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漆の2 錠を掛けたか外したか

 二号棟一階の団地管理サービス事務所は、正面と側面のそれぞれ一部がガラス張りで、事務所内に夏用制服の男性警察官がいるのが、正面出入口に向かい側面横を通過する際に見えた。正面に回り込むと、出入口外側やや離れた場所に制服の男性警察官がもう一人いて、管理主任らしい問題の男と対面で話をしている。

「待たせてすまんね。探し物が見つからんもんで」

 外の二人をやり過ごし、あいさつのような口上を述べ、おれは事務所に足を踏み入れた。

「近寄るなっ!」

 事務所内にいた警察官が、おれと、おれのリュックとカメラが置かれたテーブルの間に、立ちふさがる。

「え? 誰に? なにに?」

「かばんから離れろっ!」

「なんだよ。どこまで?」

 相手が答える前に、外にいた警察官が駆け込んできた。

後退()がれっ! 背中が壁に着くまで後退がれっ! 手に持ってる物を、下手(したて)で放れっ! 放ったら、両手を頭の上に上げろっ! 上げたら、頭の後ろで組めっ!」

 事務所出入口内側は、入って左型のはめ殺しガラスから右側の壁まで、四メートルほど。おれは右の壁まで後ずさりし、パスポートとマイナンバーカードを、床に放った。

 身体捜検をするとも所持品検査をするとも言わず、していいかと確認もせず、つまり予告もなくおれの許可もなく、外から入ってきた制服警官が、おれの頭とその後ろの両手から足先までを、乱暴にチェックする。

「後ろをっ、壁の方を向けっ!」

 命じられるがままだ。乱暴な身体捜検は続く。

「ポケットの中はなんだ?」

「小銭入れとか、部屋の鍵とか、ハンカチとか。ああ、携帯電話(ガラケー)

 裸でジーパン左後ろポケットに突っ込んだ非常用紙幣のことは忘れていた。

「片手を下ろして、一つずつ順番に全部出せ。出したら、同じように床に放れ」

 愛用の携帯電話、赤色一号機は、強靭(タフネス)が売りの、京セラ製二つ折り式だ。放った拍子に液晶画面が割れるような(やわ)なスマートフォンじゃなくてよかった。

「全部出したか? 両手を頭の後ろに戻せ」

 突っ込んだことを忘れていた非常用紙幣は出していない。ポケットが膨らんでいないから、身体捜検の警察官もおそらく気づいていない。

「かばんの中身はなんだ?」

 テーブルを遠巻きにしている警察官も、怒号だ。

「商売道具…いや、仕事の道具だよ」

 商売なんて言っていると、面倒ごとが増えるのは必至だ。

「具体的に言え」

「筆記具、ノート…ノートパソコンっていう意味じゃなくて、帳面、紙のノートね。文献資料、書類もろもろ、スマホ、カメラ、着替え。それから、両脇にくくり付けてるホルダーには、それぞれ水筒」

「カメラ? これとは別か?」

 テーブル上に、リュックとは別にニコンの一眼レフがある。小型デジカメと使い分けている。

「中を見るぞ。危険物は?」

 身体捜検をした警察官とは異なり、予告をした。しかし、許可を得ようというつもりはないようだ。

「一番危険な物は、アウトドア用のアイスピックかな」

 水筒の中身を冷たく保つため必要な氷は、出先のコンビニエンスストアなどで売っているロックアイスだと大きすぎて水筒の口に入らない。砕いて入れる目的で、長さ三センチ弱の刃先がフォークのように三本出ているアイスピックを、自傷・他傷防止のため文具の消しごみに刺しふた代わりにし、革でぐるぐる巻きにしてスチール製ペンケースに収めている。銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)には抵触しないはずだが、別の法規をでっち上げられ挙げられる可能性があると、捜査機関や捜査対象との付き合いが長いおれは知っている。

