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第2部 血まみれの愛 14

 翌日、いつものように宿舎の前にバスが来て、俊たちを乗せた。しかし射撃場は通り過ぎ、ゲートを通り抜け、自衛隊の敷地からも出てしまった。警備のためか、前後に迷彩色の装甲車がぴったりとくっついていた。

「これからどこへ行くのさ」

「実を言うと、私にもわからないんだよ」

 困惑した表情を見せる田原に、森山は軽く舌打ちした。

 バスが十分ほど杉林の間を走った後、右手に開けた場所が現れてきた。一面草が生えており、牛がのんびりと草を食んだり座ったりしている。牧場らしかった。バスは右折して、中へ入っていく。道路は舗装されていないので、急にがたがたと揺れ始めた。車内へ、家畜が発する臭気が漂い始めてくる。

 牛たちをぼんやり見ているうちに、嫌な予感がしてきた。

 バスが止まったのはトタンの壁にスレートの屋根が貼ってある、古ぼけた小屋の前だった。入り口は広く、中に牛の姿が見える。田原の携帯が鳴り、彼は電話に出た。

「ここで降りろと指示が来た」

 バスから出ると、家畜の匂いが更に強くなる。牧草の影響か、宿舎よりも空気は湿り気を帯び、頭上から注いでくる日差しは初夏を思わせるほど強かった。田原が牛小屋の中へ入っていくので、俊たちも後に続いた。

 牛小屋の中は外よりも更に蒸し暑く、臭いも数段きつい。そこには牛の他に、Tシャツとジーンズの館野と、いつもの通りスーツ姿の塚原がいた。

「おはよう。早速だが、これから最終試験を始める。これをクリアすると、君たちは規格外JS取締官として登録される。前にも話したとおり、規格外JS取締官になれば、法的には人間に準ずる扱いとなり、行動の制限も大幅に緩和される」

「試験をクリアしなかったらどうすんだよ」

「委員会の判断を待たなければならないが、最終的に殺処分の判断が下されると思う」

 森山の憮然とした表情を、塚原は淡々と受け流した。

「塚原局長は、お前たちのスキルが一定の水準に達したという判断をした」館野が薄ら笑いを浮かべながらメンバーを見回す。「ま、俺はヌシ以外はまだまだだと思うが。ただ、判断が下されちまった以上、次の段階へ行くしかない。これから模範を見せるから、同じことをするんだ」

 館野は傍らでのんびりえさを食んでいる一頭の牛に向き直った。

 アグノーが光り始め、するすると牛へ向かって伸びていく。力が胴体を覆うと、牛は異変を悟ったのか、顔を上げて左右を見た。

――ギィィッ――

 突然牛が悲鳴を上げて倒れたかと思うと、黒い目を大きく見開いた。首を激しく左右に振り、巨体を激しくのたうちまわらせ始める。床を叩く鈍い音が、足下へ振動となって響いた。やがて、口と肛門から大量の鮮血が流れ出し、床や壁にまき散らしていく。

 凄惨な光景に、体が凍り付いたように強ばった。館野は相変わらず薄ら笑いを浮かべている。「これが最終試験だ」

「この牛に何をしたっていうんだ」

 最初に口を開いたのは田原だった。

「見りゃわかるだろ。内臓を引きちぎってやったんだ。同じことを全員にやってもらう。これからバンバン規格外の内臓を引きちぎっていかなきゃならないんだ。牛を一頭殺すぐらいでビビってちゃ、どうしようもねえからな」

「馬鹿な……」

「て言うか、お前部外者なんだから、バスで待機してろよ」

「断る」

「あはは、そう来たか。塚原さん、ここは事故ってことで、こいつ殺っちゃていいですか?」

「田原先生、バスへ戻って。こいつは本当に先生を殺しかねないわ」

 ヌシが田原の腕を掴み、外へ引き出そうとした。

「田原さん、最初に退去を命じなかったのは私のミスだ。謝ろう」塚原が歩み寄ってきた。「しかしこれ以上ここに留まって試験を妨害するようなら、実力で排除しなければならない。その際どんな怪我をするか、私にも想定不可能だ。意味はわかりますね」

