耳に響く声――異世界へ飛ばされた日
『――使用者を確認しました。特殊な電波信号を検出。互換性、規格外です』
耳の奥で、無機質な声が鳴った。
思わず足を止める。
「……は?」
僕はたった今、箱から出したばかりのワイヤレスイヤホンを耳に装着しただけだ。
再生もしていない。通知音でもない。
それなのに、規格外?
指でイヤホンに触れた、その瞬間。
『接続要求を確認。警告:同期先が存在しません』
「同期先が……存在しない?」
僕は慌ててスマホを取り出す。
確かにBluetoothの一覧に、イヤホンの名前は表示されていなかった。
――次の瞬間。
足裏の感覚が、消えた。浮いた。
内臓が一拍遅れて、下に引っ張られる。
――刹那
『デバイスの宿主を対象の個体と確認、緊急接続を開始します』
「ちょ、待――」
言葉は途中で途切れた。
視界が白く反転し、音が途切れる。
そして――気づけば、僕は草原の真ん中に立っていた。
風が吹き抜け、草がざわめく。
湿った土の匂いが、妙に生々しい。
「……え?」
見渡す限り、人工物はない。
空はやけに高く、雲の流れが異様に遅い。数秒前までいたはずの空港近くの広場も、フェンスも、道路も、影も形もなかった。
「……いや、ここどこ?」
『接続を完了しました』
「うわっ!?」
耳元で突然声がして、肩が跳ねる。
「……繋がってる!?」
反射的に、イヤホンを押さえた。
『はい。現在、正常に稼働しています』
「この状況のどこが正常なのさ!?」
草原。知らない空。
どう見ても、現実じゃない。
『ご安心ください。使用者の生命維持および意識接続は安定しています』
「安心できる要素、今のところ一個もないんだけど」
軽口で返しながらも、背中に嫌な汗が流れる。
冗談で済む状況じゃない。
「……ねえ」
自分でも分かるくらい、声が低くなった。
「これってもしかしてーー」
『ーーはい』
被せ気味に返事が来る。
『異世界への接続が完了しています』
「……だよね」
否定はされなかった。
草を踏む感触は確かで、イヤホン越しの声は、異様なほど落ち着いている。
僕はゆっくりとイヤホンに手を伸ばした。外したら、どうなる?
元の場所に戻れるのか。
それとも、何も変わらないのか。
あるいは――もっと最悪なことが起きるのか。
問いかける前に、耳元で声が鳴った。
『――警告』
初めて、機械的だった声にわずかな硬さが混じる。
『本機は現在、緊急電力モードで稼働しています』
「……電力?」
『接続状態の変化は、使用者に予測不能な影響を及ぼす可能性があります』
「予測不能って……」
『解除後の状態は保証されません』
その一文が、妙に重く響いた。
僕は、イヤホンから手を離す。いや、離すしかなかった。
だって下手にいじれば、なにが起こるか分からないのだから。
そうだ。
もう一つ、重大なことを言っていた。今、このイヤホンは緊急電力モードで稼働しているらしい。
「この世界に電力って概念が存在するのかな?」
『否、電気というものは自然現象などにより確認できますが、電力は存在しません』
まあ、そうだよね。さすがに雷は落ちるだろうし、電気自体はある、と。
ただそれを動力にするという概念は存在していないわけだ。
「ちなみに、もし電源が切れたりしたら、僕はどうなっちゃうのかな?」
『……』
い、いやそこで黙らないでよ。
『……完全に電源が切れた場合の現象は未確認です』
なってみないことには分からない、か――なるほどね。
「それじゃあ、今の充電残量は?」
『現時点でのパワー残量は34パーセントです』
うーん、買ったばかりだもんな。まあそれにしてはまだあるほうか。
怖さはあるけど充電のことは後回しでもいいのかもしれない。
「今は情報収集だな」
『了解しました。サーチを展開します』
サ、サーチ?そんなこと出来るの?
『1300メートル圏内に悪意の無いヒト型の生命反応を確認』
1300メートル!結構近いな。
『パワー残量31パーセント、ここから移動しますか?』
え?31パーセント?充電減るの早くない?
「緊急電力モードって一体何なわけ?」
『分かりやすくいえば省電力モードです。簡単な思考、指示はできますが、演算や思考加速、スキルの使用は推奨しかねます』
「スキルって…‥」
『サーチを実行しました』
「あ、なるほど」
って、え~!頼んでないんですけど。
『少し違うのは、内部電力が尽きた場合、使用者の体力や精神エネルギーを消費して強制的に稼働を続ける点です』
はあ?マジですか。体力、精神力を削るって事は、結局充電切れたら死ぬってことじゃないの?
それに演算はともかく、思考加速ってこのイヤホンは何なんだ?
「あのさ、君ってイヤホンなの?」
『……』
あ、また黙っちゃった。
『……正確には違いますが、現状ではイヤホンということで構いません』
うーん、分からんが本人(本体?)がそう言うのならそれでいいか。
「でもイヤホンって呼ぶのはなんかなあ。名前はないの?」
『名前……ですか……』
『……ではΛ-01(ラムダゼロワン)型とお呼びいただければ』
それってイヤホンの型式じゃないの?本来の名前はないのか、それとも言いたくないのか?
「分かったよ、じゃあラムダって呼ぶから僕のことはカナトって呼んでよ」
『了解しました。それではカナト、ここから移動しますか?』
このイヤホンが何なのか結局なにも分からなかったが、今はまだそれでいい。
充電は思った以上には後回しに出来そうだが、ラムダとのやりとりをしすぎる余裕はない。
……充電31パーセント。最悪ここで切れたら死ぬかもしれないもんな。
「うん、移動するよ。どっちに向かえばいい?」
『左手方向へ600メートル。森の向こうに先ほどの生命反応があります』
仕方ない、行くしかないか。
僕は草を踏みしめ、森へ足を進める。
風がざわめき、木々の影が揺れる。
一歩踏み出すたび、知らない世界の重みを感じた。




