3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~
『ちょうどいい温度』にするだけですが?~潰れかけの宿屋で働いていたら、無口な騎士団長を餌付けしてしまいました~
「3年E 組、全員異世界転生しました。~30通りの恋と、小さなギフト~」シリーズ第一弾。
以前考えていたシリーズもの。
何本かプロットを発見したので、早速書いてみました★
私の名前は、佐倉ひより。
香南女子高校3年E組。
自分で言うのもなんだけれど、物静かな優等生タイプだったと思う。
そんなごく普通の高校3年生だった私は、ある日突然、異世界に転生した。
森羅万象の創造主様が誤って作ってしまった『次元の狭間』に、教室にいた30人がまとめて飲み込まれたらしい。
なんか、その創造主様……色々言い訳してたけどね。
まぁ、とにかく、元の世界には戻せないからと、それぞれ一つずつギフトを与えられ、異世界の人生を送ることになった。
他のクラスメイトもこの世界にいるらしいけど、出会ったことはない。
そして今の私は、リアナ・フェルナーという18歳の少女として、辺境の町にある小さな宿屋で働いている。
問題は、その宿屋が今にも潰れそうだということと――。
「……やっぱり微妙」
私は両手で包んだカップを見つめ、小さく息を吐いた。
指先にほんのりと熱が伝わり、紅茶から立ち上っていた湯気がわずかに弱まる。
これが私に与えられたギフト、『ちょうど一杯』。
触れた飲み物一杯を、その人がもっとも飲みやすい温度にすることができる。
ただし、一度使えば次に使えるまで十分ほどかかる。
炎を出せるでもなく、傷を治せるでもなく、未来が見えるでもない。
飲み物を、ちょうどいい温度にするだけ。
「創造主様、途中から能力考えるの面倒になったんじゃないかな……」
「リアナ、何か言った?」
厨房でスープをよそっていた母が振り返ったので、私は慌てて首を横に振った。
「ううん。なんでもない」
ちらりとガラス越しに自分が映った。
金髪に近い明るい色の髪を高い位置で縛り、水色の大きな瞳が愛くるしい。
(元の世界なら、アイドルになれたかもね……!)
この世界で私を娘として育ててくれているフェルナー夫妻は、とても優しい人たちだ。
ただし経営の才能は、たぶんあまりない。
宿は古いし狭い。挙句の果てに立地条件は最悪の町外れ。
少し前には父と母が本気で店を畳む話をしていたくらいなのに、ここ数日は珍しく満室が続いている。
理由は簡単。
町の近くで魔獣の大規模討伐があり、負傷した騎士たちが大量に流れ込んできたからだ。
私は紅茶を載せた盆を持って食堂へ向かった。
騎士たちのいる一角だけ、妙に静かだった。
正確に言えば、騎士たちが静かなわけではない。
一人の男の周囲だけ、誰も近づこうとしないのだ。
「エドガーさん、お待たせしました」
私がその男の目の前にカップを置くと、周囲の騎士たちが一斉にこちらを見た。
そんな視線には気づかず、私はいつものように笑う。
「今日は紅茶です。昨日のお茶より、こっちのほうが好きですよね?」
「……ああ」
短い返事が返ってきた。
エドガー・ヴァレン。
この辺境一帯を守る騎士団の団長で、魔獣討伐を指揮した人物でもある。
短く整えた黒髪に、鋭い灰色の目。
年齢は30歳になったばかりだという。
(他の騎士たちと年齢はそんなに変わらないのに、なんなの、この貫禄! 顔がいいのがさらに威圧感を増している気がする……! もったいないイケメンじゃん)
エドガーは、座っていても分かるほど背が高く、肩幅も広い。
黙っているだけで近寄りがたい雰囲気をまとっていた。
実際、部下たちからも相当恐れられているらしい。
怒鳴ったり理不尽なことを言ったりする人ではない。ただ、表情がほとんど変わらず、戦場では容赦がないため、普通の騎士は呼ばれただけで背筋が伸びるのだという。
