40 王子の本気
窓ひとつないこの部屋は、早朝であっても暗い。
ロウソクに照らされたマザーロウの肖像画が、邪神のご本尊のように不気味に浮かび上がっている。
謁見台に影を落とし、ふたりの男女が向かいあっていた。
「ソリタリオ様、こんなところに呼び出してどうしたのですか? お話なら、朝食をとりながらでも……」
「そんな時間はないよ、ヘビイチゴさん。ソレイユをどこにやったの?」
ソリタリオはいつもの穏やかで掴みどころのない話し方ではなかった。
それだけで、ヘビイチゴはマングースに囲まれたヘビのように畏縮してしまう。
長いこと乳母をやっていて、詰問口調のソリタリオは初めてであったからだ。
「えっ……えっ? い、いきなりなにを……?」
「学校が終わったらソレイユはどこかに行ってるみたいだね。しかも民間に偽装した馬車を何回も乗り換え、オトリの馬車を何台も同時に走らせて、さらに偽装魔術まで使って行方をわからなくしているなんて」
「へ……へぇ、そうなのですか? ソレイユさんもずいぶん手の込んだことをするんですねぇ」
「とぼけないで。こんなことソレイユはできないし、思いつきもしない。できるとしたらあなたくらいのものだ。しかも僕が生徒会の立ち上げで忙しくて、ソレイユにかまってやれない時期を狙うなんて」
「そっ、そんなことを言われましても、ヘビにはまったく身に覚えのないことで……」
「言っとくけど、僕は恩義を感じてるんだよ。乳母としてこの宮殿を取り仕切ってくれているあなたに。だから手荒なマネはしたくないんだ」
「まっ、まさか、ヘビを脅しているのですか?」
「脅しじゃないよ。だって、あなたを破滅させるのは簡単だからね。またたきひとつで終わりさ。でも彼女が絡んだことになると、加減がわからなくなるんだ」
なにを言っているのかわからない様子のヘビイチゴ、しかしソリタリオはかまわず続ける。
「入学式の時、初めて彼女を見た時は信じられなかったよ。僕の力が通用しない人間が、まさか母上以外にもいるなんて。だから興味を持って婚約者にしてみたんだけど、新鮮な驚きの連続だったよ」
彼女のことを話す時だけ、彼はいつもの表情に戻った。
「いつもなら勝利が確実な決闘も、彼女が関わるだけで光に包まれ結果が見えなくなる。それでも勝ったと思ったけど、まさかあんな負け方をするなんてね。本当にびっくりさせられたよ」
ヘビイチゴはハテナマークが見えそうなほどに理解不能の表情。ソリタリオはもとより説明する気などないようだった。
「誰かの居場所を吐かせるのもいつもなら簡単で、僕が直接手を下す必要すらなかった。でも彼女の居場所となると、そうもいかないみたいだ」
ロウソクの炎が揺れるように、ゆらりと前に歩み出るソリタリオ。
その手には、短剣が握られていた。
「ひ……ひいいっ!? お、おやめください、ソリタリオ様! ヘビは本当に知らないんです! 」
「ここまでやってもまだしらばっくれるんだ。力が使えない僕は、どれくらいで人が死ぬかもわからないのに」
凍った月のように輝く瞳に睨まれ、ヘビイチゴは腰を抜かしてしまった。
「ひいっ!?」
倒れたヘビイチゴに馬乗りになるソリタリオ。振り上げた短剣に、オレンジ色の光がすべる。
切っ先が輝くと同時に、背後の肖像画がカッと目を見開く。
その双眸はソリタリオの背中で、禍々しい翼のように翻っていた。
「……彼女のためなら、僕は悪魔にでもなるよ」
凶刃はいともたやすく振り下ろされ、ヘビイチゴの胸に深々と突き立った。
「ぐっ……!?」
柄に手を掛けようとするヘビイチゴを、冷たい声で押しとどめる。
「抜かない方がいいよ。血の噴水みたいになって死にたいなら別だけど」
それ以上はなにもせずに立ち上がるソリタリオ。
ヘビイチゴは苦悶の様子で這い逃げ、立ち上がり、ヨロヨロと謁見場から出ていった。
不意に、影がささやく。
「逃がしてしまってよろしいのですか?」
「うん」と影に向かって答えるソリタリオ。
「ヘビイチゴもそろそろ気づいてる頃じゃないかな」
ソリタリオは短剣のサヤを取りだす。黄金に輝く側面には紋章が彫り込まれていた。
「あの短剣で刺されたことに気づいたヘビイチゴは衛兵を呼べないし、医者にも診せられない。だって短剣は王家に伝わるもので、僕しか持っていない世界でただひとつものだからね」
ソリタリオは振り向きながら背後の肖像を見上げる。
「王家の短剣が凶器となった場合、衛兵も医者も王都に報告する義務がある。そうなれば必然的に帝都にも連絡がいく。母上の耳に入ったが最後、ヘビイチゴは破滅するとわかっているからね」
影に視線を戻しながら続ける。
「となれば、ヘビイチゴはどこに行くと思う?」
「もしかして王子は、ソレイユ様の居場所に案内させるために……?」
「そういうこと」とウインクを返す。
「さて、ヘビイチゴはそろそろ馬車に乗ってる頃合いだろうから、後を尾けてきてくれるかい? あのケガだと偽装や乗り換えなんてしてるヒマはないだろうから、一直線に目的地に向かうと思うよ」
「御意」
そして音も無く消える気配。
ソリタリオはひとりだけになった謁見室の中で、手を見つめながらしみじみとつぶやいていた。
「僕がこの手を汚すなんてね」




