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第6話 マーガレットの訪問

「それはたぶん恋だと思います」


 表情を一切崩さずに、はっきりとした口調で話すマーガレットを前に、ミモザは驚きのあまり、せき込んでしまう。

ごほごほと苦しいほどの咳の後に、改めて聞き返す。


「マギー、今なんて?」


「だから、それは恋だと思いますよ。ミモザ様はロウィ様に恋をされているのです」

「そんな馬鹿な。私の話、聞いてくれていて? 本気で心臓に病気があるかもしれないと思っているのに」

「はい、聞いておりました。胸が痛くなる時は決まってロウィ様がいらっしゃると」

「そうね。たまたまいつもいらっしゃるのだけど、でもーー」

「はぁ」

 まだ話している最中だというのに、マーガレットは大きくため息をついてミモザの話を遮った。


「ロマンス小説ファンのくせに、自分のこととなるとここまで鈍感になるとは。それに私はミモザ様にずっと付いておりましたので、ミモザ様のことはミモザ様以上に理解できるのです。もう一度言います。それは、恋です」


 そう言うと、マーガレットはまるで言葉を覚えたての子供に話すようにゆっくりと再度「そ、れ、は、こ、い、で、す」と一文字ずつ区切って声に出した。


 マーガレットはミモザの侍女である。

 幼少期からずっとミモザの傍らにはマーガレットがいた。


 出会った頃から鉄仮面を付けたように無表情なマーガレットは、たとえミモザあいてにだろうとも忖度せず、思ったことを率直に口に出してくれる。


 フランシス家に嫁いだ時も、唯一、ワートル家から一緒についてきてくれた彼女は、ミモザにとってなんでも話せる姉のような存在だ。

 今は王城で使用人として働いている身分ゆえ、一緒についてきてもらうことはできなかったが、欠かさず手紙のやり取りをしている。


 これまで毎日一緒に過ごしていた相手と離れ離れになるのは、想像以上に寂しいことで、王城に来て最初のうちはマーガレットロスだったほどだ。


 今日はお互いの休みが合ったこともあり、働きだして始めて、マーガレットと会うことになった。

 マーガレットが王都まで来てくれるというので、おしゃれなカフェでお茶でも、と思っていたが、マーガレットが行きたいとねだったのは意外にも、ミモザの職場――温室だった。


『ミモザ様が働かれている仕事場を見てみたい』なんて、鉄仮面マーガレットもなかなかかわいいところがあるものだ。

 事前にベイルにも王城へ入る許可は取った。


 久々に会って、お互いの体調はどうかと話をした際に、最近胸がよく苦しくなると伝えたところ、先ほどの会話になったのだ。


 でも、とミモザは言葉を強める。

「ロウィ様を好きになるきっかけなんてなかったわ」

「きっかけ?」

「小説でもあるじゃない。例えば、マフィアに絡まれているところを助けてもらったとか、囚われの牢獄から救ってもらったとか。人を好きになるのには、何かこれって出来事があるはずでしょう?」

「……それは小説の読みすぎです」

 ミモザの言葉をバッサリと切り捨て、マーガレットは鼻で笑った。


 いや確かに恋愛小説を読みすぎている自負はある。 国内の恋愛小説はすべて読破したレベルでロマンス小説が好きなのだ。

 だからこそ小説の中のように身も心も、一心不乱に、無我夢中に誰かを思うような気持ちではないと分かる。つまりこれは恋ではない。


 下唇を出し、むっとした表情のミモザに、マーガレットは諭すように話す。


「ミモザ様、恋のきっかけはそんな大きなものじゃなくてよいのですよ。実際は小説よりも簡単に人は恋に落ちていくものなのです。趣味が一緒で、話をしていて楽しくて、会えると嬉しくて。これだけで十分なのです。世の中には一目惚れという言葉がありますが、容姿に惹かれるだけでも、人を好きになるには十分なきっかけなのですよ」

