第十五話 三億ジェニーの価値
……なんか外が騒がしいな。
何度も工房の入り口のドアをノックする音がやかましくて目が覚めた。
寝ていたのはいつものユイリちゃんのベッドの上ではなく、食卓の下の床。
ふと気付くと風邪を引かないようにと誰かがシーツをかけてくれていた。
工房内のメンツで酒を飲まなかったのは九歳のユイリちゃんだけだし、途中で起きたときに気づいてやってくれたのだろう。ありがたい。
何時か分からないが、外は大分明るかった。
そろそろ起きないとな。
よいしょっと――って頭が超いてぇ!
ズキズキと頭が痛む。完全に二日酔いだこれ。
頭痛で苦しんでいる所にドンドンドン! とドアをたたく音。
さっきよりも少し乱暴な感じ。
急ぎの用事でもあるのだろうか。
ひどい顔しているだろうし、頭痛がひどくて応対する気力もわかないけど、ここまで粘るってことは用件のある来客だろう。工房を手伝っている身として無視はまずいよな。
よし、いくか。
ふらふらになりながら、ドアの前まで行くと
「いらっしゃらないのかしら……ごめんくださーい!」
と聞き覚えのある声がした。ペルシアさんだ。
今日もサーニャさんに縁談の話を持って会いに来たようだ。
酔ってはいたがサーニャさんは縁談を断ると表明した。
それによって昨日までと状況がまったく変わっている。どう作用するんだろうか。
「ペルシアさん、いま開けます」
声をかけるとドアをたたく音が止む。
それを確認してからドアを開け放った。
「あ、あ、あなた一体何て格好をしていらっしゃっるの!?」
俺を見て目を見開くペルシアさん。
へ?
一体どうしたというのだろう?
不思議に思ってペルシアさんに一歩近づこうとすると、お供の二人がペルシアさんの前に現れ、全力ガード。帯剣した武器に手をかけ殺気を放つ。
訳がわからないが、白旗の意味を込めて両手をあげつつ誤解を解こうと試みる。
「ペルシアさん、記憶に残っていないかもしれませんが俺はこの工房で住み込みで働いているカグツチアキラです。決して怪しいものじゃないです!」
「そ、その格好で、よくそんな事を口走っていられますわね!」
顔を真っ赤にしながらある一点を凝視している。そこに全ての誤解の原因がありそうだ。
視線が突き刺さっている場所を特定するとそこは俺の股間だった。
視線をそこに落とすと何も身に着けていないありのままの俺の息子がいた。ハーイ、マイソン。
というか上も下も何も身に着けていない。
どっからどう見ても全裸の変態さんだった――
さすがにショックを受ける俺。
どうして気づかない!
「まさか、あなた! サーニャ達に『ナニ』かしたんじゃないでしょうね」
「いえ、『ナニ』もしてないです!」
「その者を拘束しなさい! 私は二人の安否を確認してきますわ!」
その一言でお供の二人に拘束され、一瞬で手を極められてしまう。
はたから見たら変質者が拘束されただけにしか見えない凄惨な光景。
いてーし。誤解よ、早く解けろ。
「――ほんっっとうに申し訳ありませんの」
上流階級特有の傲慢な態度がすっかり消えたペルシアさんは、頭を何度もペコペコと下げる。
誤解は解けたが、俺の両頬は見事に腫れ上がっていた。
あの後食卓に突入したペルシアさんに計二発ビンタをかまされたのである。
一発目はサーニャさんが裸でシーツに包まって寝ていたのを確認したとき。
二発目はシエラが全裸でトイレから戻ってきたとき。
なにかよからぬ妄想をしたらしい。勘弁してくれ。
サーニャさんとシエラは朝のチン事を聞かされ、さっきからずっと腹を抱えて笑っている。
気づかず裸で出て行った俺が悪いと言うけど、服を脱がしたのは絶対サーニャさんあなたですよ……
ビンタされ損の俺を心配してくれているのはユイリちゃんだけ。
布に水をしみこませそれを俺の頬に当ててくれている。腫れが引いたら塗り薬も用意してくれるそうだ。
俺の中で天使から大天使に昇格だわ。
「はぁ~笑った、笑った。こんなに笑ったのはいつ以来だろ」
「あなたねぇ……私は殿方のせ、せ、せい○を見せられたのですよ!」
「それがどうした。その年でそんな情けないこと言ってんなよ」
「私、家族以外で見るのは初めてだったんですのよ!」
こんな美人だったらいくらでも言い寄ってくる男性いるだろうに……
変な空気が部屋に漂い始める。
さすがのサーニャさんもこれをいじってはいけないと思ったらしく
「で、今日は何しに来たんだ? 縁談の話だったらもう答えは出たぞ」
ズバっと本題を切り出して話題を変えた。
「もしかしてサーニャあなた……この話、受けるつもりですの?」
ペルシアさんはなぜか悲しい顔をしていた。
「ばーか! 受けるわけないだろ、あんな気持ち悪いマザコン野朗」
即座に否定されパーっと明るくなったペルシアさんだったが、すぐ真剣な顔に戻り
「でも、そうしたらあなた達の鍛冶ギルドは今後この国で商売が出来なくなりますわよ」
「何もせずにいたら、だろ」
「何か秘策でも?」
「ある! シエラ、お前の短剣をペルシアに見せてやれ」
「了解ですにゃ~」
俺の作ったグリーンタートルナイフを革のケースから取り出し、持ち手を相手に向けて渡す。
意図を測りかねたであろうペルシアさんは、少し眺めた後ナイフをしぶしぶ受け取った。
そして、いろんな角度で見たり刃先を太陽光で反射させたりしたが、突然
「これはっ!」
と言うとそのまま数分ぶつぶつ「まさか」とか「ありえませんわ」と呟きだした。
そしてそれが終わると、シエラをきっとにらみこう言った。
「あなた、これをどこで手に入れましたの? まさか、王国の宝物庫から盗んできたんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ、うちの職人をいじめないでくれ。それは正真正銘うちの工房の成果物だ。でも、お前がそう鑑定したのなら、大丈夫そうだ」
何が大丈夫なのだろう?
