第10話 ロウィの背中
「そろそろ太陽祭のために準備を始めていこうと思っている」
久しぶりにアンダーソンとロウィと三人が集まった温室で、ロウィから出た言葉にミモザは目を開いた。
「太陽祭ですか?」
太陽祭とはバレスティン王国の春の行事で、太陽に似たミモザを飾り、春の訪れを祝うものである。
つまり、春先の行事であって、今はまだ冬真っ只中である。準備するにはいささか早すぎないだろうかと思っていると、それを察したロウィが口を開いた。
「太陽祭はバレスティン王国最大のお祭りだからね。今のうちから準備しておかないと大変なんだ。なんていっても、王城に飾られるミモザのほとんどを温室で準備しているからね」
「それは……大変そうですね」
想像しただけで大変なのがわかる。広大な王城に飾るほとんどすべてとは、なかなかだ。ミモザの木が温室のあちらこちらに生えていたのは、太陽祭で使うためだったのかと納得がいく。
「今年はアンダーソンもベイルも腰を痛めてしまって、人手がかなり足りないから、どうしようかなと思っていて……」
「本当にすみません」
アンダーソンが面目なさげに苦笑いする。
「悩んだ結果、助っ人を呼ぶことに決めたんだ」
「助っ人ですか」
慢性的に人手が足りていないこの状況で、どうやって太陽祭を乗り切ればいいのだと一瞬不安になったが、助っ人が来てくれるならよかった、と胸をなでおろす。
ロウィはミモザの後ろの方に、入って、と声をかける。
「失礼いたします」
背後から聞こえた声に、ミモザは振り向かなくとも誰だかわかった。
「マーガレット!」
勢いよく身を翻すと、そこには庭師スタイルのマーガレットの姿があった。いつもは全身アイロンをかけたようなピシッとした服装の彼女が、今日はよれた作業着に、軍手、手ぬぐい、長靴姿なのを見て、思わず胸がときめく。これがギャップというのだろうか。
うきうきするミモザにロウィは笑みを投げかける。
「今日から太陽祭が終わるまで、彼女に手伝ってもらおうと思っているんだ」
「すごく賛成です!」
マーガレットなら、ある程度の植物の知識はあるし、信頼における人間だし、働き者だし。まさに最適の人材である。
マーガレットは一歩前に歩みを進めると、アンダーソンとベイルに向かって挨拶をすると、最後に言葉を添えた。
「毎日、ミモザ様のことが心配でおりましたので、一緒に働けることになり、とても嬉しいです」
相変わらずの鉄仮面であるが、ミモザにはマーガレットも喜んでいることが分かった。
「マギー。これからは主従ではなく同僚なのだからミモザって呼んでくれても……」
そもそもマーガレットはミモザに対して不遜な態度ではあるし、馬鹿とか言うし、敬意など持ち合わせていないのだから、これを機に同僚、友達になりたいなぁなんて思っていたが、
「いえ、これまで通りミモザ様で」
ときっぱり断られてしまった。一刀両断だ。
それでもマーガレットと一緒に働けるのは本当にうれしくて、つい顔が綻ぶ。
「もっとゆっくり話をしたいところだけど、時間もないからいったん仕事に戻ろうか。それではマーガレットはアンダーソンに基本的な作業の説明をしてもらって。ミモザは僕と一緒に太陽祭の道具を取りに行こう」
ロウィはテキパキと指示を出し、各々各自の仕事へ向かう。
アンダーソンの隣にいたマーガレットが、ミモザをちらりと見て、「ロウィ様と一緒でよかったですね」と目で語ってきたのには気づかないふりをした。
ロウィと温室を出て、太陽祭の取りまとめをしている総務省へ行こうとしたとき、温室を出て少ししたところで懐かしい顔を見た。
「あら、ミモザ様じゃない?」「本当ね。ミモザ様だわ!」
甲高い声が青空に響く。
「エミル様とユーリ様。 お久しぶりでございますわ」
そこにいたのは、ミモザがまだアデスの妻だった頃、お茶会で何度かお会いしたご令嬢だった。
照り付ける太陽から御身を守るようにさされた大きな傘を持った二人組は温室に向かって歩みを進めている。こちら側には温室しかないので、もしかすると温室へ向かっていたのかもしれない。
ツインテール縦ロールのエミルと、前下がりボブのユーリはミモザの姿を足元から頭のてっぺんまで値踏みするように見ると、くすっと嘲笑した。
「王城の使用人として働かれていると噂で聞いておりましたが、本当でしたのね。どんな素晴らしいお仕事かと思っていたら……。ふふっ、まぁ何というかミモザ様にはピッタリですわ」
