39 王子の浮気
わたしの花嫁修業の日々は、大変だったけど充実していた。
こんなにもなにかに打ち込んだのは、生まれて初めてのことかもしれない。
でも心配がないわけじゃなかった。
わたしが『キツネの穴』に通っていることは、誰にも言ってはならない。
ジワルくんとかは「おい、お前学校から帰ってきていつもどこ行ってるんだよ。兄上に言いつけるぞ」と突っかかってきたけどなんとかいなしていた。
問題のソリタリオ王子はというと、ガン無視だった。
というか王子は最近生徒会に入ったみたいで忙しいようで、放課後はナイトくんと一緒にさっさと生徒会室に行ってしまう。
わたしが王子といられるのは宮殿での朝ごはんと晩ごはん、登校中、授業中、お昼ごはんの間だけ。
こうして見るとけっこう長いこと一緒にいるような気もするけど……。
「でも、だったら一言くらい聞いてくれてもいいんじゃない!? 『いつもどこ行ってるの? 言わなきゃキスしちゃうぞ』って!」
そうだ、そうなんだ。やっぱり王子はわたしのことにまったく興味がないんだ。
たまに目に付いた時に蹴っ飛ばして楽しむだけの、道端の石ころにすぎないんだ。
わたしはこのストレスを花嫁修業にぶつけた。
ぜったいに、きれいになってやる……!
その願いが神様に通じたのか、ついにその時がやってきた。
お化粧の先生にセンスが無いと何度もダメ出しを受けていたメイク、それがついにうまくできるようになったんだ。
「こ……これが、わたし……?」
鏡の前にいたのはオカメなわたしじゃなくて、大人の階段を一歩登ったようなわたし。
これにはブリオッシュさんも拍手してほめてくれた。
「おめでとう、ソレイユさん。まだ改善の余地はあるけれど、じゅうぶん合格点をあげられます。これなら、あの方の前に出しても恥ずかしくないわね。一週間後にでも行くことにしましょうか」
わたしは初めて誰かに認められた気がして、嬉しさのあまりブリオッシュさんに抱きついて泣いてしまった。
「あ……ありがとうございますっ! わたし……あの方の元へ行きますっ!」
それから一週間後、わたしは薄暗いうちから起きだして鏡台に向かっていた。
先生にほめられたメイクをして、制服のかわりにとっておきのドレスに袖を通す。
作戦はこうだ。
これから王子の部屋に向かう。この時間なら王子はまだ寝てるだろうから、そのそばで待機する。
開いたカーテン、窓から差し込む光で目覚めた王子はわたしを見て、こう言うに違いない。
『て……天使が舞い降りた……!』
寝ぼけ眼をパッチリさせる王子の顔を想像するだけで、わたしの頬はゆるみっぱなしになった。
「ついに……ついに来たんだ、この時が……!」
人の部屋に勝手に入るのは気が引けるけど、王子は以前、わたしの部屋に勝手に入ったことがあるからおあいこだよね。
ちなみにその時に運び込まれたマザーロウの花瓶はまだ部屋にあるけど、不気味なのでぜんぶ壁のほうに向けてある。
そんなことはさておき、わたしはドレスのスカートをつまんでいざ出陣。
使用人たちもまだ寝ているのだろう、無人の廊下をずんずんと進む。
決戦を間近にひかえて紅潮していく頬、高鳴る心臓。
この歩みを止められる者は誰もいないと思っていた。けど、王子の寝室の前まで来たところで自然と止まってしまった。
「……あれ? 扉が……?」
王族の寝室は両開きの扉なんだけど、その片方が半分くらい開いていた。
不審に思いながらも近づき、中を覗き込んでみると……。
わたしの頬は蒼白、心臓は凍りついてしまった。
広々とした寝室の中央にあるプールみたいに大きいベッド、その上にはたしかに王子がいた。
上半身裸、下半身は寝具で覆われているのでわからないけど、たぶんなにも身につけていない。
それだけだったらただの眼福モノだった。
しかし、その隣には……メイドさんが寝ていたんだ……!
王子はメイドさんを組み敷いていて、いまにも唇どうしがくっつきそうなくらいに顔を近づけている。
「お……王子……!」
わたしの声は震えていて、自分の声じゃないみたいだった。
声に気づいた王子は顔をあげて、わたしのほうを見やる。
その顔は、いつもとなにひとつ変わらなかった。
「その格好、どうしたの? 悪趣味なガラス玉みたい」
それから先のわたしの記憶はなかった。
ただ目の前が真っ暗になって、がむしゃらに走って、気づいたら下着同然の格好で『キツネの穴』にいた。
そして涙ながらにブリオッシュさんに訴えていた。
「王子がひどいんです! わたしという婚約者がありながら、メイドさんと浮気してたんですよ! しかもめいっぱいオシャレしたわたしのことを、悪趣味なガラス玉みたいだって……!」
「ああ、それは可哀想に……。でもソレイユさん、ここで学んだことは外部には秘密にする約束だったでしょう?」
「えっ、でも先週、ブリオッシュさんが『王子の前に出しても恥ずかしくない』みたいなことを……」
「あら、あなたはそう解釈したのね……。毎日のようにやっているのに、弱かったなんてねぇ。もっと強くしなくちゃいけないみたいねぇ」
「なにをですか?」
「この目をよーく見て、ソレイユさん」
白く飛んだレンズに映る振子時計。そのシルエットの向こうにチラチラと見えるブリオッシュさんの瞳。
レーズンのように小さなそれが、振り子にあわせて揺れている。
「ソレイユさん……あなたはだんだん眠くなる……。そして次に目が覚めた時には、素敵なお嫁さんになるの……」




