第5話 あなたには信じてほしい
「ロウィ様。今朝から何か匂いがするのですが」
季節は秋の風が吹き始めた頃。ミモザは朝から気になっていたことを訊ねた。
「え。特に香水をつけてないのだけど……体臭かな?……臭い?」
ロウィは、自分の服をくんくんと嗅ぎながら、ミモザに尋ねる。
「あ、そういうことではなく……! すみません、言葉足らずでした」
ミモザは、軽く頭を下げると、再度詳細に説明した。
「今朝仕事を始めようと温室に入ったときから、なにやらとても甘くて爽やかな香りがしまして」
これまで香ったことのない、甘くかぐわしい匂いに、花に引き寄せられる蜂のように吸い込まれていくと、そこには一本の木があった。
初めて見るその木には、橙色の小さくて可愛らしい花がいくつもついている。
ロウィはすぐに思い当たったようで、あぁ、と頷いた。
「それはオスマンサスだね」
「オスマンサス……!」
初めて聞く木の名前に、ミモザは目を輝かせた。思わずじゅるりとよだれが出そうになる。
なんだその木は。早く知りたい。
「数年前に、西からキャラバンが来てね。その時にオスマンサスの苗を買ったんだ。異国ではキンモクセイと呼ばれているらしい」
「キンモクセイ……なんて素敵な名前! やはり異国の木だったのですね、どうりで知らない訳です」
図鑑でもお目にかかったことの無い木に、胸が躍る。
「どういった木なのでしょう」
「甘い香りがする花を咲かせるのだけど、花が十日ほどしか咲かないから、香りもその間しか楽しめないんだ。この香りを袋かなにかに閉じ込めることができればいいんだけど」
なんてね、と冗談交じりに笑うロウィの言葉を、ミモザは冗談とは受け取らなかった。
「閉じ込めましょう」
「え?」
「キンモクセイの香り、ぜひ閉じ込めてみましょう!」
だって、こんなにいい香りのする花を、誰にも知られないまま枯らしてしまうなんて悲しすぎる。
ロウィの驚いた顔をよそに、ミモザは闘志に燃えた。
「ミモザ、言われたものを持ってきたけれど、これでいいかい?」
手にエタノールを持ったロウィが、ミモザに訊ねる。
「はい。問題ありません。こちらも準備が終わったところです。今回は試しですので、いったん少量だけ作ってみましょう」
ミモザはちぎったキンモクセイの花を軽く洗い、少しだけ揉んだ後、小瓶にいれ、そこにロウィが持ってきたエタノールを注いだ。
「はい、今日はここまでです。あとは一ヶ月程度放置しておけば出来上がりです」
「これで完成? こんなものがキンモクセイの香水になるのかい」
「はい、成功するかワクワクしますね!」
わくわくしすぎて興奮のあまりについ声が大きくなる。しっかり匂いが移りますようにと、願いを込める。
キンモクセイのお酒やキンモクセイの紅茶を作ってみるのもいいかもしれない。
こんな良い香りを温室だけに香らせておくのは勿体ない。
いっそのこと、これをもとに商売をしてはどうだろうか。
ミモザが、頭の中をキンモクセイでいっぱいにしていると、ロウィがくすりと笑った。
「ミモザは本当に植物が好きだね」
「はい!」
「そんなにミモザに好かれるなんて、植物が羨ましいよ」
きれいな顔で微笑みながらさらりと放たれた言葉に、心臓がぎゅんと痛くなった。
一瞬、心筋梗塞かもしれないと自身の健康を疑ったが、次の瞬間にはもう痛みは和らいでいた。
体が丈夫なおかげで医師にかかることも長らくなかったが、何か体の不調があるのかもしれない。
今度時間を見つけて一度行ってみようと決意する。
それにしても。ミモザはロウィの発言を思い返した。
――そんなにミモザに好かれるなんて、植物が羨ましいよ
まるでロウィもミモザに好かれたがっているような口ぶり。
普通に考えれば口説き文句だが。
いやいや、そんなわけがない。
だって自分はミモザだから。
これまで誰かに言い寄られるどころか、かわいいと言われたこともない。
結婚相手に不倫され、そのまま捨てられた冴えない女。それがミモザ。
それに相手はロウィだ。
長身なうえに端整な顔立ち。女性には困っていないだろうその容姿から推測するに、わざわざミモザを相手にするようなことはしないとみた。