エミルはねっとりした声でそう言うと、ユーリが、ほんとよねぇと相槌を打ちながら高らかに笑う。
「ミモザ様はドレスなんかより、その土の付いたそのお洋服の方がお似合いね」
悪意がたっぷり詰まった嫌味にロウィは顔をしかめた。
けれど、当の本人はからっとした声で返事を返す。
「お二人もそう思われますか? 私も自分にピッタリだと思っているのです。本当に庭師は天職ですわ」
令嬢たちから繰り出される嫌味のジャブはミモザには通用しない。
だってそもそも嫌味だとも思っていないから。これまでもっとすごい嫌味を言われてきたので、これくらいどうってことない。慣れっこである。
傷ついた様子を見せないミモザに腹が立ったのか、エミルは言葉をつづけた。
「ミモザ様って、あの第三王子ローワン様直属の庭師になられたんですっけ?」
その言葉にユーリがわざとらしく驚く。
「え! そうなの? あのローワン様の……。それはなんていうか、ご愁傷様ですこと」
「ほんとよねぇ。だってローワン王子って腑抜け王子で有名ですものね」
「そうそう。なんでも学校のお勉強についていけなくなったとかで引きこもりになられたとか」
「あら、私は王位継承権が三番目なのを嘆いて、引きこもられたってきいたわよ。まぁでもどちらにしても腑抜け王子には変わらないわね。その直属って……。ふっ、ミモザ様も可哀想に」
言葉の節々に棘があり、チクチクと鼓膜にささる。今度はミモザにも二人の悪意がしっかりと伝わった。
自分のことには鈍感で何を言われても凪いでいた心が、急速に波立っていき、考えるより前に言葉が出ていた。
「私は全く可哀想ではありませんわ」
はっきりと告げる。
「私、こちらで働けて本当に幸せなのです。素敵な仕事に携わらせていただき、お給料まで頂戴できて。むしろこちらがお金をお支払いしたいほど日々たくさんのことを学ばせてもらっています。全てローワン王子のおかげです。それに、あの方は本当に素敵な方です。よく知りもせず腑抜けだなんておっしゃらないでいただきたいわ」
感情的にならないように、できるだけ冷静な口調でと努めたが、言葉の節々に怒りが滲んでしまう。
そんなミモザの言葉に、エミルとユーリの顔が歪んだ。あまりの威圧感に、後ずさりたくなる気持ちを堪えて、ミモザは声を張った。
「私にはお二人のほうがよっぽど可哀想ですわ。お二人に噂話以外のご趣味が見つかることを願っております」
ミモザは失礼しますと頭を下げると、歩みを進めた。ちょっと待ちなさいよ。という言葉が後ろから聞こえるけれど、振り返らない。言い逃げたと思われてもいい。自分の中でとぐろを巻く黒い感情が、不快で仕方ない。
一滴の黒の雫が瞬く間に心に広がって自分の心を黒一色に変えてしまいそうだった。
人に嫌な言葉をかけるのは気持ちのいいものではない。でも、大切な人を傷つけられて黙っておけない。ローワン王子は主人で、植物愛好仲間で、それでいてミモザの大切な友人なのだから。
ミモザの後ろからエミルの声がする。
「そんな純情なふりをしたって、あなたがリリア様に何をしたのか、私たち知っているのだからね!」
「そうよ! アデス様に自分が相手にされなかったからってあんなこと、リリア様が可哀想よ」
背中に投げかけられた言葉は全く思い当たる節がないものだった。あんなこと、とは自分はどんなことをしたことになっているのだろう。
ここでその弁明をしても良いけれど、きっと二人にミモザの声は届かない。だって人は信じたいものを信じるから。そしてミモザは彼女たちにとって信じるに値しない人間で、どこが出所か分からない噂話のほうが信じれると思っているのだ。
ミモザは振り向かず、すたすたと歩く。
「いい加減にしなさいよ!」
ユーリの声がミモザに近づいた。近距離から聞こえたその声に咄嗟に後ろを振り向くと、手を大きく振り上げたユーリがすぐそばにいた。
ぶたれる! そう思った次の瞬間、低く重い声が伸びた。
「いい加減にするのは君たちだ」
ロウィの声だった。
振り上げられたユーリの手は、ミモザの顔まであと少しのところで、ロウィに制止された。
いつものような穏やかな笑顔はそこにはない。初めて見るロウィの表情に肌が粟立った。冷たく鋭い視線がユーリに注がれている。
ロウィは振り上げられたユーリの腕を力づくで下ろすと、にこりと微笑んだ。
「レディにこれ以上ひどいことはしたくない。どうか収めてください」
