漆の4 世界まるごとHОW(ハウ)マッチ
「ここ、家賃いくら?」
眼を血走らせた四人目の警察官は、収納途中で再度テーブル上に並べさせたリュックの中身を一つ一つ点検しながら言う。
「部屋を貸してる側に聴いてみたらどうかな?」
「貸してる側?」
「外であんたらが聴取してるおっさんとか」
職務質問や取り調べで警察官は、対象者と会話が成立するか、意思疎通が可能かを判断するため、当たり障りのない世間話から導入することがよくある。おれたち報道取材に携わる者も同じだ。営業パーソンも税務署員も、そう変わらんだろう。
しかし、家賃がいくらかなどという対象者の懐具合に直結するような話題は、特別の事情でもなければ避ける。しかも、今回は、おれの住み家であるこのUR都市機構の団地での、管理主任らしい男が否定するUR都市機構関連事業所従業員との間のトラブルで、彼ら警察官は出動している。家賃に関わる話題は禁句扱い、少なくとも慎重でなければならないはず。
「ふうん。いいカメラだね。いくらした?」
「発売されたばかりのころは軽の新車が買えるほどの値が付いてたけど、十五年落ちだから、今じゃ二束三文だよ」
まともに会話できるか、意思疎通が可能かを判断しているのではないと気づいた。眼を血走らせたこの男は、頭がおかしい。控えめに言って、社会性を欠く。彼の方が、まともな会話のできない、意思疎通が困難な、同情すべきコミュニケーション障害だ。だから、飛び込んできた時の物言いも強引だった。
「かっこいいリュックだね。いくらするの?」
「サバイバルゲームマニア人口に支えられて市場が活況だから、安く買えるんだよ。これも中国製で安かった。両サイドの水筒用ホルダーの方が高かったんじゃないかな」
二十世紀末に開発され米軍などで正式採用されている、MALLシステムと呼ばれる格子型のアタッチメントが、背中に当たる面とファスナーが集中する天面を除く四面にびっしり配置されており、同じMALL規格の小物や小物入れを、縦にも横にもがっちり固定できる。二つの水筒用ポーチも、MALLで固定してある。
「これ、すごいな。初めて見た。高かった?」
刃先三本のアウトドア用アイスピックを手に取り、最初にリュックの中身を見分した男と同じように、矯めつ眇めつだ。
「ああ、それはね、見た目より高価だよ。柄が取れたり、刃先が折れたり飛んだりすると怖いから、信頼性を重視して日本製を選んだ」
取り締まるとか取り締まらないとか、四番目の男は言わない。そういうことには関心がないようだ。
同じ大学の別学部に通っていたアルバイト仲間は大阪出身で、「せこい」と評される典型的な関西人だった。大学の講義で使う教科書を買う金が惜しいからと、学友から借りてきて全ページ、アルバイト先でコピーする。その費用は払わないし、コピー作業に余念がない間も、彼の時給は計上される。
こいつがよく、「それ、なんぼ?」と、相手の持ち物の値段を知りたがり、その値段で持ち主を品定めし、自身の買い物にも活用した。
丸いすに座って、四番目の眼が血走った警察官には立たせリュックの中身を見分させている間に、テーブル上の携帯電話が振動しだした。
「あ、電話だ。出ていい?」
「いいよ」
四番目の許しを得て、発信者番号をよく確認せず通話ボタンを押した。
〈UR都市機構の団地管理業務を受託しております、ジェイエスニホンソウゴウジュウセイカツのコイケと申します。森さまの携帯電話でお間違えないでしょうか?〉
「うん」
〈キッチンの照明器具取り換えと、エアコンの配線点検の件でお電話いたしました〉
「お巡りが出動しないと対応できないの?」
〈…おっしゃってる意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
「警察沙汰にしないと、キッチンの照明器具取り換えも、エアコンの配線点検もしないの?」
〈おっしゃってる意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
「あんたらに、照明器具を取り換えるつもりも、エアコンの配線を点検するつもりも一切ない。この電話は、ぼくが警察に連行されたかどうかの確認だ。残念ながら、まだ連行されていない。電話にも出られる状況。悔しいか?」
〈おっしゃってる意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
「コイケさんだっけ? ジェイエスニホンソウゴウジュウセイカツって、UR都市機構と、どういう関係にあるの?」
〈…おっしゃってる意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
「あなたさっき、UR都市機構の団地管理業務を受託してるって言わなかった? 委受託関係にあるんじゃないの?」
〈おっしゃている意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
もう警察に連行されている頃合いだが、万が一、電話に出たら、すべてこれで切り抜けろとでも命じられているのだろう。
〈あす六日の午前十時から十時半の間に、うかがいます。ヤマイチデンキという事業者と同伴します。ご都合は、いかがでしょうか?〉
「キッチンの照明器具の取り換え?」
〈それと、エアコンの配線の点検です〉
「あれ? だって、エアコン周りには問題ないんだよ。ここの管理事務所の連中も、住まいセンターの松永なにがしもそう言ってるじゃん。そう言い張ってるじゃん。おれの願いは、一切聴き入れられないじゃん」
〈おっしゃってる意味が分かりません。大変、申し訳ございません〉
電話を切って、これとは別の着信があったことが分かった。振動に気づかなかったようだ。発信元は045から始まる横浜市内の固定電話。
メッセージが入っているから再生してみた。東京ガスがどうとか言っている。
電力関連会社、ガス関連会社が、お得な料金プランに見直せとよく営業電話をかけてくるから、その類だろうと思い、メッセージの途中で再生を止め、二つ折りを閉じた。眼を血走らせる四番目の警察官に、留守番メッセージを聴いていいかと尋ねていなかったという事情もある。
(「漆の5 謝罪する意思」に続く)




