第1部 隔離 21
迷彩塗装を施された車体に、春の日差しが降り注いでいる。戦車の砲口はビルへ向けられていた。風景に、現実感が追いついていなかった。
「馬鹿な……。やめろと言ったのに」
福池の顔に、憎しみが戻っていった。
「山原先生よ。速く逃げた方がいいぜ。あんなもんぶち込まれたんじゃあ、俺だって保たねえよ」
「大丈夫だ。私がいる限り、彼らが発砲することはあり得ない」
「そうは言ってもよ、あいつらこの騒ぎを早く終わらせたいんだろ。どうせ、俺なんか邪魔者なんだから、早く処分したいだろうしさ。奴らだったら、先生が事故で巻き込まれましたなんて言いかねないぜ」
「福池君、そんな風に思っちゃいけない。君は人として生まれた以上、生きる権利を持っているんだ」
「そんなもん、建前だけさ。俺たちはただJS患者だっていうだけでこの場所に閉じ込められているんだぜ。実際、俺たちには人権なんか関係ねえのさ」
「確かに君たちの人権が侵されているのは否定できない。でも、私はそれを変えていきたいと思っている」
山原が、福池に向かって一歩踏み出した。
「よせ、近づくな」
「君は自分の力を怖がってるんだ。この世界と、折り合いがつけられずにいる。決して簡単ではないが、私と一緒に歩んでいこう」
更に一歩進む。
「よせ、やめろったら」
「先生、お願いだからやめてくれ」
「福池――」
山原が、福池の肩に手をかけようとした瞬間だった。
「うわぁぁぁっ」
叫びともに、見えない岩のような物が俊に襲いかかった。
圧倒的な力で、俊はなす術もなく体を持って行かれた。
壁にぶつかっても、勢いは止まらない。粉々に砕けた壁とともに吹き飛ばされた。
衝撃で、目の前が真っ白になる。
気がついたとき、研究所を囲むコンクリート壁の前に倒れていた。
混乱した思考のまま起き上がる。急速にこれまでの記憶が復活していった。
五十メートル先にビルがあった。俊はそこから飛ばされていた。
ビルの一階中央の壁がすべて破壊され、グラウンドが見渡せるようになっている。その中で、ぼんやりと立っている福池の姿が見える。
体中が痛く、立っていても地に足が着いている感覚がなかった。仲間と山原の姿を探す。
一歩足を踏み出すたびに、体が悲鳴を上げた。それでも爆心地に向かって歩き続ける。
途中、草むらの中に、一本の腕を見つけた。
俊は現実感を伴わないまま、その腕を取り上げた。腕は肘から千切れており、ぽたぽたと血が滴っていた。全体的にやや角張っており、甲の皮膚は硬そうで、皺が寄っていた。ばらばらだった思考が形作られ始め、その意味を理解できるようになってきた。
俊は腕を取り落とした。明らかに、山原のものだった。全身から力が抜け、ひざを地面に付けた。
どこからか、か細い悲鳴のような音が聞こえてくる。
「耳障りだ。よせよ」
不意に声が聞こえて見上げた。そこに福池がいた。
その言葉で、悲鳴が自分の口から出ているのを悟る。
「俺、山原を殺っちまったよ」
福池は薄笑いを浮かべていた。しかし、その目は俊を見ていない。空中に向かって視線を漂わせていた。
「あいつ、目の前でばらばらになっちまったんだ。口を開けて、目をまん丸にしてさ。一瞬だったから、悲鳴を上げる時間もなかっただろうぜ」
右手の林から、由衣と彼女に肩を担がれたヌシが出てきた。
「山原先生は……どうしたの」
「死んだよ。俺がばらばらに吹っ飛ばした」
「どうして、どうしてよ。先生を殺さなきゃならない理由なんてどこにもないはずだわ」
「俺もよくわかんねえんだ」
ヌシが由衣から離れ、おぼつかない足取りで歩き出した。
山原の腕を見つけ、「ああっ……」と声を上げた。
