第1部 隔離 18
「三十五条に基づいて、JS研究所から協力要請が来た。対象は福池徹、十六歳。現在は施設内のビルに立てこもっており、ストロンチウム製剤を服用していないため、きわめて危険な状態だ。我々は彼を生存したまま確保しなければならない。和久井、研究所の近くで、すぐに動ける実働部隊は何人だ」
「ええっと、静岡、山梨、神奈川合わせて十三名です」
「彼ら全員と特別強行斑を向かわせろ。倉島は司令車の準備をしてくれ。私と和久井、倉島の三人も現場へ向かう。藤崎さんたちはここへ残って福池の行動パターンをシミュレートしてくれ。最新の行動記録がないようなら、JS研究所に提出を要請させるんだ」
全員が慌ただしく動き出したのを見て、堀田は塚原へ電話を掛けた。数回の着信音の後、電話がつながり、塚原の画像がモニターへ映し出された。度のきつそうな眼鏡の奥で光る目は、会議で見ているときと同じように落ち着いていた。背後に写ったヘッドレストと、画像の揺れ具合からみて、車へ乗っているようだ。
「萩谷理事長から、三十五条の要請がありましたよ」
「承知しています。現状、研究所内の警備斑は八名で、そのうち二名はレーザー発振機の操作に当たっています。後の六名は、ビル周辺での監視をしています。必要でしたら県警に応援を要請をしますが」
「その必要はありません。正直言いまして、どんなに屈強な警官が何人いても、ストロンチウム製剤を服用していないJS患者の前では無力です。警備斑は現状維持でおねがいします」
「わかりました。現在私は研究所へ向かっており、あと三十分ほどで到着する予定です。室長はどうされますか」
「私もこれから現場に向かうよ。詳しい話はそこですることにしましょう。私たちの部隊が今、資料を引っ張り出して検討しているところですから、到着するまでにある程度の方向性を出すようにしておきます。しかし、えらいことになったもんですな」
「全くです」
「塚原さん、その割には落ち着いていますね」
「そう見えますか」塚原はわずかに微笑みを浮かべた。「両親からは感情を表に出すなとしつけられまして、その影響でしょうかね。これでも内心ひやひやしているんですよ」
「それは意外ですね」
――前任者とは大違いだな――口から出かかった言葉を飲み込んで、堀田は電話を切った。そこまで言うと嫌みになる。
前任の中道は、山岡美佐子拉致事件の責任を取って依願退職しているし、現場を取り仕切っていた原口は、精神のバランスを崩して休職状態だ。状況次第で、塚原もそうした事態へ追い込まれるかもしれないのはわかっているはずだ。
俺だってそうだと堀田は思う。もしも部下に死者が出ても、そのままこの地位にとどまっていられる神経は持ち合わせていない。
そもそも、人の生死を左右する覚悟で仕事をしてきたわけではないのだ。日本の健康と発展に貢献するという理想、それに安定した地位とそこそこの収入を期待し、厚生労働省へ入省して三十年。まさか自分がこんな仕事を担うとは思いもしなかった。
辞令を受けた時点で腹を決めたつもりではいたが、体に染みついた安定志向は簡単にぬぐい去れない。これまで、不安で不安で夜中に目が覚めてしまったことなど、二度や三度ではない。いつも崖の際を歩き続けている気がしている。
それだけに、彼は塚原の冷静さが気に入らない。一時期は自分のポストを希望していたと言うぐらいだから、恐らく今の地位も決して押しつけられたわけではないだろう。
「室長、出発の準備ができました」
倉島の言葉に思考を中断された堀田は「わかった」とつぶやき、立ち上がった。すぐにこれから起こるであろう困難な事態に思いを切り替える。
