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3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~

『ちょうどいい温度』にするだけですが?~潰れかけの宿屋で働いていたら、無口な騎士団長を餌付けしてしまいました~

作者: kinoko
掲載日:2026/10/18

「3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~」シリーズ第一弾。


以前考えていたシリーズもの。

何本かプロットを発見したので、早速書いてみました★


私の名前は、佐倉ひより。


香南(こうなん)女子高校3年E組。

自分で言うのもなんだけれど、物静かな優等生タイプだったと思う。


そんなごく普通の高校3年生だった私は、ある日突然、異世界に転生した。


森羅万象の創造主様が誤って作ってしまった『次元の狭間』に、教室にいた30人がまとめて飲み込まれたらしい。

なんか、その創造主様……色々言い訳してたけどね。


まぁ、とにかく、元の世界には戻せないからと、それぞれ一つずつギフトを与えられ、異世界の人生を送ることになった。


他のクラスメイトもこの世界にいるらしいけど、出会ったことはない。



そして今の私は、リアナ・フェルナーという18歳の少女として、辺境の町にある小さな宿屋で働いている。


問題は、その宿屋が今にも潰れそうだということと――。


「……やっぱり微妙」


私は両手で包んだカップを見つめ、小さく息を吐いた。

指先にほんのりと熱が伝わり、紅茶から立ち上っていた湯気がわずかに弱まる。



これが私に与えられたギフト、『ちょうど一杯』。



触れた飲み物一杯を、その人がもっとも飲みやすい温度にすることができる。

ただし、一度使えば次に使えるまで十分ほどかかる。


炎を出せるでもなく、傷を治せるでもなく、未来が見えるでもない。

飲み物を、ちょうどいい温度にするだけ。



「創造主様、途中から能力考えるの面倒になったんじゃないかな……」


「リアナ、何か言った?」


厨房でスープをよそっていた母が振り返ったので、私は慌てて首を横に振った。


「ううん。なんでもない」


ちらりとガラス越しに自分が映った。


金髪に近い明るい色の髪を高い位置で縛り、水色の大きな瞳が愛くるしい。


(元の世界なら、アイドルになれたかもね……!)



この世界で私を娘として育ててくれているフェルナー夫妻は、とても優しい人たちだ。

ただし経営の才能は、たぶんあまりない。


宿は古いし狭い。挙句の果てに立地条件は最悪の町外れ。

少し前には父と母が本気で店を畳む話をしていたくらいなのに、ここ数日は珍しく満室が続いている。


理由は簡単。

町の近くで魔獣の大規模討伐があり、負傷した騎士たちが大量に流れ込んできたからだ。


私は紅茶を載せた盆を持って食堂へ向かった。


騎士たちのいる一角だけ、妙に静かだった。

正確に言えば、騎士たちが静かなわけではない。


一人の男の周囲だけ、誰も近づこうとしないのだ。



「エドガーさん、お待たせしました」


私がその男の目の前にカップを置くと、周囲の騎士たちが一斉にこちらを見た。

そんな視線には気づかず、私はいつものように笑う。


「今日は紅茶です。昨日のお茶より、こっちのほうが好きですよね?」


「……ああ」


短い返事が返ってきた。



エドガー・ヴァレン。


この辺境一帯を守る騎士団の団長で、魔獣討伐を指揮した人物でもある。


短く整えた黒髪に、鋭い灰色の目。

年齢は30歳になったばかりだという。


(他の騎士たちと年齢はそんなに変わらないのに、なんなの、この貫禄! 顔がいいのがさらに威圧感を増している気がする……! もったいないイケメンじゃん)


