第十六章
囀る小鳥たち。空を仰げば、僕の視界を遮るように張り巡らされた電線が見えた。
黒い線の縁を彩る白い光りはまだ鈍く、早朝の空は青というよりも金色だ。
「は・・・はっは・・・・っは」
息を整えるように、僕は走る。
人影の見えない田舎道。田園風景の奥に見える線路の上を、始発の電車がゆっくりと走り、僕を追い越して行った。
「本当に・・・もう・・・目立つのが嫌だから・・・朝一番に家を出ようって・・・決めてたのにっ・・・」
走りながら、僕は愚痴る。愚痴の対象は現在僕の肩の上。
普段より負荷の多い状態で走るといのも、良い訓練になるのかもしれないが・・・
巨大なテディベアを背負って走る体操服の人間って、傍から見て相当変だろうと思う。
「これじゃ・・・別の意味で目立っちゃうじゃないか!」
「すまぬのぉ」
怒りをにじませる僕の声に、帰ってくるのはあっさりとした謝罪。喋ってるのは当然、テディベアのアルフィーではなく、その中身にいるゲノムだ。
先程自らの手で引きちぎった頭部を深く被り、今は普通のテディベアの振りに専念している。
だって、動き回るテディベアほど人目をひくものはないだろう?アルフィーの皮を被るつもりなら、不必要な動作は控えるよう、僕が指示したのだ。
「・・・ていうか。なんでずっとその格好してるのさ。着る服なら、他にもいっぱいあっただろ?」
「ふむ・・・しかし。こうしてアルフィー殿と一体化していると、心が安らぐことに気づいたのじゃ」
ゲノムの命の恩人であるアルフィー。その優しさ、その心意気が、肌を通して伝わってくるようなのだと、そうゲノムは言う。
「何よりもアルフィー殿の中身はふかふかで気持ちいいのじゃ。布団に良く似ておる」
「・・・まぁ、気に入ってるのはわかったけどさ。お陰で高級テディベアが台無しなんだぞ。
てか、修理きくの?それ」
昨日の時点では、腹に大穴を開けていただけで済んでいたアルフィー。
あのころならまだ、綿を補充し、破れ目を縫いさえすれば良かったのだが・・・
現在のアルフィーは既に修理不可能な領域に達している。
確かにこのテディベアは、野村さんから「煮るなり焼くなりお好きなように」と言われ、渡された代物ではある。
しかし、まさか爆発事故に巻き込まれた挙句、幼女の着ぐるみと成り下がってしまうとは。
持ち主の野村さんは勿論、アルフィー本人にとっても予想外の事態に違いない。
「あーあ・・・このことがバレたら、僕、野村さんになんて謝ればいいんだろ。なぁゲノム・・・」
・・・僕の話、聞いてるか?
そう尋ねようとした矢先である。僕は自らの背後から、信じられないものを聞いた。
「ZZZ・・・」
・・・あ!おい、なんだよそれ!「Z」ってなんだよ!しかもそれが三連続ってことはつまり・・・
「ゲノムっ・・・おまっ!寝やがったな!!」
人が重みと恥ずかしさに耐えて、必死で走ってるっていうのに、何という体たらくだろう。
こうしてふざけるのもいい加減にして欲しいものだ。こんな奴相手にしてたら、いつだって真面目な自分が馬鹿みたい・・・
――不意に。僕は気づいた。
「は・・・っは・・・・・あれ・・・?」
田舎道を抜けた僕は今、少し広めの住宅街にいる。
腕時計に目をやれば、まだ時刻は六時十分。車道を走る車だって殆どない筈の時間である。なのに。
「なんで・・・こんなに沢山、人がいるの?」
僕は足を止める。否、止めざるを得ない。
この一帯は民家が立ち並んでいるだけの区域で、寂れた商店が二三件ある以外は、特に立ち寄るような場所もない。
日中でも人気がない場所の筈なのだ。
なのになぜ、こんな早朝に人だかりができるのだろう?
「???」
ポカンとしながらも、僕は歩く。
人と人との間の隙間が狭いので、走ることが憚られるのだ。
集まる人々の様子を観察してみれば、その種類は様々。
サラリーマンやOLのようなスーツ姿の若者もいれば、夕飯の買出しにでも行くようなエプロン姿のおばちゃんもいる。
杖をついた老夫婦もいれば、虫取り網を片手にはしゃぎまわる子供たちの姿もある。
「・・・祭りでも・・・あるのかな?」
こんな早朝からそんなわけあるかい。とは思うが・・・それにしたってこの人の集まり方は異常である。
放心したまま歩みを進める僕は、不意に背中を走る寒気に気づいた。
「・・・っ誰!?」
感じたのはおぞましい視線。僕を見つめる暗い気配。
僕は咄嗟に振りかえるが、そこには何もない。
否、沢山の人はいるが、誰一人として僕のほうを見ていないのだ。
「・・・?」
不意に、僕は違和感に気づく。
背後を振り返るために傾けた身体を、今度はゆっくりと前に向ける。
そうして移り替わった視界の中にも、大勢の人影が写りこんでくるが、やはり誰一人として僕のほうを向いていない。
――・・・なんだ。どういうことだ?
