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完璧な令嬢は泣けない ~冷酷な旦那様、どうして私の涙に気づくのですか~  作者: 凪乃


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8/12

妹が来ました。笑顔で。

 その日は朝から空気が違った。


 使用人たちがそわそわしている。リーゼも何度も窓の外を見ている。


「リーゼ、何かあったの?」


「あ……その、お客様がいらっしゃるそうで」


「お客様?」


 リーゼが困ったような顔をした。


「ローザリンデ様です」


  ◇


 妹が馬車から降りてきたとき、私はいつもの——いや、以前の完璧な微笑みを浮かべようとした。


 でも、うまくいかなかった。


 口元が強張る。三分上げるはずの口角が、動かない。


 ——ああ、そうか。もう、あの笑顔は作れないのだ。


 代わりに、何も装わずに妹を見た。


「お姉様! お久しぶりです!」


 ローザリンデは花が咲くような笑顔で駆け寄ってきた。桃色のドレスに金の髪飾り。華やかで、美しくて、完璧に——計算された笑顔。


 以前の私には、その笑顔の裏が見えなかった。


 今は、見える。


「遠いところまで、わざわざ」


「ええ、お姉様に会いたくて! それに、辺境の暮らしがどんなものか、見てみたかったの」


 見てみたかった。確認しに来た、という意味だろう。私がちゃんと「道具」として機能しているか。ハインリヒの報告を受けて、自分の目で確かめに来たのだ。


「お部屋にご案内するわ」


「ありがとう、お姉様。——ところで、この屋敷、ずいぶん質素ですのね。お庭にお花もないし。まるで廃墟みたい」


 笑いながら言う。悪意は見せない。ただ「事実」として口にするだけ。それがローザリンデのやり方だった。


 以前の私なら、何も感じなかっただろう。


 今は——胸の奥が、小さく軋んだ。


  ◇


 昼食はクラウス様も同席した。


 ローザリンデはクラウス様に対して、完璧な礼儀作法で接した。けれどその目は——品定めをする商人のそれだった。


「クラウス様、お姉様をよくしてくださっているようですね。感謝いたします」


「……当然のことだ」


「あら、寡黙な方。お姉様にはお似合いかもしれませんわ。お姉様も寡黙ですもの——というか、感情がおありにならないのでしたかしら?」


 ローザリンデが笑った。食卓の空気が一瞬凍った——比喩ではなく、私の周囲の温度が下がった。


「ローザリンデ」


「はい?」


「私は、感情があるわ」


 ローザリンデの目が、一瞬だけ揺れた。すぐに笑顔に戻ったけれど——揺れたのを、私は見た。


「あら。辺境の空気が合っているのかしら」


「ええ。とても」


  ◇


 午後、ローザリンデと庭を歩いた。


「お姉様、少しお話があるの」


 使用人たちの姿が見えなくなったところで、ローザリンデの声が変わった。甘さが消え、乾いた音になった。


「お父様がお怒りよ。ハインリヒを追い返したでしょう?」


「追い返したのではないわ。帰っていただいただけよ」


「同じことよ。お姉様、わかっているの? あなたの役目は——」


「道具でしょう?」


 ローザリンデが黙った。


「お父様はそう仰っているのでしょう。道具は正しく機能しろ、と」


「……お姉様、変わったわね」


「変わったわ」


「困るのよ、変わられると」


 ローザリンデの声に、初めて本音が混じった。


「お姉様が完璧でいてくれないと、私の立場が——」


「あなたの立場?」


「王太子妃としての私の価値は、ヴァルトシュタイン家の力に支えられているの。その力は——お姉様の完璧さと、辺境公爵家との繋がりで成り立っている。お姉様が道具をやめたら、私の足場が崩れるのよ」


 足場。


 私の完璧さが、ローザリンデの足場。


「……ローザリンデ。あなたは私のことを、何だと思っているの?」


「姉よ。大切な姉。——だから、お願い。元に戻って」


 大切な姉。


 その言葉が、嘘だとわかった。以前の私にはわからなかったかもしれない。けれど今は——感情が教えてくれる。


 大切ではない。便利なのだ。


「戻れないわ」


「お姉様——」


「ローザリンデ。私はもう、完璧な道具には戻れない。戻りたくない」


 ローザリンデの笑顔が、崩れた。一瞬だけ、素の顔が見えた。焦り。苛立ち。そして——恐怖。


「……後悔するわよ」


「するかもしれない。でも、後悔は——私自身の感情だから。お父様やお母様に言われて感じるものではないから」


 ローザリンデは何も言わずに背を向け、屋敷に戻っていった。


  ◇


 翌朝、ローザリンデは帰った。笑顔で。最初から最後まで、完璧な笑顔で。


「また来るわね、お姉様。辺境のお茶、美味しかった」


 嘘だ。お茶には一口も手をつけていなかった。


 馬車が去った後、庭に一人で立っていた。


「……成長した、とでも言うのか」


 振り返ると、クラウス様がいた。


「聞いていたのですか」


「庭での会話は、書斎の窓から聞こえる」


「盗み聞きですか」


「窓を開けていただけだ」


 少しだけ——笑ってしまった。不格好な笑いだ。でも、もう不格好でも構わない。


「妹のことを、どう思いますか」


「賢い。だが——賢さの使い方を間違えている」


「そうかもしれません」


「あなたは、正しく使い始めた」


「何をですか」


「自分の感情を」


 クラウス様が庭の隅を指さした。


 あの芽が——伸びていた。小さな葉が二枚、開いている。霜の中で、確かに育っている。


「春が、少しだけ近づいたな」


 私は小さな葉を見つめた。


 私も、少しだけ——育っている気がした。


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