エドガーは、座っていても分かるほど背が高く、肩幅も広い。

黙っているだけで近寄りがたい雰囲気をまとっていた。


実際、部下たちからも相当恐れられているらしい。


怒鳴ったり理不尽なことを言ったりする人ではない。ただ、表情がほとんど変わらず、戦場では容赦がないため、普通の騎士は呼ばれただけで背筋が伸びるのだという。


そんな話を聞いたのは、私が普通にエドガーへ話しかけているのを見た若い騎士に、『リアナさん、怖くないんですか?』と、本気で聞かれてからだった。



別に怖くはない。

口数は少ないけれど、話しかければ返事はしてくれるし、食器だって自分で重ねてくれる。


むしろ、うちの父より行儀がいい。



「今日はパン、多めにしておきましたよ。昨日、足りなさそうだったので」


エドガーの皿にパンを一つ追加すると、彼がこちらを見上げた。


「頼んでいない」


「でも昨日、最後にパン籠を見てましたよね」


「……見ていただけだ」


「食べたかったんでしょう?」


「違う……」


「じゃあ戻します?」


私がパンを取ろうとすると、エドガーの大きな手が先にパンを押さえた。


「待て……。これは食べる」


思わず笑ってしまう。


「やっぱり食べたかったんじゃないですか~!」


少し離れた席で、騎士が飲み物を吹きかけた。

その隣にいた騎士が慌てて背中を叩いている。


なぜかものすごく必死だ。

エドガーがちらりとそちらを見ると、二人は一瞬で姿勢を正し、何事もなかったように食事を始めた。


変な人たちだなと思いながら、私は厨房へ戻った。



その後ろで、騎士二人が小声で囁いていたことを、私は知らない。


「今、団長、からかわれたよな?」


「ああ」


「怒らなかったぞ」


「見るな。殺される」


「でも、ちょっと顔赤くなかったか?」


「だから見るなって」



◆◆◆



その日の夕方。

私は再びエドガーの前に紅茶を置いた。


ところが、ギフトを使った瞬間、違和感を覚えた。


「……あれ?」


いつもと温度が違う。

エドガーはかなり熱めの飲み物を好む。それなのに今日の紅茶は、いつもより明らかにぬるかった。


「どうした」


「いえ……エドガーさん、今日ちょっとぬるめがいいみたいですね」


「……は? 何言ってるのかわからん」


本人は気にする様子もなく口をつける。

でも私は、そこで初めてエドガーの顔をよく見た。

……なんとなく青白い。


「エドガーさん、具合悪くないですか?」


「別に」


「本当に?」


「ああ」



翌朝に出した白湯は、さらに温度が低くなった。

夕食時にはほとんど冷たいと言っていいくらいの水になった。


さすがにおかしい。


「エドガーさん」


「……なんだ」


「ちょっと失礼しますね!」


返事を待たず、私はテーブル越しに身を乗り出した。

そして、その額に手を当てる。


「……っ!」


触れた瞬間、驚くほど熱かった。


「ものすごい熱じゃないですか!」


思わず声を上げると、食堂にいた騎士たちが全員こちらを振り返った。

エドガーも驚いたように目を見開いている。


「いつからですか?」


「……動けるから大丈夫だ」


「動けるとかそういう話じゃありません。すぐ寝てください!」


「……寝ていては、仕事ができない……」


「駄目です!!」


もう一度、はっきり言った。


食堂の端にいた騎士たちの顔が引きつっている。

後で知ったことだけれど、騎士団長にここまで真正面から「駄目」と言う人間はほとんどいないらしい。


「傷、ちゃんと見てもらってます?」


「かすり傷だ……」


「じゃあ確認します」


「待て……!」


「脇腹でしたよね?」


私がエドガーの脇腹を見ようと服をめくると、なぜか彼は勢いよく椅子から立ち上がった。

その顔が、明らかに赤い。


「ほら! やっぱり熱上がってるじゃないですか! 顔真っ赤!!」


「……これは、熱のせいじゃない……」


周囲の騎士たちが一斉に顔を伏せた。

肩を震わせている人もいる。


「おい……何笑ってる」


エドガーが低く言った瞬間、全員が凍りついた。


「笑ってません!」


見事な返事だった。



結局、町の医師を呼んで診てもらったところ、魔獣討伐で受けた脇腹の傷が炎症を起こしていた。

あと一日か二日放っておけば、かなり危険だったらしい。


