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漆の5 謝罪する意思

 計四人確認できるいずれも男性の制服警察官は、事務所内外を入れ代わり立ち代わりで、おれと、事務所の外の管理主任らしい男とから聴取しているようだ。リュックの中身の見分が終わったと思ったら再び全部出させられるのと同様、それぞれ別の警察官から、同じことを聴かれる。

「事務所に押し入った直接の原因は、なんなの?」

「押し入ってなんかないよ」

「うん、そうか。じゃあ、苦情(クレーム)の内容は? トラブルの原因は?」

「話すと長くなるし、大量にある。古い問題から始める? 新しい件からさかのぼる?」

「古いって、どれくらい?」

「十二年前」

「…じゃあ、新しい方から教えて」

「けさのことからね」

「うん」

「電気関係の点検、修理の依頼を、まったく聴き入れられない」

「どんな依頼?」

「エアコン用のコンセントが断線してるのに、ああだこうだって理屈をこねて、排除される。あんたらが臨場したおかげで、さっき電話がかかってきて、あした、電気屋を連れてくるんだってさ」

「誰が電気屋を連れてくるの?」

「なんとかっていう、ここの団地の総本山の関連会社だろ」

「ソウホンザン?」

「UR都市機構の」

「じゃあ、電気関係は解決したってこと?」

「あした実際に電気屋が来れば、解決するんじゃないかな。だけどさ」

「うん」

「その過程で…過程ってのは、点検、修理の依頼をするに当たって、ああでもないこうでもないって、その関連会社の人間と言い合ってるとき」

「うん」

「脅すんだよ。『そんなことしてると困ることになるぞ』って」

「『困ること』?」

「強制的に退去させるとかって意味だろ」

「さっき言ってた十二年って、そのことと関係あるの?」

「あるんだろ。ずっと退去させたがってるんだろ」

「その関連会社の人が言うの?」

「そう」

「なんていう会社のなんていう人間が?」

「ここの管理事務所の上部機関に当たる『住まいセンター』なんだけど、正式な社名は知らん。松永って言ってた。声からは男」

「マツナガじゃなあい!」

 勝ち誇ったような声が、事務所の外から聴こえた。管理主任らしき男だ。おれと制服警察官の会話を聴いていた。別の警察官が、聴かせていた。

「マツナ『ワ』だ。沖縄の『縄』あ!」

 盗み聴きしていたことと、当該「松()」の詐称が分かって得した。ばかな男だ。盗み聴きさせた警察官には、感謝したい。

「そのマツナワさんだかマツナガさんだかとのトラブル?」

「それだけじゃないよ。ここの事務所の、今はいない女性職員ね」

「うん」

「けさからずっと、電気関係の点検、修理の依頼を拒み続けてる」

「それは、女性職員の判断なのかな」

「『住まいセンター』の判断だって言ってる」

「そのマツナワさんだかマツナガさんだか?」

「女性職員は、『忘れた』って言ってる」

「『忘れた』とは、言ってなあい!」

 また管理主任らしき男だ。

「きちんと、『わ・す・れ・ま・し・た』って言ってる」

「ね、ばかでしょ?」

 事務所の外の姿の見えない管理主任らしい男を指して言った。

「ばかって?」

「『失念した』とかっていうビジネス用語を知らない。『忘れました』が正常な用語とでも思ってる」

「言い方の問題?」

「内容も。どこの誰だか分からない人物が点検、修理を拒んでるから、それを根拠に、ここの職員も点検、修理を拒む。拒む根拠は答えられない。ばかでしょ?」

「うううん…」

 おれの話を聴く制服警察官は、黒いクリップボードにレポート用紙状の物を挟んで手にしているが、それになにかを記入している様子はない。

「森さん、謝罪する意思はある?」

「謝罪? 誰に?」

「ここの事務所の人」

「なんでぼくが? 謝罪するべきはあいつら」

「……」

「あんたら、どこの部署から来てんの?」

「うちらは、青葉警察署のチイキってとこから」

 全国の制服警察官の左胸には、階級章の上に、半円状の個人識別章がある。現行の制服に代わった一九九四(平成六)年、階級章デザインも変わり、それより八年遅れ二〇〇二(平成十四)年に、個人識別章が添えられた。桶川ストーカー殺人事件(一九九九)など一連の警察不祥事を受けた国家公安委員会つまり警察庁による警察刷新の一環だ。

 これも警視庁の方面機動隊員は、見た限り、地域警察官と同じ制服着用時でも、胸に個人識別章がない。半円状スペースが設けられていない。二〇〇二年以前と同じ階級章だけのままだ。

 国会関連施設や大使館周辺を警備する機動隊員は警視庁の各方面本部から出張っているから、出所を明かさない方針なのだろう。明かすと、土地勘がないことがテロリストに知られてしまう。

 団地管理事務所で確認できた神奈川県警の制服警察官四人のうち、二人は巡査部長、二人は巡査長の階級章。しかし、階級章の上の個人識別章は、四人のうち少なくとも二人は、青葉署員のそれとは整合しない。

 個人識別章は、アルファベット二文字と三桁の数字の、計五字で構成される。最初の二文字が所属を示す。

「所属」とは各署ならびに、本部の場合、課と、それに準ずる隊・室を指す。だから、署長や本部の課長、それに準ずる隊長・室長を「所属長」と呼称する。所属長にはその組織の規模によって、警視か警視正の階級の幹部が就く。

 アルファベット二文字がどこの所属を示すのかや、所属を示すのだということ自体を、警察は公にしていない。良心的な物好きが各都道府県警察本部への行政文書開示請求などの手続きで調べ上げ、インターネット上で暴露している。開示請求に応じない警察本部もある。応じない警察本部では、アルファベット二文字が所属を示すというルールが当てはまらないかもしれない。

 行政文書は、それが公になった時点で、すでに古文書のようなものだと認識しなければならない。個人識別章の表示も、不変ではない。

 しかし、四人のうち少なくとも二人の、おれの知る限り青葉署ではないアルファベット表示は、神奈川県警本部の自動車警()ら隊だとすれば、合点がいく。青葉署庁舎には、自動車警ら隊の分駐所が併設されている。

 そして、自動車警ら隊は、県警地域部に属する隊だから、「青葉警察署のチイキってところ」という説明に、甚だしい矛盾はない。

「交番から?」

 知らないふりをして探ってみた。交番勤務員なら、地域部自動車警ら隊員ではなく、青葉署地域課員だ。

「いや。交番は人手が足りないからさ。本署から来たよ」

「四人で?」

「うん」

白黒パトカー(パト)に分乗して?」

「うん」

「ご苦労なこったな」

「これが仕事だからさ」


(「漆の6 あなたとは話したくない」に続く)

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