「……そうなの?」

「はい、そうです。むしろ現実の恋はきっかけなんてないほうが多いかと。いつしか目で追っていて、いつしか好きになっている。そんなものです」

 知らなかったと驚きながら、ミモザは、でも、と思う。


「趣味が一緒で、話をしていて楽しくて、会えると嬉しいだけなら、アンダーソン様だってそうですわ」


 植物という共通の趣味があり、話していて楽しいし、アンダーソンに会える日は、庭師の仕事をいろいろ教えてもらえるので、朝からワクワクしているし。


「ということは、ロウィ様への想いは恋じゃないのよ。だとしたら、やっぱり心疾患……」

「馬鹿ですか」

 真剣に悩んでいる人に向かって馬鹿とはなんだ、とマーガレットを睨む。

 けれど鉄仮面は、ちょっとやそっとの睨みなどでは崩れない。

 それどころか、ミモザ様に睨まれるのはポメラニアンに睨まれるようなものです、なんて言ってくる始末だ。


 胸の動悸が心疾患だと信じて疑わないミモザにマーガレットは提案をする。

「目を閉じて想像してみてください。ロウィ様と女性が仲睦まじく一緒に歩いているのを」


 ミモザは言われるままに目を閉じた。

 思い浮かべたのは、ロウィと一緒に楽しそうに歩く女性――リリアの姿だった。

 アデスもリリアにメロメロだった。きっとロウィもリリアの美貌を前にしては、メロメロになってしまうだろう。


 途端に胸がぎゅっと締め付けられ、喉から何かがせりあがってくる。

「うっ」

 ミモザが胸を抑えると、マーガレットの声が伸びた。

「それです。その人が他の女性と一緒だと苦しくなる……それが恋です。アンダーソン様が女性と歩いていても何も思わないでしょう?」


 目を閉じたまま、アンダーソンとリリアを想像する。

 胸の痛みは、すっとどこかに消えていき、息も楽になる。

 アンダーソンとリリアの姿には、おじいちゃんを介護している孫のような、微笑ましさすらある。


「なるほど……」


 腑に落ちたわけではない。

 でも、アンダーソンへの感情とロウィへの感情が違うということだけはわかった。

 だからと言ってこれが恋だと決まったわけではないけれど。


「わかっていただけて光栄です」

 マーガレットは勝ち誇ったように頷く。


「もしこれが恋だったとして」

「だから、それは恋です」

「仮にそうだったとして、それはもう叶わない恋だわ」

「なぜです?」

 理解ができないといった表情でマーガレットは目を細めた。


「好きだと言われたと手紙に書いていらっしゃったじゃないですか」

「それは人として、って意味よ」


 先日、ロウィに会話の中でさらりと好きだと伝えられた。

 もちろんそれは恋愛的な告白ではなく、親愛の意味での「好き」だったわけだが、あれから変に意識してしまっている自分がいるのも事実だ。


 ロウィは女性の扱いに慣れている。

 あの容姿だ。たくさんの女性からアプローチを受けてきた人生だったのだろう。

 彼にとって女性に優しくするのは至極当然のことで、なにもミモザが特別なわけではない。


「ロウィ様と私じゃ釣り合うわけがないわ。ロウィ様は外見はもちろん、内面も本当に素晴らしい方なの。私みたいなちんちくりんじゃ、全くもって合ってない」

 だって、男性はきれいな女性が好きだから。

 リリアのように、きれいで美しい女性が。

 現にアデスがそうだった。


「ミモザ様は確かに超絶美人っていうわけではありません」

「はっきり言うわね」いや、はっきり言い過ぎていない? ちょっとは忖度してほしい。


 けれど、とマーガレットは言葉を続ける。

「ミモザ様は誰よりもチャーミングで、最高に素敵な女性です。あなた以上にあなたを知っている私が言うんだから間違いありません」

