41 結婚式
草原の海原に、孤島のごとく浮かぶ小高い丘。
周囲には民家どころか立木ひとつない、世間から隔絶されたようなその場所。
しかしその日にかぎって丘の上はどこよりも賑やかだった。
軍服に身を包んだ兵士たちが砂糖の山にたかるアリのごとく群がり、丘の頂上は最新鋭の砲台が並べられ、全方位に睨みを効かせていた。
ひとりの兵士が、胸に勲章をたくさん付けた軍服の男に敬礼する。
「我が偉大なる国、デスポティス王国! その栄えある将軍にご報告いたします! 式場の警備は万全で、アリの子一匹入り込むスキはありません!」
将軍と呼ばれた男は手にしていた杖で「バカ者」と兵士の頭を小突いた。
「アリの子などいくら集まろうが怖くはないわ。スパイや反乱軍のほうは大丈夫なのだろうな?」
「はっ、失礼しました! ご心配には及びません! この丘の10キロ四方は視界を遮るものはなにもありません! よって不審な者が式場に近づくことはできません! たとえ軍勢が押し寄せても、我が軍の砲台で殲滅できます!」
「バカ者。そんなことはわかっている。アリの子のほうは大丈夫なのであろうな? この結婚式には我が国の主要人物はもちろんのこと、他国のお偉方も大勢いるのだからな。アリの子に刺されようものなら貴様の首を飛ばすぞ」
「は……はっ! スパイも反乱軍もアリの子も、敵国の攻撃からも守り抜いてごらんにいれます!」
「バカ者。我が国の敵国といえばヴェルソ小国ではないか。あんなお飾りの国王が治め、顔だけの王子が継ぐ国など取るに足らん。それに国王の立てられた素晴らしき作戦で、ヴェルソはすぐに我が国のものとなろう。もはやアリ以下の存在でしかないのだ」
「は……ははーっ!」
丘の中央は結婚式場のセッティングがなされており、客席にはすでに多くのVIPたちが着席している。
彼らの前にある祭壇に二人組の女性が現われ、リボンの付いた魔導拡声装置を手に話しはじめた。
『皆様、この度はお忙しいなか、デスポティス王国の偉大なる国王、ボツ・チャーマ様の結婚式にお集まりいただき、まことにありがとうございます』
『司会進行役は、「キツネの穴」の総責任者であるブリオッシュ、そしてヴェルソ小国の宮殿の総責任者であるヘビイチゴがさせていただきます』
ヘビイチゴは胸の開いたドレスを着ていたが、刺された傷跡を隠すようにストールを巻いていた。
『今回、ボツ・チャーマ様に忠誠を誓うのは、13人目の側室候補となるご令嬢です』
『ご令嬢といっても没落貴族で大根みたいな田舎娘ではありますが、愚直な性格ですのできっとボツ・チャーマ様のお役に立つことでしょう』
『それではご両人、ご入場ください!』
ブリオッシュとヘビイチゴがハモると、楽団の生演奏が始まる。
音楽に合わせて祭壇の奥にあったカーテンが開き、白いタキシード姿の中年男と、ウエディングドレス姿の少女が現われた。
中年男は坊ちゃん刈りの父っちゃん坊やな顔立ちで、小太りで背丈は少女とさほど変わらない。
かたや少女は瞳に光が無く、操り人形のような足どりだった。
腕を組んだふたりが祭壇の中央に歩み出ると、客席からは大きな拍手がおこる。
『おおっ、ボツ・チャーマ様はなんと凜々しく勇ましいのでしょう! まるで天使のような神々しさすらあります!』
『大根娘にはもったいないくらいですね! それではさっそく誓いの言葉とまいりましょう! 大根……じゃなかった、ソレイユさん、ボツ・チャーマ様の前で跪き、誓いの言葉を述べてください』
言われるがままに、ヒザを折るソレイユ。
静まりかえった場内に、感情のこもっていない声がボソボソと響く。
あまりの声の小ささにざわめく客席、見かねたブリオッシュが魔導拡声装置をソレイユの口元に近づけた。
『……わたし……ソレイユ・ナヴェ・カンパーニュは、いまここに誓います……。健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も……偉大なるボツ・チャーマ様に忠誠を誓います……』
ソレイユは顔をあげ、ボツ・チャーマの顔を見つめる。
ボツ・チャーマの脂ぎった顔のテカリが、水たまりに浮いた油のように瞳のなかで光っていた。
『ボツ・チャーマ様の13人目の側室として、この身を捧げるだけでなく……偉大なるデスポティス王国の繁栄のため……ヴェルソ小国で機密情報の収集、破壊工作を行なうことを誓います……』
その宣言に、ニヤリと笑うブリオッシュ。
――これでまた一匹、子女狐を送り込むことができました……!
