ep.10【動き出す運命】
走る。僕は走る。
今日も空は抜けるような晴天で、雲は一つも見当たらない。
「・・・あの。もし?」
息を切らせて、僕は走る。揺れる視界を覆うのはただの青一色。
いつか見た、あの悪夢の空にすら近い空の色。
「・・・あのぉ。できれば無視をせんでほしいのじゃが」
僕はひたすらに青い空間を走っている。きっと、今はそんな夢を見ているのだ。
――・・・もしそうじゃないとしたら、この現状、どう説明してくれよう。
「は・・・っ・・・はっ・・・あ・・・あのなっ!」
「ふむ。なんじゃ?」
息も切れ切れに、僕は話す。
「僕は・・・小学校四年のころからずっと・・・陸上やってて・・・短距離走では学年一位の座をずっと守り続けてるくらいで・・・」
「ほほう。そいつはすごいの」
「それでもっ・・・自分に甘えちゃいけないと思うから・・・っ毎日走り込みを欠かさないようにしてるんだ・・・っ!」
「ふむ。今時の子供にしては珍しく、殊勝な心がけではないか」
「・・・いやっ!・・・だからねっ!」
足を決して止めることなく、僕はぐるり首を半回転させた。視線で捉えるのは、僕の隣にいる一人の美幼女。
「だからっ!そんな僕の全力疾走に、君みたいなちっちゃい女の子が、ただの競歩で並走できちゃうの、おかしいでしょっ!?」
金色の太陽に迸る汗を跳び散らしながら、僕は叫ぶ。
夢なら覚めて下さい。何このショッキングな展開。半生を走ることだけに捧げてきたこの僕に、今訪れたのは最大の屈辱。
「・・・ほ?なんと!これでぬしは精一杯だというのか!?
わしゃてっきり・・・健康維持のためにウォーキングしている主婦層の類かと!」
「違うよっ!・・・っていうか、君、誰だよっ!」
野村さんと別れて直ぐ、僕は自分の背後に迫ってくる奇妙な気配を感じ取っていた。
瞬間、体内を覆い尽す恐怖。あえて言葉で説明する必要もない程の、それは本能的な感覚。
・・・そしてその感覚がピークに達したその瞬間だった。
「失礼。先程ぬしがカメラを持った男どもと話しているところを見ておったのじゃが。
ぬしの名前が≪黒沢カヅキ≫であることに、間違いはないかの?」
本能的に危険な何かが、幼児特有のクリクリした甘い声で話しかけてきたのだ。
僕は、自分が幻覚でも見ているのかと疑って、極力その正体を直視しないよう気を付けていたのだが、
ここまで熱心に話しかけられてしまっては、いい加減無視するわけにもいかない。
僕はようやく足を止めて、目の前の美幼女に対峙した。
そう。僕の足に軽々とついてきやがったこの幼女の外見は、十人居れば八人が「美しい」と答える代物だった。
ちなみに、残る二人の意見だが、こちらは「奇妙」で一致するだろう。
この幼女、素材だけを見れば高名な人形師の最高傑作と表現しても問題ないほどに整っているのだが、
身なりに関しては、独特のセンスを強調しすぎて、一般人に理解不能な領域に達している。
僕に理解できない幼女のセンス。まず第一は、その髪型である。
艶々ときらめく黒髪は良い。頭の高い位置から結い分けたツインテールというセレクトも、目の前の少女の年齢を考えれば別に普通だ。
いや、普通どころか、ヤバイくらい可愛らしいので、髪を結ってあげたお母さんに「グッジョブ」と親指を立てて上げたくもなる。
・・・問題はその毛先のカールっぷりだろう。
ドリルのような縦巻きカールというヘアスタイルは、昨今のフィクション作品において、そこそこメジャーなものだと思うのだが、
目の前のカールっぷりは、「ドリル」の領域を既に超えている。
「・・・なんで君、頭からバネが生えてるの?」
とりあえず件の物体を指差し、僕は幼女に問う。
幼女が動く度に、顔の両サイドでボヨンボヨンと跳ねるそれを見る限り、その部分だけ別の物質で出来ているかのようだ。
髪の艶だってどこか鋼鉄的で、触ったらきっと堅い。
「変かの?この髪型はわし、結構気にいっておるのじゃがな」
僕の指摘に対し、幼女は傷つく素振りも一切見せず、そう笑う。
・・・というか、あくまでも"髪型"と言い切るあたり、あのバネの素材が毛髪であることだけは確実なようだ。
髪を固めるワックスが特殊なのかもしれない。
「・・・あとね。君、服・・・どうしたの?」
一つ目の謎が解けたところで、僕は視線を下にずらし、再び問う。
僕の理解できない幼女のセンス。第二はその衣装である。・・・というか、これは衣装以前の問題なのだが。
「裸じゃん?パンツ一丁じゃん?」