二人だけにわかる会話をされ、蚊帳の外の俺たち。
「こいつはな、性格は悪いし、男運もないが鑑定眼だけはある」
「だけとはなんですか! だけとは!」
「冗談だよ。で、その短剣、宝物庫にある伝説級の武器と遜色ない出来栄えなんだな?」
「……まぁそうなりますわね。私の値踏みだとこの短剣……少なく見積もっても、三億ジェニーはくだらないですの」
ほげぇー。
三億って一昔前の宝くじの当選金じゃねーか。
三億あったら仕事をやめてどっか物価の安い国で遊んで暮らすとかくだらない妄想を誰でもしたことがあるんじゃないだろうか。俺だったら暖かい国にいく。
「にゃーの短剣が三億!!」
額を聞いたとたん耳をぴんっと立てそわそわしだすシエラ。わかりやすすぎんぞ!
「お前、今「売ったらにゃーはお金持ち!」とか考えたろ」
「ぎくりっ!」
擬音でしゃべるな。
まぁ、短い付き合いではあるけど、家族という枠組みを大切にする奴だから金に目がくらんで売ったりするような浅ましい事はしないはず。はず。
信じているからな……シエラ。
「さきほど、ここの成果物と言いましたが、どうやってその話を信じろといいますの?」
よほどここにあるのがそぐわないのだろう。ちょっと怒気を含んだ言い方だった。
「まぁ、疑いたくなるよな」
「当たり前です! 私は誰よりもあなたの鍛冶職人としての才能を認めてはいますが、それでも国宝級の武器をあなたが作れるとは思っていません」
残酷な物言いだが、長い付き合いでサーニャさんのことを誰よりも把握しているからこそ出てきた言葉なのだから仕方ない。
「確かに。私にこれを作るのは不可能だ」
「ほらっ」
「この短剣を作ったのはうちのアキラなんだよ」
全員の視線が俺に集中する。
いや、シエラは飯に夢中だった。
「冗談はおやめなさい。長い歴史を誇る聖都グロリアで、後世に名を残してきた名匠達でもこんな素晴らしい武器を作ったという話は聞いたことありません。王国の宝物庫にある伝説の武具も外からの伝来品や、強国同士の大戦の戦果です。それを、こんな子供が作っただなんて」
偉人が持つ雰囲気というものは、すなわち形を持たぬ説得力。
それを十五歳の体を持つ俺は持ち合わせていない。
今回に限らないが、そう思われて当然だから気にしない。
エピック級の武器を作ったのは間違いなく俺なのだ。
「ちょっと前の私も同じ考えだったよ。だけど私がこの目で、アキラがこの短剣を作り上げるのを見た。武具製作に命を賭けてきた私がこう言っているんだ。嘘か本当かくらいお前ならわかるだろ」
交差するふたつの視線。そこにプロとしての気高さが感じられた。
「ふぅ……いいですわ。鍛冶職人としてのあなたを信じましょう。でも、この事を私に知らせてあなたに得があるとは思いません。一体何を企んでいますの?」
「結婚を控えた第二王子の大遠征が近々あるだろ? 騎士団にとってもサポートする各ギルドにとっても失敗が許されない最重要任務だ。アキラの力を借りてそこに加わってやろうと考えて――」
「今から大遠征に参加することは不可能ですわ」
「あれ?」
思惑が外れたサーニャさんは軽くずっこける。
「これと同等のものを作って王国に自分達を売り込もうと考えているのでしょうが、それをどうやって騎士団へお見せになるおつもり? あなたは性格に難はありますが、グロリア内では結構な有名人ですからね。権力闘争に負けた旧いギルドに所属するあなたとコンタクトを取りたがる権力者など一人もいませんわよ」
性格に難ありってわざわざ言うのは、さっきの仕返しだろうな……
「コンタクトを取りたがる物好きならここにいるじゃないか」
「どこにいるんですの?」
きょろきょろしだすペルシアさんへみんなの視線が集中する。
いや、違った。
シエラはトイレへ行っているのでいない。お前トイレ近いな。
「ということでペルシア、あとは頼んだ。お前だけが頼りなんだ」
「もう、しょうがないですわね……」
「へへっ」
はにかみながら、契約完了とばかりに手を差し出すサーニャさん。
それを見てにこりと笑うペルシアさんは
「ってなるわけないですのぉーー」
と差し出された手を払って、いつものようにサーニャさんと取っ組み合いを始める。
あーあ……。
取っ組み合い後、なんだか知らないけど折れてくれたペルシアさんは、必要なものをそろえて後日また来てくれるとのこと。
会えば喧嘩ばかりしている二人だが、信頼し合っていい仲じゃないか。