エドガーは医師に怒られ、部下には遠巻きに呆れられ、私は彼が寝かされた部屋まで薬草茶を運ぶことになった。


「はい。飲んでください」


「苦いのは嫌いなんだ……」


「何子どもみたいこと言ってるんですか! 死ぬところだったんですよ!? はい、飲んで!」


一口飲んだエドガーが、わずかに眉を寄せた。


「良薬は口に苦しです! 我慢!」


「……紅茶がいい」


「元気になったら淹れてあげます」


そう言って笑うと、なぜかエドガーがじっとこちらを見た。


「なんですか?」


「いや……」


そう答えながら目を逸らした彼の耳が、ほんの少し赤かった。

熱のせいだと思った。


その時は、本当に──。



◆◆◆



三日後、エドガーの熱はすっかり下がった。


薬草がかなり減ってしまったため、私は昼過ぎに町外れの林まで採りに行くことにした。

宿から歩いて二十分ほどの場所なので、子供の頃から何度も行っている。



籠が半分ほど埋まった頃、背後から知らない男の声がした。


「お嬢ちゃん、一人か?」


振り向くと、薄汚れた服を着た男が二人立っていた。


町の人間ではない。

魔獣討伐の混乱に乗じて、この辺りには柄の悪い流れ者も増えていると父が言っていた。


「家族がすぐ近くにいますので……!」


嘘をついて、その場を離れようとする。

でも、一人の男が進路を塞いだ。


「そんなに警戒すんなって。ちょっと話すだけだ」


「すみません、急いでいるので……」


横を抜けようとした瞬間、腕を掴まれた。


「は、離してください!」


振り払おうとしたけれど、男の力は強い。

もう一人が、舌なめずりをして笑いながら近づいてくる。


背中に冷たいものが走った。


(やばい……このままだと、私、この人たちに……!)


そう思って息を吸い込んだ瞬間だった。


「その手を離せ……!」


低い声が林に響いた。


男たちが振り返る。

私も顔を上げた。


少し離れた場所に、エドガーが立っていた。

いつもの彼とは、まるで違った。


顔にはほとんど表情がない。

それなのに、ひどく怒っていることだけは分かった。


灰色の瞳が、凍りつくように冷たい。


「なんだ、お前」


男が私の腕を掴んだまま睨み返した。

次の瞬間、エドガーの姿が消えたように見えた。


鈍い音が響いたと思ったら、私の腕を掴んでいた男が地面へ転がった。


何が起きたのか分からず、私はただ見ていることしかできない。


もう一人が腰の短剣へ手を伸ばすが、それよりエドガーの方が遥かに速い。

手首を捻り上げ、短剣を落とさせ、そのまま地面へ押さえつける。


ほんの数秒だった。

私は呆然と立ち尽くしていた。


(エドガーさんは腰の剣すら抜いていない……。強い……!)


「……おい」


低い声に、男たちが顔を青ざめさせる。


「次にこの娘へ手を出したら、今日のようには済まさない」


声を荒らげているわけではないが、それなのに、私まで動けなくなるほど怖かった。


これが、辺境騎士団長。

普段、宿の窓際で静かに紅茶を飲んでいる人とは違う。


本当に戦場で人を率いる人なのだ。


やがて駆けつけた騎士たちが二人の男を引き立てていくと、エドガーはすぐ私のところへ来た。


「怪我は……?」


「大丈夫です」


「腕を見せろ」


先ほど男に掴まれたところを確認すると、エドガーの眉間の皺が深くなった。


少し赤くなっているだけなのに。


「痛むか?」


「全然。これくらい平気です」


「平気ではないだろ!」


自分が高熱を出した時にはあれほど「平気だ」と言っていた人が何を言っているのだろう。


思わず笑ってしまった。


「自分の怪我はたいしたことないって言うのに……。私はただ赤くなってるだけなので、本当に大丈夫ですよ?」


そこでエドガーが黙った。


私の腕を支えている手が、すごく優しい。

先ほど男を一瞬で地面へ叩き伏せた手と同じだとは思えなかった。


「……お前が、誰かに触られるだけで……」


ぽつりと落とされた言葉に、心臓が跳ねた。


「え?」


「……なんでもない」


すぐに顔を背けてしまったので、私はそれ以上聞けなかった。


さっきまでの怖いくらい鋭い姿が頭から離れなかったし、それなのに今は壊れ物でも扱うように自分の腕を支えている。


胸の奥が落ち着かなくなった。


(この人……こんなに、かっこよかったっけ?)


