第二の客
昔っからお片付けのできない人間だった。それは、今住んでいるこの部屋が言わずとも教えてくれる。
「使ったものはもとのところへ返しなさい。」
厭になるほど言われてきた言葉だ。けれど今はそんな言葉をかけてくれる人もなくなった。最後にこの部屋を片付けたのはいつの日か。まあ、片付けだなんていっているが、実際のところはあちらこちらに散らばっているものたちを一か所に集合させるだけである。断捨離などしたことがない。こんなものを「片付け」と呼んでしまうと、部屋をきれいなままにしたいと、日々注意し片付けに励む方々に失礼である。
ずっとこんな調子だから、友だちを家に上げたことなど一度もない。それでいて自分は、何度も友だちの家で遊ぶことがあったから、友だちの家にお邪魔するたびに、申し訳ない気持ちが心の中を駆け巡っていた。その家の中は整理整頓が徹底されていて、俺はいつも友だちとゲームなどして遊んでいた。あるとき、俺がトイレにいってくると言って廊下に行くと、そこには四つのドアがあった。どれか一つのドアの向こうがトイレであるのは確実だが、ほかの三つのドアの向こう側にはどんな景色があるだろうか?俺は友だちを連れてきて、この四つのドアはそれぞれ何の部屋につながっているのか、と訊いた。友だちの云うことには、トイレ以外の三つのドアは、一つはリビング、もう一つはお母さんの部屋らしい。最後の一つはどんな部屋かと訊くと、友だちは
「えっと…それは、秘密。」
と云うのである。
「開けていい?」
人の家の部屋、迺ち人のプライベートにずかずかと侵入するのは禁忌である。だが、あのときの俺は気になってしょうがなかった。全く、これほどまでに自身の探究心が掻き立てられたことはない。未開の土地を求め航海する海賊のような心持で、俺はドアノブを握って回そうとした。
「やめて!」
友だちが急に大声で云うのでびっくりした。これにはさすがにドアを開けるのを遠慮した。入られたくない理由でもあるのだろうか。
突然腹の底から鈍い音がした。空腹だ。今日は少し贅沢に、外食とでもいこうか。
街に着いた。俺はこの街に行くと毎回行くお店がある。ラーメン屋である。そこは豚骨ラーメンのお店なのだが、あの白く濁ったスープの、なんと濃厚でおいしいことか。麺ももちもちしていて、チャーシューも肉と呼ぶにふさわしい噛みごたえがある。はじめて食べたとき、あまりのおいしさに感動の溜息をついたのを今でも覚えている。今日も、あの豚骨ラーメンを食べに行こうではないか。
いつもの道を辿って、俺はラーメン屋に到着したように思えたが、どこかおかしい。たしかにここにあったはずである。両隣に並んでいる店も同じだというのに。もしかして、閉店してしまったのだろうか。かつてのラーメン屋があった場所に建っていたのは、怪しげな料理店であった。俺はついその料理店の戸をがらがらと開けてしまった。その怪しげな雰囲気は、俺が店に入るのを惹起した。
店の中は閑散としていて、思いの外狭い。背凭れのない、くるくると回るようになっている椅子が五席ある。ドアの右上についている鈴の音に気付いたか、店主は振り向いて、俺を席に案内した。
「お客様、今日はどんな悩みをお持ちになりましたか?」
いきなり何を喋り出すかと思えば、彼は「悩み」を訊いてきた。相談にでも乗ってくれるのだろうか。俺は件の悩みを語った。すると、彼はそそくさと厨房に向かった。
しばらく経って、彼は厨房から出てきた。机に置かれたのは、ラーメンだった。掌をあわせ、レンゲで一匙掬ってスープを啜った。世にあまねく知れ渡る、ごく一般的な醤油ラーメンである。
「ごちそうさまでした。」
そう云って、俺は店をあとにした。
翌日、俺は目を覚まして自分の部屋をぐるっと見回した。俺はつい自分に驚いてしまった。
「きたなっ!早く片付けよう」
今まで自分が口にすることのなかった文言が、なぜだかするっと口から滑って出てきたのである。
「これはいるやつで、これはもういらないっと」
俺は怒濤の勢いで片付けを始めた。
「ひとまずこれでじゅうぶんだな」
俺は今までこんなにも邪魔のなく、平坦な床を広げる自分の部屋を見たことがなかった。
しかし、俺はなぜ突然に片付けができるようになったのだろうか。
「あっ、そういえばあの料理店、店の前の看板にこんなことが書いてあったな。」
俺は看板に書かれていたことをできるだけ鮮明に思い出した。お客様の悩み事が料理になる。そんなことが書いてあった気がする。もしかしてそれを食べれば、その人の悩み事が綺麗さっぱり解決するのではないか?だから急に片付けの技術が向上したのではないか?本当にそうなのだとしたら、誠にありがたい限りである。
それから俺はリビングとか物置とか、家の中でも殊に散らかっている部屋の片付けに努めた。終わった後には、他人の家かと勘違いするほどに変貌していた。
しかしその部屋も一ヶ月が経てば、すっかりもとのだらしない部屋に戻っていた。俺は片付けの技能こそは身についたのであるが、それを維持する力はまるでなかったらしい。
片付けても片付けても、いつかは散らかって、また苦労をする羽目になる。俺が片付けというものを疎んじていたのは、そのためであったかもしれない。




