第2部 血まみれの愛 7
着替えて教室へ行くと、既に教室にはヌシと由衣の姿があった。
「塚原から話を聞いたか」
「うん。ひどいよ」
ヌシはむっつりと押し黙ったままだ。俊たちは空いている席へ座った。しばらくすると、田原と後に続いて塚原が入ってきた。
「みんな、あらかじめ話しておくが、ここにいる田原先生は昨日からの動きについて、全く関知していない。計画は私が責任者として主導した」
塚原は壇上に立ち、相変わらず表情のない顔でメンバーを見回した。ヌシと由衣は言葉を発しないものの、射貫く視線で塚原を見つめていた。
「田原さん、何かお話しすることはありますか」
塚原に促されて、田原は壇上に立った。額に汗が滲んでいる。
「みんな、こんな事態になってしまって本当に申し訳ないと思う。私の力不足だった」
「先生が謝ることないよ。どうせ不可抗力なんだし」ヌシが初めて口を開いた。「それより、これからあたしたちはどうなるの」
「それは私から話そう」塚原が引き継いだ。「まず通常通り、十八になった時点で力が消えるか否かの試験を行うこととなる。それで力がないと認められれば人権が回復され、ジェネレータも取り除かれることとなる。
もしも力が継続して存在する場合、全員強制的にJS保護庁の管理局、規格外患者取締班へ配属されることとなる」
「それってなんなんですか?」
「さっきも話したとおり、JS患者は法律により、規格を満たしていなければならない。しかしそうした規格を拒否する患者も必ず出てくるだろう。現実、脱走JS患者が規格手術を受けるために出てくる可能性なんて、ゼロに等しい。
君たちはそうした規格手術を拒否するJS患者を、取り締まる仕事に就いてもらうこととなる」
「脱走JS患者を捕まえるんですか」
「と言うより、保護法違反の状態だから、基本は殺処分だ」
「脱走している人たちの中には、ジューケイとか、知ってる人もいるんですよ。それを殺せだなんて、ひどいわ」
「君たちで戦ってくれるのが、もっとも効率がいいとの結論に達したんだ。現在脱走JS患者の摘発は困難を極めている。人里離れた地点にアジトがあれば、陸自のミサイルで破壊可能だが、多くの場合、都市部に潜入している。通報があって特殊部隊が逮捕に向かっても、苛烈な抵抗に遭い、多くの隊員や周辺住民が命を落としている。一ヶ月前新宿で起きた逮捕劇を覚えているだろう。あのときは隊員が三名死亡している。最終的には立てこもっていたアパートへロケットランチャーを着弾させて殺害したが、莫大な被害が生じてしまった。これにより、部隊の戦意も著しく喪失し、補充もままならないといった状況だ」
「それを俺たちに押しつけようって訳か」
「君たちには我々にない力を持っている。それを使って社会の安定のために貢献してくれないか」
「やなこった。断固拒否する」
森山の言葉に全員が頷いた。
胸の奥から、ヴァイブレーションが響きだした。
規則正しく断続的に続くその振動は、恐怖となって、頭から爪の先まで届いていく。
「申し訳ないが、これは決定事項なんだ。 放棄した場合、ヤフノフスキ保護法施行令第四十一条違反として、殺処分の決定を下さなければならない。
君たちが選択できる項目は二つだけだ。規格外患者と戦うか、この場で死ぬかだ」
塚原は全員を見回した。その目は、冷静さの中に、殺気が漂い始めている。
こいつ、本気で俺たちを殺そうとしている。
「規格外患者と戦う者は挙手をしてくれ」
恐怖から逃れたい。その一心で俊は挙手をした。ヴァイブレーションが止まり、大きく息を吐いた。それを見て浜口やも挙手した。森山は舌打ちしながら、投げやりに手を上げた。由衣は泣きながら手を上げた。
だが、ヌシだけは手を机の上に置いたままだった。