加えてミモザに対する態度を見る限り、女性の扱いがうまいようだ。
可愛いだとか、好きだとかを軽口のようにさらりと言ってしまえるのだから。
ミモザはロウィの軽口を微笑みで受け流すと、特にそれには何も触れずに話を戻す。
「ロウィ様、この瓶をどこか冷暗所に置いておきたいのですが、いい場所はありませんでしょうか」
温室はガラス張りのため、太陽光がどうしても入ってしまうし、温度も外に比べると暑いので、ここで保存はできないだろう。自室で保存してもよいのだが、できれば温度も湿度も高くなりすぎない冷暗所のほうが好ましい。
ロウィは少しうなだれるように
「あーもう全然一筋縄ではいかないなぁ」
と小さく呟くと、困るように笑った。
あまりに小さなその声はミモザの耳には届かなかった。
なんと呟いたのか聞き返そうとしたが、その前にロウィが口を開く。
「えっと冷暗所だっけ? 案内するよ。一緒に行こう」
「ありがとうございます」
そう返事をした時には、もう最前のロウィの言葉を聞き返そうとしていたことすら、ケロッと忘れてしまっていた。
「ミモザは今年の太陽祭、誰と過ごしていたんだい?」
キンモクセイの香水を冷暗所に持って行くべく、ロウィと屋敷を歩いていると、不意に訊ねられた。
太陽祭とはバレスティン王国の春の行事で、太陽に似たミモザの花を飾り、春の訪れを祝うものである。家族で祝う人もいれば、友人たちと祝う人もいたり、人によってまちまちだ。
祭りの期間中はミモザの花があちこちで見られることから、最近は太陽祭ではなく、ミモザ祭りとも呼ばれている。
「今年の太陽祭ですか? えっと確か……」
何をしていたっけ? と頭をひねる。頭をひねりまくって、やっと思い出す。
「あ! 今年は元夫に離婚を言い渡されていました」
思い出せた嬉しさで声が弾んだ。
声色と内容が全く合っていない。
「それは、なんていうか、ごめん……。嫌なことを思い出させてしまったね」
「嫌なこと? いえいえ、私にとってはむしろ良い出来事だったというか」
「良い出来事? 離婚が?」
ロウィは目を瞠った。何を言っているんだ、という表情だ。確かに普通は離婚を言い出されたことを良い出来事とは言わないだろう。
けれどミモザにとっては正真正銘、良い出来事なのだ。
「元夫とは政略結婚でして、お恥ずかしい話、形だけの夫婦でした」
変に気を遣わせたくなく、ミモザはさらりと告げた。
政略結婚というのは、決して珍しいことではない。貴族同士の結婚など八割がそうだ。結婚してからがスタートで、そこから互いを知っていき、愛し合っていく。そうなるものだと教わってきた。
けれどミモザたちは違った。
最後まで本当の夫婦にはなれなかった。
「……なんで別れたのか、聞いても?」
ミモザはこくりと頷く。
「夫にはすでに新しいパートナーがいたんです。その方とは離婚する前から関係ができていたようで。あっ、でも原因は私にもあるのです。私も彼を好きになれなかったから。だから、キス以上のことができなくて……」
ポロリとこぼした言葉にミモザは、あ、と口に手を当てた。
そこまで言うつもりではなかったのに、なんでこんなことまで言ってしまったのだろう。
破廉恥な奴だと思われたに違いない。
きっとロウィも呆れてしまっただろう。そう思ってちらりと横目でロウィを見ると、ロウィは顔を両手で隠すように覆い、天を仰いでいた。
それがどういうリアクションかわからずにミモザはとっさに謝罪する。
「も、申し訳ありません。余計なことまで言ってしまって」
「いや、違うんだ。これはその嬉し……いや、気にしないでくれ」
ロウィは依然として顔を手で覆ったまま応えた。
若干の気まずさを払拭したくて、ミモザは言葉を紡ぐ。
「恋愛に憧れはあるのです。でもきっと人を好きになれない性分なのだと思います。元夫からも、別れ際に『次は植物とでも結婚するんだな』と言われましたし」
耳に残って反芻されるあの言葉。忘れられる訳がない。
「だから悪いのは私なんです。そもそも私なんかが、結婚しようとしちゃだめだったのです。相手にも失礼です」
あはは、と自虐的に笑むと、両手を覆っていた手をゆっくり離したロウィが、真剣な目でこちらを見つめた。