司令車は8ナンバーである以外、見た目はどこにでも走っているフルサイズのミニバンだった。しかし車内には通信設備と巨大モニターが設置され、麻酔銃、それに七十口径ライフルが装備されている。司令車は役所を出ると、サイレンを鳴らしながら、東名高速を疾走した。堀田はその中で、役所にいる部下からから送られてきたデータを確認した。
「福池は今どこにいる?」
顔を上げ、隣にいる和久井に確認した。
「一階のロビーです」和久井はパソコンのモニターを見ながら報告した。「ちょうどエントランスから入って正面、壁を背にしています」
「よく考えているな」
JS患者を確保するのには、不意打ちが原則だ。まともに向かっていってもアグノーではね飛ばされてしまうので、襲撃する意図を最後まで見せないか、背後から攻めるしかない。福池が壁に貼りついているのは、背後をとられないためなのだろう。あとは正面からいきなり襲撃するしかないが、対象が警戒している中、成功する確率は限りなくゼロに近い。
ただ、解決方法はある。
堀田はその方法をとりあえず棚上げした。最終的には理事長である萩谷が政府へ許可を取らなければならない案件だし、なにより堀田自身が回避したい手法だった。
司令車は御殿場インターを抜け、研究所のある自衛隊御殿場演習場へ走った。富士山の裾野に広がる森林の中へ入っていくと、不意に鉄条網でガードされた原っぱが見えてきた。前方にゲートがある。運転をしていた倉橋が、IDカードを自衛隊員に提示してゲートが開く。更に進んでいくと、刑務所のような高い壁が見えてきた。
「ご苦労様です」
インターホンからやや緊張した声が聞こえ、厚い扉が静かに開いた。
倉橋が再び司令車へ乗り込み、ゆっくりと敷地内を進んで駐車場へ止めた。車から降り、本部のあるビルへ移動する。途中、ビルの間から覗いたグラウンドには誰もいなかった。以前来たときは子供たちの歓声がどこからか聞こえてきたのだが、今はそれもない。静寂が施設内を支配していた。本部ビル受付のインターホンで、四階の会議室へ行くよう指示を受け、堀田たちはエレベーターへ乗った。
会議室には萩谷、塚原、山原、安田、岩田といった主要メンバーに加え、堀田が招集した各支所の職員たちがいた。
「お待ちしていました」
萩谷が立ち上がり、堀田たちを空いている席へ座るよう促した。
室内の隅に大型のモニターが置かれ、監視カメラらしき映像が映し出されている。その中に福池の姿があった。和久井の報告通り、壁に背中を付け、じっと周囲を伺っているのがわかる。
「レーザー発振機で威嚇射撃してから、膠着状態が続いています」堀田たちが着席すると、塚原が話し始めた。「建物内にいるのは福池だけです。職員が近づいたら殺害すると警告しております」
「彼は何を要求しているんだ」
「自分をこの施設から出すよう求めています。そうしなければ、この施設を破壊するそうです」
「現状はレーザー発振機がありますから、彼もおいそれと動けない状況です。このまま時間をかけていけば、消耗していくでしょうし、説得にも応じるんじゃないでしょうか」
萩谷がそう言ったとき、福池の様子に変化が現れた。背後にある壁にひびが入り、福池が前へ進んだ。壁はビルから外れ、福池と一緒に動き出した。
モニターから福池が消えた。しかし、すぐに別の監視カメラに切り替わり、姿が映し出される。彼は窓際に移動していた。背中に壁を背負っている。
福池は監視カメラの存在を意識していた。彼はカメラに向かってニヤリと笑いかけた。
同時に、会議室内が強い衝撃音を伴って揺れた。
堀田たちは反射的に立ち上がり、窓を見た。
福池の立てこもっているビルの角が欠けていた。更に注視していると、もう一方の角にもひびが入り始めた。カステラをつまんだように外れ、角が宙に浮く。
角がこちらへ向かって飛んできた。