そんな話を聞いたのは、私が普通にエドガーへ話しかけているのを見た若い騎士に、『リアナさん、怖くないんですか?』と、本気で聞かれてからだった。
別に怖くはない。
口数は少ないけれど、話しかければ返事はしてくれるし、食器だって自分で重ねてくれる。
むしろ、うちの父より行儀がいい。
「今日はパン、多めにしておきましたよ。昨日、足りなさそうだったので」
エドガーの皿にパンを一つ追加すると、彼がこちらを見上げた。
「頼んでいない」
「でも昨日、最後にパン籠を見てましたよね」
「……見ていただけだ」
「食べたかったんでしょう?」
「違う……」
「じゃあ戻します?」
私がパンを取ろうとすると、エドガーの大きな手が先にパンを押さえた。
「待て……。これは食べる」
思わず笑ってしまう。
「やっぱり食べたかったんじゃないですか~!」
少し離れた席で、騎士が飲み物を吹きかけた。
その隣にいた騎士が慌てて背中を叩いている。
なぜかものすごく必死だ。
エドガーがちらりとそちらを見ると、二人は一瞬で姿勢を正し、何事もなかったように食事を始めた。
変な人たちだなと思いながら、私は厨房へ戻った。
その後ろで、騎士二人が小声で囁いていたことを、私は知らない。
「今、団長、からかわれたよな?」
「ああ」
「怒らなかったぞ」
「見るな。殺される」
「でも、ちょっと顔赤くなかったか?」
「だから見るなって」
◆◆◆
その日の夕方。
私は再びエドガーの前に紅茶を置いた。
ところが、ギフトを使った瞬間、違和感を覚えた。
「……あれ?」
いつもと温度が違う。
エドガーはかなり熱めの飲み物を好む。それなのに今日の紅茶は、いつもより明らかにぬるかった。
「どうした」
「いえ……エドガーさん、今日ちょっとぬるめがいいみたいですね」
「……は? 何言ってるのかわからん」
本人は気にする様子もなく口をつける。
でも私は、そこで初めてエドガーの顔をよく見た。
……なんとなく青白い。
「エドガーさん、具合悪くないですか?」
「別に」
「本当に?」
「ああ」
翌朝に出した白湯は、さらに温度が低くなった。
夕食時にはほとんど冷たいと言っていいくらいの水になった。
さすがにおかしい。
「エドガーさん」
「……なんだ」
「ちょっと失礼しますね!」
返事を待たず、私はテーブル越しに身を乗り出した。
そして、その額に手を当てる。
「……っ!」
触れた瞬間、驚くほど熱かった。
「ものすごい熱じゃないですか!」
思わず声を上げると、食堂にいた騎士たちが全員こちらを振り返った。
エドガーも驚いたように目を見開いている。
「いつからですか?」
「……動けるから大丈夫だ」
「動けるとかそういう話じゃありません。すぐ寝てください!」
「……寝ていては、仕事ができない……」
「駄目です!!」
もう一度、はっきり言った。
食堂の端にいた騎士たちの顔が引きつっている。
後で知ったことだけれど、騎士団長にここまで真正面から「駄目」と言う人間はほとんどいないらしい。
「傷、ちゃんと見てもらってます?」
「かすり傷だ……」
「じゃあ確認します」
「待て……!」
「脇腹でしたよね?」
私がエドガーの脇腹を見ようと服をめくると、なぜか彼は勢いよく椅子から立ち上がった。
その顔が、明らかに赤い。
「ほら! やっぱり熱上がってるじゃないですか! 顔真っ赤!!」
「……これは、熱のせいじゃない……」
周囲の騎士たちが一斉に顔を伏せた。
肩を震わせている人もいる。
「おい……何笑ってる」
エドガーが低く言った瞬間、全員が凍りついた。
「笑ってません!」
見事な返事だった。
結局、町の医師を呼んで診てもらったところ、魔獣討伐で受けた脇腹の傷が炎症を起こしていた。
あと一日か二日放っておけば、かなり危険だったらしい。
エドガーは医師に怒られ、部下には遠巻きに呆れられ、私は彼が寝かされた部屋まで薬草茶を運ぶことになった。
「はい。飲んでください」
「苦いのは嫌いなんだ……」
