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第2部 血まみれの愛 4

 〈ヤフノフスキ症候群患者逃走事件対策本部〉は内閣府別館にある大会議室に設置された。重苦しさと熱気が入り交じった空気を感じながら、堀田は席に着く。本部を運営するのは国家安全保障局だ。床にコードが散乱し、まだ一部の職員たちがパソコンの設置を行っている中、第一回目の全体会議が始まった。

 最初にマイクを取ったのは、国家安全保障局局長の時田だった。背が高く、彫りの深い日本人離れした顔立ちの男だ。防衛省出身の役人だが、その風貌と堂々とした言動から、雑誌に特集を組まれたこともあった。政治家への転身も取りざたされている。

「皆さん、事件の概要は聞いているかと思いますが、情報の共有化を図るため、最初に事件の概要をおさらいしておきます。

 事件が起きたのは、昨日の二十二時頃と推測されております。今井、岡田の両監視官が定期巡回に出かけたところ、JS患者に拘束された模様です。このうち岡田監視官は、その場で殺害されているのが判明しております。今井監視官はその後、東京にある中央管理センターへ、異常なしの報告を送っております。

 その三十分後、岡田監視官の名義で外出要請が出ました。理由は腹痛を発症したので、地元の夜間救急センターへ診察してもらうためとなっています。管理センターはこれを許可し、ゲート開放しました。このときJS患者のほとんどが脱走した模様です。監視カメラは電源コードが切断されておりました。外から手が加えていない状況から、アグノーを使ったと思われます。

 午前四時までの定期報告では、異常なしとの連絡がありました。しかし同日午前五時の定期報告が行われず、管理センターから北海道警察へ状況確認の要請を行いました。十五分後、警官が居留施設へ入り、死亡している今井監視員を発見したものです。

 逃走した患者の足取りは今のところ不明です。ただ、施設のある美幌町から、マイクロバスが四台走行しているのがNシステムによって確認されています。すべてレンタルで、別々の事業所が所有しているものです。現在捜査員が事業所へ連絡を取り、借り手の情報を収集しているところです。報告があり次第ファイルへアップしておきますので、各自確認するよう願います。

 四台のバスの行き先は、網走、標津、尾岱沼、釧路です。気づいた方もおられると思いますが、すべて港がある場所です。恐らく、ここから船に乗って逃走したと思われます。

 現在警官を各地へ派遣するとともに、海保と海自が協力して不審船の発見に努めております」

「完全に計画的だね」

 いつの間にか隣にいた萩谷がつぶやいた。

「こりゃどうも」

 堀田が軽く会釈する。

「局長」若い職員が立ち上がった。「只今海保から、不審な漁船を発見したとの連絡がありました」

「画像は出せるか」

「ただいまセッティングいたします」

 会議室の中央にある大型モニターに、航空機から撮影された映像が映し出された。大海原の画像のなかに、ぽつんと一隻の船が映し出されている。

「対象は襟裳岬から北北西百二十キロ海上を西に向かって航行中。現在巡視船が現場に向かっております」

 画像がアップされる。船はイカ釣りに使うようなタイプの漁船だった。デッキには二三十人程度の人が乗っているのが見える。やがて、船上にいる人々の顔が見えてきた。彼らはこちらへ向かって一斉に手をかざしている。