福池から笑みは消えていた。ぼんやりと、嗚咽を漏らし始めたヌシを見ているだけだった。
浜口が四つん這いで這ってきた。「先生、死んじゃったのか?」
俊が頷くと、浜口は声も出さずに、大粒の涙を流し始めた。
「あたしが悪いのよ。あたしが福池を助けようなんて言ったから。……ここへ来たから……先生が止めに来たのよ」
「ヌシが悪いんじゃないよ」俊はヌシの背中に手を置いた。「福池が悪いわけでもない」
「じゃあ、誰が悪いって言うのよっ」
俊は言葉に詰まる。
「わからない……」それ以外、言葉が見つからなかった。
――山原先生、生きていますか。生きていたら返事をしてください――
村井の声が響き渡った。
「みんな行けよ」福池がつぶやいた。「山原が死んだとわかったら、やつら弾を撃ってくるぞ。そうしたらお前らも巻き添えだ」
戦車を見る。砲身が、きっちりとこちらへ向いていた。
「みんな、ここから出よう。少なくとも、山原先生はここでみんな死ぬのは望んでいないはずよ」
「嫌よっ、あたしはここにいる」
泣き叫ぶヌシを、由衣が背後から抱きしめた。
「俊君、森山君を探して。香織はあたしが連れ出すから」
俊は頷き、泣き続けている浜口を立ち上がらせてビルの中へ入った。コンクリートの欠片が散乱し、砂埃が立ちこめる室内は当初の面影がほとんど残っていなかった。その中を、さっきまで森山がいた場所を中心に探した。
「俊君、靴があるよ」
半分残っていた壁の一部に、コンクリート片が山となっており、そこに森山が履いていた靴が見えた。
俊と浜口は、アグノーを使ってコンクリート片をどかした。やがて、森山の体が現れた。ゆっくりと床に移動させる。息はしている。意識もあるようで、わずかに目を開いた。
「森山君、大丈夫?」
由衣がヌシを背負って出てきた。
「うん」
「とりあえず病院へ行きましょう」
俊と浜口は森山を浮かせて歩き出した。日は傾き、ややオレンジ色を帯び始めていた。戦車は福池へ照準を合わせたまま、動くことはない。俊は一瞬それを破壊したい衝動に襲われたが、すぐにしぼんでいく。自分の無力さだけが心に残った。
病院に着くと、大人たちが俊たちを取り囲んだ。
「山原所長は生きているのか」
萩谷が俊の肩を掴んだ。
「知らないよ。自分で見に行けばいい」
「行けないから君に聞いているんじゃないか」
「そこをどいてくれ、俺たちはみんな怪我をしているんだ」
「なあ、へそを曲げないで協力してくれ。そうでないと、君たちの将来にも影響が及ぶかもしれないんだ」
「将来? 笑わせるなよ」
思わず俊の口から、冷たい笑みがこぼれる。
「石黒君、そんな態度はよしなさい。これは非常に大切なことなんだ」
安田が俊の顔をのぞき込んだが、かたくなな表情を崩さないのを見ると、ほかのメンバーに目を向けた。
「みんなどうなんだ」
全員、押し黙ったままだった。ここで山原が死んだことを話せば、戦車から弾が発射されるのは間違いない。
「萩谷理事長」
携帯を片手に持っていた男が駆け寄ってきた。前に、美佐子の病室に現れた塚原という男だった。
「映像の分析結果が出ました。石黒君が持っていた物は、山原先生の腕に間違いないようです」
「そうですか。では、山原先生の死は間違いないようですね」
萩谷はため息をついた。
「許可をいただけますか」
塚原が一切の感情を読み取れない表情で、タブレットPCを差し出す。それを受け取った萩谷は、歯を食いしばり、画面を睨みつけた。
「さあ、お願いします」
萩谷は、タッチペンで自分のサインを入力した。
数秒後、外で耳を聾するばかりの爆発音が響いた。
福池が死んだ。