幼女のその細い四肢は昼間の太陽の下で白く輝き、ある種の完成された美しさを奏でる。いわゆる素っ裸だ。
とりあえず児童ポルノ法よ、むしろお前の方から来い。
映画「と○りのトト○」の入浴シーンに修正入れるより、この幼女にモザイクかける方が先だろう。
「ふん。この暑い中、服なんぞ着ていられるかっ!」
「ダメだよそういうの。色々ダメだよ。ていうかよくここまで、誰にも捕まらず来れたね?」
幼女が身につけているもの、それは昔懐かしの南瓜パンツのみである。
何故か巨大なテディベアを抱えてるおかげで、全身の露出はそこまで目立ってはいないが。
アウトかセーフで判断するならば、確実にアウトな格好だ。
「ふむ。確かにわしはよく、変におそろしー輩に追いかけられてしまう。
だがしかし、あのような鈍足の生き物に取り捕まる程、わしも衰えてはおらぬようじゃ」
妙に自信満々に、幼女は言う。
・・・ていうか、先程からなんなんだろう。この婆くさい口調は。
バネ頭にパンツ一丁というファッションセンスと合わさると、この幼女のキャラクター、完全に迷子である。
いや、むしろこれは事故と言って良いレベル。誰か、誰かここに発煙筒を。
「・・・とりあえず、裸はまずいからやめようね。あと、もし迷子なら交番に連れて行ってあげるから、一緒に行こう?」
優しくそう告げ、僕はジャージの上着を脱ぎ、幼女に被せてやる。
案の定袖のところはダボダボだが、裾はぎりぎり幼女の膝まで届いたようで、幼女のやわ肌を隠すのには役立った。
「ふむ。その心遣い感謝する。が、しかし、わしは迷子ではない。黒沢カヅキに用があるだけなのだ」
「・・・僕に?」
不意に名前を呼ばれ、僕は戸惑う。
・・・そういえば、登場のショックで忘れていたが、この幼女、なぜ僕に話しかけてきてるのだろう。
どうも、僕がテレビのインタビューを受けていた時点から、僕に付いて来たらしいのだが、
僕はこんな奇妙な幼女、全く持って知らない。
「そう。申し遅れたが、わしの名はゲノムと云う。
そしてこちらが白貴族のアルフィー殿。残念ながら亡骸じゃ・・・」
そんな幼女の自己紹介。ゲノムって・・・本名か?
あまり日本人っぽくない顔立ちのお子様なので、そこまで違和感は感じないが、珍しい名前であることには変わりない。
そしてそんな幼女、ゲノムが引き続き紹介したのは、手に持った巨大なぬいぐるみ。クリーム色の巻き毛に、くりくり目玉のテディベア。
白貴族アルフィーと名付けられたその姿には、既視感を感じずにはいられない。
「あ・・・ああああああ!」
・・・すっかり忘れてたよ、白貴族アルフィー。野村さんの唯一の親友。
そういえば昨日の朝、体育館裏のトイレに隠して、そのまま忘れて帰宅して・・・って、あれ?
「ちょ・・・ちょっと待って?なんで君がアルフィーを持ってるの?」
そうだ。アルフィーを隠していたトイレは昨晩、爆発したのではなかったか。
本来ならば、このテディベアは原型を留めている筈もなく、野村さんには大変伝え辛い結末を迎えて当然だった。
今の今まで忘れていた僕がつっこむのも、妙な話ではあるが・・・なんで無事やねん。
「すまぬ・・・。アルフィー殿はわしの身代わりに命果ててしまったのじゃ。
わしは遺品の中からこの手紙を見つけ出し、それで野村優香、もしくは黒沢カヅキを探しておった」
そう言って差し出される、アルフィーと手紙。
僕はその両方を受け取って、まじまじと見比べてみた。
「アルフィー・・・やっぱ無駄にでかいな、お前。ていうか、ちょっと痩せた?」
若干こけた頬をふにふにとつつき、僕は言う。
てか、よく見たらアルフィーのお腹、めっちゃ綿出てるし。穴ほげちゃってるし。最高級品なのに。
「その手紙、手紙にぬしの名前が書かれておった。
なんでも、アルフィー殿は野村優香という主人の命で、ぬしの配下に下ることになっていたらしい」
・・・ああ、野村さんワールド全開な発言をまんま受け取ったら、そういうことになるよね。
それにしても、このゲノムという幼女、一体幾つなのだろう。
見た目五歳か六歳といった成りをしている癖、口調は妙に大人びているし、野村さんの手紙を全て理解できるほどに言語能力が高い。
加えて言葉づかいのセレクトが渋すぎる。婆くさいを通り越して、これは武士か侍だ。
「・・・そっか、君はアルフィーを拾って、僕に届けに来てくれたんだね。
ありがとう。すごく助かった。でもさ」
頭を押さえつつ、僕は言う。
「命果てるって何?身代わりって何?てかなんで学校のトイレに置き忘れたアルフィーを君が拾ってるの?