「何子どもみたいこと言ってるんですか! 死ぬところだったんですよ!? はい、飲んで!」
一口飲んだエドガーが、わずかに眉を寄せた。
「良薬は口に苦しです! 我慢!」
「……紅茶がいい」
「元気になったら淹れてあげます」
そう言って笑うと、なぜかエドガーがじっとこちらを見た。
「なんですか?」
「いや……」
そう答えながら目を逸らした彼の耳が、ほんの少し赤かった。
熱のせいだと思った。
その時は、本当に──。
◆◆◆
三日後、エドガーの熱はすっかり下がった。
薬草がかなり減ってしまったため、私は昼過ぎに町外れの林まで採りに行くことにした。
宿から歩いて二十分ほどの場所なので、子供の頃から何度も行っている。
籠が半分ほど埋まった頃、背後から知らない男の声がした。
「お嬢ちゃん、一人か?」
振り向くと、薄汚れた服を着た男が二人立っていた。
町の人間ではない。
魔獣討伐の混乱に乗じて、この辺りには柄の悪い流れ者も増えていると父が言っていた。
「家族がすぐ近くにいますので……!」
嘘をついて、その場を離れようとする。
でも、一人の男が進路を塞いだ。
「そんなに警戒すんなって。ちょっと話すだけだ」
「すみません、急いでいるので……」
横を抜けようとした瞬間、腕を掴まれた。
「は、離してください!」
振り払おうとしたけれど、男の力は強い。
もう一人が、舌なめずりをして笑いながら近づいてくる。
背中に冷たいものが走った。
(やばい……このままだと、私、この人たちに……!)
そう思って息を吸い込んだ瞬間だった。
「その手を離せ……!」
低い声が林に響いた。
男たちが振り返る。
私も顔を上げた。
少し離れた場所に、エドガーが立っていた。
いつもの彼とは、まるで違った。
顔にはほとんど表情がない。
それなのに、ひどく怒っていることだけは分かった。
灰色の瞳が、凍りつくように冷たい。
「なんだ、お前」
男が私の腕を掴んだまま睨み返した。
次の瞬間、エドガーの姿が消えたように見えた。
鈍い音が響いたと思ったら、私の腕を掴んでいた男が地面へ転がった。
何が起きたのか分からず、私はただ見ていることしかできない。
もう一人が腰の短剣へ手を伸ばすが、それよりエドガーの方が遥かに速い。
手首を捻り上げ、短剣を落とさせ、そのまま地面へ押さえつける。
ほんの数秒だった。
私は呆然と立ち尽くしていた。
(エドガーさんは腰の剣すら抜いていない……。強い……!)
「……おい」
低い声に、男たちが顔を青ざめさせる。
「次にこの娘へ手を出したら、今日のようには済まさない」
声を荒らげているわけではないが、それなのに、私まで動けなくなるほど怖かった。
これが、辺境騎士団長。
普段、宿の窓際で静かに紅茶を飲んでいる人とは違う。
本当に戦場で人を率いる人なのだ。
やがて駆けつけた騎士たちが二人の男を引き立てていくと、エドガーはすぐ私のところへ来た。
「怪我は……?」
「大丈夫です」
「腕を見せろ」
先ほど男に掴まれたところを確認すると、エドガーの眉間の皺が深くなった。
少し赤くなっているだけなのに。
「痛むか?」
「全然。これくらい平気です」
「平気ではないだろ!」
自分が高熱を出した時にはあれほど「平気だ」と言っていた人が何を言っているのだろう。
思わず笑ってしまった。
「自分の怪我はたいしたことないって言うのに……。私はただ赤くなってるだけなので、本当に大丈夫ですよ?」
そこでエドガーが黙った。
私の腕を支えている手が、すごく優しい。
先ほど男を一瞬で地面へ叩き伏せた手と同じだとは思えなかった。
「……お前が、誰かに触られるだけで……」
ぽつりと落とされた言葉に、心臓が跳ねた。
「え?」
「……なんでもない」
すぐに顔を背けてしまったので、私はそれ以上聞けなかった。
さっきまでの怖いくらい鋭い姿が頭から離れなかったし、それなのに今は壊れ物でも扱うように自分の腕を支えている。
胸の奥が落ち着かなくなった。
(この人……こんなに、かっこよかったっけ?)