どうして皆、僕に向かって背を向けて歩いているんだ?どうして僕からは誰の顔も見えないんだ?
――ありえないだろ?そんなこと・・・
もう一つ、僕は気づいたことがあった。
辺りを埋める明るいざわめき。その騒がしさは確かに耳に届いている筈なのに、僕はその中から明確な会話を聞き拾うことができないのだ。
そこにあるのはボンヤリとした騒がしさ。僕からは顔を確認することができない人間の集団。
――なんだこの・・・掴みどころのない感覚。
ふと、僕は自分の足元に目をやる。
低い日差しに、僕の影だけが長く伸びている。顔を上げる、そこにあるのは僕に背を向けた集団。
視線を下げる。そこには僕の影しかない。もう、悪い予感しかしない。
「・・・まさか」
『パンドラを・・・』
僕の恐怖に呼応するように、妙に聞き覚えのある声がした。
『パンドラを・・・カエすのだ・・・』
ゆっくりと、そして次々と、僕を振り返る集団の顔、顔、顔。
なんて大きな白眼だろう。なんて紅い口だろう。
「ぎぃやあああああ!出たあああああ!」
逃げたい。逃げたいけど・・・完全に囲まれた!
「ゲノム・・・!ゲノム!敵だよ!多分あいつらだよ!お前の出番だろ!?おいっ!」
背中のテディベアを激しく揺らし、僕は訴える。しかし・・・
「・・・むにゃ・・・じゃからもう・・・そんなに沢山のスイカと天ぷらは食べれぬと言うに・・・」
「あああ!だからっ!夢の中でそんな食べ合わせの悪い物食べるくらいなら・・・起きてよ!」
何故だ。何故ゲノムは誤った食生活の夢ばかりを見るのだ。
その疑問は尽きないが、それよりも何よりも、起きてほしい。そしてこの現状を見てほしい。僕今、絶体絶命。
「・・・っひ!」
エプロン姿のおばちゃんが、突然両の腕をナイフに変え、僕に切りかかって来た。
咄嗟に下にしゃがみ込み、その切っ先から逃れる。僕の茶色い髪が数本切れ、ハラハラと散って行くのが見えた。
――・・・無茶だろ・・・?これ
何こいつら、どんだけ攻撃力の高い集団だよ。僕、ただの女子中学生なんだよ。
確かに、人よりか体格良いし、足だって早いけど。格闘技すら経験したことのない、ただの陸上部員なんだよ?
「勝てるわけ・・・ないじゃないか!」
何故かはわからないが、キボウツキと呼ばれる存在になった僕。
今後はパンドラを求める輩からの襲撃を覚悟しなければいけないという事実。
確かに昨日、聞きました。聞きましたけど!
「一気に・・・来すぎ!」
予想以上の敵の多さに、僕は身体中から噴き出す冷や汗を感じる。
――こいつら、一気に僕を片付けるつもりなんだ・・・!
引き続き繰り出されるおばちゃんの刃を交わし、僕は一瞬ガラ空きになったおばちゃんの腹を、思い切り蹴り上げる。
・・・若干、良心が痛んだが、その分効果はあったらしい。
地面に倒れたおばちゃんは、低い唸り声を上げて、僕の影の中に溶けて行った。
・・・もしかしたらこいつら、攻撃力は高いが防御力が低いとか・・・そんな感じ?