「さあ、どうすんだよ。なんなら、牛の代わりにお前が試験台になってもいいんだぜ」

 館野が声を上げて笑う。

 田原は歯を食いしばりながら館野を睨みつけていたが、不意に目から大粒の涙を流し始めた。

「みんな、済まない」

 田原は大きく頭を下げた。藁が散乱したコンクリートの床に、涙がしたたり落ちていく。

「いいのよ。バスへ戻ってちょうだい」

 田原は酒に酔ったように危うげな足取りで、牛小屋から出て行った。

「やれやれ、人騒がせな奴だぜ。さ、最初は誰からやる? 立候補する奴はいないか」

 みな、押し黙ったままだ。

「そうか。だったら俺が決めさせてもらう。そうだな、浜口、お前から行けや」

 びくりと浜口の体が震えた。視線が俊や塚原、牛へと揺れるように動き出す。しかし、助けてやれる者は誰もいなかった。

「私が最初にやるわ」

 見かねたヌシが手を上げたものの、館野からあっさり「だめだ」と拒否されてしまった。

「お前の担当は、そのくたばった牛の右隣だ」

 しかし、浜口は動こうとしない。館野はいきなり横殴りのアグノーを浴びせた。ノーガードの浜口は横に飛んで、コンクリートの床へたたきつけられた。

「早くしろよ。でないとお前を引きちぎってやるぜ」

 それでも浜口は、少しでも惨事を延ばしたいと思ったのか、緩慢な動きで立ち上がり、ようやく牛の前に立った。

 牛は、隣で起きたことがわかっているらしく、悲しげな目をして低く鳴いた。足が小刻みに震えている。

 浜口が牛に向かって手をかざす。彼の周囲にアグノーが輝き始め、牛を包み込んだ。

 呼吸が荒くなり、それに合わせてアグノーも不安定に揺らめく。

 しかし、牛は倒れない。内臓の中に浜口の力は侵入しいるはずだが、引きちぎれないのだ。

「おい、もたもたしてんじゃねーよ」一向に殺そうとしない浜口に、館野が苛立つ。「こいつが敵だったら、とっくにお前が殺されてるところだぞ」

 それでも浜口は牛を傷つけようとしない。掲げた腕が、痙攣を起こしたように、大きく震えていた。

「館野、浜口を休ませたらどうなんだ」

「一旦戦い始めたらな、休んでる暇なんかないんだぜ」

 館野に怒鳴り散らされながら、五分が経過した。しかし、浜口は動こうとしない。そればかりか、アグノーが消え、その場へしゃがみ込んでしまった。

「この馬鹿がっ」

 館野の放った力で、浜口は吹き飛ばされて、トタンの壁を突き抜けた。しかし、すぐに連れ戻され、再び床へたたきつけられた。

「とっとと殺してくれよ。後がつまってんだからさあ」

 タバコの吸い殻を踏みつぶすように、倒れた浜口の後頭部に靴底を押しつける。

「よせよお……」

「だったら早く立てよ」

 浜口の呼吸が激しくなる。

 怯えていた目が、怒りに変わった。

 突然、膨れあがるように浜口のアグノーが発散され、不意を突かれた館野が床に倒れた。

 浜口が立ち上がる。汗と涙で顔が濡れていた。瞳孔の開いた目は異様に輝いている。

「僕ら、どうして戦わなくちゃいけないのさ。こんなの、おかしいよ」

「浜口、よせよっ」

「そうよ。落ち着いてちょうだい」

 俊たちの叫びには反応ぜず、背後にいる塚原だけをじっと見据えていた。

 それまで、表情を崩していなかった塚原の顔が強ばっている。しかし、決して怯むことなく、視線を真っ向から受け止め、真意を探るように見つめ返していた。

 浜口のアグノーが、更に膨れていく。

「何とか言ったらどうなのさ。僕の言ってることは、間違っているのか」

 しゃくり上げながら、一歩前へ踏み出す。

「よせって言ってるだろ」