「間違いない、手配中のJS患者だ」

「気をつけてください」萩谷が立ち上がり、叫んだ。「ストロンチウム剤が効いているとは言え、集団で力を使われたら力は増幅されますよ」

 そのとき、画像がぶれ始めた。

「離れろ、やられるぞ」

 萩谷の叫びもむなしく、ぶれた画像は不意に消えた。

「海保の航空機が操縦不能との連絡後、返答がありません。どうやら墜落された模様です」

 一瞬、会議室内が静まりかえる。誰もがその結果に恐怖を感じていた。

「福池事件の報告を読んでなかったのかよ。あれを読んでいれば、個々のアグノーは加算されていくのがわかったはずだ」

 萩谷は溜め息交じりにつぶやいた。

「局長、官邸からお電話です」

 電話を受け取った時田は、何度か敬語で返事を返した。どうやら上役らしい。硬い表情で電話を切った時田はマイクを持ち、話し始めた。

「ヤフノフスキ患者保護法十条七項の規定に基づき、首相から逃走中のJS患者全員について、殺害命令が出た。既に自衛隊及び警察庁には通達が発令されている」

 職員の一部から、安堵の声が上がった。萩谷がそれを苦々しく見つめていた。

「これから二十人以上の人命が失われようとするのに、あの態度はないだろう」

 堀田は頷いたものの、本音を言えば、彼らの気持ちもよくわかった。JS患者がいなくなれば、それだけ安心感が増すのは紛れもない事実だからだ。

 十分後、JS患者の乗った漁船が、海上自衛隊の艦船が放った対艦ミサイルにより破壊されたとの報告が入った。仮に生きて海へ投げ出されたものがあったとしても、真冬の太平洋に投げ出されたのでは十分も持たないだろう。

 堀田は別室で、JS患者と対峙したことのない自衛隊、警察幹部に対処法をレクチャーすることになった。一度に教えられればよかったのだが、受講者に時間的な余裕がないので、少人数を入れ替えて、何度も繰り返さなければならない。

 いつの間にか昼が過ぎていた。堀田は一旦会議室へ戻り、山積みとなっていたコンビニ弁当を受け取り、機械的に胃へ流し込んだ。手近にいた職員に現状を教えてもらう。

「マイクロバスは予想通り、各港で発見されたましたが、いずれも手がかりになるものは発見されていません。ただし、網走港についてはたまたま到着したとき目撃者がおり、車内に運転手しかいなかったことが確認されています。恐らくバスはダミーで、途中、他の車に乗り換えたと思われます。

 レンタカー会社から入手した免許証のコピーは、どれも偽造です。撃沈された漁船の所有者は一度密漁で摘発されていた人物で、消息不明なことから、同船に乗り込んでいたと推測されています」

「この件に関して報道はされているのか?」

「はい。二時間前に警察庁長官が記者会見を行っております」

「市民の間にパニックは起きていないか?」

「飛行機やフェリー、北海道新幹線等、道内から出る交通機関は、警察による検問が行われているため、ダイヤが大きく乱れています。それでも脱出しようとする人たちがどんどんやってきいる状況で、ターミナルや駅はごった返しているそうです」

「東北方面はどんな状況なんだ」

「本州ではまだ検問は実施されていませんが、それでも西へ逃げようとする人で、東北自動車道は全路線で渋滞を起こしています。東北新幹線、在来線も乗車率三百パーセントに達しているそうです」

 麻紀は大丈夫だろうか。不安が頭の中を駆け巡っていた。携帯電話はこの建物へ入る前に、ロッカーへ預けなければならなくなっていたので、連絡が取れなかった。本州では何も起きていないので、安全だろうと自分を納得させるしかない。

 当初の予想通り、堀田は帰れなくなっていた。現在、警察と自衛隊の応援部隊が、自衛隊機でピストン輸送されていた。全国から集められた彼らに、出発前レクチャーを行うのが役割となった。同じことを喋るだけなので頭を使わなくてもよかったが、レクチャーを受ける隊員たちの緊張した眼差しにやられ、疲労が蓄積していく。

 放免されたのは翌日の昼過ぎだった。多少仮眠する時間があったとは言え、五十過ぎの体には酷だった。頭がくらくらして、思わず会議室の空いた席へ突っ伏した。水中にインクが広がるように、急速に眠気が襲ってくる。

「堀田さん、お疲れの所恐縮です」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、肩を強く揺さぶってくるのを感じた。不快感と怒りが眠気をこじ開け、誰だと思いながら体を起こす。

 目の前に塚原がいた。嫌な予感がする。

「探していたんですよ。山岡次官から、会議へ同席してほしいとの要請です」

「どこでするんだ?」

「私についてきて下さいませんか」

 塚原はいつもの冷たく乾いた表情で見つめていた。もう少しごねてみようかと思ったが、そこまでの気力は失せていた。立ち上がり、一瞬立ちくらみを起こしてよろけた。

「大丈夫ですか」

「問題ない。行こう」

 そういえば、夜から山岡の姿を見かけないが、どこへ行ったんだ。まあいい。これから塚原が連れて行ってくれるだろう。

「外へでますから、コートを持ってきて下さい」

 一階の警備室へ行き、私物を受け取り、IDカードのチェックを受けた。不安が増幅していく。


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