「君は悪くないだろ」
いつも穏やかな瞳が、鋭くミモザに向けられる。その瞳が全身に刺さって身動きが取れなくなる。
「その彼は自分の不貞を正当化したかっただけだよ。君に好いてもらえなかった自分の努力不足を君のせいにしてるんだ。不倫された方が悪いなんてそんなこと絶対にない。ミモザは負い目を感じなくていいんだよ」
まっすぐに見つめられて放たれた言葉が、そのまま胸にまっすぐ届いた。
だから、とロウィは言葉を続ける。
「自分を卑下しないでくれ。自分なんか、なんて言わないでくれ。ミモザだって恋ができるよ。だって君ほど愛にあふれていて、そして魅力的な人を僕は知らない」
真剣な表情で哀願されるように訴えられた言葉は、まるで柔らかな羽毛のように、暖かくミモザを包み込んだ。
アデスの言葉によってできた傷に、ロウィの言葉が染みて痛い。けがをしたことに気づいていなかったのに、消毒液をつけた途端にいたむ傷のように、ミモザはその時初めて、自分がアデスの言葉に傷ついていたことを知った。
本当は自分だって恋がしたい。
人を好きにだってなりたい。
アデスのことだって、できれば好きになりたかった。
夫婦として、一生を添い遂げる覚悟だった。
けれど、三年も一緒にいたのに、アデスの心が傾くことはなかった。いくら努力してみても少しも心は揺らがなかった。
だから悟ったのだ。自分には人を愛する感情が欠落しているのだろうと。だから人を愛せないのだろうと。
でも。そう思い込んでいたけれど、違うなら。
もし違うなら、自分も人を愛してみたい。恋に落ちてみたい。
「僕ならっ……」
ロウィはそこまで言うと、ハッと我に返ったように息をのんだ。
「いや、ごめん。熱くなり過ぎた」
口に手を当てたロウィはミモザから目を逸らした。
「いえ、励ましていただきありがとうございます」
ミモザも同時に目を逸らし、俯きがちにぺこりと頭を下げた。あと数秒見つめていたら、涙をこぼしてしまうところだった。
ミモザの言葉に、ロウィは何か言いたげな様子で、でも何も言わずただ微笑んだ。
そこからは沈黙だった。二人で王城のどこまでも続きそうな長い長い廊下を歩く。
沈黙だったが、不思議と少しも気まずくはなかった。ロウィの隣はとても居心地がいい。何も言わずともすべてを受け入れてくれる、まるで植物たちと同じような温かさを感じる。
ロウィを植物に例えるならナナカマドだろうか。紅い実をつけ、白い花を咲かせる大きな木。それは長身で銀髪の、紅い瞳をもつロウィそのもののようにも思えた。
――ナナカマドに似てるから、だからこんなに側にいて落ち着くのかしら。
そんなことを思いながら階段を降りていると、踊り場でメイドが二人、話をしていた。しんと静まり返った階段に、二つの甲高い声が響いて、聞き耳を立てずとも声が聞こえくる。
「ローワン王子の成人の儀の話、聞いた?」
「ひきこもり王子の?」
「ええ。来春の十八歳の誕生日に執り行われる予定だった成人の儀が中止になったんですって」
「そうなの? もうこのまま一生引きこもる気かしら」
「かれこれ三年、引きこもっていらっしゃるものね」
「三年も! なんで引きこもりになられたんだっけ?」
「噂によると、ご長男であられるライアン王太子様は剣が長けていらっしゃって、次男のディラン王子は他国で留学なさるほどの秀才で。そのコンプレックスが故にひきこもりになられたんだとか」
「剣の才もなくて、頭も悪くいってこと? そりゃ引きこもりたくなるわね」
「身長も低くて、容姿も上の二人には似ていないとか」
「ふふっ、容姿も劣っているってこと? じゃぁ良いところは王族ってところだけじゃない」
くすくすくすと笑う声が階段に響く。二人の笑い声なはずなのに、何人もの声に聞こえてしまうほど木霊する。
主人を悪く言われるなんて良い気持ちはしない。
それでも波風をたててはと、ミモザとロウィは黙ったまま横を通り過ぎた。
ミモザが横を通ったすぐ後に、またしても二人の声が聞こえた。小さな声で話しているつもりだろうが、しっかりとミモザの耳朶を打つ。
「ねぇほら、あの子よ。植物姫って」