「マギー……」


 いつもは冷徹な侍女の、優しく愛のある言葉に、感涙しそうになっていると、マーガレットは、顔がうるさいです、とミモザに冷ややかな視線を向けた。

 それすらもマーガレットの愛だと知っているミモザは一層笑みを深める。


 そんな話をしながら歩いていると、温室の前に到着した。


「でっか」

「マーガレット、口が汚くなっているわよ」

 温室を目の前にして、マーガレットが思わず言葉をこぼす。


「失礼いたしました。あまりのでか……、大きさに、驚いてしまいました」

「でしょう? だから人手も全く足りていないのです」

「この広さを三人とは大変ですね。しかしまぁ……。ここでミモザ様が働かれているのですか。感慨深い」

 授業参観に来てもらった時のようなちょっとした誇らしさが胸に広がる。


「ミモザ?」


 急に名前を呼ばれて振り返ると、そこにはロウィがたっていた。

 仕事中なのだろう、手には軍手をつけ、首には手ぬぐいが巻かれたいつもの服装だ。


「今日はお休みじゃなかった? 何か忘れ物でも?」

 作業着は全身泥だらけなはずなのに、これが最近のおしゃれです、と言われたら納得してしまうほどのと着こなしに、改めて感動する。

 いつも見てるはずなのに、意識しているからか、いつにもましてキラキラと輝いて見えてしまう。


 ミモザが返事をする前に、ロウィは隣にいるマーガレットに気がついたよいでそちらに目を向けた。

 マーガレットは一歩前に出て、お辞儀をする。


「初めましてロウィ様。わたくしワートル家で働いておりますミモザ様の侍女のマーガレットと申します。本日はミモザ様のご職場を拝見したく馳せ参じました」

 さすがのマーガレットも、初対面では鉄仮面を外し、如才なく挨拶をする。


「そうでしたか。それは遠いところお疲れ様です……ってあれ。なぜ僕の名前を?」

 ミモザはまだロウィの名前を呼んではいないし、ロウィだってまだ名乗っていないのにマーガレットはロウィの名前を言ってみせたのだ。


 きっと、ミモザがいつもマーガレットに、庭師の同僚は三人で、アンダーソンは七十歳だとは伝えているので、もう一人の庭師はロウィだと消去法で分かったのだろう。

 ロウィに訊ねられたマーガレットは、にこりと微笑みを添えて答えた。


「いつもミモザ様から伺っておりますので。かっこよくて素敵な方だと」


 何を言っているんだと、ミモザはマーガレットを睨みつける。

 絶対に視界に入ってるはずなのに、マーガレットは気づかないふりをしてロウィに向かう。


「いや、これは違って……」とにかく誤解を解かねばと、ミモザがロウィに声をかけると、同時にロウィの声が重なった。


「ミモザが僕のことを!?」

 ロウィは信じられないように目を見開くと、ぱっとミモザの方に目を向けた。


「ミモザ……僕のこと、そのかっこいいって思ってくれているの? どうしよう……。すごく嬉しい」

 幼子のように無垢な笑顔を向けられて、そのあまりの純粋さに、ミモザの目がやられそうになる。眩しすぎる。


 しかも、また心臓がおかしい。

 笑いかけられるとぎゅんぎゅんと握りつぶされているように苦しいのだ。

「うっ」軽く胸を抑えるミモザを、マーガレットは横目でにやりと笑う。

 マーガレットの目は口ほどにものを言っていて、それは恋だと訴えている。けれどもミモザはまだそれを認めることができない。

 

 まさか恋なんて、そんなわけない。

 

 アデスと三年一緒にいて、頑張っても彼を好きになれなかった自分が、こんな簡単に人を好きになるなんて。そんなこと、あるのだろうか。

 

