第1部 隔離 15
二時間目が過ぎたときだ。ヌシが突然腹痛を訴え始めた。程なく、由衣と森山、それに浜口も、腹が痛いと騒ぎ出す。
「あなたたち、歩いて病院へ行ける?」川崎が心配そうに尋ねた。
「何とか大丈夫です」
「変なものでも食べた覚えはあるの」
「うーん、そういえば、昨日みんなでケーキを食べたんですけど、それが悪かったのかも。俊はどうなのよ」
「実は、俺もちょっとやばいんだ」
俊は眉間に皺を寄せてつぶやく。
「じゃあ石黒君も、一緒に病院へ行ってらっしゃい」
「はい」
俊たちは腹を押さえながら、よろよろした足取りで、教室を出て行った。廊下に出ると、苦しそうだった浜口の顔が、突然笑い顔に変わり始める。
「だめよ、監視カメラが見張っているんだからね」
ヌシが睨みつけ、浜口ははっとして顔を緊張させた。ギャップがおもしろくて、今度は俊が笑いそうになる。
美佐子の様子を見に行くという大仕事なので、緊張しなければならなかったが、同時に強い高揚感が俊たちを包んでいた。それがちょっとしたきっかけで、笑いを誘う。
前方には館野が歩いている。みんなあの男とは一緒に歩きたくないので、誰が指示したわけでもなく、歩みは遅くなった。よろけた振りをして後ろを振り返ると、ジューケイと奈美が出てくるところだった。
ジューケイの戦略によると、まず、全員が腹痛を理由に教室を抜け出し、病院へ向かう。次に医師が持っているカードキーを奪い、美佐子のいる病室へ入り込む。当然警報が発令されて、最近新設された施設内警備班の連中がやってくるだろうが、それまでには充分目的を果たせるはずだ。ジューケイが看護師から得た情報によると、美佐子のいる病室は、三階の一番北側にあるそうだった。診療室は二階なので、カードキーさえあれば、丸腰の病院関係者相手だけなら楽勝だった。
病院の前に着いた。緊張と高揚感が半々だった感情から、急速に高揚感が失われ、緊張感が増してくる。
館野が自動ドアから中へ入っていった。後に続いて俊たちも入っていく。
病院内は教室よりも暖房が効いているようで、冷えた体が暑いくらいに温められていく。館野がロビーにあるモニターから自分の症状を話している。自分の順番を待つ間、俊たちは備え付けのベンチへ座った。
館野、ヌシ、由衣と受付を済ませたので、次に俊がモニターへ向かった。看護師の由紀恵の画像が映し出される。
「あなたも前の人と同じで腹痛なの?」
「ええ、そうなんです」
彼女は先月、風邪をひいたときに対応してもらっていた。その時は高熱で歩くのもままならない俊を手助けして、診察室へ連れて行ってくれた。今になって、そんな彼女をこれから脅かさなければならないのに気づき、怯む自分を感じた。
もう遅いんだ。俊はそう自分に言い聞かせながら、嘘の症状を伝えたあと、エレベーターで二階へ向かった。
二階の廊下へ出て、待合室へ入った。ヌシと由衣が硬い表情で椅子へ座っている。館野は既に診察を受けているようで、ここにはいなかった。しばらくして、メンバー全員が揃った。
「さて、行くぜ」
ジューケイが立ち上がって全員を見回し、みんなは頷く。診察室へ入っていった。
「何をするんだっ」
診察室から怒声が響いた。中では白髪頭で白衣を着た医師が館野を睨み、由紀恵がこわばった表情で立ち尽くしていた。医師が手を上げたままなのは、館野がアグノーを使って拘束しているからなのだろう。
「俺たち、先生方に危害を加えるつもりは一切ないんだ。ただ、上の階にいる美佐子をお見舞いに行きたいだけなんだよ」
「それは……やめた方がいい」
「どうしてさ。先生は美佐子の姿を見ているのかい」
「ああ、仕事だからね。でも、できるなら見たくなかったよ。もし君たちが見たとしても、私と同じ思いを抱くはずだ」
「でもさ、実際見てみなきゃ、わかんねーじゃん」
館野が冷笑を浮かべている。
「確かにな」医師は目を伏せ、息を吐いた。「私の首に掛かってるカードを取れ。それがあれば、ほとんどの場所へ出入りできる」
「あんたたち二人には、通報されると困るから、ついて行ってもらう。森山、カードを取れ」
ジューケイを先頭にして、廊下へ出た。次に、館野に促され、医師と由紀恵が出て行く。一瞬、すれ違うときに由紀恵と目が合う。彼女は悲しげな顔で俊を見つめた。俊は恥ずかしさと罪悪感が混じり合い、目をそらした。