口元は笑っているが、とても冷たい笑顔だ。瞳の紅が彩度を落として色を深めた。
常日頃、ロウィは綺麗な顔立ちだと思っていたが、怒っているロウィは一層美しく儚く見えた。
誰にも触れられていない真っ白な雪原。そこにゆらゆらと揺らめくふたつの紅い炎。そんな情景が連想される
エミルとユーリもその綺麗さに一瞬ほだされたのかぽぅっと頬を染めてロウィを見つめ、でもすぐに我を取り戻したように、声を上げた。
「だっ、誰だか知らないけれど、私たちはミモザ様にお話があるの。申し訳ないけれど、部外者は黙っていてくださらない?」
「そうよ! 私たちはリリア様の無念をはらす使命があるのよ!」
きゃんきゃんと叫ぶ彼女たちの金切り声に、ロウィの顔から一切の笑みが消えた。
「僕はミモザの同僚です。つまりローワン王子の直属の使用人です。もしこのままお話を続けられるのであれば、先ほど仰られたローワン王子への侮辱、王子に直接お伝えすることになりますが」
鋭い声でそう脅されて、エミルとユーリの顔がさっと青ざめた。二人は苦笑いを深める。
「いや、私たちは、噂を言ったまでだから」
「そうよ、別に王子を侮辱したわけではないわ」
「ミモザ様、今日はお会いできてよかったわ。またね」
そういうと、二人はごきげんようと、足早に帰っていった。
「嵐のようにやってきて、嵐のように帰っていったね」
ロウィの言葉を聞き終えるやいなか、ミモザは足から崩れ落ちた。
「ミモザ、大丈夫⁈」
地べたに座り込むミモザに、ロウィが駆け寄ってくる。
「初めてだったのです……」
「え?」
「初めて人と喧嘩しました……」
足が、手が、唇が、心臓が、まだ震えている。人に言い返すのがこれほどエネルギーを使うことだとは知らなかった。
自分のことに関しては何を言われてもよかった。他人の評価なんて全く気にはならないし、誰かに自分を知ってもらいたいとも思っていなかった。どんな噂を広げられても、どんな陰口をたたかれても、どうせ私なんかと卑下して、相手の嘲笑を受け流す癖がついてしまっていたから。
だからローワン王子を馬鹿にされた時、同じように受け流してしまうと自分でも思っていた。
けれど実際は違った。悔しくて、腹が立って、驚くほどに感情が溢れ出した。
自分にこんな感情があることが嬉しくて、同時にローワン王子に感謝したくなった。
こんな感情を教えてくれてありがとうございますと、そう伝えたい。
もしあの時、彼女たちの言葉に怒ることなく、いつもどおり受け流していたら、きっとミモザは自分に失望しただろう。けど今は誇らしくもある。自分のことが少しだけ好きになれそうだった。
満身創痍で地べたに座るミモザにロウィの手が伸びた。
「すごくかっこよかったよ。思わず惚れちゃった」
茶目っ気のある言い方からもちろん冗談だろうけど、惚れたという言葉に顔が赤らむ。ミモザはロウィが伸ばしてくれた手をとり、立とうとする。が、立てない。
「ミモザ?」
「足が……。足が動かないのです。……立てません」
穴の開いた風船から空気が漏れていくように、全身の力が抜けていく。
よほど緊張していたのか、硬直していた全身の筋肉が、いきなり弛緩してしまったので、どうやって力を入れればよいかわからない。
ミモザが満身創痍でいると、
「ふふっ……、あははっ」
ロウィが、白い歯を見せて笑った。前歯だけではない。奥歯まで見えるように大きな口を開けて笑っている。
その太陽のような笑顔が眩くて、胸が高鳴った。この笑顔をずっと近くで見ていたい。ずっと隣で見ていたい。
――ああ、きっとこれが好きってことなんだ。
改めて気付くと、ロウィの全てが愛しく見えて、思いが溢れそうになる。
ロウィは一通り笑い終えると、ミモザに背中を向けた。
「じゃぁ乗って」
ミモザの目線まで屈んで、振り返る。
「?」
わけが分からず首を傾げると、
「おんぶしていくから」とさらりと告げられる。
「え、おんぶ⁉ いえ、大丈夫です! そんなことできません。きっともう少ししたら立てると思うので。もしあれでしたら先に行かれてください。動けるようになったらすぐに参ります!」
座ったままでそう告げる。おんぶなんて絶対に無理だ。だってあんなに体が密着するのだ。できるわけがない。
先日の相合い傘を思い出し、あの時ですら大変だったのに、おんぶなんかしてもらった日には昇天してしまうかもしれない、と頬を染める
そんなミモザの思いなど知る由もないロウィは、じゃあ、と別案を出す。