「出すぞ」

 リュックのすべての口のファスナーを全開にし、警察官は手を突っ込み、中身を一つ一つ出してテーブルに並べていく。

「なにか身分を証明する物は?」

 おれを身体捜検した方の警察官が言う。

「免許証が見つからないんだよね。だから、パスポートとマイナンバーカード」

 両手を頭の後ろで組まされたままのおれは、床に向かい顎をしゃくった。

「なんにもないじゃないかっ!」

 ガレージセールでも始めるのかというようにおれのリュックの中身をテーブルに並べる警察官は、不満そうな声を上げる。

「手、下ろしていいよ」

 床から拾い上げたパスポートとマイナンバーカードを見分しながら、もう一人の警察官が言った。怒号のような口調は、いつの間にか、真逆の柔和に変わっている。

「ついでにいすに座っていいかな。八階の部屋との間をなん往復もして、息が切れそうなんだ」

「いいよ」

 丸いすに腰を下ろした。おれが脚を蹴った丸いすかどうが分からない。

 そしておれは、信じられない光景を見た。音を聴いた。おれの身体捜検をした警察官が、座ったおれの目の前で、右腰の拳銃ホルスター裏の腰に当たる面に親指を差し入れ、カチっと鳴らせた。

「あっ。ホルスター――」

 あまりにも驚いたおれは、意図せず口に出してしまった。


 制服警察官の拳銃ホルスターは全国的に、二〇二〇(令和四)年に予定され新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け翌年に延期された東京オリンピックが契機で、従来の革製から、合成樹脂(プラスチック)製に順次切り替わっている。ただ、国会議事堂や各国大使館周辺警備に当たる警視庁の方面機動隊など、いくらかの例外はある。

 強奪防止のため、外からは見えにくい場所に、スライド式のロック機能が付いている。ホルスターを上からつかむと、ちょうど親指が当たる位置でふた分部の施錠、解錠ができる。機動隊員が今も革製を使い続ける理由の一つは、常に目の届く範囲内に仲間がいるから、強奪の危険にさらされる可能性が低いことだ。逆に、常に銃を抜く機会にもさらされるから、取り出しにくいと対応が遅れてしまうという理由もある。

 残念ながらおれは、合成樹脂製新型ホルスターの裏面を見たことがない。触ったこともない。スライドが縦に動くのか横に動くのか分からない。親指で押せば施錠か解錠か、引けばそうかも知らない。各都道府県警や納入業者・時期によって異なるかもしれない。

 身体捜検が終わりなんら問題ないと分かった後で、彼ら警察官がロックを解除するとは思えない。もはや発砲する機会はない、銃を抜く必要はないのだから。つまり、解錠したのではなく、施錠したのだ。ロックを掛け直したのだ。

 ということは、おれと対峙している間は、解錠状態だった。抜く気満々、撃つ気満々だった。


 ホルスターまで言って、おれは口を閉じた。面倒ごとを増やすべきではない。彼ら警察官の戦術を見透かしたと、彼らに悟られてはならない。ロック機能をおれが知っているというだけでも、彼らを緊張させてしまう。

「――新しくなりましたね」

 ごまかした。ロック機能をいじりましたね、とは、口が裂けても言えない。

「うん。安全のためにね」

 ロックを掛け直し銃を抜けない「安全」な状態に戻した警察官は、右手のひらでプラスチックの(おもて)面を、ぽんぽんと二回叩いた。

 適切な手入れをすれば十年単位で使える革製と異なり、合成樹脂製は、耐用年数が短い。配備されてそう歳月が経っていないはずのぽんぽん叩かれたホルスターは、角を中心に表面が広範囲で白化しており、今にも割れそうだ。警視庁の機動隊員に合成樹脂製が行き渡らない理由は、ここにもある。劣化して銃の出し入れにもたつくと、職務執行に支障が出る。


「危険物を持ってるっていう話だったんだよ」

 空っぽのおれのリュックの底をのぞきながら、それを空っぽにした張本人の警察官は種明かしする。あらかた読めていた。管理主任らしい問題の男が、大げさに通報したのだと思った。しかし実態は、そんな生易しい物ではなかったと、後に分かる。

 女性職員は二人とも姿を消している。おれを身体捜検した警察官は、管理主任らしい男がいる外に戻ったようだ。

「リュックの中にも、財布はなかったんすね。どこに置いたかなあ」

「調べさせてもらった物、かばんに仕舞う? 自分で仕舞う?」

 初対面の時と比べ、やり取りは穏やかだ。

「どっちでもいいすけどね。あれ? アイスピックは見た?」

「見てないよ」

 水筒用ホルダーのポケット部分からスチール製ペンケースを出し、この中に、と説明している間に、三人目の制服警察官が、正面出入口から事務所に飛び込んできた。三人目は、両手で座布団のような物を携えている。


(「漆の3 長野の事件があったから」に続く)

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