しかも、爆弾級の子女狐を……!
『キツネの穴』はデスポティス王国が設立した、上流階級の令嬢をスパイとして育成するための秘密機関……!
各国の名だたる令嬢たちを言葉巧みに誘いこみ、花嫁修業と見せかけて洗脳……!
機密情報の盗み方や、男のたらしこみ方を教えこめば、立派な女狐のできあがり……!
あとは自分の国に戻って、貞淑な婚約者や妻のフリをしながら、機密情報を手に入れ……!
デスポティス王国でボツ・チャーマ様に抱かれながら、その情報を渡す……!
バカな婚約者や夫は、恋人や妻が慰みものになっているとも知らず、空っぽの女を愛し続ける……!
しかも今回は、あの王子の婚約者……!
王室の情報が自由に手に入るようになれば、ヴェルソ小国はあっという間にボツ・チャーマ様の手に陥ることでしょう……!
いやそれよりも、あの子女狐にボツ・チャーマ様の子を孕ませて、ソリタリオ王子の子として産ませたら……。
裏からヴェルソ小国を操るのも夢ではないかも……!
ブリオッシュは取らぬライバルタヌキを打ち負かしたかのような、ニヤニヤ笑いが止まらない。
その隣にいるヘビイチゴは脂汗を浮かべながら笑っていた。
――くっ……! 本当なら、あの大根娘を坊ちゃん国王に捧げて、しばらくヴェルソ小国でスパイ行為をさせて……。
適当なところで証拠を掴んで、スパイ容疑で処刑台送りにするつもりだったのに……。
計画が、狂ってしまった……! まさかソリタリオ王子に感づかれるなんて……!
王子は婚約者のすることなどなにひとつ関心がなかったはずなのに、どうして……!?
いずれにせよ、ソリタリオ王子に刺されてしまった以上、ヴェルソ小国には戻れない……!
こうなったら、このデスポティス王国に居場所を作るしかない……!
ソレイユを脅してデスポティスの機密も手に入れさせて、帝都のマザーロウ様に横流ししてご機嫌取りをしないと……!
ヘビは、殺されるっ……!
女狐の親玉のようなコンビは、子ギツネのようなソレイユをボロボロになるまで使い倒すつもりでいた。
洗脳されてしまったソレイユは、そのことを知る由もない。
しかしソレイユはいつの間にか押し黙り、震えていた。
ざわめく客席。子ギツネの継母のような悪女コンビは、何事かとこぞって覗き込む。
『おや、どうしたんですか? ソレイユさん? まだ誓いの言葉が残っていますよ?』
『いっしょに言いましょう「かりそめの愛でヴェルソ小国の王子を籠絡し、その裏で身も心もボツ・チャーマ様に捧げることを誓います」と……!』
ガラス玉のようなソレイユの瞳から、大粒の涙があふれる。
『む……無理です……! 王子を籠絡するなんて……! だって王子にとって、わたしはガラス玉……! 見向きもしてくれない……!』