 俊が浜口に向かってアグノーを放った。彼は小屋の隅まで飛んだが、すぐに起き直り、塚原に向かって、歩き出した。

「塚原さん、浜口は俺たちが何とかしますから、絶対に手を出さないでくださいよ」

 森山の問いかけに、塚原は答えない。ひたすら視線をそらさず、浜口を見続けている。

「みんな、浜口君を押さえるのよ」

 ヌシがそういった瞬間、胸にヴァイブレーションが響きだした。思わず、塚原を振り返る。

「手出しは不要だ。これもまた試験の一部と考えてもらおう」

「そんな……」

 動き出そうとしたヌシの腕を、俊が掴んだ。

「だめだ。今あいつを押さえようとしたら、お前がやられちゃうよ」

 浜口が老人のように頼りない足取りで、塚原に向かって歩いて行く。アグノーは光り続けていた。

「浜口、速やかに館野から指示された試験を再開するんだ。そうでなければ、しかるべき処分を下さなければならない。意味はわかるな」

「わかんないよっ」

 顔をくしゃくしゃにゆがめて叫んだ。

 涙と汗が、顎からしたたり落ちていく。

「浜口君、落ち着いて。これ以上塚原に刃向かったら、あんた死ぬのよ」

「わかってる」浜口はようやくヌシを見た。「わからないのは、こんな所にいる僕たちだよ。理由はいろいろあるかもしれない。だけど、殺し合いをするなんてやっぱりおかしい。どうしてみんな、仲良く生きていけないのさ」

「お前さあ、甘いこと言ってんじゃねえよ。この世界、弱肉強食のなんだぜ。殺らなけりゃ俺らが殺られるだけだ」

「館野の言うとおりだ。こんな状況になった以上、和解はあり得ない。我々は戦っていかなければならないんだ」

 浜口は立ち止まり、肩を上下させながら、大きく呼吸を繰り返していた。頼むから牛に向き直ってくれ。俊は心の中で祈る。

「やっぱりだめだ」浜口は再び塚原へ向かって歩き出した。「戦いを強制され、嫌なら死ねなんて、絶対おかしいよ」

「浜口、やめろおっ」

 俊たちの絶叫が小屋の中に響き渡った。しかし、俊は塚へ向かって歩いて行く。

「おかしいよ。おかしいよ」

 呪詛のようなつぶやきが、俊の耳に貼りつく。

「残念だ」

 塚原が呟く。

 一瞬の間を置いて、浜口の体が痙攣した。

 視線が宙をさまよったかと思うと、膝から崩れ落ち、うつぶせに倒れた。

 声が止む。

 牛の不安げな鳴き声だけが、小屋の中へ静かに響いていた。

「浜口……」

 俊は浜口の肩を掴んだ。まだ暖かくて柔らかなその感触は、とても彼が死んでいるとは思えず、今にも起きくるんじゃないかという期待を抱かせた。目を覚ましてくれと、祈りながら体を仰向けにさせる。

 しかし、上を向いた浜口は、口をぽっかりと開けたままだ。瞳孔の開ききった目は、瞬きもせず、宙を睨み続けている。

 股間が濡れ始め、アンモニアの刺激臭が鼻を突いてきた。初めて浜口の死が実感となって、俊の心に染み渡っていった。

 涙は出なかった。

 由衣の自殺から、いつの間にか死が日常に浸透して、感覚が麻痺していた。浜口の死は、俊の荒涼とした心へ、当たり前のように墓標を刻んでいく。

 今思えば、独り言をぶつぶつとつぶやいたり、ふさぎ込む姿など、いくらでも彼が爆発する兆候はあったんだ。

 俺はそれをあえて無視していた。

 心の片隅では、浜口がそのうち死ぬんだと感じていたんだ。

 俺は一体何をしていたんだろうか。手を打たなかった自分に唖然とした。

「ま、こんなヘタレじゃあよ、仮に戦いに出ても足手まといになった挙げ句、内臓を引きちぎられて苦しんで死ぬのが落ちだろうしな。ここで死んじまった方が、楽でよかったんだよ」

