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第1部 隔離 12

投稿日変更のお知らせ。従来水曜日と土曜日に投稿していましたが、来週より火曜及び金曜、それぞれAM6:00からの投稿にさせていただきます。

 事件発生から六時間が経過していた。霞ヶ関の一角にある警察庁庁舎内に設置された、山岡美佐子拉致事件緊急対策会議室には、重苦しい空気が張り詰めていた。

「事件発生から十分後に、静岡山梨の両県警が緊急配備をしております。現状、事件現場から半径二十キロ以内は封鎖し、出てくる車両については、徹底した検査を行っています。山狩り人員は現在二百名ですが、他県警からも応援を募り、明日までに千人規模にまで増員させる予定です」

 警備一課の中道がこわばった表情で説明していた。

「逮捕者からは、なんの情報もとれんのか」

 警備局長の福原は苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。

「はっ、被疑者のうち、生存している吉岡裕ですが、現状は黙秘であります」

「何を悠長なことを言ってるんだ」福原は怒鳴りつけながら、繰り返し机を叩いた。「なんとしてでも被疑者に口を割らせるんだ」

「中道課長、事態は国家の存亡がかかっているいっても過言ではないんです」

 静かに切り出したのは野平内閣官房副長官だった。彼は中道を見据え、一語一語かみしめるように語りかけた。

「我が国でJS患者が反社会組織の手に渡り、事態の収束がつかないと国際社会で判断されたとします。そうなれば組織を壊滅させるため、アメリカの海兵隊が投入されるでしょう。つまり、治安が他国の手によってなされる。終戦直後のアメリカによる統治が復活するといっても過言ではないのです」

 中道は額に脂汗を浮かべながら、「はい」とかすれた声で答えるだけだった。

「はいじゃないよ。ここにいるメンバーは、一刻も早く山岡美佐子が保護されるのを望んでいるんだ。それなのになんの進展もないというのはどういうことなんだ。お前が首を切られて済む問題じゃないんだぞ」

「重々承知しております」

 中道さんを責める気持ちはわかるが、それで美佐子が確保されるわけじゃないだろうと堀田は思う。

 福原の怒鳴り声を上の空で聞きながら、二年前、美佐子の保護を指揮したときを思い出す。

 当時、弁護士である美佐子の父親が厳重抗議していると聞き、堀田自身が都内にある現場へ行き、説得に当たった。応接室で両親に対し、すべて法律に則って執行するのだと、一時間かけて説明し、ようやく会わせてもらった。

 美佐子は自分の部屋にいた。ピンク系で統一された、いかにも女子小学生といったインテリアだった。しかし、中ではぬいぐるみやバッグがふわりと宙に浮かび、メリーゴーランドのようにくるくる旋回していた。中央で、美佐子が呆然とした表情をしてしゃがみ込んでいる。両親が号泣する中、堀田は部下が麻酔を注射する様子を見守らなければならなかった。

 危険度は低かったものの、その分余計に別離させられる家族の悲しさが際立つ事案だった。

 この件に対して、美佐子の両親の立場はどうなのだろうか。彼らに情報が伝えられていない可能性も大いにあった。そして何よりも、美佐子の安否が重要なはずだった。

 今の議論では、こうした本来あるべき要素が抜けていた。恐らく野平たちは、美佐子が死んで発見されたら、ほっと胸をなで下ろすに違いないのだ。

 もっとも、そんな議論の中にいる自分も、同じ穴のムジナなのだろう。所詮この流れを変えることなんでできやしないし、席を立つ勇気もない。自己保身が第一の小役人に過ぎないのだ。

「堀田室長、山岡美佐子のような少女では、麻酔がどれくらい効いているのでしょうか」

 突然野坂に振られた堀田は慌てて顔を上げ、周囲を見回した。

「えー、対策室で使用している麻酔は、通常三時間昏睡状態になるようセットされています。ただし、生命や覚醒後に障害が残る可能性を考慮しなければ、十時間、あるいは連続での使用も可能かと思います」

 納得した表情の野平を見て、堀田は周囲の人にわからないよう、小さく息を吐いた。

「中道課長、マスコミの動きを教えてください」

「現在報道機関には発表を行っておりません。しかし封鎖規模が広いため、既に記者がかぎつけて、地元警察署へ殺到している状態です。怪我をした客が収容されている病院も特定されており、既に一名が院内へ侵入を試み、拘束されております」

「ネットでは既に噂が流れていて、道路を封鎖している警察車両がアップされています。このままでは不適切な形で情報がどんどん流出していく可能性がありますね」

「おっしゃるとおりです。報道機関に対しては、拉致被害者保護の名目で報道自粛を要請しておりますが、現場での不満は相当に高まっている模様です。何らかの形で情報を提供しなければ、デマや流言がネットに飛び交う可能性があります」

「福原局長、どうにか持たせられませんか。山岡美佐子の情報は特定機密により開示されないとしても、事件の状況から、被害者がJS患者なのは、容易に判明されてしまうでしょう。そうなれば、周辺でパニックとなる恐れが出てきます」

 野平は相変わらず表情を変えないまま、福原に迫った。

「中道課長、できるか?」

「はい、やらせていただきます」

 中道はあごから汗をしたたらせながら答えた。他に選択肢はないだろうなと堀田は思う。

 突然ドアが開き、若い男が会議室内へ入ってきた。彼は中道の所へ行き、耳打ちした。同時に、死んでいた中道の目が輝いた。

「みなさん、只今、山岡美佐子が無事保護されました」

 会議室内にどよめきが起こり、メンバーの表情が和らぐ。終始冷静に見えていた野平さえ、今まで緊張していたのだろう、わずかに笑みを浮かべていた。

「詳細はまだ不明ですが、山梨県側にある別荘で発見されたとのことです」

「それではみなさん、処理しなければならない事案が数多く残されているかと思いますので、一時散会することにしましょう」

 福原が発言し、全員が席を立った。堀田はノートを鞄にしまいながら中道を盗み見た。既に笑みは消え、憔悴した表情で資料をまとめている。年齢は恐らく四十代前後と言うところか。山岡美佐子は救出されたとはいえ、部下五人と無関係な客三人が死亡し、重軽傷者も多数出ている。これから事件の責任者として、彼に処分が待っているはずだ。

