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第2部 血まみれの愛 1

 北海道美幌にある、ヤフノスキ症候群成人居留施設は静寂に包まれていた。時刻は午後十一時になろうとしていた。今井は管理棟にある一室で、監視カメラをチェックしながらカップラーメンを食べていた。

「今井監視官、そろそろ見回りの時間ですけど、どうします?」

 背後の机で、同じくカップラーメンをすすっていた岡田が尋ねる。

「行くしかないだろ。我孫子がサボってたのがばれて、けん責になった後だ。これで俺らがサボってたのが見つかったら、次は減給だぞ」

「そうですよねえ」岡田は芝居がかったため息をついた。「誰がチクったんですかね」

「知るか。こいつを食ったら行くぞ」

 今井はモニターを切り替え、外気温を表示させた。マイナス十三・二度。数字を見ているだけで寒気が来る。これで吹雪だったら、下手すると命にかかわるだろう。

「だいたい、これだけ監視カメラが動いているんですから、実際見に行かなくったっていいじゃないですか」

「岡田、この仕事、本当に監視カメラだけになったら、俺たちのどっちかがいらなくなるんだぜ。それに監視カメラが一つ壊れているんだ。すぐにチェックしとかないと、前田がまたブチブチ説教をたれてくるぞ」

「もちろんそうなんですけどね」

 岡田はまだ不満を言いたそうだったが、代わりにカップラーメンの汁を飲み干し、からの器をゴミ箱へ捨てた。

 今井もカップラーメンを食べ終える。ロッカーから防寒着を取り出して着替え、ヘルメットとゴーグルを装着した。

 宿直室を出て別室の前に立つ。カードキーをかざし、更にキーボードへパスワードを入力してドアを開けた。中は四畳程のスペースで、両脇には何丁ものライフル銃が立てかけられてあった。この部屋全体が、ガンロッカーとなっているのだ。そこから二丁取りだし、一丁を岡田に渡す。

「しかし、この弾、いつ見てもすごいもんですねえ。こんなもん、あの人たちに撃つなんて、想像できないですよ」

 岡田が巨大な銃弾をカートリッジに納めながらつぶやく。

「しょうがないだろ、規則なんだから」

 そう言いながらも、心の中で岡田の意見に同意する自分がいる。弾の名前は七百ニトロエクスプレス。七十口径で、マグナム弾としては世界最強だった。象を即死させる威力を持ち、馴れない者が扱えば、肩の骨を折ってしまうほどの威力がある。手に持つと余裕ではみ出てしまう大きさは、砲弾と言っても通るくらいだ。これはストロンチウム製剤を服用していないJS患者に対して、唯一対抗できる銃だった。もちろん訓練以外で撃ったことはない。

「行くぞ」

 ガンロッカーから出て、薄暗い廊下を通って車庫へ行く。そこには二人乗りのスノーモービルが置いてあった。敷地は二百ヘクタールあるので、まともに歩いたら遭難してしまう。銃を担ぐ。今井がハンドルを握り、岡田は後ろにまたがった。エンジンを始動させ、リモコンでシャッターを開ける。

 ゴゴッと腹に響くような音がして、厚さ五十ミリの鋼板を使用したゲートが上がり始めた。管理棟のビルは、JS患者の襲撃に備えて装甲仕様が施されていたので、ゲートもこんな分厚い材質で作られている。

 もっとも、今まで事件があった事例はない。中で生活しているJS患者とも友好的で、一緒にレクレーションを楽しんでいるくらいだ。最近では去年来たばかりの戸田という男がフットサルのチームを立ち上げたので、今井たちもチームを組み、何度か試合をしている。

 一呼吸置いて、刺すような冷気が頬をなぶった。ライトを点け、シフトをドライブに入れる。スノーモービルは、ゆっくりと動き出した。外に出て、背後でゲートが閉まる音を聞くと、急速に体温が奪われていくのを感じる。風がないのは幸いだったが、常夜灯に照らされた雪が、静かな世界に冷たさを際立たせている。

 マニュアル通り決まったコースを走り、途中にある建物をチェックしていった。スノーモービルのスピードを上げると、風で体温が奪われていく。見回りは始まったばかりだが、既に熱いコーヒーが恋しくなってきた。

 林を抜け、まずは居住区へ入っていく。居住区と言っても、今はまだ総戸数、百五十戸のマンション一棟が建っているだけだった。現在JS患者は八十五人しかいないので、これで充分だったが、政府は将来、千人程度まで収容患者が増えることを想定していた。そうなれば、この十倍近い収容人数分のマンションが必要になってくる。二百ヘクタールという敷地も、そうした収容人数に合わせた広さだった。

 マンションはまだ夜更かししている者もいるようで、三部屋だけ明かりが灯っていた。建物の周りを一周して異状の有無を確認した。出入り口の前で止まり、エンジンをかけたまま、スノーモービルから降りる。

「破損はないようですね」

 岡田が故障している監視カメラを、フラッシュライトで照らした。

 ちょうど、マンションの出入り口を映すはずの監視カメラが作動していなかった。意図的にカメラを壊した可能性も考えていたが、雪に自分たち以外の足跡もないし、それはないだろう。昼間に修理屋を呼ぶよう、申し送り事項へ入力しておこう。

