第36話:束の間の朝寝坊
嵐のような製作期間を終え、訪れた穏やかな朝。
完璧主義なアイリスが、リュカの愛に甘やかされる贅沢なひとときです。
意識の底からゆっくりと浮き上がると、頬に触れるシーツのひんやりとした感触が心地よかった。
いつもなら、陽光が差し込む前に飛び起き、針を手にとっていたはず。けれど今朝は、指先に伝わる柔らかな充足感が、私をまどろみの中へと繋ぎ止めていた。
「……まだ、眠っているのか」
頭上から降ってきたのは、低く、微かな熱を帯びた声。
驚いて目を開けると、そこには既に身支度を整えたリュカ様が、私の寝顔を覗き込むようにして立っていた。
「リュ、リュカ様……! 申し訳ありません、すぐに……」
慌てて起き上がろうとする私の肩を、リュカ様の大きな手が優しく、けれど抗いようのない力で押し止めた。
「構わん。ドレスが完成するまで、お前は一月近く、まともに眠っていなかっただろう。……今日は、俺が許す限りここにいろ」
彼は私の枕元に腰を下ろすと、冷たい外気を纏った指先で、私の乱れた髪をそっとなぞった。
魔法が使えないこの地において、朝の時間は何よりも厳格な規律を求められる。それなのに、この北方の主は、一介の針子に過ぎない私を甘やかすためだけに、自らの執務時間を割いているのだ。
「でも、旦那様。お仕事が……」
「お前の寝顔を眺めるのも、主としての重要な任務だ。……と言ったら、お前はまた困った顔をするな」
リュカ様がふっと口角を上げ、悪戯っぽく目を細める。
エドワード様の隣にいた頃、朝寝坊など、淑女としてあってはならない恥辱だった。けれど今、リュカ様の熱い視線に包まれていると、この怠惰な時間こそが、私にとって何よりの救いのように感じられる。
「……アイリス。お前の指は、もう震えていないな」
リュカ様が私の手を取り、針仕事の疲れが残る掌を自らの頬に当てた。
剃り跡の僅かなざらつきと、彼の内側から溢れ出す体温。
「はい。……貴方が、そばにいてくださるから」
私が微笑むと、リュカ様は堪えきれないといった様子で身を乗り出し、私の額にそっと唇を寄せた。
王都へ向けた嵐のような日々が始まる前の、凪のような時間。
私たちはただ、朝陽が雪原を白く染めていくのを、繋いだ手の温もりだけを頼りに見つめていた。
第36話をお読みいただきありがとうございます。
リュカ様の「寝顔を眺めるのも任務」発言、溺愛が隠しきれていませんね。
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次話、雪に閉ざされた庭園で、二人は「未来」への小さな約束を交わします。




