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第2部 血まみれの愛 32

 ヌシを助けるべきではなかったのか。

 心に残るわだかまりが、逃げるスピードを鈍らせた。だが、あいつは俺を殺そうとしたんだ。過去はどうあれ、そんな奴に情けなんかかけていられない。

 俊は自分に言い聞かせ、後方に残る思いを振り払う。道路を思い切り蹴った。

 背後から、わずかに圧力を感じたかと思った刹那――

 強烈な爆轟が襲った。

 風が焼けるように熱い。

 圧倒的な力だ。

 風に巻き込まれながら、着地点より遙か先に飛ばされる。着地しても立ち上がることも出来ず、自動車や引きちぎられた街路樹と一緒に転がっていく。

 いつの間にか、叫び声を上げている自分がいた。

 時折視界に入る爆心地は、強烈な輝きを放っている。


 妙子は一向に出ない保護庁への電話を切ると、診療所の窓を開け、逃げていく人たちを見下ろした。

「さっき大きな音がしたけど、何があったの」

「JSが出てきたんだ。奴ら、ビルを倒しちまったんだ」

 男が叫びながら下を駆け抜けていく。

 やっぱりそうだったんだ。俊君たちは大丈夫なんだろうか。保護庁のある方面を見たが、居酒屋の入った雑居ビルが妨げになって見えない。

 衝撃は何の前触れもなく起こった。

 耳を聾する轟音が響いたかと思うと、空気が塊になって襲いかかってきた。

 窓ガラスが一瞬で粉々に吹き飛び、妙子は殴られたような衝撃を受け、床に倒れた。

 耳が痛い。どこかで大規模な爆発が起きたんだ。腰に痺れるような感覚があったが、無理矢理立ち上がって周囲を見回す。書類や器具が四散し、キャビネットのガラスも割れている。診療所は一瞬にして足の踏み場もない状況になっていた。もう一度保護庁に電話しようと思い、握りしめたままの携帯を見た。

 いつの間にかメールを受信していた。爆発が起きたときに着信したのだろう。メールを表示させる。

 香織さん……。

 妙子はガラスの破片を踏みしめながら、キャビネットへしまった金属製の箱を取り出す。メールに表示された番号へダイヤルを合わせた。箱が開く。

 中にはアンテナの付いた黒い筐体と、封筒が入っていた。

 封筒には一通の手紙が入っている。

 文面を読んだ妙子は、殴られたような衝撃を受けた。

 箱を掴み、診療所を飛び出す。

 どうして今まで気づいてやれなかったんだろう。

 後悔と怒りが入り交じり、体を突き動かしていく。香織さんは死んでしまったんだろうか。だとしたら、俊君だけでも助けなければ。つんのめりそうになるたび手すりへ掴まり、階段を駆け下りた。

 外はガソリンが燃えたような刺激臭が漂っていた。

 霞ヶ関のある場所から、巨大なキノコ雲が立ち上がっていた。高層ビルよりも一回り大きいそれは、周囲を睥睨するようにその姿を晒している。

 何か恐ろしい事態が進行している。

 妙子は恐怖に打ち震えたが、押さえ込み、走り出した。

 途中、逃げてくる多くの人とすれ違った。血走った目をした男や、恐怖で顔をゆがめた女性。呆然とした表情で、肩を担がれて歩く老人もいた。妙子に危険だぞと声を掛ける人もいたが、無視して進む。

 刺激臭が強まり、周囲に煙が漂い始めてきた。既に朝日は昇っていたが、煙の影響で薄暗かった。温度も上昇しており、逃げてくる人も少なくなっていった。

 程なく刺激臭は耐えがたいレベルを超えていった。目も痛くなり、涙があふれ出す。気道が炎症を起こし、咳が出て、まともに息をするのも苦しかった。

 それでも進んだ。

 助けなければ。

 霞ヶ関へ入ると、爆風で吹き飛ばされたのか、道路の上で、多くの車が横倒しになっていた。街路樹はすべて倒され、火災が発生しているビルもある。

 立ちこめる煙の間に、スーツ姿の男を見つけた。逃げる様子はなく、明確な意志を持っている歩き方だ。妙子は反射的に車の陰に隠れる。

 塚原だ。間違いない。

 そっと陰から顔を出して様子を窺う。どうやら気づいていないようだ。

 塚原がビルの陰に消えたのを見計らい、妙子は駆けだした。

 きっとあの男は俊を探している。ついていけば、会えるに違いない。


 ようやく爆風が収まった。

 飛ばされた時間はほんの数秒だった。しかし、永遠に続くかもしれない恐怖を感じた。

 自分は生きていると思いながら、立ち上がる。

 周囲は粉塵が立ちこめて視界が悪かった。爆心地からは禍々しいほどに真っ黒な煙が立ちこめ、こちらへ流れている。俊はそれを力なく眺めていた。

 大量の黒い煙が立ちこめる中、俊は疲れ切ってその場にしゃがみ込んでいた。煙の粒子は粘膜へ貼りつく前に力で押し返されるので、咳は出なかった。生きているから酸素もあるようだ。いっそのこと、酸欠で死ねたらいいのになと思い、思わず笑みが浮かんできた。

 みんな死んでしまった。

 俺は一人なんだと思う。ヌシや館野にしても、複雑な思いを抱いていたとは言え、身近な存在だったのは間違いない。

 しかし、もう誰もいない。

 煙の中に動きがあり、反射的に目を凝らした。

 人が歩いてくる。スーツ姿で眼鏡を掛けていた。塚原だった。

「ヌシは死んだのか」

 塚原は頷いた。「もうお前しか反応がない」

「俺も殺そうというのか」

「その通りだ。お前が証言すると、ややこしい話しが出てくるかもしれない。殺す理由はそうだな。爆発で逆上したお前が襲いかかってきたから、防衛のため、ジェネレータを作動させた」

「ジューケイを蜂起させたのも、森山から出た話で、ケツに点いた火を消すためだったんじゃないのか」

「戸田と私が繋がっているというのか」塚原が笑みを浮かべる。「根拠は何だ」

「爆弾が投下される直前、ジューケイと奈美はいなくなっていた。爆撃機が来るタイミングを知っていたんだ」

「貴重な戦力だった引田を置いてか」

「自分で力をコントロールできない奴なんて危なくてしょうがねえよ。ましてやスペシャルだ。ジューケイも手を焼いていたんだろ。殺すのも大変だから、爆弾投下はいいチャンスだったんじゃないのか」

「なかなか鋭い考察だよ」

「それだけじゃない。お前が生きているのも、保護庁が倒されるのを知ってたからなんだろ。あれはわざとジューケイが引田に仕向けたんだ。だからお前は先に逃げ出せた」

 こらえきれなくなったように、塚原は声を上げて笑った。

「お前の推測に答えよう。確かに私は戸田に輸送機が到着するタイミングを教えた。引田は戸田の言うことしか聞かないから、爆弾投下直前までいる必要があったんだ。

 引田はお前の言うとおり厄介者だった。少しでも機嫌が悪いと、簡単にメンバーにけがを負わせたからな。最近では、一部メンバーから奴を制裁するよう強く主張する声が上がっていた。このままでは、組織が分裂しかねない状況だったんだ。ここでお前たちと引田を殺せれば、一石二鳥だった」

「なぜだ。お前は取り締まる側じゃなかったのか」

「それは塚原、あなたがJSだからよ」

 煙の中から、小柄な女が出てきた。妙子だった。彼女は咳き込み、血走った目をしていた。


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