今さらそんなことに気づいてしまい、急に顔が熱くなった。
「歩けるか?」
「あ、はい」
「貸せ。籠を持つ」
「……お客様にそんなことさせたら、怒られますっ!」
「今は……俺たちしかいないから、大丈夫だ」
「……でも」
私の返事を聞かずに、エドガーはひょいと籠を取り上げた。
有無を言わさない空気。
それでも怖いとは思わなかった。
むしろ、隣を歩くエドガーの横顔をまともに見ることができなくて困った。
◆◆◆
それから、エドガーと話す時間はさらに増えた。
私が何気なく話すことを、彼はいつも黙って聞いてくれた。
宿の屋根から雨漏りがすることや、父が帳簿をつけるのが苦手なこと。
母が新しい料理を試す度に、なぜか私が最初の犠牲になること。
そして、私は甘いパンが好きなこと。
どれもたいした話ではない。
それなのにエドガーは、私が話している間だけ少し表情が柔らかくなった。
ある時、私が彼の席へ紅茶を運んでいると、近くの柱の陰から騎士が三人こちらを見ていた。
目が合うと、三人とも慌てて顔を逸らした。
「……なんですかね、あの人たち」
「放っておけ」
エドガーが低く答える。
その声に、三人の肩が同時に跳ねた。
「……今日は、怒らないんですね」
「今はいい」
「どうしてですか?」
何気なく聞いた私に、エドガーはカップを持ったまま黙ってしまった。
また耳が赤くなっている。
「やっぱりまだ熱あるんじゃ……」
額へ手を伸ばすと、目を見開いたエドガーが私の手首を掴んだ。
「……おい、リアナ」
「は、はい?」
「簡単に……男の額へ触れるなっ……」
「だって、エドガーさん、すぐ無理するから心配で……。嫌でしたよね……ごめんなさい」
「……違う。そうじゃなくて……」
そう言われて、私は瞬きをした。
エドガーは、しばらく無言になったあと、ゆっくり手を離した。
「……びっくりするから」
「え?」
「お前に……触られると……胸が痛む」
「え、それって、どういう……?」
エドガーはそれ以上言わず、赤い顔のままそっぽを向いてしまった。
柱の陰から、ひそひそ声が聞こえた。
「今の聞いたか?」
「聞いた」
「団長、自覚あるのか?」
「ないだろ、あれは」
エドガーの目がそちらを向いた。
次の瞬間、三人の姿が消えた。
逃げ足だけは、さすが騎士だった。
◆◆◆
そして数日後、エドガーたちの帰還が決まった。
任務が終わったのだから当然のことだ。
分かっていた。
分かっていたはずなのに、聞いた瞬間、胸の奥がすうっと冷えていくような感覚がした。
出発前日の夜、私は小さな布袋を彼に渡した。
「エドガーさん! これ、よかったら」
エドガーが手のひらに載せたそれを見つめる。
紺色の布で作った、小さなお守りだった。
中には乾燥させた薬草と、宿で使っている紅茶の茶葉を少しだけ入れてある。
「これは……何だ」
「お守りです。エドガーさん、すぐ無茶するから」
「……俺に?」
「他に誰がいるんですか」
笑って答えると、エドガーはお守りをしばらく見つめていた。
思った以上に反応がない。
「あ、すみません……。いらなかったです?」
「違う」
顔を上げた彼の表情は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「……ありがとう」