 再びスノーモービルへまたがり、商業区――ここも現在はコンビニがあるだけだった――へ向かった。

 道はすべて常夜灯で照らされているはずだったが、前方に暗くなっている場所があった。これも申し送り事項に、要修理と入力しておかなくてはと思う。道はまっすぐだし、スノーモービルのライトがあるので、特に困ることはない。今井はスピードを緩めず進んだ。

 突然、スノーモービルのライトに、人が照らし出された。

「うわっ」

 とっさにブレーキをかけた。クローラーが一瞬ロックする。つんのめりそうになるのをハンドルを掴んで押さえ、どうにか止まった。

「なんだ、ジューケイじゃないか。一体どうしたんだ」

 ライトに照らし出されている男は、全身黒の防寒具で身を包み、口もマスクで覆っていた。しかし、がっちりした背の高さと目を見れば、彼が戸田充佳なのはすぐにわかった。

「こんなところで何をしているんだ」

 そう言いながら、急速に疑問が湧き起こってくる。マンション前の監視カメラが壊れていたので、人の出入りが見えなかったのはわかるが、雪に足跡がなかったのはどういうわけだ。

 スノーモービルのエンジンが止まった。今井は再びエンジンをかけようと、キーを回したが、スターターが反応しない。

「仲間に器用な奴がいるんですよ。配線を千切れるんだ」

 一瞬、ジューケイの言葉が理解できなかった。

 意味が浸透していくと同時に、緊張が爆発するように高まっていく。

「まさか、監視カメラもお前がやったのか」

「俺じゃない。俺の仲間さ」

 周囲に広がる闇がざわつき始め、程なくぞろぞろと人が現れてきた。

 今井は反射的に肩へかけた銃へ手をかけようとした。

 体が動かない。体の芯が熱くなり始め、全身から汗が噴き出してくるのを感じた。

 ジューケイと一緒にフットサルのチームを組んでいた大島という男が近づいてきて、今井の腕を掴んだ。

「銃はもらっておく」

 腕がマネキンのように延ばされ、銃を奪われた。次にコートのジッパーを下げられて、携帯電話と警報器――ボタンを押すだけで自衛隊駐屯地へ連絡が行く――を取られた。

「これだけ人が外にいて、なんでマンション周りに足跡がないか変に思っているでしょ」

 今井は辛うじて動く首を縦に振った。

「雪に靴がめり込まないよう、みんなで訓練したんだ。ソリへ乗っているようにイメージするんだよ。夜だからわからなかったかも知れないけど、よく見れば、一メートルぐらいの幅で雪が微妙にめり込んでいるのがわかはずだ」

「お前ら、一体何をしたいんだ」

「俺たち、ここから逃げることにしたのさ」

「ばかな、許可なしにここから出たら、どうなるかわかっているだろ。当局も昔のように保護だなんて悠長なまねはしない。見つかれば即殺害だ」

「殺せればの話だよ。俺たちはそう簡単に殺せない。特に、ストロンチウム剤が切れたらね」

「どうしてそんなに危険を冒してまで、出て行こうとするんだ」

 ジューケイが、嘲るような笑みを浮かべた。

「わからない? このままだと、俺たち一生ここで暮らしていかなきゃならないんだよ。想像するだけで息が詰まってくる。政府はいろいろ配慮しているとか言ってるけど、俺たちに言わせればお笑いぐさだ。俺たちは自由がほしいんだ。

 最近朝倉が政府主催の会議に出まくってるそうじゃないか。これがどういう意味かわかるでしょ。連中、俺たちを犬畜生と同じにしようと思ってるのさ。そうなれば、殺そうが実験台にしようが一切問題にならない。やり放題だ」

「きみたち、それは考えすぎだよ。逃げる前に一度、政府と腹を割って話し合ったらどうなんだい?」

「今井さん、もう遅いんだ。俺たち、ルビコン川を渡っちまったのさ」

「ほら、ぐたぐた言ってないで、スノーモービルから降りて、メットも外せ」

 体が動くようになった。今井と岡田はゆっくりとスノーモービルから降り、ヘルメットを取った。

 突然、岡田が走り出した。しかし、程なく彼の動きは止まった。

「よせよっ」

 足をばたつかせて叫んだが、肩を引っ張られるようにして、ずるずる引きずられた。今井の横へ戻ったとき、何かに掴まれたかのように、髪の毛が逆立っていた。

 岡田の顔が、恐怖にゆがむ。

 次の瞬間、顔面をスノーモービルのボンネットへたたきつけられた。

 悲鳴と、肉がぶつかる鈍い音が響き渡った。

「やめろ」

 叫んだが、体は動かない。ジューケイはジャケットのポケットへ手を突っ込んだまま、じっとその様子を見ていた。

 顔面がぶつかるたび、血が飛び散り、ボンネットを赤く染めていく。

 やがて悲鳴が消えた。ボンネットが割れて、エンジンが露出した。

「もういいだろう」

 ジューケイの言葉で、ようやく岡田は雪の上に投げ出された。既に顔は原形をとどめていない。血と肉が混じり合い、頬は乳白色の骨が露出していた。眼球があった場所から血が流れ出し、雪を汚していく。

「俺たちが本気なの、わかってくれたでしょ」

 現実感が失われ、ジューケイの問いかけに、ただ反射的に頷くしかなかった。

「俺たちはこれからここを出て行く。今井さんは協力してほしい。いいね」

 ロボットのように再び頷く。他にどんな選択肢があるというのだろうか。


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