今さらそんなことに気づいてしまい、急に顔が熱くなった。


「歩けるか?」


「あ、はい」


「貸せ。籠を持つ」


「……お客様にそんなことさせたら、怒られますっ!」


「今は……俺たちしかいないから、大丈夫だ」


「……でも」


私の返事を聞かずに、エドガーはひょいと籠を取り上げた。

有無を言わさない空気。

それでも怖いとは思わなかった。


むしろ、隣を歩くエドガーの横顔をまともに見ることができなくて困った。



◆◆◆



それから、エドガーと話す時間はさらに増えた。


私が何気なく話すことを、彼はいつも黙って聞いてくれた。


宿の屋根から雨漏りがすることや、父が帳簿をつけるのが苦手なこと。

母が新しい料理を試す度に、なぜか私が最初の犠牲になること。

そして、私は甘いパンが好きなこと。


どれもたいした話ではない。

それなのにエドガーは、私が話している間だけ少し表情が柔らかくなった。



ある時、私が彼の席へ紅茶を運んでいると、近くの柱の陰から騎士が三人こちらを見ていた。


目が合うと、三人とも慌てて顔を逸らした。


「……なんですかね、あの人たち」


「放っておけ」


エドガーが低く答える。

その声に、三人の肩が同時に跳ねた。


「……今日は、怒らないんですね」


「今はいい」


「どうしてですか?」


何気なく聞いた私に、エドガーはカップを持ったまま黙ってしまった。


また耳が赤くなっている。


「やっぱりまだ熱あるんじゃ……」


額へ手を伸ばすと、目を見開いたエドガーが私の手首を掴んだ。


「……おい、リアナ」


「は、はい?」


「簡単に……男の額へ触れるなっ……」


「だって、エドガーさん、すぐ無理するから心配で……。嫌でしたよね……ごめんなさい」


「……違う。そうじゃなくて……」


そう言われて、私は瞬きをした。

エドガーは、しばらく無言になったあと、ゆっくり手を離した。


「……びっくりするから」


「え?」


「お前に……触られると……胸が痛む」


「え、それって、どういう……?」


エドガーはそれ以上言わず、赤い顔のままそっぽを向いてしまった。



柱の陰から、ひそひそ声が聞こえた。


「今の聞いたか?」

「聞いた」

「団長、自覚あるのか?」

「ないだろ、あれは」


エドガーの目がそちらを向いた。

次の瞬間、三人の姿が消えた。


逃げ足だけは、さすが騎士だった。



◆◆◆



そして数日後、エドガーたちの帰還が決まった。

任務が終わったのだから当然のことだ。


分かっていた。

分かっていたはずなのに、聞いた瞬間、胸の奥がすうっと冷えていくような感覚がした。


出発前日の夜、私は小さな布袋を彼に渡した。


「エドガーさん! これ、よかったら」


エドガーが手のひらに載せたそれを見つめる。

紺色の布で作った、小さなお守りだった。


中には乾燥させた薬草と、宿で使っている紅茶の茶葉を少しだけ入れてある。


「これは……何だ」


「お守りです。エドガーさん、すぐ無茶するから」


「……俺に?」


「他に誰がいるんですか」


笑って答えると、エドガーはお守りをしばらく見つめていた。


思った以上に反応がない。


「あ、すみません……。いらなかったです?」


「違う」


顔を上げた彼の表情は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「……ありがとう」


