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永久の春の異変

 その森の春は、終わることを知らなかった。


 空を覆い尽くすほどの桜の枝々は、薄桃色の雪を湛えたまま、微動だにせずそこに在る。

 風が吹けば、数枚の花びらが名残惜しげに空を舞うが、不思議なことに、枝から花が消えることはなかった。

 一枚が舞い落ちれば、瞬きをする間に新しい蕾が綻び、完璧な均衡を保ったまま「満開」という極致を維持し続けている。

 森の奥深くに建つ、白木しらき造りの小さな離宮。

 そこが、この森の王女サクラの住まいだった。

 サクラは、今朝もまた、鳥たちのさえずりに混じって聞こえる「森の囁き」で目を覚ました。

 彼女が寝台から身を起こすと、足元の柔らかな苔が、彼女の存在を喜ぶように青々と輝きを増す。

 サクラには、草木が何を求めているのか、動物たちが何を恐れているのか、肌を撫でる大気の振動だけで理解することができた。


「おはよう、みんな」


 サクラが窓を開けると、一斉に桜の香りが部屋へと流れ込んでくる。

 それは、甘く、酔いしれるほどに濃密な春の匂いだった。

 庭の池では、翡翠ひすい色の翼を持つ小鳥たちが水浴びをし、一頭の銀色の小鹿が、彼女の顔を見るために木陰から鼻先を覗かせている。

 サクラは、その柔らかな小鹿の頭を撫でながら、ふと、空を見上げた。


 空は、抜けるような青だ。

 しかし、その青さはあまりにも記号的で、雲の形さえ昨日と同じ場所に留まっているかのように見えた。


「……ねえ、あなたも不思議だと思わない?」


 サクラは、小鹿に問いかけた。

 この森は美しい。どこを切り取っても、絵画のような完璧な静謐せいひつがある。

 けれど、サクラの胸の奥には、いつからか小さな、けれど消えない「違和感」が根を張っていた。


 幼い頃から、この森は「さくらの森」と呼ばれ、春に閉ざされているのが当たり前だと思ってきた。

 けれど、サクラは知っている。

 木々は本来、花を咲かせたあとに葉を茂らせ、やがて色づき、葉を落として眠りにつくはずなのだ。

 守り神としての力が、彼女の耳に「不自然な静寂」を届けていた。


 サクラは、お気に入りの薄紅色の羽織を纏うと、森の深部へと足を進めた。

 裸足の足裏に伝わる土の感覚。

 かつてはもっと温かく、命の拍動が土の奥から響いていたはずなのに、今の土は、どこか冷たく、固い。

 まるで、時が結晶化して、世界全体が琥珀の中に閉じ込められてしまったかのような、息苦しいまでの静けさ。


 歩みを進めるうちに、サクラは森の異変に気づく。

 いつもなら元気に駆け回っているはずのリスたちが、木の股で丸まったまま、まるで深い眠りに落ちたように動かない。

 声をかけても、尻尾を微かに震わせるだけで、その瞳には生気が欠けていた。


「どうしたの? 具合が悪いの?」


 サクラは跪き、一匹のリスを両手で包み込んだ。

 伝わってくる鼓動は、驚くほどゆっくりとしていた。一拍、一拍の感覚が、永遠のように長い。

 まるで、彼らの中の「時計のゼンマイ」が、錆びついて止まりかけているかのようだった。


 さらに歩を進めると、これまで見たこともない光景が目に入った。

 森の境界に近い場所にある、小川のほとり。

 そこにある桜の木の一本が、不自然なほどに「白く」なっていた。

 花びらが白いのではない。

 枝そのものから色が抜け落ち、まるで骨のように乾燥しているのだ。


 サクラがその枝に触れようと指を伸ばした瞬間。


 カサリ。


 触れてもいないのに、一枚の花びらが崩れ落ちた。

 それは舞い落ちるのではなく、灰のように、粉々に砕けて風に消えていった。


 サクラの背筋に、冷たいものが走る。

 桜が散らないのではない。

 桜は「死ぬことさえ許されず、立ち枯れている」のだ。

 美しさの裏側で、森の生命力は限界を迎え、循環という救いを求めて悲鳴を上げていた。


「……時間の流れが、死んでいるんだわ」


 サクラは、自分の手のひらを見つめた。

 彼女の指先は、森の生命力と直結している。

 サクラ自身が感じるこの倦怠感は、森そのものが感じている「終わりのない春」への疲弊なのだ。


 空を見上げると、満開の桜の隙間から覗く太陽は、眩いばかりに輝いている。

 けれど、その光に温かみはない。

 ただ、永遠に続く「正午」という瞬間を、世界に押し付けているだけのように見えた。


 サクラは、森のさらに奥、すべての生命の根源である「老木のユウ」が座する聖域へと向かうことを決めた。

 この美しくも恐ろしい「永久の春」の真実を知っているのは、あの長老しかいない。


 彼女の足取りは、先ほどまでの散歩とは異なり、重く、切迫したものへと変わっていった。

 風が吹き抜ける。

 桜の花びらが空を舞う。


 その光景は、どこまでも残酷に、美しかった。

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