階段を上り、三階入り口のドアに着いた。森山がカードキーをかざして解錠させた。中には看護師が一人いる。声を上げようとした彼女をジューケイがアグノーで絡め取った。
「彼女には、私から抵抗しないよう言うから、離してあげなさい」
医師が「落ち着くんだ」と声をかける。固まっていた看護師が自由になった。
「美佐子さんは突き当たりの部屋にいる」
医師が先頭に立って歩いて行った。
「森山君、開けてくれないか」
医師は、正面のドアを指し示した。森山が深呼吸をした。ドアにカードキーをかざす。
静かな廊下に解錠の音が響いた。
森山が振り向く。頬が不安げに震えている。
「行けよ」
ジューケイが促して、ようやく森山は取っ手を掴み、ドアを押し開けた。
室内にはベッドがなかった。あるのは機械だけで、病室と言うより、何かの研究室に見えた。
「ああっ……」
森山が引きつるような声を上げ、へたへたとその場へ座り込んだ。
程なく、森山が声を上げた原因がわかった。
部屋の正面に小さな水槽が置いてあり、その中に水へ浸かった美佐子がいた。
首から下が切り取られていた。
切断面から、ピンク色がかった脊髄が蛇のように五十センチほど延びている。様々なチューブやコードが、頭部や切断面、脊髄につながれていた。口はぽっかりと開けたままで、唇は紫色だ。眼球はくり抜かれているのか、眼下が落ち窪み、瞼は皺になっていた。髪の毛は刈り取られており、青白い頭皮からうっすらと髪の毛が伸びていた。
「美佐子は、生きているのか」
ジューケイの問いに、医師は頷く。
「ああ。見たとおり、首から下はないがな。視覚と聴覚は破壊されている。ただ、意識はあるようだ。頬にピンを刺すと、脳波が反応する」
医師は呆然と美佐子を見ている俊たちに対して、淡々として答えた。
「奴ら……どうしてこんなことをしたんだよ」
「その事情ついて、池沢先生ではお答えにくいでしょう。私が代わります」
ドア口から声が聞こえて振り返ると、スーツを着た男が立っていた。痩せた体に細面の顔で、メタルフレームの眼鏡を掛けている。その奥で冷たく光る目は、俊たちをじっと見据えていた。
「私は警視庁に所属する塚原だ。現在は研究所内の警備を担当している」
「どうして……」
「システムが通常と違う動きを捕捉すれば、警報を発令するようセッティングされている。たとえば、林の中で、数人の生徒たちがよからぬ企みを企てたりしても、きっちりチェックできるわけだ」
「お前、全部知りながら、俺たちを美佐子に会わせたのか」
「本来なら、正式に山岡さんの状況を知らせるべきだと思っていたんだが、強硬に反対する人たちが多くてね。君たちが行った行為はルール違反とは言え、彼女の状況を知らせる上ではいいきっかけだった。私の指示で、あえて放置させたのさ。
なぜ私が彼女と会わせたがったのかわかるか? それは君たちに自分たちが置かれている立場を知ってもらいたかったからなんだ。
現在、様々な反社会勢力がJS患者を手に入れようと、世界のあちこちで活動している。各国はJS患者をそうした勢力から保護するため、様々な策を講じている。しかし、残念なことにJS患者を拉致し、犯罪に利用する事案が後を絶たない。一部では、JS患者を取引する闇市場が形成されているという報告もある。
ただ、JS患者は犯罪者にとっても危険な存在だ。コントロールが難しく、誰もが手を焼いている。一歩間違えば、拉致した側がやられてしまうからな。扱い方法としてはいろいろあるが、急速に広がっているのが、〈首刈り〉という手法だ。
まず、あらかじめ、麻酔で眠らせたJS患者の首を切断し、頭部を生命維持装置に繋げて血液を循環させるようにする。次に視覚、聴覚を破壊し、前頭葉の一部にも損傷を加える。こうしてJS患者から行動の自由と思考能力を奪い、アグノーを発生させる能力だけを手に入れるんだ。詳しいことまでは話せないが、脳のある部分に刺激を与えると、アグノーを発揮させることができる。海外ではこの手法により、要人の暗殺が行われたという報告が上がっている」
「美佐子は……その〈首刈り〉をやられたのか」