たったそれだけ言った。

それなのに、なぜかすごくすごく嬉しかった。




翌朝、エドガーたちは町を出ていった。


私が最後に淹れた紅茶を飲み干し、いつも通り短く礼を言って。


その背中が見えなくなるまで、私は宿の前に立っていた。



◆◆◆




王都へ向かう街道を、騎士団の一行が進んでいた。

先頭を走るエドガーは、朝からほとんど口を開いていない。


元々口数の多い男ではないが、長年仕えている部下には、いつもと違うことくらいすぐ分かった。


昼の休憩中、一人の副官がとうとう堪えきれずに声をかけた。


「団長……」


「……なんだ」


「さっきから三回くらいため息ついてますけど……」


「……ついていない」


「ついてます! 宿を出てから、ずっと元気ないですよ」


エドガーの眉が寄る。

またため息をついてしまいハッとした顔をした後、頭をかいて俯く。


「……別に体調は悪くない」


「では、なんでさっきから腰のお守りを触ってるんです?」


ぴたりと手が止まった。


剣の柄のすぐ横には、紺色の小さな布袋が結びつけられている。

エドガーは無意識のうちに、何度もそこへ指を伸ばしていた。


「……これは関係ない」


「団長、本気で分かってないんですか?」


「……何がだ」


副官は呆れたように息を吐いた。


「リアナさんに会えなくなったからですよ」


エドガーが黙った。


「宿では毎日リアナさん探してたじゃないですか。食事の時も、廊下でも。あの子が他の男と話してたら露骨に不機嫌になるし、暴漢に襲われた時なんて、団長があんなに怒ってるの久しぶりに見ましたよ」


「……」


「好きなんでしょう?」


答えはなかった。


副官は肩をすくめ、仲間たちのところへ戻っていった。


一人残されたエドガーは、腰のお守りを外した。

手の中へ収め、ぎゅっと握る。

布から、ほんのかすかに紅茶の香りがした。


毎日、宿の窓際で飲んでいた紅茶。


その向こうで笑っていた少女の顔が、簡単に浮かんできた。


『エドガーさん、またパン見てますね。 食べたいなら言ってください』

『怪我したら休んでください』

『いくらでも紅茶くらい淹れてあげますよ』


エドガーは目を閉じた。


胸の奥に空いたような感覚の正体を、その時ようやく理解した。


「……そういうことか」


自分でも呆れるほど、気づくのが遅かった。



◆◆◆



エドガーが去って一か月。

宿は以前よりずっと忙しくなっていた。


騎士たちが宣伝してくれたのか、商人や旅人の利用も増えた。


店を畳む話もなくなった。


喜ぶべきことばかりなのに、私は時々、窓際の席を見てしまう。


エドガーがいつも座っていた場所。


そこに違う客が座っていると、少しだけ妙な気持ちになる。


(会いたいな……)


でも、その言葉を認めてしまったら、もっと寂しくなりそうで、ずっと考えないようにしていた。



「リアナ、お客さんよ!」


厨房から母に呼ばれ、私は皿を置いた。


「はーい」


いつものように食堂へ出る。

そして、入り口の前に立っている男を見て足が止まった。


「……エドガーさん?」


黒い外套に灰色の瞳。

相変わらず、無表情なその顔は、周りを威圧するのに十分だ。


それでも、私にとっては全てが愛おしく思える。


その姿を見た瞬間、胸の奥に空いていた穴が一気に埋まっていく。


(また会えた。嬉しい……ものすごく嬉しい!)


