第2部 血まみれの愛 31
外は硝煙の臭いが立ちこめ、鼻を突いた。俊、館野、ヌシの三人は、植え込みを抜けて道路へ向かう。トラックの前には、ジューケイと奈美がいた。
「久々だな」
カーキ色の戦闘服を着たジューケイは、髭を生やしており、二年に及ぶ潜伏生活がそうさせたのだろうか、精悍さを増していた。瞳は力強い輝きを放っている。彼へ寄り添うようにして、奈美が微笑みを浮かべていた。
ヌシが一歩前へ踏み出す。
「あんたたち、どうして逃げたのさ」
「JSたちを自由にするためじゃないか。俺たちはそのために戦うことにしたんだ」
「でも、事態は悪い方向へ動いたわ。一般の人たちはパニックになり、法律もJSに厳しくなるよう改正されたのよ」
「一時的な現象だ。我々はこの国で、JSの自由を勝ち取るために活動している。そのためには戦争をも辞さない」
「そういう態度が一般の人を硬化させるのよ。もっと穏健な方法で自由を勝ち取る方法はあったはずだわ」
「山原方式か。あの人も相当活動してくれたけどさ、結局現状維持だっただろ。しかも死んだらすぐに強硬派が後釜に座りやがった。あのまま放っておいても、俺たちは害虫扱いになるしかなかったんだ。法律でがんじがらめになる前に、先手を打ったに過ぎない」
「たくさんの人が死んだ」ヌシはジューケイを澄んだ目で見据えた。「由衣や浜口。北海道の冷たい海に沈んでいった人たちもいる。あたしが殺した人の最期は、細かいところまで心に焼き付いているわ」
「彼らに対しては俺も申し訳なく思うよ。心臓に妙な物を埋め込まれて、戦いを強いられるお前たちにも同情する。しかし、戦わなければ虐げられていくのは確実だ。多少の犠牲は仕方がないのさ」
「あんた、変わったわね」
「お前に言われたくないよ」ジューケイの目に皮肉な笑みが浮かぶ。「俺たちの中でなんて言われているか知ってるか? 〈保護庁ロボ〉だ」
「しょうもないあだ名を付けるな。確かに俺たちは塚原のロボットみたいなもんだけどさ」
にやけた顔をしていた館野から、地面をなめるようにして、アグノーが放たれた。それは奈美の足下へ到達して彼女を包み、浮き上がらせる。
「さあ、降参するんだ。でないとこいつを引き裂いてやる」
「奈美は俺たちの道案内をしただけだ。離せよ」
恋人を人質に取られたにもかかわらず、ジューケイは余裕の表情を崩さなかった。捕まった奈美でさえも、笑みを浮かべている。
有利に立ったはずの館野の方が、不安げに顔をゆがめた。
「引田、出てこいよ」
荷室の扉が開き、中から小柄な男が出てきた。丸刈りの頭で、ひどく顔色が悪かった。焦点の合わない曇った目を俊たちに向けてくる。
「昔研究所の病院で見かけたことがあるだろ。こいつのアグノーは人一倍強いんだ。お前たちが束になってかかっても敵いやしない」
「やってみなけりゃわからないでしょ」
「無駄な努力だと思うがな。もっとも、お前たちはそれしか選択肢がないわけだし。引田、奈美を助けてやれよ」
「ううっ……」
引田はジューケイの言葉で初めて奈美が空中にいるのに気づいたらしく、目を剥いて唸った。
周囲が薄いピンク色に見えてきた。空気が重くなり、息をするのが苦しくなっていく。
「何?」
「引田のアグノーよ。あたしたち、あいつの力場に入っているんだ」
「そうさ。こいつは力を意識するだけで、アグノーが半径十五メートルの範囲で発生させる。お前たちは既に囚われの身だ」
体が動かない。自分のアグノーで押し返そうとする。
くそっ、出てこない。圧力が全身に貼りつき、体を押さえつけていた。
奈美がゆっくりと降下し、ジューケイの隣へ戻っていく。館野は歯ぎしりをしてその様子を見つめている。
引田は再び焦点の合わない目に戻っていた。しかし、ピンクのアグノーは消えない。逆にピンクが濃くなり出し、空気は更に重くなっていく。
