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第1部 隔離 20

〈収容所〉の入り口に着いた。周囲には窓ガラスが散乱していたが、一緒に落ちていった看護師は見当たらなかった。きっと誰かが救助したのだろう。屋上のコンクリートは引きちぎられ、鉄骨がむき出しになっていた。しかし、一階は外から見た限り変化は見られない。足下のタイルに、黒く焦げた痕があった。無意識のうちに本部ビルを仰ぎ見る。ぼろぼろになったビルの上に、雲一つない空を背景にして、レーザー発振機のフレームが、五月の日光を受けて反射していた。そのすぐ横を、コンクリートの塊が飛んでいく。

「入るわ」

 ヌシは四人を見回したあと、動かない自動ドアをアグノーで開けた。暗いエントランスへ入っていく。全員その後に続いた。

 明るい日差しから暗い中に来たので、一瞬室内が見えなかったが、すぐに慣れてくる。

 福池は背丈より大きな壁を背負い、窓際に立っていた。青白い顔が、窓から差し込む光に照らされ、ぼんやりと浮かび上がっていた。

「お前ら、久しぶりだな。何しに来た」

 福池は俊たちを見て、静かに笑みを浮かべた。

「あんたを説得に来たのよ。こんなことをするのはやめて、ストロンチウム剤を飲むのよ」

「お前らこそ、あんな薬、飲むのをやめたらどうなんだ。俺はずっとこのビルに閉じ込められてさ、苦しくて仕方なかった。自殺だってできやしないし。ただ朝起きて、ぼんやりビデオや漫画でも読んで暇を潰すしかない生活さ。もしかしたら、一生そんな生活が続いていくかと思うと、目の前が真っ暗になっちまうんだ。

 お前らだってそうだろ。俺より多少動き回れる範囲は広いけど、所詮施設の中だけだ。そんな生活が一生続いていくかもしれないんだぞ。それならいっそのこと、俺みたいに、一か八かに賭けてみるのもいいと思うぜ」

「そんなのだめよ。逃げる前に殺されるわ」

「死ぬならそれでいいよ。こんな生活を続けるくらいなら、死ぬ方がましさ。それでうまく逃げられたら運がいいってことさ」

「でも、仮にここから逃げられたとしても、一生逃げ続けなきゃならないぞ」

「そんなのはわかってるよ。たがな、俺たちにはアグノーがあるんだ。それさえあれば、何にも怖いもんはない。マッポなんて目じゃないし、町に紛れ込んじまえば、自衛隊だって手を出せやしない」

 福池は一瞬目をそらし、思案するように首をかしげた。

「俺が脱走に成功したら、お前らも逃げろよ。そうして、一緒に生活するんだ。俺たちだけの国を作るんだよ」

「バカなこと言ってないで、抵抗するのをやめて」

「そうよ。早くしないと自衛隊が来るわ」

 由衣が福池の下へ歩き出した。

「よせ、近づくなよ」

 福池の顔から笑みが消えた。蛇のように表情がなく、危険な匂いを発している。きっとこれ以上近づいたら、福池は本当に攻撃を加えてくるに違いない。

「由衣、待てよ」

 俊は由衣の肩を掴み、ヌシも由衣の手を握った。

「お願い、離して」

「おもしれえ、やろうってのか。俺は薬を飲んでないんだぜ。前みたいにやられやしねえぞ」

 不意に空気が重くなったかと思うと、由衣の体がはぎ取られるようにして手から離れた。由衣は後ろ向きに飛ばされ、壁にぶつかった。

「由衣っ」

 由衣はボールのように跳ね返って、床に倒れた。

「大丈夫か」

 浜口が駆け寄って由衣を抱き起こした。

「うん、アグノーでバリアしてたから」

 由衣は少しよろけながらも、自力で立ち上がった。

「さすがだな。だがな、次は違うぞ。全力でお前らをつぶしてやるぜ」

 福池は向き直り、俊たちに向かって両手をかざした。

 空気の重さが増していく。上から何かが押さえつけてくるように感じられ、腰に力を入れなければ倒れそうだった。

 俊は息苦しさを覚えながら、福池との対決が避けられないことを悟った。

 コンクリート片を飛ばした力が、俺たちに向かってくるのだ。

 緊張と恐怖で、体が震えてきた。

「みんな、力を合わせて」

 ヌシの言葉が響く。頭が真っ白になるのを感じながらも、手をかざした。

 濃密な空気が、岩のような圧力となって、俊に襲いかかった。

「うおおっ」

 叫びながら、押し返そうとした。

 押されて後ろへ下がる。頬の肉が押しつぶされた。かざした腕も、油断をしていると、後ろへ飛ばされそうだ。それでも由衣の時のように、壁へたたきつけられることはなかった。