たったそれだけ言った。
それなのに、なぜかすごくすごく嬉しかった。
翌朝、エドガーたちは町を出ていった。
私が最後に淹れた紅茶を飲み干し、いつも通り短く礼を言って。
その背中が見えなくなるまで、私は宿の前に立っていた。
◆◆◆
王都へ向かう街道を、騎士団の一行が進んでいた。
先頭を走るエドガーは、朝からほとんど口を開いていない。
元々口数の多い男ではないが、長年仕えている部下には、いつもと違うことくらいすぐ分かった。
昼の休憩中、一人の副官がとうとう堪えきれずに声をかけた。
「団長……」
「……なんだ」
「さっきから三回くらいため息ついてますけど……」
「……ついていない」
「ついてます! 宿を出てから、ずっと元気ないですよ」
エドガーの眉が寄る。
またため息をついてしまいハッとした顔をした後、頭をかいて俯く。
「……別に体調は悪くない」
「では、なんでさっきから腰のお守りを触ってるんです?」
ぴたりと手が止まった。
剣の柄のすぐ横には、紺色の小さな布袋が結びつけられている。
エドガーは無意識のうちに、何度もそこへ指を伸ばしていた。
「……これは関係ない」
「団長、本気で分かってないんですか?」
「……何がだ」
副官は呆れたように息を吐いた。
「リアナさんに会えなくなったからですよ」
エドガーが黙った。
「宿では毎日リアナさん探してたじゃないですか。食事の時も、廊下でも。あの子が他の男と話してたら露骨に不機嫌になるし、暴漢に襲われた時なんて、団長があんなに怒ってるの久しぶりに見ましたよ」
「……」
「好きなんでしょう?」
答えはなかった。
副官は肩をすくめ、仲間たちのところへ戻っていった。
一人残されたエドガーは、腰のお守りを外した。
手の中へ収め、ぎゅっと握る。
布から、ほんのかすかに紅茶の香りがした。
毎日、宿の窓際で飲んでいた紅茶。
その向こうで笑っていた少女の顔が、簡単に浮かんできた。
『エドガーさん、またパン見てますね。 食べたいなら言ってください』
『怪我したら休んでください』
『いくらでも紅茶くらい淹れてあげますよ』
エドガーは目を閉じた。
胸の奥に空いたような感覚の正体を、その時ようやく理解した。
「……そういうことか」
自分でも呆れるほど、気づくのが遅かった。
◆◆◆
エドガーが去って一か月。
宿は以前よりずっと忙しくなっていた。
騎士たちが宣伝してくれたのか、商人や旅人の利用も増えた。
店を畳む話もなくなった。
喜ぶべきことばかりなのに、私は時々、窓際の席を見てしまう。
エドガーがいつも座っていた場所。
そこに違う客が座っていると、少しだけ妙な気持ちになる。
(会いたいな……)
でも、その言葉を認めてしまったら、もっと寂しくなりそうで、ずっと考えないようにしていた。
「リアナ、お客さんよ!」
厨房から母に呼ばれ、私は皿を置いた。
「はーい」
いつものように食堂へ出る。
そして、入り口の前に立っている男を見て足が止まった。
「……エドガーさん?」
黒い外套に灰色の瞳。
相変わらず、無表情なその顔は、周りを威圧するのに十分だ。
それでも、私にとっては全てが愛おしく思える。
その姿を見た瞬間、胸の奥に空いていた穴が一気に埋まっていく。
(また会えた。嬉しい……ものすごく嬉しい!)