「強力なアグノーを持つと、それを制御する精神力が必要になる。引田は耐えきれず精神を病んでしまったんだ。由衣だってそうだったんじゃないのか」
ジューケイの声は圧力のせいか、くぐもって聞こえた。
「アグノーを持つことは、残酷だ」
ピンクのアグノーの中で、更に濃い部分ができ始めた。血のような赤だった。大蛇のように太く長い。それは上下にうねりながら館野へ向かっていった。館野は口を動かしていたが、声が出ないのか、何も聞こえてこない。目を大きく見開き、後ずさりする。だが、スローモーションのように遅い。間もなく赤いものに巻き付かれた。
赤い蛇は館野の体を締めた。
「ぎゅおおおう」
館野の口から絞り出されたのは人間の声ではない。引き絞られる肉体の苦悶だ。
ぎしぎしと、骨の折れる鈍い音が響いてくる。
口から真っ赤な塊が出てきた。あふれ出そうになったとき形を崩し、一瞬で顔へ広がる。血だった。
赤い蛇が消えていく。残された館野の体は、骨格を無視して縦に引き延ばされていた。肩も腰も首と同じ幅まで潰されている。頭だけがマッチのように脹らんでいる姿は、かつて人の姿をしていたとは思えなかった。唯一無傷だった顔は血にまみれ、死ぬ直前まで襲っていたであろう激痛で、醜くゆがんでいた。
「幼なじみのお前たちが死んでいくのを、平然と見ているのは残酷だと思うかも知れない。だが、状況がそうさせるんだ。この混乱を制するため、俺たちはどんな犠牲も払わなくちゃならない」
右手にぬくもりを感じる。横を見るとヌシがいた。手を握っている。強く、暖かい手だった。
目が合う。あの夜に見た。悲しくて強い意志を秘めた目。
生きる。唇がそう語っていた。肩と肩が触れあうほど密着した。
引田が力ない目をこちらに向けてきた。
ヌシから熱いアグノーが出てくるのを感じる。呼応して、もう一度力を出してみる。二人の混じり合ったアグノーが、外へ出ようとした。
ぴたりと肌に貼りついていた引田のアグノーに変化が出てきた。二人の体から、わずかに黄色いアグノーが溢れていく。
動ける。
俊たちのアグノーが潤滑油のようになり、抵抗がなくなった。
「ううう……」
引田の目がわずかに険しくなった。ピンクのオーラが凝縮されていき、再び赤い蛇が形作られようとしていた。
俊とヌシは手を握ったまま、引田に背を向けて走り出した。
不意にピンクの空間が消え、ビルの谷間から差し込む朝日が目を刺激する。
外に出られた。
喜びがわき起こるが、振り返ったとき、再び恐怖が襲う。
「引田、行けっ」
ジューケイのかけ声と共に、赤く、巨大な塊が発生した。
アグノーだ。
見上げるほどに高い。
高波のように、スピードを上げて向かってくる。
「逃げるのよっ」
ヌシは手を掴んだままジャンプした。俊も、引っ張られるようにして飛び上がる。
赤い塊が足をかすめていく。
赤いアグノーは一直線に伸びていった。
先にあるのは保護庁が入っている高層ビルだ。
街路樹や階段を一瞬で飲み込んでいく。勢いは止らない。
ビルの根元へ突っ込んだ。
衝突音が響きわたる。
一瞬で、ビルの根元半分以上がえぐり取られ、ぽっかりと空間が出来ていた。
三十八階建てのビルが、ゆっくりと傾き始める。
傾きは加速し、道路をまたいで別のビルへ激突した。ビルは半分に折り曲がり、地面へ落下していく。
地鳴りと共に足下が揺れた。粉塵が巻き起こり、一瞬、ビルの姿をかき消す。
再び姿を現したとき、ビルはがれきとなっていた。
あの建物の中には、まだ何人もの人がいたはずだ。きっと、多くの人が死んでいる。
静寂の中、引田が引きつるような笑い声を上げた。
「お前たちが生きているなら、塚原もまだ無事らしいな」ジューケイが笑う。「こいつのアグノーは、外へ向かうと細かい技が出来ないんだ」
「引田、早いとこ方を付けちゃって」