「ヌシ、手を上げるんだ。そうでないと、殺されちまうぞ」
「そうよ香織、手を上げて」
「あたしは嫌。殺せないわ」
ヌシはみんなの声を無視して、塚原を睨みつけていた。塚原の口元へ、わずかに笑みが浮かんだ。
「藤村さん、あなたは死を選択するんですね」
ヌシの口が動きかけた瞬間、
「待って下さい。私が説得します」
田原が覆い被さるようにしてヌシ座っている机に手を着き、彼女の顔をのぞき込んだ。
「藤村、冷静に考えるんだ。ここで死んじまってもしょうがないだろ。もう、次はないんだよ」
「お願いだから手を上げて」
由衣が悲鳴のような声を上げる。
「お前、死んじまうんだぞ。わかってるのか」
全員がヌシを取り囲む。
「今逃げている人たちの中には、優介やジューケイもいるのよ。あの人たちを殺せだなんて絶対できない」
「お前が苦しいのはわかる。でも、お前が今死んだら、俺たちを見捨てることにならないか」
俊の言葉に、かたくなだったヌシの目が、揺れ始めた。
「俺たちのために生きてくれ。頼む」
「ヌシ」
「香織」
スチールフレームの机が、ギシギシと音を立てたかと思うと、天板が、真っ二つに割れた。
不意にヌシの目が潤み始め、大粒の涙が溢れて頬を伝った。
彼女は涙に濡れた目をまっすぐ塚原に向けながら、ゆっくりと手を上げた。
「よかった」
田原が大きく息を吐いた。
「よくなんかないわよっ」
香織が叫んだ瞬間、田原が宙に飛び、壁へたたきつけられた。
「香織、よして」
由衣がヌシの手を握りしめた。彼女は涙を流しながら、大きく深呼吸をした。
「先生、ごめん」
「俺は大丈夫だ」
田原は腰をさすりながらも起き上がった。
「あたし、悔しい」
「わかるわ。でもね、他に選択肢がないのよ」
ヌシはうつむき、体を震わせていた。
「藤村、もういいか」その様子を見つめていた塚原が口を開いた。「今回はお前たちも心の準備が出来ていなかっただろうから、それなりの時間を取った。しかし、今後はそういうわけにはいかない。次回こんな事態が起きたら、私は逡巡せず、法に則って、速やかに執行を行う。それを心しておくように。
話は変わるが、一つ君たちに朗報がある。試験を経て規格外患者取締班に配属された暁には、施設外での行動を認められるようになる。無論、所在確認はジェネレータによって常時行われているが、それでも隔離されていた時代とは全く違う。
今後のスケジュールだ。さっき話したとおり、十八歳での試験は行うが、事態は切迫している。このため、全員明日から規格外患者取締班に配属され、実戦に向けた訓練を始めることとする。以上だ」
塚原はそう言って教室から出て行った。残された田原は、中腰で腰をさすりながら壇上に立った。
「みんな、大変な事態が起きてしまったが、気を落とさずにがんばってほしい」
「よく言うよ。あんた、体に爆弾抱えた奴の気持ちなんかわかんねえだろ」
森山が噛み付いた。
「よしなよ。田原先生に絡んでも何も解決しないわ」
「そんなもんわかってるさ。ただ、人間様から気を落とさずになんて言われても、どうしたって上から目線にしか思えねえんだよ」
「みんな、済まない」
田原は教卓の端を握りしめながら、涙を流した。
「もう、僕たちおしまいだよ」
浜口も涙を流しながら、独り言を言うようにつぶやいた。
「浜口……」
浜口の肩に手をかけたが、俊の存在が意識に入っていないようで、おしまいだ、おしまいだと、呪文のようにつぶやいていた。
ヌシと由衣はお互いに寄り添いながら、静かに泣いていた。俊は涙こそ流れなかったが、あまりの状況の変化で、地に足が着かない思いを抱えていた。
俺たちが戦うだなんて、嘘だろ。
突然大海原に突き落とされ、泳ぎを強いられているような気持ちだった。