰で、冒険者を続けられなくなった今でも商売で食っている。人間を選んだ参加者にブローカーが多いのも、戦えなくなった時にこういう生き方が残されているからだ。
一週間歩いている間も、沙羅のことが頭から離れたことは一度もなかった。守れなかった無力感も、食った罪悪感も消えてくれない。
酒が置かれると一口飲み、胸の奥に溜まっていたものごと、ゆっくり息を吐いた。
「せっかく帰ってきたんだ。その一杯は俺の奢りでいいよ」
「随分、気前がいいんだな? いい女でも抱いたか?」
「へへ、そんなことがありゃもっと奢ってやるんだがな……あと二年で俺はゲームオーバーだからな……」
「……そうか」
「そう! だから顔馴染みの冒険者とは、なるべく仲良くしておこうと思ってな。現実世界で本当にジジイになったら、きっとこんな気持ちになるんだろうよ」
「外ではいくつだったんだ?」
「俺か? 三十二歳。迦楼羅の十個下でしたー! だけど、この世界に入って今日でちょうど八年。二年目で足をやられてからは、もう余生を生きるって諦めたよ……」
マスターが「ステータス」と唱えると、何もなかった空間に情報が浮かび上がった。
そこに表示された経過時間は、八年。
「十年経ったら勝手に死なせてくれりゃあいいのに、わざわざ死刑だもんな。制作者もいい趣味してるよ」
俺は酒を飲み干し、空になったグラスを差し出した。
「おかわり」
◇
◇
翌日、今度は昼間に同じバーへ顔を出した。
昨夜とは違って、店の中は武器や防具を身につけた冒険者でごった返している。酒を飲みに来ている奴より、壁や柱に貼られた募集を眺めたり、テーブルを囲んでステータスを見せ合ったりしている奴のほうが多い。
ゲームを始めたばかりの連中が仲間を探す場所として、このバーは半分たまり場みたいなもんだった。
俺も一年前はここへ来た。
まあ、人付き合いが得意だったわけじゃねえけどな。
親が仏教を騙ったカルト宗教にドハマりしたせいで、俺はこんなイカれたゲームにぶち込まれた。挙げ句につけられた名前が迦楼羅だ。いい迷惑にもほどがある。
種族を選ぶ時も、エルフだの獣人だの、ましてやモンスターになって喜ぶ趣味なんて俺にはない。人間以外は最初から考えもしなかった。
クラスに選んだのはサムライ。
刀を持って敵を斬る。それしか能のないクラスだ。
商売だの生産だの、戦えなくなった時の逃げ道もない。今になって考えりゃ、随分バカな選び方をしたもんだが、あの頃の俺は現実そのものにウンザリしていた。
宗教絡みでこんな場所へ放り込まれて、どうせ死んでも構わねえと思っていた俺には、むしろお似合いだった。
「最初からこのゲームのやり方間違えたからな、迦楼羅は」
カウンターの向こうからマスターに言われても、何も言い返せなかった。
その通りだからだ。
一年間、ストーリーもろくに追わず、敵だと思えば斬って、強そうなら逃げて、殺せそうならまた斬る。そんなことばかり続けてきたせいで、ステータスだけは馬鹿みたいに上がった。
その代わり、俺のことを知っている奴ほど近寄ってこなくなった。
まあ当然だ。
熟練者から見りゃ、いつ何をしでかすか分からねえ危ないオッサンだろう。
だから仲間を探そうにも、俺がまともに声をかけられる相手なんて限られている。
この世界の俺をまだ知らない、入ってきたばかりの初心者くらいしかいなかった。