堀田は恐怖で身動きができない。
ただ、コンクリートの塊が近づくのを見守っているほかなかった。
時間にすればほんの数秒にしか過ぎない時間が、永遠のように感じる。
瞬間、コンクリートの塊は会議室の窓を直撃した。軽自動車ほどもあるコンクリートは、窓を軽々と打ち破る。
モニターが、紙のおもちゃのようにひしゃげながら壁にめり込んでいく様を、後にスローモーションで思い出すことになる。
コンクリートがぶつかる轟音と、腹の底から響き渡る振動で、堀田はようやく我に返った。
「レーザー発振機を操作している者以外、ビルから待避させろ」
萩谷が叫ぶ。部下がおぼつかない足取りで無線機に駆け寄っていった。
「和久井、もたもたするんじゃない。やられるぞ」
まだ呆然としている和久井の背中を拳で叩いた。
「あと三メーターずれてたら、僕たちやられてましたよ」
「わかってる、早く逃げろっ」
なおも動こうとしない和久井を、突き飛ばすように押し出した。その横を安田が、四つん這いになりながらドア口へ向かっていく。
階段を使い、下へ降りていく。途中、何度か衝撃音と振動が響き渡り、そのたびに心臓が不規則に鼓動した。現実感が失われ、喉の奥から喘ぎ声が漏れてくるのを、人ごとのように感じている自分がいた。どうにか裏口から外へ出られると、力が抜けて、思わずその場へへたり込んだ。
「誰か怪我人はいるか」
「曽根さんが……潰されちゃいました」
萩谷の問いに、女性事務員が泣きながら答えていた。
福池の攻撃は続いていた。時折、上にそれたコンクリート塊が原野に向かって飛んでいくのが見えた。塊は二階より下に当たることはない。明らかに、狙いはレーザー発振機だろう。
「理事長、決断する時が来たようです。自衛隊に応援を要請しましょう」
塚原は冷静な表情を崩さないまま、萩谷に詰め寄った。
「しかし――」
萩谷はわずかに怯えた表情を見せた。
「逡巡している時間はありません、福池がレーザーを破壊するのは時間の問題です。これで彼がこの塀を越えたら、どちらにしても自衛隊が動き出すでしょう、民間へも被害が及ぶ恐れが出てきます」
「堀田室長はどう思いますか」
堀田は言いよどんだ。
萩谷の額から汗がにじみ出て、あごを伝ってしたたり落ちた。自分も同じように汗が噴き出てくるのを感じる。
自衛隊への出動要請。堀田も、最終手段として想定していた事態だ。それは福池の殺害命令に等しい。萩谷が躊躇するのも無理はなかった。それに加えて、自衛隊の出動は日本社会に様々なインパクトを与えるはずだ。理由はどうあれ、自衛隊が発足して、史上初めて自国民に手をかけるのだ。様々な批判が飛び交うに違いなかった。同時にJS脅威論が、いっそうの高まりを見せるのは想像に難くない。
「萩谷理事長、もう少し待っていただけませんか」山原が言った。「私がもう一度交渉します」
「山原先生。今わかっているだけでも、二人が死んでいるんだ。これ以上彼を放置できないですよ。私たちはもちろん、この周辺住人が既に危険にさらされているんです」
塚原の言葉に、他の職員たちも非難めいた視線を山原に送った。
「しかし――」山原は反論する言葉が見つからないのか、眉間に皺を寄せ、歯を食いしばった。
「理事長、大変です。子供たちが五人、福池のいるビルへ入っていきます」
職員が持ってきたノートパソコンをのぞき込んだ。
映像に、石黒俊、藤村香織、古市由衣、森山史裕、浜口省吾の五人がビル内へ入っていく様子が映っていた。
「あいつら、何をしようっていうんだ」
「理事長、彼らの下へ行ってきます。私たちが戻るまで、決して自衛隊は呼ばないでください」
山原が走り出した。
「危険です。やめてください」
萩谷が叫ぶのを無視して、山原はグランドへ出て行った。