「その通りだ。彼女を発見したときは処置の最終段階で、修復は不可能だったよ。非常に残念な結果だった」
由衣から、すすり泣く声が聞こえてきた。それを慰めようと、寄り添ったヌシも、涙を流し始める。
「彼らにとって、君たちは単なる武器でしかない。それを手に入れ、効率よく活用するのに、君たちの行動の自由とか意識は邪魔でしかないんだ」
「塚原さん、美佐子はどれくらい生きられるんですか?」
森山が、静かな声で聞く。
「わからない。こうした事例が報告されてから、まで一年も経っていないからな」
「すると、このままずっと生き続けるかもしれないんですよね」
「機器が壊れない限り、その可能性はあるね」
不意に、室内の空気が重くなった。
「おいっ、何をするんだ」
森山が、美佐子を見ている。彼女の生命を支えている機器が、カタカタと振動し始めた。「森山君、やめてってたら」
ヌシの声も聞かず、森山はじっと美佐子を見続ける。
「こんな状態で一生生き続けなくちゃならないなんて、美佐子がかわいそうだよ」
「お前、美佐子を殺す気か」
ジューケイが手をかざし、森山をアグノーで押し倒そうとした。しかし、美佐子とその機器までもががたがたと揺れ始める。
「だめよ。森山君は美佐子をアグノーで抱えているわ。森山君を倒したら、美佐子まで一緒に倒されちゃう」
「待って、あたしがやる」
それまで怯えていた由衣が、ジューケイとヌシを押しのけ、森山の前に立った。強い視線を森山に向ける。
由衣の周りに、これまでの空気とは別の空気が混じりだした。真水の中に海水が入ってきたときのように、色では識別できない。しかし、注意深く見れば、由衣を包み込むようにして、わずかに境界ができているのがわかる。
卵形で、呼吸をしているかのように、脹らんだり縮んだりしていた。
境界はふくれあがり、森山を包み込んだ。
「ううぁぁっ……よせよ」
森山の顔が苦痛にゆがんだ。彼の着ているダウンジャケットが、ぺしゃんこに潰れてた。由衣から伸びている空気が、森山を締め付けているのだ。
「森山君、お願いよ。美佐子を離して」
森山の体が、わずかだけ宙に浮いた。ゆっくりと、美佐子から離れていく。
「あたし、こんな事なんかしたくなんかないのよ。でも、このままだと森山君、美佐子を殺しちゃうでしょ」
由衣の目から涙が溢れてきた。
不意に、何かから千切れるようにして、森山が横に飛んだ。彼は壁にたたきつけられる寸前で止まり、床へ倒れた。由衣も崩れ落ちるようにして、床へ座り込んだ。
「でも……美佐子がしゃべれたらさ、きっと殺してくれって言うだろ」
森山が顔を上げた。衝撃でサングラスは外れており、事件以来、初めて彼の目が見えた。右目は怒りの表情を浮かべ、涙が頬を伝っていた。しかし、左目の周辺は銃撃の後遺症なのか表情がなく、眉毛の辺りが窪んでいる。涙も出ていなかった。
「俺たち、どうしてこんなふうになっちゃったんだよ」
森山の問いかけに、答える者はいなかった。館野さえ冷笑するのも忘れ、硬い表情で森山を見つめていた。
「どうだ、みんな納得したか」
それまで表情を変えずに生徒たちを見つめていた塚原が、全員沈黙したのを見計らって口を開いた。
「あんた、なんで森山を止めなかったんだよ。美佐子が殺されたら、責任問題になるんじゃねえのか?」
館野が、塚原を睨めつけた。
「確かにな。ただ、私一人の力では森山君を止められないし、応援を呼ぶ時間もなかった。仮に殺されたとしても、不可抗力だった」
「本当は美佐子に死んでもらいたかったんじゃねえのかよ」
「そんなわけないさ。私は美佐子さんも含めて、全員を警護するのが仕事だ」
言葉とは裏腹に、塚原はわずかに笑いを浮かべていた。
「経過はともかく、結果的に全員怪我をしなくてよかった。ここで上がった問題点は、今後の参考にしてもらうよ」
「狸が」
館野は塚原の後ろ姿へ、吐き捨てるように言葉を投げかけた。出て行った塚原と入れ違いに、警備課の職員が殺到してきた。彼らは麻酔銃を構え、俊たちに近づいてきた。
「馬鹿野郎、抵抗なんかしねーよ」
ジューケイが職員たちに向かって歩き出した。職員たちが後ずさり、ジューケイに道を空けていく。
「独房でも入院でも、なんでもしやがれ」
俊たちはジューケイを先頭に、部屋を出て行った。