でも、それを顔に出すのが恥ずかしくて、私はなるべく普通の声を出した。


「お久しぶりです。今日もお仕事ですか?」


「いや……」


エドガーは私の前まで歩いてきた。

後ろには、以前宿に泊まっていた騎士たちが何人かいる。


「今日は別の用件で来た」


「別の……?」


エドガーは真っ直ぐ私を見て、何の前置きもなく言った。


「俺と結婚してほしい」


食堂が静まり返った。


私は目を見開いた。

後ろにいた騎士たちも、全員目を見開いた。

父と母も驚いて腰を抜かしている。


「……えっと、それは、何かの冗談……?」


ようやく出た声は、震えていた。


「冗談ではない。結婚してくれ、リアナ」


「……っ!!?」


もう一度はっきり言われて、今度は心臓が跳ねた。

何も言えなくなって黙ってしまうと、後ろから、ひそひそ声が聞こえてきた。


「あの……団長、それは順序が違うのでは……?」

「好きだとも言ってないですよね……?」

「付き合ってもないですよね……?」

「いきなり結婚は……さすがに怖いですって……」


エドガーが振り返る。

騎士たちが一斉に口を閉じた。


「何か問題があるか」


「あ、ありますよ!」


思わず私が言った。

勢いに任せているが、若干声が震えていた。


「だ、だって……一か月ぶりに来て、いきなり結婚してくださいってだなんて……! からかわれてるとしか思えません!」


「は? 俺が冗談を言う人間見えるか?」


「み、見えません……けど……。でも、どうして私なんか……」


エドガーは少し考えた。


「では言う」


そうして、もう一度私を見る。


「リアナ。俺は、お前を好きになってしまった」


今度は、心臓が大きく跳ねた。


「俺はこの先、お前以外の女を好きにならない。お前が嫌ならそれまでだ。無理に連れていくつもりもない」


普段と変わらない、淡々とした落ち着いた声だった。

だからこそ、本気なのだと分かった。


「断られれば諦める。ただ、他の誰かと結婚する気もない」


「それ、諦めてなくないですか?」


後ろから誰かが小声で言った。


「黙れ」


一瞬で静かになる。

その時、私は彼の腰に見覚えのあるものを見つけた。


剣のすぐ横に、紺色の小さな布袋。


「……それ」


私が指差すと、エドガーも視線を落とした。


「持っててくれたんですね」


「ああ」


「もう香りもほとんどないでしょ?」


「関係ない」


エドガーはお守りを手に取った。


大きな手の中では、私が作った小さな布袋がさらに小さく見える。


「これは……俺が生きてきた中で一番の宝物だ」


そう言って、エドガーはそのお守りへそっと口づけた。


「……っ」


胸が、どくんと大きく鳴った。


(いやいやいや、ちょっと待って? 何、この人。一か月前まで紅茶飲みながら無表情で座ってた人だよね? 急にそんなことされたら、どうしたらいいの!?)



後ろから、ものすごい視線を感じる。


ちらりと見ると、騎士たちは全員こちらを見ていた。

母は両手を口元に当てて目を輝かせているし、父に至っては、なんとも言えない顔をして固まっている。


(無理……! 恥ずかしい!! なんなのこの状況!)


「エ、エドガーさん! ちょっと来てください!」


「……?」


私は反射的にエドガーの手を掴んだ。


「リアナ?」


「いいから!」


そのままぐいぐい引っ張って、宿の外へ飛び出す。


後ろから「おお……」という騎士たちの妙に楽しそうな声が聞こえたけれど、聞かなかったことにした。



宿の裏手まで来たところで、ようやく足を止める。


「……はぁ」


大きく息を吐いてから振り返ると、エドガーは不思議そうな顔をしていた。


「どうした?」


「どうしたじゃないです! あんな大勢の前で急に結婚してくれとか、好きだとか……その、あんなことまで……!」


「あんなこと?」


「お守りにキスしたじゃないですか!」


「ああ」


「ああ、じゃないです!」


顔が熱い。

きっと今の私は、真っ赤になっている。


それなのにエドガーは、私をじっと見つめたまま動かない。


「……リアナ」


「はい?」


呼ばれて顔を上げた、その瞬間だった。

頬に大きな手が触れた。


「え――」


唇が重なった。


ほんの一瞬、何をされたのか分からなかった。

柔らかな感触が離れていって、ようやく理解する。


「……っ!?」


私は思わず口元を押さえた。


「な、ななな……!」


エドガーは少しだけ目を細めている。


さっきまであれだけ堂々と結婚を申し込んでいたくせに、本人も少し緊張していたらしい。

耳が赤い。


なのに、次に出てきた言葉は妙に落ち着いていた。


「……紅茶の味がする」


「そ、それは……さっき飲んだので……、紅茶の口になってたんです!」


自分でも何を答えているのか分からない。


「も、戻りましょう! エドガーさんの好きな紅茶、淹れてあげますから!」


くるりと宿へ戻ろうとする。


(駄目だ。これ以上この人と二人きりでいたら、心臓がおかしくなる……!)