「もしおんぶが嫌なのなら、問答無用でお姫様抱っこするけど。いいかな」
「え⁈」
「それが嫌なら背中に乗って」
意地悪そうに微笑むロウィを前に、ミモザは頭が沸騰しそうだった。
「重くないですか……?」
昨夜、寝る前に食べたワッフルを思い出しながら、あれを食べていなければもっと軽かったかもしれないのに、とミモザは唇を噛んだ。
だって、あの時点ではこうやってロウィにおんぶをしてもらうことになるとは思っていなかったのだ。
「全然重くないよ。それに昨日食べたワッフルぐらいで、今日の体重が増えるわけないよ」
頭の中で思っているだけのつもりが、思わず声に出ていたようで、ロウィは笑った。
恥ずかしすぎて、死んでしまいそうだ。顔が見えなくて本当に良かった。
おんぶなんて、幼少期ぶりなので、どこに手を回せばよいのかドギマギしていると、ロウィが静かに口を開いた。
「……ミモザは王城にきてよかった?」
いつもよりワントーン低い声だった。
「はい、もちろんです」
食い気味で返答する。
「でも令嬢が庭師だなんて、やっぱり色々……大変だろう? 今日みたいにとやかく言われることもあるだろうし。嫌になったり辞めたくなったり……、後悔してないかい」
心なしか切なく聞こえるロウィの言葉にミモザは首を振った。
「一度も後悔したことはありません。むしろここに来てよかったと毎日思っています」
即座にきっぱりと告げるとロウィの肩が上下に揺れた。
「ふふっ即答だね」
穏やかな声色にロウィの顔を見ずとも表情が目に浮かぶ。
「それに、私、いま初めて脱皮しているのです」
「脱皮?」
「はい。私、今まで変化を恐れていました。何かに挑戦したり、今の状況を壊したりしたりすることから逃げていました。そこには特別楽しいことはないかもしれないけれど、特別傷つくこともない。だって何か勇気を出して行動した結果が、うまくいくとは限らないし。いつだって現状で満足しなきゃって、多くを望まないようにしなきゃって思っていました」
だからアデスに不倫されていても気づかないフリをした。目を逸らした。不倫されている状況が良いわけもないのに、知らないフリをしていれば、ないのと同じだと、傷つくのを恐れていた。
でも。
「王城で働き初めてから、世界が広がりました。新しい人と出会い、新しい感情が生まれ、新しい自分を知ることができました。きっとこれまでの生活だったら、一生得られなかったものばかりです。それはひとえに、勇気をだして庭師という新しいことに挑戦してみようと思ったからだと思います」
それまではなんとも思っていなかった以前の生活が、いかに平凡で退屈なものだったか、今ならわかる。
変わらずにいることはとても楽だ。言ってしまえばぬるま湯に浸かっているようなものなのだから。
でもそれは同時に、自分の可能性を狭めているということだ。これからどうにでもなれる自分の人生を、変わらないと決めたことで潰してしまっているのだ。
それがいかにもったいないかを今はもうミモザは知っていた。
「私、いま生まれ変わっている途中なのです。これまでの自分の殻を脱いで、新しい自分になるために」
「勇気をだす、か。……僕もこのままじゃダメだよな」
ロウィはポツリと呟いた。心の声が外に漏れてしまったような小さな声だった。
お節介かもしれないとは思いつつ、訊ねる。
「……何か悩み事でもあられるのですか?」
「え?」
「いえこのままじゃダメだと仰ったので。……差し出がましいかもしれませんが、私で力になれるのであればいつでも仰ってくださいませ。もちろん力になれるという保証はできませんが、人に話すだけでも気持ちが晴れることもあるかもしれませんし」
ロウィの力になりたかった。自分が変われたのは確実に彼のおかげだから。
「ありがとう。ミモザのそういうところ、本当に好きだな」
慣れた口調で言われた好きだ、という言葉に、嬉しい反面、泣きたくもなった。
だって、ミモザとロウィの好きは違う。わかっていたはずなのに、今更苦しくなる。
特別じゃなくていい、ただ傍にいるだけでいいと思っているのに、もっと求めたくなるのはなぜだろう。この複雑な感情も、以前までは知らなかった。
想いを告げるつもりはない。けれど触れた肌から想いが伝わればいいのにと思ってしまうこの矛盾には気づかないふりをして、ミモザはロウィの肩をぎゅっと握る。
背中越しに伝わるロウィの鼓動は、ミモザのそれと同じ速さで脈打っていた。