 その時、風がそよそよと吹き抜け、ロウィの髪が揺らいだ。それと同時にふわりと甘い香りが漂う。


「あら。なにやら素敵なにおいが。これはロウィ様の香水ですか。初めて嗅ぐ香りですわ」

 マーガレットは、すんっと鼻を動かす。


 ロウィからは甘く華やかな香りがする。キンモクセイだ。

 先日作ったキンモクセイの香水は、想像以上の出来だった。キンモクセイそのものの、爽やかな甘さが鼻腔に広がる。しつこくなくて無駄ものが入っていない純粋な香りだ。

 ロウィがこの香水をいたく気に入ったので、ミモザがプレゼントしたのだ。


「あぁ、これはミモザが作ってくれた香水なんですよ」

 ね、と同意を求められるように笑顔を向けられて、ミモザはこくりと頷くと、

「温室に咲いていたキンモクセイという花で作ったのよ」

 と、補足した。


「……へぇ、ミモザ様が」

 マーガレットはゆっくりと口端を上げる。その表情が不気味で、なんだか嫌な気がする。


「それじゃ、僕はまだ仕事があるのでこの辺で。マーガレットさん、ごゆっくり」

 そう言うとロウィはマーガレットに会釈をし、温室の中へ戻っていった。

 その背中を二人で見つめる。


「素敵な方でしたね」

 ロウィが温室に入ったのを見送り、マーガレットがにやりとミモザを見た。

「でしょう」

 ロウィを誉められて、まるで自分を褒められたかのように嬉しい気持ちになった。


「でも、あの紅の瞳……あれは……」

 珍しくマーガレットが言い籠る。

「紅の瞳がどうしたの? とても綺麗よね」


 マーガレットはしばらく黙ったが、沈黙が深くなる前に言葉を繋げる。

「……ええ、そうですね。とても……珍しいですしね」

 確かに珍しい。

 ミモザも紅い瞳を見たのはロウィが初めてだった。


 そう思った時、あれ? とミモザは首を傾いだ。

 なぜなら同じような紅い瞳を、昔どこかで見たことがあるような気がしたから。

 けれどそれがどこで、いつ見たのか。全く思い出せない。


 そもそも本当に見たかも定かではないけれど、なんとなく既視感がある気がした。

 どこで見たのだろうと、幼少期から今までの記憶を全部引っ張り出して考えていると、

「それにしてもミモザ様、やりますね。異性に香水をプレゼントされるとは」と、マーガレットが冷やかすような口調で笑んでいた。

その言葉に考えが遮断される。


「ただのプレゼントよ。いつもよくしてくださっているお礼も兼ねて。とてもうまくできたので、来年はマーガレットの分も作るわね」

「……まさかとは思いますが、ご存知ないのですか?」


 マーガレットは呆れた様子で眉間に皺を寄せる。幼いころから何度も見ているマーガレットのこの表情だが、今日は呆れるというより、呆れ果てているようだった。


「え、なにを……?」

 全く検討がつかず、素直に訊ねる。


はぁ、とこれみよがしに大きなため息のあと、マーガレットは渋い顔を見せた。


「バレスティン王国では異性に香水を送るのは、求愛の意味を持つのですよ」

「求愛……? って、そんな馬鹿な」

「はいあなたは馬鹿です。香水は常に身に着けるものですからね。それをプレゼントするとは、とても大きな意味を持つのです。簡単に言えば、あなたの傍にいつまでもいたい、という意味なのです」


 あまりの衝撃に絶句せずにはいられなかった。


 今すぐにロウィのもとへ走り、香水を返してもらおうか、いやそれとも、求愛したわけではないと一言告げようか。そう逡巡していると、マーガレットが、落ち着いてください、とミモザをたしなめる。


「まぁでも、ロウィ様のあの様子からだと、ミモザ様が香水を渡したことに、深い意味がないとわかっていらっしゃるようでしたから大丈夫だと思いますよ。ただ……他の方にしてはいけませんよ」


 ミモザは激しく頷いた。

 まさか、香水を送るだけにそんな意味があったとは。

 自分が知らないだけで、そういった常識が他にもあるのかもしれない。

 うかうか人にものを送ることもできない。


 その後はマーガレットに温室の中を案内した。

 あまりに大きな温室なので、回るだけで時間はあっという間に過ぎていき、そうこうしているうちに、帰りの時間になってしまった。

 楽しい時間というのはいつだってあっという間に過ぎていく。


「本日はありがとうございました。王城なんて滅多にお邪魔できない場所に行けたのも、ミモザ様がここで働いてくださったからです。離れて暮らすのは初めてで、少し寂しく思っておりましたが、元気でお過ごしのようで本当に良かった。またお手紙書かせていただきますね」

 変わらず鉄仮面ではあるが、言葉には気持ちが十分に詰まっていて、愛を感じる。


「私もマギーに会えて嬉しかったわ。長いお休みがもらえたら家にも帰りますね」 

 互いに別れを告げて、では、とマーガレットは馬車に乗り込もうとしたその時、最後に、とわざわざ馬車の足場から降りてミモザの耳元で囁いた。


「勝機はなくはないと思います。いえ、むしろかなりあるかと」

「ショウキ……? それはどんな木なの?」


 初めて聞く植物の名前に胸をときめかせる。そんな木、図鑑でも見たことない。


 マーガレットは眉間の皺を深め、またしても大きくため息をついた。

この一日でどれだけマーガレットにため息をつかせてしまったのだろうか。

全部集めたらきっと大きなバルーンができてしまいそうだ。


「……植物バカ。まぁでもミモザ様は変に意識しないほうが良いかもしれませんね。素のあなたが一番ですから」

 何を言っているかはわからないけれど、植物バカだなんて、そんなに褒めてどうする。気分がいい。


「へへ、ありがとう」

 マーガレットはやれやれと微笑むと、ワートル家の馬車に乗って帰っていった。


 

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