「お前、浜口がわざと死ぬように仕向けただろ」

「まあな」

 ぽっかりと穴の空いた俊の心へ、怒りが注ぎ込まれ、あふれ出そうとしている。

 力が膨れあがり、自分の周りにアグノーが見え始めた。

「なんだ。お前も死にたいのかよ。俺としちゃあ、お前を戦力として見込んでたんだから、ちょっと困るんだけどな」

 館野のせせら笑う姿が、俊の怒りを増幅させる。

「俊、やめて。お願いだから」

 ヌシが俊の腕を掴んだ。強い意志を宿した瞳で、俊を見つめていた。抑えきれない感情が漏れ出すかのように、全身からゆらゆらと熱が放たれている。

「落ち着いて。ゆっくり深呼吸するのよ」

 彼女の意志に気圧され、言うとおり、深呼吸をした。息を吐くごとに、心に溜まった興奮が抜けていき、怒りが静まっていく。アグノーも薄くなり、やがて消えていった。

 体の芯を支えていた力も弱まり、思わずのそばにへたり込んだ。体重が、自分自身を押しつぶそうとする気がした。

「やれやれ、人騒がせだぜ。それじゃあ、次は俊にやってもらおうか」

「待て。これから浜口の死体を処理しなければならない。今日の試験は中止だ。明日再開する」

「だとよ」

 館野は投げやりに言い放ち、小屋から出て行った。俊は怒りと嫌悪の入り交じった表情で塚原を見た。

「君たちがこの制度や、その執行者である私たちに怒りを抱いているのは充分理解している。だが、私も好きこのんで、このような仕打ちを君たちに加えているわけではない。社会全体がこのような制度を欲しているんだ」

「気に入らないJSを、蠅でも叩くように殺す制度ってさ、一体何なんだよ」

 森山の皮肉な笑い混じりの問いかけに、塚原はあくまでも冷静に答える。

「君たちに、山岡美佐子の変わり果てた姿を見せたことがあるだろう。人は自分の欲望を満たすためなら、どんなことでも行ってしまう動物だ。君たちの持つ力は強大で、どんな手段を用いてでも、それを利用しようとする者がいる。実際、施設を脱走したJS患者の背後には、それを手助けした組織がある。彼らはJSの力を使って、この国を支配しようと企んでいるはずだ。

 我々は彼らの企みを徹底的に阻止して、秩序を守らなければならない。その一環として、君たちに対する制限が設けられた。

 もちろん君たちが無謀なまねをすることがないのは私もよくわかっている。しかし、この国の大多数を占める人たちはそう思っていない。もし、国が何らかの処置を行っていなかったら、国に対する不安が高まり、自分たちで制御しようとする勢力が台頭するはずだ。そうなれば、無用な混乱が引き起こされるのは必至だ。君たちに課された制限は、同時に君たちを守るためでもあるんだ。

 君たちは秩序に従い、この国に対して貢献しなければならない。もし、少しでも秩序から外れるような行為が見られた場合、浜口のような運命を辿ることとなる。

 君たちが置かれた状況は客観的に見てもひどいと思う。しかし、そうしなければ生きていけない。それほどまでに事態は切迫しているんだ」

 バスへ戻ると、憔悴した表情の田原が待っていた。おどおどと俊たちを見つめる姿には、もはや教師としての片鱗さえも感じ取れなかった。

「さあ、バスを出してくれよ」

 最後に乗り込んだ森山が二人掛け座席へ寝転がり、肘掛けに足を載せる。

「まだ浜口がいないはずだが」

「あいつは死んだよ」

「それ……本当なのか」

 ヌシが頷く。「試験を拒否して、心臓をやられたわ」

「そんな……」

 聞き取れたのはそれだけで、後は嗚咽混じりの声で、何を言っているのか理解できなかった。

「あんた、泣けるだけ幸せだよ」

 バスが宿舎へ向かって動き出した。

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