でも、それを顔に出すのが恥ずかしくて、私はなるべく普通の声を出した。
「お久しぶりです。今日もお仕事ですか?」
「いや……」
エドガーは私の前まで歩いてきた。
後ろには、以前宿に泊まっていた騎士たちが何人かいる。
「今日は別の用件で来た」
「別の……?」
エドガーは真っ直ぐ私を見て、何の前置きもなく言った。
「俺と結婚してほしい」
食堂が静まり返った。
私は目を見開いた。
後ろにいた騎士たちも、全員目を見開いた。
父と母も驚いて腰を抜かしている。
「……えっと、それは、何かの冗談……?」
ようやく出た声は、震えていた。
「冗談ではない。結婚してくれ、リアナ」
「……っ!!?」
もう一度はっきり言われて、今度は心臓が跳ねた。
何も言えなくなって黙ってしまうと、後ろから、ひそひそ声が聞こえてきた。
「あの……団長、それは順序が違うのでは……?」
「好きだとも言ってないですよね……?」
「付き合ってもないですよね……?」
「いきなり結婚は……さすがに怖いですって……」
エドガーが振り返る。
騎士たちが一斉に口を閉じた。
「何か問題があるか」
「あ、ありますよ!」
思わず私が言った。
勢いに任せているが、若干声が震えていた。
「だ、だって……一か月ぶりに来て、いきなり結婚してくださいってだなんて……! からかわれてるとしか思えません!」
「は? 俺が冗談を言う人間見えるか?」
「み、見えません……けど……。でも、どうして私なんか……」
エドガーは少し考えた。
「では言う」
そうして、もう一度私を見る。
「リアナ。俺は、お前を好きになってしまった」
今度は、心臓が大きく跳ねた。
「俺はこの先、お前以外の女を好きにならない。お前が嫌ならそれまでだ。無理に連れていくつもりもない」
普段と変わらない、淡々とした落ち着いた声だった。
だからこそ、本気なのだと分かった。
「断られれば諦める。ただ、他の誰かと結婚する気もない」
「それ、諦めてなくないですか?」
後ろから誰かが小声で言った。
「黙れ」
一瞬で静かになる。
その時、私は彼の腰に見覚えのあるものを見つけた。
剣のすぐ横に、紺色の小さな布袋。
「……それ」
私が指差すと、エドガーも視線を落とした。
「持っててくれたんですね」
「ああ」
「もう香りもほとんどないでしょ?」
「関係ない」
エドガーはお守りを手に取った。
大きな手の中では、私が作った小さな布袋がさらに小さく見える。
「これは……俺が生きてきた中で一番の宝物だ」
そう言って、エドガーはそのお守りへそっと口づけた。
「……っ」
胸が、どくんと大きく鳴った。
(いやいやいや、ちょっと待って? 何、この人。一か月前まで紅茶飲みながら無表情で座ってた人だよね? 急にそんなことされたら、どうしたらいいの!?)
後ろから、ものすごい視線を感じる。
ちらりと見ると、騎士たちは全員こちらを見ていた。
母は両手を口元に当てて目を輝かせているし、父に至っては、なんとも言えない顔をして固まっている。
(無理……! 恥ずかしい!! なんなのこの状況!)
「エ、エドガーさん! ちょっと来てください!」
「……?」
私は反射的にエドガーの手を掴んだ。
「リアナ?」
「いいから!」
そのままぐいぐい引っ張って、宿の外へ飛び出す。
後ろから「おお……」という騎士たちの妙に楽しそうな声が聞こえたけれど、聞かなかったことにした。
宿の裏手まで来たところで、ようやく足を止める。
「……はぁ」
大きく息を吐いてから振り返ると、エドガーは不思議そうな顔をしていた。
「どうした?」
「どうしたじゃないです! あんな大勢の前で急に結婚してくれとか、好きだとか……その、あんなことまで……!」
「あんなこと?」
「お守りにキスしたじゃないですか!」
「ああ」
「ああ、じゃないです!」
顔が熱い。
きっと今の私は、真っ赤になっている。
それなのにエドガーは、私をじっと見つめたまま動かない。
「……リアナ」
「はい?」
呼ばれて顔を上げた、その瞬間だった。
頬に大きな手が触れた。
「え――」
唇が重なった。
ほんの一瞬、何をされたのか分からなかった。
柔らかな感触が離れていって、ようやく理解する。
「……っ!?」
私は思わず口元を押さえた。
「な、ななな……!」
エドガーは少しだけ目を細めている。
さっきまであれだけ堂々と結婚を申し込んでいたくせに、本人も少し緊張していたらしい。
耳が赤い。
なのに、次に出てきた言葉は妙に落ち着いていた。
「……紅茶の味がする」
「そ、それは……さっき飲んだので……、紅茶の口になってたんです!」
自分でも何を答えているのか分からない。
「も、戻りましょう! エドガーさんの好きな紅茶、淹れてあげますから!」
くるりと宿へ戻ろうとする。
(駄目だ。これ以上この人と二人きりでいたら、心臓がおかしくなる……!)
