漆の8 孫請けの立場、職人の立場
管理主任、田代修から受け取った名刺の「JS日本総合住生活株式会社」を、法務局の法人登記簿などで調べてみた。田代が否定するUR都市機構との委受託関係は、田代の名刺からそれが虚偽であるとすでに分かっている。そして案の定、田代が否定するUR都市機構との資本関係についても、虚偽と分かった。UR都市機構が、この会社の主要株主だ。
田代が所属する「東京支社神奈川西支店」は、横浜市の西隣の神奈川県大和市に立地する。田代や高瀬たちがたびたび口にする「住まいセンター」があるらしいその南隣の同県藤沢市とは、位置的に三角形を成す。
そしておれは、自身が住むエリアの特殊性を、改めて思い知らされた。
東京都内と神奈川県内を管轄するJS日本総合住生活の東京支社は、東京に六支店、神奈川に三支店を置く。横浜市内ほぼ全域の団地を横浜、横浜南いずれかの支店が管轄するののに、青葉区の一部のみ神奈川西支店エリアだ。横浜市の北隣の川崎市の一部も同支店エリア。だから、おれが住む奈良北団地も、田代の名刺に刷られているサンラフレ百合ヶ丘も、神奈川西支店エリア。
JS日本総合住生活のこの担当エリア割り振りは、住まいセンターのそれと合致するようだ。
そんなことより、法人登記簿でおれは、貴重な収穫を得た。
ビンゴ!
パソコン画面に向かってひとりごちた。JS日本総合住生活株式会社代表取締役佐長、伊藤治(一九五八-)の個人宅所在地が、横浜市青葉区あざみ野二丁目になっている。
東急田園都市線「青葉台」駅から四つ目。生前に会えずじまいだったパリ人肉事件の佐川一政が晩年暮らした、田代の名刺に刷られているサンラフレ百合ヶ丘までの距離とそう違わない。しかも、伊藤社長はおれと同じ青葉区民だ。
田代や、おそらく高瀬らを雇用する、東京都千代田区神田錦町に立地するらしいJS日本総合住生活には、出向かなければならないと思っていた。その前に、伊藤社長宅を訪れよう。そう決めて、その晩は寝た。エアコンは使っていない。
翌朝、予告通り、小池洋太郎と名乗る、JS日本総合住生活東京支社神奈川西支店設備課の名刺を携えた若い男が来訪した。田代の名刺と異なるのは、肩書きや担当団地がないこと、逆に、メールアドレスがあること。「神奈川西支店」と思われる所在地は同じで、電話番号、ファクシミリ番号の末尾の数字が異なる。予告通り、電気工事屋らしい作業服の中年男を伴っている。
「きのうは、えらい目に遭いましたよ」
そう言って居室の奥のデスクに戻り、前の日に受け取った田代の名刺を手に玄関に戻ったら、電気工事屋はすでに三段の脚立を広げその左右二段目に両足を載せ、工具で配電盤のふたを外していた。
「ちょっと待った! なにしてくれてんのよ?」
小池と電気工事屋のどちらに対するでもなく声を張り上げた。
「え? またかぶせますか?」
脚立の上の電気工事屋は、戸惑った様子だ。
「かぶせるもなにも、配電盤に異常があるって、どうやって判断したの?」
「どこかで断線してるって聴いたもんで」
「誰から聴いた?」
「……」
電気工事屋も小池も答えない。小池ルートつまりJS日本総合住生活か、その時のおれには実態がよくつかめなかった「住まいセンター」ルートであることは明白だ。
「どこで断線してるか、どこまで電流が届いてるか、テスターを当てるとかしなくていいの?」
「まず配電盤を見た方が確実なんで」
至極まっとうなことを、電気工事屋は言う。
「小池さん、こういうことだよ」
「……」
「おととい付けの文書で、配電盤三系統のうちエアコン用系統が断線しているようだ、エアコン用コンセントに電気が届かない、エアコンのプラグを一般用コンセントに差し込むとエアコンそのものは稼働するって、書いてあんたらに提出したろ?」
「…わたしは見ておりませんので分かりません。申し訳ございません」
「じゃ、同じ文書を見せるから待ってろ」
居室奥のデスクに再び戻った。
「小池さん。この備品を、あんたらはなんて呼称する?」
「…ブン…デン…バン…」
「分電盤か。つまり、配電盤じゃ通じないってことか」
「……」
「電気屋さん。ちょっとこの文書、見てくれる?」
小池の手からひったくり、電気工事屋に手渡した。
「この文書で、ブレーカーが落ちてるだけだとか、ブレーカーっていうレバーを確認しろとか上げろとか、配電盤の話じゃなくてブレーカーの問題だとかっていう結論が導かれる?」
「……」
発注元であるJS日本総合住生活従業員、小池に対し、電気工事屋は遠慮している。それはそうだろう。発注元の不利になることは言えない。おれら団地住人は、電気工事屋の直接の取り引き相手ではない。
「小池さん。圧をかけないで。口を挟まないで」
後方にいる電気工事屋に対し小池は振り返り、うなずく。表情はうかがえない。
「わたしら職人の立場では――」
朴訥に、電気工事屋は語りだした。
「――不具合があったら、すべての可能性を検討して、一つ一つそれをつぶしていきます。この紙を見れば、不具合の原因はかなり絞れます」
「ブレーカーが落ちてるだけだという判断に至りますか?」
「…至りません」
「だから、最初から配電盤の、小池さんがいうところの分電盤のふたを外したということですよね?」
「…そうです」
「どう思う? 小池さん」
「……」
「ぼくのどこにどんな問題があったっていうの?」
「…おっしゃってる意味が分かりません。申し訳ございません」
「きのう、電話をくれた小池さんは、あなたじゃないの?」
「わたくしです」
「電話で言ったじゃん。あんたの同僚が一一〇番通報して、お巡り四人にぼくの身体捜検までさせないと、配電盤、あなたが言う分電盤を点検してもらえないの?」
「……」
「きのう、ここの一階の管理事務所でなにがあったか、知ってるよね?」
「存じません」
「あなたの同僚の管理主任、田代なにがしのことは知ってるね?」
「…存じません」
「この名刺の男」
田代から受け取った名刺を小池に示そうとすると、小池はズボンのポケットから即座に小型デジカメを取り出し、撮っていいかと尋ねる。用意周到だ。
「いいよ」
「光の加減で…もう少し上に」
「こうか?」
「もうちょっとだけ上に」
小池は、「おれが指でつまむ名刺」の構図ではなく、「なんらかの紙片をカメラに向けるおれ」の構図の画角でシャッターを切り、ポケットにデジカメをしまった。
電気工事屋によると、ブレーカーの奥にあるネジが緩んで、銅線が外れていたという。ネジを締め直してもらい、エアコン用コンセントまで電流が届いていることを、エアコンの電源を入れて確認した。
キッチン流し台上の証明は、蛍光灯からLED式に台座ごと交換された。
おれは、その日のうちにJS日本総合住生活と伊藤治社長を襲撃することにした。
(捌 べことバンビ「1 アザミ嬢のララバイ」に続く)