とにかく、逃げるなら今のうちだろう。僕は走り出した。
『・・・マテ・・・ドコにニげる?』
しかに直ぐに、僕の行く手を拒む者が現れる。
当然である。僕は今、大量の敵に囲まれているのだ。
例え一人一人が弱かったとしても、この量を相手に、僕に勝ち目はないのだ。
「・・・うぅ・・・」
恐怖の余り、目が滲んでいくのを感じる。僕はやはり死ぬしかないのだろうか。
短い人生だった。こんなわけのわからない奴らに殺されることになるとは想像もしていなかった。
――もっと速くなりたかった。
もっと鍛えて、沢山の仲間やライバルと出会って。僕はもっと成長していきたかった。
人生に思い残すことが多すぎて、僕は唇を噛みしめる。
・・・死というものは、いつだって唐突なのかもしれない。
人が理解できない速度で、こうやって日常に迫ってきて。そして僕は攫われる。
・・・まるで、あの時と同じ。
――そうだ。僕の父さんや母さんだって・・・
走馬灯のように、僕は思い出す。僕の前から僕の本当の家族が消えたあの日。
震える手で握り締めた、新聞紙のガサガサした感触。
・・・ゴォオオオオオ・・・・
ふと、僕の耳に聞こえてくる音があった。
どこか遠くで、飛行機が飛んでいる。
『アラたなるキボウツキよ。おまえさえキえれば、コンドこそ、パンドラはワレワレのモノ』
死ねと。アシアトたちが僕に向かって死ねと言う。
僕は恐怖に腰が抜けて、そのまま空を仰いだ。
金色の空は今や青く、白い飛行機が一体・・・僕を目指して、墜落して来る。
――僕はまた・・・悪夢を見ているのか?
否、これは現実。
『・・・っナニ!?』
「ひっ!!」
紅く燃え上がる機体。轟音と共に迫ってくる巨大な白。激しい閃光。
「走れ。カヅキ」
声が、聞こえた。
「走らなければ、私がお前を殺すぞ」
それは聞き覚えのある女性の声。誰かは解らないが、僕の意識の中にずっと潜んでいた女性の声。
「カヅキ、走れ・・・走らんかい!」
怒鳴りつけるような声に、僕の身体は反射的に浮き上がる。
恐怖よりも先に、僕の喉がうねる。
「し・・・っしゃーーあぁああぷぺんすぅいいいいいるう!!」
叫び、僕は目の前に立つスーツ姿の男に飛び蹴りを喰らわせた。無我夢中である。
地面に崩れ落ちて行く男を踏みつけ、僕は走り出す。
『・・・グァ』
『ウグ・・・』
時に拳で、時に膝蹴りで、目の前の敵を倒しながら、僕は走る。
飛行機が近づいてくるにつれ、爆風と閃光がそこらじゅう一体を埋めて行く。
強い光りが弱点のアシアト共にとって、それはまさに殺人光線だった。
『ウアアアアアアア!』
背筋が凍るような悲鳴と共に匂う、肉の焦げる異臭。
墜落した飛行機の激しい衝突音、辺りにスパークする赤と白の光。
「ぎぃやあああああああ!!」
視界の先に何も見えない。それでも僕は走るのを止めない。速く、もっと速く・・・!
・・・気が付けば。
僕は誰もいない、路地裏に立っていた。
先程までの真っ青な空が嘘のように、天はまだ夜明けそこそこの色合いである。
「・・・は・・・・は・・・・・・ぁ?」
僕は、一体どうしてしまったというのだろうか。
「危なかったの。カヅキ殿?」
聞こえる声に、視線を下げる。
僕の足元に、ゲノムが立っていた。
ふわふわの手足を持った、相変わらず愛らしい様相。
ただし、被っていた頭部は今や外されており、
露わになったゲノムの両の瞳は、普段の水色を忘れ、黄金色に輝いていた。
「少々油断してしもうたわ。怖い思いをさせてすまぬの。
しかし既に、あやつらの弱点は計算済みじゃ。倒すことは容易」
そういって無邪気に微笑むゲノムの周りを、くるり一回転する赤と黒の球体があった。
「・・・これ・・・何?」
震える指で、宙に浮かぶそれを摘まもうとするが、
僕の指が触れるより速く、二つの粒は消え去ってしまった。
途端、ゲノムの瞳の色も本来の水色に戻る。
「わしにもわからぬが、多分これが、わしの武器に相当するのじゃろう。
相手の心に干渉して、そやつに恐怖を与えることができるらしい。」
・・・まさかアシアト共だけでなく、カヅキ殿にまで被害を出すとは思わなかったが。
そう言って居心地悪そうに頭を掻くゲノムの様子に、僕が浮かべるのは乾いた笑い。
「本当にゲノムって・・・人間じゃないんだな・・・」
安心したせいか、腰から力が抜けて行くのを感じる。
「・・・カヅキ殿?」
ポカンとするゲノムの前で、僕は地面に膝をつき
「あはは・・・・・ははっ!!」
ほんのちょっとだけ狂気染みた心持で、しばらく笑い呆けたのだった。
<※2010年8月9日時点での改変について>
こそっと、作中に修正を入れました。
最後のシーンでカヅキの立っている場所を
「校門の前」から「路地裏」に変更です。
まだカヅキは学校には辿り着いていないということでよろしくです。