「ああ。あの子が引きこもり王子直下の庭師になったっていう」
「そうそう。侯爵令嬢なのに庭師になったんですって」
「貴族が使用人ごっこかしら。ほんと嫌味よね~」
「ほかのご令嬢に嫌がらせをしたり、前夫に呪いをかけたりしたそうよ」
「主人が主人なら、使用人も使用人ね」
鋭利な言葉がチクチクと胸に刺さる。
それはバラの棘のように小さくて、大きな傷跡は残らないけれど、だからといって痛くないわけではない。
もちろん王城で働くと決めた以上、人に何かを言われるのは覚悟の上なわけで、特段落ち込みはしない。 けれど、覚悟を決めたからといって、落ち込まないからといって、痛みを感じないわけではないのだ。
できるだけ気にしていないふりをして歩みを進めようとしたとき、ロウィがくるりと振り返り、メイドたちからミモザを背中に隠すように一歩前にでた。
どうしたのだろうと思っていると、ロウィは何も言葉を発しないまま、メイドたちに向かって人差し指を自分の唇に押し当てた。
「少し声が大きいみたいだけど」
決して責めるわけではなく、優しい声色だった。
ロウィの背中越しに見た二人のメイドは、途端に蜂蜜をとろりとかけたような甘くうっとりした表情だった。あまりの美しさに言葉も失ったのだろうか。
ロウィはまたくるりと振り返ると、ミモザの背中に手をそえてその場をあとにした。
去っていく背中に、メイドの高い声が聞こえる。
「ちょっと、どうしよう、イケメンに話しかけられたわ」
「ね! あんな見目麗しい方、初めて見たわ」
「最近雇われた使用人とかなのかも」
「名前だけでも聞けばよかった」
ミモザのことなどすっかり忘れた様子のメイドのきゃっきゃっと喜ぶ黄色い声が徐々に小さくなっていった時、ロウィが口を開いた。
「……ミモザ、すまない」
眉を八の字に下げたロウィはあからさまに落ち込んだ様子だった。
なぜロウィが謝るのか、皆目見当がつかないミモザは勢いよく首を横に振った。
「それを言うなら私のほうこそすみませんでした。ロウィ様に気を使わせてしまって」
「気を使ったなんて全然! あれは僕が聞いていて不快だったからなわけで……」
そこまで言って、ロウィは歩みを止めた。歩みを止めたことに気づかず、ミモザが三歩ロウィより前に出てしまう。
ミモザは振り返りロウィに目を向けた。ロウィは少しばかりうつむいていたが、顔を上げ、ミモザと真正面で向き合った。
改めて見るロウィの顔は本当に美しく、直視できないほどに眩しくもあった。
先ほどもメイドたちも話していたが、ロウィは本当にかっこいい。ミモザの好きなロマンス小説に出てくる王子さながらの端麗さである。
その美しい瞳が真剣な色で、ミモザを捉えた。
「ミモザ。こんなことわざわざ言う必要もないけど、君がしてることは使用人ごっこなんかじゃないよ。君がどれだけ真剣に仕事をしているか、僕はわかっている」
ロウィの白皙の頬が少しだけ赤らんだ。真っ白な雪の下に隠れた苺が雪解けで顔を出しているかのように、うっすらと頬が色づいている。
直球で投げかけられたロウィの言葉は温かくて、胸にじんわり広がる。
この人はなんて優しい人なのだろう。ロウィの眼差し、言葉、態度、行動。すべてに優しさが詰まっている。家族以外の人の優しさに触れるのは久しぶりのことで、気を緩めたら泣いてしまいそうで、ミモザは小さく唇を噛んだ。
涙もろくなどないはずなのに、王城に来てから涙がこぼれそうなのを何度も我慢している。
雫は涙腺の一歩手前までやってきていたが、どうにかこうにか、グッと堪えてみせる。
「ありがとうございます」
感情が喉にせりあがってきて、声がうまく出せない。それでもと必死に絞り出した声はか細く、しかし確かにロウィに届いた。
ロウィは目を細め小さく笑った。
けれど途端にその表情が曇っていく。何かを思い出したように目を伏せ、切り出す言葉を探している、そんな様子だった。
「あの……えっと……ミモザは、どう思った?」
短い沈黙の後、ロウィが口を開いた。
急な質問に全く話が見えず、ミモザは訊ねる。
「えっと、すみません。何がでしょうか」
「ローワン王子の……引きこもりの話。やっぱり引きこもりなんて情けないと思う?」