引田がうつろな目を緩ませ、奈美を見た。次に俊たちへ視線を移す。
ピンクのアグノーから、真っ赤な塊が放たれた。俊は横飛びでそれを避ける。衝突音と共に、別のビルの真ん中へ、巨大な穴が空いた。
「引田、こいつらすばしっこいから、そう簡単には当たらないぞ。一人ずつ、自分の力場に引き入れろ」
「ううっ……」
ピンクの巨大な球体の中で、引田が浮かび上がった。
球体が動き出す。
早い。そして力場は巨大だ。
圧倒的な力が殺到してくる。
飛んでかわしたが、すぐに方向を変えて襲いかかってきた。
力場にぶつかった街路樹はなぎ倒され、自動車が紙箱のようにつぶされた。
俊とヌシは引田の両脇へ飛び退いた。動きが止る。引田は戸惑いの表情を浮かべ、交互に見た。
「先に俊をやれ。ヌシは後にすればいい」
ジューケイの指示を受け、引田は俊を見やった。間髪を置かず動き出す。
ピンクの力場が壁となって迫ってくる。
ジャンプしたが、引田も上昇する。
アグノーが割れた。両側から巨大な腕となって、挟み込もうとする。
アグノーを消し、自由落下する。
ぎりぎりでかわした。
地面に落ちて、上を見る。
ピンク色のアグノーが振り下ろされようとしていた。
横飛びで逃げる。アスファルトが大きく陥没した。
引田は余裕の笑みを浮かべている。
自分のアグノーでは、反撃なんてできやしない。せいぜい逃げ回るだけだ。
それも、体力が持つまでだ。
引田が動き出す。
「お前、いきなり三十人殺したんだってな。それで頭が変になっちまったんだろ」
投げかけられた言葉に、引田が止まった。視線をヌシに移す。
ヌシが不敵な笑みを浮かべている。
「ううう……」
引田はジューケイの指示を無視し、ヌシに向き直る。怒りで顔がゆがみ、アグノーが赤みを帯び始めた。
ヌシに向かって突進していく。
「俊、逃げろ」
「訳のわかんないこと言うな。逃げたら塚原にやられるだろ」
「大丈夫……。保護庁があんなになったんだから、塚原もあたしたちをチェックしている余裕なんかないわ」
赤い球体が、ヌシへ突っ込んでいく。
ぎりぎりでジャンプする。
引田は背後にあったビルへ衝突し、巨大な陥没を作った。
「いきなりなんだよ。昔俺を殺しかけたってのにさ」
「ともかく逃げろ。お前は大丈夫だ」
ヌシが怒鳴った。引田はその隙を見逃さない。
背後から迫ってきた。
「ヌシっ」
ヌシが押し倒され、アグノーの下敷きになった。
「早く行け」
「待てよ、そのうち応援が来るだろ」
「そんなもん、当てになるかよ」
上空を戦闘機が駆け抜けた。わずかなタイムラグで轟音が響き渡り、物体が落下してくるのが見えた。
円筒形の巨大な爆弾だ。
銀色のボディを朝日で反射させながら、まっすぐこちらへ向かってくる。俊はただそれを見守るしかなかった。
爆発する。
そう思った瞬間、引田のアグノーが延び、爆弾を掴んだ。自分の力場に引き込む。
身構えたが、何も起こらなかった。
火の玉が、まぶしいほどに輝いている。
小さな太陽のようだった。
アグノーが、爆発を押さえていたのだ。
「ぐうっ……」
引田が、歯を食いしばっている。
「爆弾だ。早く逃げろっ」
ようやく俊は後ずさった。
恐怖が、全身を貫いていた。
「そうよ。いいわ」
「逃げるぞ、いいのか」
「あたしはもう助からない。お前だけ逃げろ」
俊は頷き、ヌシに背を向けて走り出した。
俊の姿が見えなくなると、香織は力場の下から這いずり出た。引田は爆弾を押さえつけるのに力を取られていた。
香織は逃げない。
強烈な圧力を抱え込んだ引田を見ていた。
アグノーの赤は濃くなり、引田の姿も見えない。
携帯を取り出す。昨日の夜、保存したメールを送った。
ごめん。みんなごめん。
その場にしゃがみ込み、はらはらと涙を流し始めた。
アグノーは血のような色になっていく。
爆発の輝きが膨らんでいった。