 堀田は気の毒に思いながらも、内心ほっとしている自分がいるのも感じていた。JS患者を取り扱っている身としては、こんな事件がいつ自分に降りかかってくるかもしれないのだ。自分に関わるものでなくてよかったというのが、正直な感想だった。

 しかし、〈征新の国〉とかいう教団は、どうやって今回の情報を手に入れたのだろうか。内部からの情報提供者がいなければ、まず起きない犯行だった。堀田は自分の近くにいるかもしれない情報提供者に対し、怒りと同時に不安を感じた。


 原口は多数の投光器に照らされ、昼間のように明るくなった現場へ足を踏み入れた。建物内にいた犯行グループは既に制圧されたが、付近に共犯者が潜んでいる可能性もあり、多くの機動隊員が警戒に当たっていた。

 歩いている感覚がなかった。緊迫した表情で周囲を見回している警官たちも、今の原口には別世界の出来事のように見えていた。これは本当に起きたことなのか。ふと思うときがあるが、逃避からくる感情だと考え直すと、重苦しい現実が彼を押しつぶした。

「原口警部、そんな格好で寒くないですか」

 振り向くと、長身でグレーのステンカラーコートを着た男がいた。四十三歳の原口より、一回りほど若い風貌で、細面の顔に、度のきつそうなメタルフレームの眼鏡をかけている。一見大手銀行員といった感じだが、騒然とした中でも、眼鏡の奥で冷静に原口を見つめている目は、彼が警察官僚であることを物語っていた。

「塚原理事官、このたびは誠に申し訳ありません」

「警部」塚原は原口の両肩を掴んだ。「土下座は厳禁だよ。私は非生産的な事が嫌いだなんだ。それに、こんな泥の中でやられて風邪をひいたら、後の聴取に支障が出る」

「はいっ」

 原口は前のめりになった体を戻した。

「本当なら上着でも貸してあげたい所なんですけど、こんな状況ですから、なかなか頼みづらくてね」

「お心遣いいただき、ありがとうございます。自分はこのままで結構ですから」

 そう言いながらも、原口は急に寒さを感じていた。思えば事件が起きてから今まで、寒さなど、とても感じている余裕などなかった。塚原に言われて初めて自分が薄着なのに気づいた。

 夕方に強く降った雪は止んでいたが、太陽が沈んだおかげで頬に当たる風は刺すように冷たかった。投光器に照らされた息が、一瞬白くなって消えていく。

「どうしてこんな事が起きてしまったのでしょうか」

 つぶやいたとたん、大きな罪と自分の無力感を意識し、目から大粒の涙が溢れ、嗚咽した。

「それはこれから調べていくことです。長官の指示で本日中にプロジェクトが立ち上がり、徹底的に調べ上げる予定です。もちろん警部にも協力してもらいますよ」

 塚原は優しげな声音とは裏腹に、取り乱している原口を冷たい目で見据えていた。

「そうだ、山岡美佐子を見てみますか? 今後会うこともないでしょうから」

「えっ、まだあの子は移送されていないのですか?」

「彼女を発見して、簡単に動かせないのがわかったのですよ。今、専門家を東京から呼び寄せている最中です」

「それは、どういう意味なんでしょうか」

「見ればわかりますよ」

 塚原は建物へ向かって歩き出した。後を原口が追っていく。

 恐らく別荘として建てられたのだろう。平屋建てで瀟洒な一軒家だった。赤茶けた煉瓦の壁で、ドアの上にはステンドグラスの明かり取り窓がついている。救出の際にSATが投入され、銃撃戦が行われたので、煉瓦には、所々銃弾の跡が残っていた。

 開け放たれたドアをくぐり、土足で框に上がる。塚原は正面の廊下を歩き、左奥の部屋へ入った。原口も後から続く。

 部屋へ入ったとたん、金臭い血の臭いが鼻をついた。部屋の中央には手術台のようなものが置いてあり、赤黒い血で汚れていた。天井に強力な照明が取り付けられており、壁は用途のわからない機械類で埋め尽くされている。まるで病院じゃないかと原口は思う。

「この様子から見ると、かなり前から準備をしていたようですね。設備はきっちりと施工されていますよ」

「あの、山岡はどこにいるんでしょうか」

「わかりませんか? そこですよ」

「ああっ……」

 塚原が指さした先を見た原口は、呻き、思わず膝をついた。

「驚いたでしょう。私は物事にあまり動じないと自負しているんですが、さすがにこれはきつかったですね」

 塚原の冷たい目は、わずかに笑っているようにも見えた。

「酷い。酷すぎる」

 喉の奥から、酸味を伴った胃液があふれ出てくる。警察官としての矜持だけが、必死で吐き出しそうになるのを押さえた。

「近隣住民から、ここに不審な男女が出入りしているとの通報がありましてね。調べた結果、借り主が〈征新の国〉の信者と親しい関係にあるのが判明したんです。早速職員を派遣したら、見事に当たりでした。よかったですよ。こんな状態で運ばれたら、検問をすり抜けていたかもしれない」

 原口は塚原の言葉を上の空で聞いていた。

 何もかも放り出して逃げたかったが、力が入らない。

 すべてが終わってしまったんだと思う。


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