しかもそのトイレ、昨晩爆発して粉微塵になってる筈なんですけど・・・?」
もしかしなくても、この幼女は昨晩の事件に関係しているのではないか。
そんな予感がビシビシと肌を突き刺してくる。
「・・・うーむ。それを言葉で説明するのはちと難しいのじゃが・・・」
そう答え、ゲノムはマシュマロのような頬に手を当て、困ったように首をかしげて見せた。
「なんといっても、わし自身があやつのことを理解できておらぬのじゃ。
ぬしにも一度、あやつを見せることができれば、話は早いのじゃがな・・・」
ゲノムは呟く。しかし当然、僕には何を言ってるのかさっぱりわからない。
「あやつって・・・」
――一体何のことだよ。
そして僕がそれを問おうと、口を開いた瞬間、辺り一帯の空気が変わったような気がした。
目の前の水が一瞬で氷に変化するのを垣間見たかのような、超自然的な変化である。
「・・・何?」
突如、上空に現れた気配に、僕は恐る恐る顔を上げた。
僕の本能は今や、赤々と点滅し、この危機的状況にサイレンを上げる。
そこで目にしたのは、真っ暗な夜。
真っ青な空の下に立ちつくす、巨大な闇。歪ながらも人間の形をしたそれが、真っ赤な口を開けて僕の目の前に・・・!
「・・・き・・・き・・・っ」
「おぉ!ナイスタイミングじゃったな。のぉカヅキ殿。こやつが先程説明しようとした・・・」
・・・何これ、世界中のUMAが裸足で逃げだすほどに巨大かつ邪悪なこれ何?
目の前の光景が信じられなくて、硬直する僕の前で、ゲノムは妙に嬉しそうに笑っている。
その無邪気な姿に僅かに安堵。
――あれ、もしかして別にそんなに怖がらなくて良い代物だったりするの?顔は怖いけど実は良い奴だとか、そんな感じ?
『サガしたぞゲノム。パンドラをワタせ。ワタさねば、ワレがキサマをコロす』
しかし次の瞬間、その巨大な何かは刃物のように鋭い腕を僕とゲノムの元に放ってきたので・・・前言撤回である。
やっぱりやべぇよ。めちゃくちゃ怖ぇえよ!なんだよこれ、この状況!
「き・・っ!きなこじぅうううううううっす!!」
恐怖のあまりうねりを上げる喉。本能的に走り出す足。アルフィーとゲノムを両脇に抱えての全力疾走である。
「・・・はて、”きなこじうす”とは変わった掛け声じゃの。最近の流行りというやつかえ?」
脇の下で、暢気な質問を投げかけてくる幼女はこの際無視である。
『マて・・・!ただのニンゲンといえど、ゲノムのミカタをするのであれば、ユルさぬぞ!』
背後から響きわたるは、恐ろしく轟く悪魔の言葉。
・・・そんなこと言われても、一度走り出した僕はそう簡単に止まれないわけで。
というか、一度止まると殺される気がすごくするので、止まりたくないわけで!
「いやああああ!助けてっ!神様、仏様っ!ご先祖様に背後霊様!」
「・・・おい。最後のは悪霊じゃないのか?」
恐怖のあまり、口から迸るのは日本人恒例の祈り文句である。
ちなみに、今脇に挟んでるゲノムからつっこみを頂いてしまった件であるが、正しくは「守護霊様」と言いたかったりする。
先程、野村さん宅で見せられた心霊写真のせいで、うっかり間違えてしまったのだ。
「ていうかもうっ!守護霊でも背後霊でもなんでもいいよっ!!助けてくださいっ!誰か!」
息を切らせ、僕は叫ぶ。しかし、よりにもよってここは田舎道。
田んぼはあれど、人気がまったくない。青い空に響き渡るその声は、ただ虚しく響くだけ。
『――・・・心得た』
なのに、僕の叫びに返答する声があった。
「・・・へ?」
「ぬ?」
『・・・ナニ!?』
見事にはもる、驚愕の声。
そしてその次の瞬間、僕は自分の身体が激しく光り輝くのを、見た。