ところが、一歩踏み出したところで手を掴まれた。


「……こっちでいい」


「何がですか?」


振り返った瞬間、また唇を塞がれた。


「……っ」


今度はさっきより長い。

熱い息が口の中に入ってきて、頭が少しくらくらした。


あんな男たちをあっという間に倒してしまうくらい強いのに、……キスは、驚くほど優しかった。


まるで私が嫌がっていないか確かめるように、そっと触れてくる。

やがて唇が離れる。


「リアナ」


すぐ近くで名前を呼ばれて、まともに顔を見られない。


「……結婚してくれ」


「……こ、この状況で言うの、ずるくないですかっ!?」


少し乱れた息のまま睨みつけると、エドガーが笑った。


ほんの少しだけ口元を緩めた、柔らかな笑顔。


(……駄目だ。こんな顔されたら……)



「……俺のことは嫌いか?」


「嫌いじゃないですけど……」


「触れるのは?」


「別に……」


「……キスは?」


「そ、それも……嫌じゃない、ですけど……」


言ってから、しまったと思った。

エドガーの目が明らかに柔らかくなる。


「あ……」


そして三度目のキスが落ちてきた。


「ん……っ」


さっきよりもさらに優しい。


もう押し返す気にもなれず、私はエドガーの服をぎゅっと掴んだ。


胸の奥が、苦しいくらいにドキドキしている。




しばらくして宿の中へ戻ると、食堂にいた全員がこちらを見た。


そして――騎士たちが、一斉にニヤニヤしはじめた。


「……何ですか」


私が睨むと、全員が慌てて顔を逸らす。


「いえ、別に」

「何も」

「団長、よかったですね」


「おい」


エドガーの低い声が落ちると、騎士たちは一瞬で黙った。


ただし、口元は全員緩んでいる。

母も嬉しそうに笑っている。


そして父だけは――なんとも言えない顔をしていた。


「な、何?」


「……いや……」


父はエドガーを見る。

エドガーも父を見る。


しばらく無言で見つめ合ったあと、父は深いため息をついた。


「……リアナ。エドガー様に、紅茶を淹れてやってはどうだ」


なぜか妙に疲れた声だった。


私は逃げるように厨房へ入り、紅茶を淹れた。


いつもの茶葉。

いつものカップ。


そして最後に、カップへ指先を触れる。

ふわりと温度が変わった。



エドガーの前へカップを置く。


「どうぞ」


「ああ」


一口飲んで、エドガーがほんの少し目を細めた。

その顔を見ながら、私は自分の手を見つめる。


「……エドガーさん。私、何にもできないですよ?」


エドガーがこちらを見る。


「できるのなんて、こうやって飲み物をちょうどいい温度で出すくらいで……」


世界を救えるわけでもない。

魔獣を倒せるわけでもない。

誰かの傷を治すことだってできない。


創造主様にもらった時は、なんでこんな能力なんだろうって、本気で思っていた。


──でも。

エドガーは迷うことなく言った。


「それは俺にとって、何よりのご褒美だ」


そしてまた、私にだけ分かるくらい小さく笑った。



――どうやら私は、この笑顔を見る度に、これから何度でも紅茶を淹れることになりそうだ。

読んでいただき、ありがとうございます(#^.^#)


楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想などいただけるととても励みになります!


今後も、3年E組、三十人それぞれの異世界恋愛を、これから少しずつ書いていく予定です。


次は誰の恋物語になるのか、楽しみにしていただけたら嬉しいです♪

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