ところが、一歩踏み出したところで手を掴まれた。
「……こっちでいい」
「何がですか?」
振り返った瞬間、また唇を塞がれた。
「……っ」
今度はさっきより長い。
熱い息が口の中に入ってきて、頭が少しくらくらした。
あんな男たちをあっという間に倒してしまうくらい強いのに、……キスは、驚くほど優しかった。
まるで私が嫌がっていないか確かめるように、そっと触れてくる。
やがて唇が離れる。
「リアナ」
すぐ近くで名前を呼ばれて、まともに顔を見られない。
「……結婚してくれ」
「……こ、この状況で言うの、ずるくないですかっ!?」
少し乱れた息のまま睨みつけると、エドガーが笑った。
ほんの少しだけ口元を緩めた、柔らかな笑顔。
(……駄目だ。こんな顔されたら……)
「……俺のことは嫌いか?」
「嫌いじゃないですけど……」
「触れるのは?」
「別に……」
「……キスは?」
「そ、それも……嫌じゃない、ですけど……」
言ってから、しまったと思った。
エドガーの目が明らかに柔らかくなる。
「あ……」
そして三度目のキスが落ちてきた。
「ん……っ」
さっきよりもさらに優しい。
もう押し返す気にもなれず、私はエドガーの服をぎゅっと掴んだ。
胸の奥が、苦しいくらいにドキドキしている。
しばらくして宿の中へ戻ると、食堂にいた全員がこちらを見た。
そして――騎士たちが、一斉にニヤニヤしはじめた。
「……何ですか」
私が睨むと、全員が慌てて顔を逸らす。
「いえ、別に」
「何も」
「団長、よかったですね」
「おい」
エドガーの低い声が落ちると、騎士たちは一瞬で黙った。
ただし、口元は全員緩んでいる。
母も嬉しそうに笑っている。
そして父だけは――なんとも言えない顔をしていた。
「な、何?」
「……いや……」
父はエドガーを見る。
エドガーも父を見る。
しばらく無言で見つめ合ったあと、父は深いため息をついた。
「……リアナ。エドガー様に、紅茶を淹れてやってはどうだ」
なぜか妙に疲れた声だった。
私は逃げるように厨房へ入り、紅茶を淹れた。
いつもの茶葉。
いつものカップ。
そして最後に、カップへ指先を触れる。
ふわりと温度が変わった。
エドガーの前へカップを置く。
「どうぞ」
「ああ」
一口飲んで、エドガーがほんの少し目を細めた。
その顔を見ながら、私は自分の手を見つめる。
「……エドガーさん。私、何にもできないですよ?」
エドガーがこちらを見る。
「できるのなんて、こうやって飲み物をちょうどいい温度で出すくらいで……」
世界を救えるわけでもない。
魔獣を倒せるわけでもない。
誰かの傷を治すことだってできない。
創造主様にもらった時は、なんでこんな能力なんだろうって、本気で思っていた。
──でも。
エドガーは迷うことなく言った。
「それは俺にとって、何よりのご褒美だ」
そしてまた、私にだけ分かるくらい小さく笑った。
――どうやら私は、この笑顔を見る度に、これから何度でも紅茶を淹れることになりそうだ。
読んでいただき、ありがとうございます(#^.^#)
楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価、感想などいただけるととても励みになります!
今後も、3年E組、三十人それぞれの異世界恋愛を、これから少しずつ書いていく予定です。
次は誰の恋物語になるのか、楽しみにしていただけたら嬉しいです♪