 福池は歯を食いしばり、顔を赤くしてしていた。背負った壁が飛ばされ、別の壁に当たって砕けた。

 不意に圧力が消える。

 福池がはね飛ばされ、壁にぶつかった。

 いける、と思った瞬間だ。

 福池が宙に浮きながら、水泳でターンするように壁を蹴る。

 こちらへ飛んできた。

 俊が怯んだ瞬間、横から強い圧力が襲ってきた。不意を突かれ、エレベーターの扉へたたきつけられた。

 強烈な衝撃が全身を貫き、床へ倒れた。

 どうにか立てたが、体中に痛みが広がり、めまいがする。エレベーターは扉が内側へ大きくへこみ、半ば開きかけていた。これで生きていられるのは、アグノーのおかげなんだろうと思う。

「みんな、大丈夫か」

「骨は折れてないらしいけど……」

 浜口は立ち上がったものの、すぐに壁へもたれかかった。他のメンバーも同じように見える。

「押しくらまんじゅうはおしまいだ」福池は笑みを取り戻していた。「一人ずつ潰してやるぜ」

 福池はエントランスの中央で、ふわりと浮いていた。髪の毛も空中を漂い、わずかに揺れていた。

 俊と目が合う。福池が音もなく近づいてきた。見えない何かが、俊を包み込んでいくのがわかる。胃がうねるように感じてきた。恐怖が、吐瀉物とともに、喉の奥からせり出してきそうになる。

「福池君、やめなさい」

 入り口ドアに山原が立っていた。荒い息をしながら、中に入ってきた。

「山原先生、だめだよ。福池に殺されちゃう」

 山原は俊を見て軽く頷き、福池へ向き直った。

「君が苦しいのはよくわかってるよ。だが、現状ではどうにもならないんだ。君たちJS患者がこの社会でどう関わっていくかについて、私たちは大きな困難を抱えている。私はそれをいい方向へ向けていくよう、日々考え、社会に向けて提言しているんだ。福池君も、一緒に考えてくれないか。ご両親のこともわかってるし、不便な生活を強いられているのも申し訳なく思う。でも、将来きっとそれは解決できる。それには君の協力が必要なんだよ」

「嘘つけ。みんな俺たちを化け物にしか思ってないんだ。本当は俺たちみたいなのが出てきたら、すぐに殺した方がいいと思ってるんだろ」

「確かに、そう主張する人たちがいるのは否定しない。でも、それだけじゃない。私のように、この現状をどうにかしたいと思っている人たちもたくさんいるんだよ。それをわかってほしい」

「うるせえ、どっかへいっちまえよ。お前なんか、一ひねりで潰せるんだぞ」

「君の持っている力は、君以上にわかってるよ。でも、君が我々の管理下に入ってもらえない限りは、ここから出て行くわけにはいかないんだ」

 山原は更に一歩踏み出した。

「先生、やめて。殺されるわ」

 ヌシが悲鳴のような声を上げた。

「よせ、逃げろよ」

 森山も叫ぶ。

 再び、空気が濃密に変わり始めた。

「みんな、もう一度やるのよ」

 叫んだ瞬間、ヌシが飛ばされた。

 轟音を立てて壁を破壊する。

「香織っ」

 由衣が穴が開いた壁の中へ駆けていく。

「そんな子供だまし、二度も通用しねえんだよ」

「古市、藤村は大丈夫か」

「息はしている。でも、目はつぶったまま」

「全員で力を合わせて、藤村をこのビルから連れ出すんだ」

「だめだ。俺はまだ、こいつらとの勝負が終わってないんだよ」

 部屋に向かおうとした浜口を、福池が吹き飛ばす。浜口はテーブルセットをなぎ倒し、壁にぶつかった。

「お前……」

「森山、しゃれたサングラスなんかしてどうしたんだ?」

 薄笑いを浮かべて、福池が森山のサングラスをはじき飛ばした。えぐれた左目が顕わになる。

「そういうことか」福池は笑った。「なんなら、右目も潰してやろうか?」

「野郎」

 森山は、口の間から覗いた歯を食いしばり、手をかざした。

「望みなら、お前からやってやるぜ」

「待て」山原が間に入った。「福池、よすんだ」

「先生、どけよ。俺はもう、後戻りなんかできねえんだから」

「大丈夫だ。死なない限りは、いつだって後戻りできる。落ち着いて考えてくれ。そうすれば、きっと可能性が見えてくるはずなんだ」

 福池の目がわずかに泳いだ。

「さあ、掴むんだ」

 山原が手を差し出す。

 憎しみでゆがんでいた表情が、柔らかくなった。

「大きく息を吸うんだ。落ち着いてくる」

 先生、がんばってくれ。俊は心の中で祈った。

 その時だ。外からエンジン音が響いてきた。

 窓を見て、思わず「あっ」と声を上げる。全員が、外を注視した。

 さっきまでサッカーで歓声が上がっていたグラウンドに、戦車がいた。


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