質問とも、意見ともとれる口ぶりに、うーん、と少し考えた末、ミモザは答えた。
「思いません」
きっぱりと放った言葉に、ロウィの下に向かっていた睫毛が上を向いた。
情けなくなんかない。だって。
「植物は水をあげたほうが良いものがあれば、水をあまりあげないほうが良いものもあります。虫に強い植物もあれば、弱いものもありますし。寒い場所でなければだめなもの、暖かい場所を好むもの、みんな様々です。同じ植物として私たちは括っていますが、そのどれも同じではありません。人間だってそうです。わたくしたちも、同じ人間という括りだけど、それぞれ個性があって、誰ひとりとして同じではありません。だから、好きなことも嫌いなことも違うし、どんな言葉で傷つくか、そしてその傷の程度もまちまちです」
だから、とミモザは言葉を続けた。
「ローワン王子が引きこもる理由が軽いか重いかなんて、他人には決められません。引きこもりの原因だってさっきのは噂でしかないわけで。本当の事は本人しかわからないし。ただ一つ分かるのは、ローワン王子が外に出ることを拒絶するほど苦しんだということです。それはとても……、とても悲しいことです」
ミモザには想像することしかできない。けれどそういう決断に至ったということは、何かがあったはずだ。それは誰にも図れないし、その苦しみは当事者でないとわからない。
ミモザの言葉に、さきほどまでこわばっていたロウィの顔が、ゆるりと解けた。
「ミモザは……。王子の引きこもった原因が失恋だったとしても、笑わない?」
ミモザは即答した。
「笑いません。だって、その苦しみがどれほどの痛みを伴ったのかは、本人にしかわからないから。それに私はむしろ尊敬しちゃうと思います。そこまで人を好きになれるって、本当に……本当にすごい」
心が壊れるまで誰かを思ったことなどミモザにはないし、そんなこときっとできない。
人をそこまで愛せるというのは、本当に愛情深くて、優しい人の証拠だ。
「……うん、そうだよね。ふふふ。ミモザは本当にすごいなぁ。いつだって気持ちを軽くしてくれる」
ポツリと呟くように放ったロウィの声は心なしか晴れやかになっていた気がした。その言葉にミモザの心も明るくなる。
だって、「いつだって気持ちを軽くしてくれる」なんて、これまでもミモザがロウィの気持ちを軽くしていたということだろう。きっと社交辞令に違いない。でも、だとえそれが嘘だとしても、嬉しくなる。だってミモザの心を軽くしてくれるのはロウィだから。
ロウィのおかげで離縁直後だということを忘れるくらい楽しく働くことができているのだ。
「噂って怖いね」
肩をすくめて笑うロウィに、ミモザは口を開いた。
「あの、なんというか、私は自分で見たもの、聞いたものしか信じないようにしておりまして。その……噂は、話し手の好意や悪意といった主観が少なからず入ってしまうだろうし、伝言ゲームのように尾ひれはひれがつくだろうし。だからどんな人なのかは自分で判断したいと思っています……」
たどたどしい口調は語尾に向かって萎れていく。
これまで自分に関していろんな噂話が飛び交っていることは知っていた。
そのどれもが噓八百だったが、いまもまことしやかに囁かれており、最近では、実は魔女で植物を育てているのは魔法で使うから、などというとんでもない設定の噂まであるほどだ。
嘘だと言っても誰も信じてくれないのは、真実よりも噂のほうがおもしろいからだ。
自分の噂話が誰かの娯楽になっているのならそれもいいかと思っていた。
家族が本当のことを知ってくれていれば、それで良い。そう思っていた。
だからこれまで、特にその噂話を否定して回るようなことはしなかったけれどーー。
だけど、ロウィには、自分の噂を信じてほしくない、と思った。
いろんな噂を聞いただろうが、今目の前にいる自分だけを信じてほしい。
ロウィは何かを確かめるように、うんうんと幾度か頷くと顔を綻ばせた。
「ミモザらしくていいね。僕、好きだよ。ミモザのそういうとこ。僕もそう思うよ」
さらりと放たれた、好きだという言葉が、はちみつのような粘度で、甘く耳に残った。




