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漆の7 接近禁止命令を出してもらう

 受け取った名刺には、横書きでこう刷られている。


《独立行政法人都市再生機構業務受託者

 JS日本総合住生活株式会社 東京支社

 神奈川西支店 総務業務課

 管理主任 田代修

 サンラフレ百合ヶ丘管理サービス事務所

 〒215-0001

 神奈川県川崎市麻生区百合丘1-16ほか

 TEL.044(966)5141

 神奈川西支店

 〒242-0013

 神奈川県大和市深見台3-1-13

 TEL.046(201)1071

 FAX.046(200)1390

 http://www.js-net.co.jp

 たいせつにします プライバシー

 P 17000735

 ISO90001

 ISO14001

 認証登録》


 田代の紺色ポロシャツ胸の緑色ワンポイント《JS》は、名刺でも緑色印刷。そして、やはり、十二年前に初対面のおれを「こいつ」呼ばわりした渋谷と同じ「管理主任」だ。

 田代が否定するUR都市機構との関係が、《業務受託者》と示されている。

 サンラフレ百合ヶ丘は、留学先でオランダ人女性を射殺し屍姦後に肉を食べた「パリ人肉事件」(一九八一)の佐川一政(さがわいっせい)(一九四九-二〇二二)が晩年、暮らしたとされる団地だ。

 うちからそう遠くないので、この団地のことは佐川の存命中から把握していた。取材で訪れようと目論んでいてずるずる先延ばしにしているうちに、顔を合わせることもやり取りする機会もなく訃報を聴かされた。

 田代の名刺に、うちの団地の名称や所在地は記されていない。佐川のサンラフレ百合ヶ丘が主たる勤務先なのかもしれないし、奈良北団地と刷られている別の名刺をあえて出さなかったのかもしれない。


 名刺の裏面は、こうだ。

《経営理念

 私たちはお客様の信頼を大切にします

 団地生活の安全・安心・快適をサポートします

 高い技術と高品質なサービスをスピーディに提供します

 地球環境にやさしい社会の実現に貢献します》


「田代。()()()()()()()()()()()()

「……」

「田代。おまえ()、おしまいだ」

「……」

 猿回しの猿の田代は、視線を右斜め上に向けたまま。

「田代さん。田代管理主任さま。おしまいざあますわよ」

正規(せいき)手続(てつづ)きを、()らせていただきます」

 ヒト語で、猿回しの猿はそう言った。

「ほう。正規の手続きとは?」

 猿回しの猿が、おれに言ったのか四人に言ったのか分からないまま、おれは反応してみた。

接近禁止(せっきんきんし)命令(めいれい)()してもらいます」

「面白い。どこの誰を中心に、半径なんメートルを?」

「ここの団地には、一切、近づかせません」

 居住する団地に接近させないとは、つまり、即刻退去することが前提だ。もちろん猿回しの猿、田代は、そう言っている。そうしろと言っている。

 しかしおれは、そういう事態に発展するとかえって面白いから、あえてそこには触れない。

「お巡りさん。接近禁止命令の申し立てを、受理してやって。受理して、裁判所に提出してやって」

「警察じゃそんなの、受け付けられないよ」

「受理できるかどうか、署に無線か電話で聴いてみて。署で分かんなきゃ、県警本部の教養(きょうよう)課に聴いてみて。警務(けいむ)部にあるでしょ」

 管理主任の肩書きからマンション管理士や宅地建物取引士の資格を有するであろう田代は、資格試験に民法が出題されることから、周辺法規を知っている。しかし、おれが事件記者出身で刑法周りを知っていると、田代はおそらく把握できていない。

 裁判所による接近禁止命令はストーカー行為やドメスティック()バイオレンス()の被害者、加害者を念頭に置いており、田代とおれとの間ではもちろん、UR都市機構とおれの間でも、その関係は成り立たない。猿とおれの間でも、おそらく成立しない。

 つまり、聴きかじりだ。田代や渋谷のような間抜けで粗暴な管理主任が、無知で社会的弱者の住人を団地から追い出すため日常的に使っている脅しの口上なのだろう。

「田代さん、森さん。きょうのところはこの辺で。またなにかあったら、改めて署に来てもらうってことで」

 四人は収束を図ろうとする。

「森さん。エアコンの配線の話はついたんでしょ。もう部屋に戻りましょう。ここから離れましょう」

 四人のうちの一人が言う。田代は無言のまま、片手でおれを追い払うジェスチャーをする。

「田代さんっ!」

 それを四人のうちの一人がいさめる。

「田代さんは、どうされますか?」

 別の一人が田代に尋ねた。

「わたしはここから離れるわけにはいかんよ」

 事務所を指さし、ふて腐れた表情で田代は答える。

「接近禁止命令を、正規の手続きを楽しみにしてるぞ、田代」

 そう宣言し、荷物を置いたままの事務所に入ると、高瀬が席に戻っていた。

「これで終わりだと思うなよ」

 カウンター上のアクリル板越しにそう言って、荷物を担いで帰宅した。


 東京ガス関連会社かららしい携帯電話に残っているメッセージを再度、再生してみた。

〈こちら東急バスですが、免許証などが入った財布をお預かりしております。ご連絡をお待ちします。電話番号は――〉

 創作早口言葉「バス、ガス爆発」が頭をよぎった。

 運賃前払いのバスで、財布ごとICカードPASMO(パスモ)を読み取らせ精算し、収納したはずのポケットから落としたのに気づかぬまま下車したようだ。ブレーカー問題で気が立っていたせいもあろう。

 その日の夕刻、奈良北団地折り返し場行きバスに乗った青葉台駅前ターミナルよりも遠方にある営業所に、拾得物として預かってもらっている財布を受け取りに行った


(「漆の8 孫請けの立場、職人の立場」に続く)

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