05 結婚式のベール
05 結婚式のベール
翌朝は静かな目覚めだった。
乱暴に扉を叩く音も、早く起きろと責める声もない。
家の中は静まり返っていた。ほかの家族は、まだ眠っているらしい。
簡単に身支度を整えたマリサは、物音を立てないよう家を出て、店へ向かった。
店に着くと、義母がお茶を飲んでいた。
「ちょうどよかったわ。今日は倉庫を整理してちょうだい」
「倉庫を、ですか?」
「そうよ。あなたが最近さぼって、ちっとも店に来ないものだから、仕事がたまっているのよ」
マリサは思わず唇を結んだ。
店に来なかったのは、おじい様の世話へ行っていたからだ。義母もそのことは知っている。何故なら義母の代わりにおじい様のもとへ行ったばかりだった。
そう言い返したかったが、口にしたところで話がこじれるだけだ。
「……分かりました」
マリサは小さくため息をつき、倉庫へ向かおうとした。
「マリサ」
背後からライリーに呼び止められる。
振り返ると、彼は心配そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫か?」
「ええ。倉庫を整理するくらいなら――」
「母さんも、意地悪で言っているわけじゃないんだよ」
ライリーは義母をかばうように笑った。
「マリサに早く仕事を覚えてほしいから、つい厳しく言ってしまうんだ。悪く取らないでやってくれよ」
「……ええ」
「それと、倉庫が終わったら店番も頼むな。俺たちはおじい様の看病に行かなくちゃならないから」
マリサは一瞬、言葉に詰まった。
おじい様の看病へ行くのなら、自分が店に来なかった理由も同じではないのか。
けれど、ライリーは当然のような顔をしている。義母もすでに出かける支度を始めていた。
「分かったわ。店番もしておく」
「助かるよ。やっぱりマリサは優しいな」
ライリーはほっとしたように笑うと、思い出したように声を弾ませた。
「そうだ。結婚のことなんだけど」
「結婚?」
「デイジーが結婚するのを待っていたら、いつになるか分からないだろう? 相手だっていないのに……だから、もう準備を始めたいって話したんだ。そうしたら、いいって言ってくれたよ」
マリサは目を見開いた。
「デイジーがそう言ったの? 本当? 私たち、結婚できるの?」
「ああ。派手な式にはしてやれないけど、俺にできる精いっぱいのことをさせてほしい」
ライリーはマリサを引き寄せ、その身体を強く抱き締めた。
「楽しみだよな」
「……ええ」
マリサも彼の背中へ手を回した。
ずっと待っていた言葉のはずだった。
結婚すれば、この家を出られる。父や母、メラニーと一緒に暮らさなくてよくなる。自分を歓迎してくれる人のもとで、新しい生活を始められる。
喜ばなくてはならない。
それなのに、胸は不思議なほど静かだった。
嬉しいというより、ようやく先へ進めるのだという安堵に近い。ライリーの腕の中にいるのにマリサは冷めていた。
その日、店を閉めるころには、倉庫もすっかり片づいていた。
マリサは一人で売上を確認し、戸締まりを済ませて家へ戻った。
玄関を開けると、食堂から食器の触れ合う音が聞こえてくる。家族はすでに夕食を始めているらしい。
マリサが食堂をのぞいたときには、三人分の食器しか並んでいなかった。
誰も彼女を呼ばない。
マリサも、もう尋ねなかった。
台所へ行き、鍋の底に残されていた冷たいスープを器へ移す。わずかな具をすくって食べ終えると、家族が使った食器までまとめて洗い、調理台を拭いた。
今日は店の仕事だけだったため、いつもより少しだけ身体に余力が残っていた。
部屋へ戻ったマリサは、机の引き出しから編みかけのレースを取り出した。
それは結婚式で身につけるためのベールだった。
花嫁のベールは、長ければ長いほど価値があるとされている。婚約期間が延びるたび、マリサは少しずつ編み足してきた。今では垂らせば腰に届くほどの長さになっている。
本来、長い時間をかけて編み上げたベールには、同じ色の糸を使っていても、わずかな色の違いが生じるものだ。一度に必要な糸をすべて買えれば問題はないが、買い足すまでに間が空くと、どうしても色むらができてしまう。
しかし、マリサには浄化の力がある。しかもそれはかなり優秀な力だ。ただ、色を白くするだけでなく色を足すことができるのだ。
だから、その気になればこのベールをブルーにもできるしレモン色にもできる。
編み足すたびに浄化を施しているため、古い糸も新しい糸も、同じ色を保っていた。
「きれい……」
灯りに透かすと、繊細な模様が浮かび上がる。
マリサはかぎ針を動かしながら、ベールをつけて歩く自分を想像した。
この長いベールを身につけ、家を出ていく。
誰からも怠け者と呼ばれず、食事を残してもらえるかどうかを心配する必要もない。自分のために買った菓子を、隠れて食べなくてもよくなる。
そう考えると、少しずつ心が浮き立ってきた。
結婚式が楽しみだった。
けれど――
マリサの手が止まる。
本当に楽しみなのは、ライリーとの結婚なのだろうか。
それとも、ただこの家から出ていけることが嬉しいだけなのだろうか。
結婚そのものは、どうでもいい。
そんな考えが胸に浮かび、マリサは慌てて打ち消した。
「そんなはず、ないわ」
ライリーは優しい。自分を心配してくれるし、結婚の準備も始めてくれた。母親の言葉を悪く受け取らないよう諭してくれるのも、家族の仲を壊したくないからだろう。
だから、自分は幸せになれるはずだ。
そう言い聞かせ、マリサは再びかぎ針を動かした。
一目、また一目と、白い糸が美しい模様を作っていく。
長く伸びたベールは、希望へ続く道のようにも、彼女を絡め取る白い網のようにも見えた。




