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陸の4 お客様にご注意申し上げます

 鍵穴の内部すなわちシリンダー錠に不具合が発生した、記憶の限り三度目は、二〇二三(令和五)年三月中旬のことだ。前述した、後に詳述するブレーカー問題の三カ月前。鍵穴が回らないのだと、二号棟一階の団地管理サービス事務所に言いに行った。

 制服姿の女性職員が二人いた。ブレーカー問題のタカセだったかどうか、よく見ていないし覚えていない。異動シーズンの年度替わりを挟んでいるから、タカセはまだそこには赴任していなかったかもしれない。

「…鍵穴が…」

「…回ら…」

「…ない…」

 デスクを並べる女性職員二人は顔を見合わせ、役割分担があるのか、おれの文言を不自然に分解し交互に唱える。テレビ朝日の生放送音楽番組『ミュージックステーション』への二〇〇三(平成十五)年の出演時、放送途中に行方をくらます「ドタキャン事件」を起こしたことで著名なロシアのデュオt.A.T.u(タトゥー)を彷彿(ほうふつ)とさせる。

「…鍵穴がま…」

「…わらな…」

「…い…」

 分解のパターンを変えて、t.A.T.u.は続ける。

「…鍵あ…」

「…なが…」

「…回…」

「…ら…」

「…な…」

「…い…」

「こらっ」

 制止したらやめたので、わざとやっているのだと分かった。おれがジャーナリストを気取っているように、そして、そう指摘する警視庁町田署生活安全課の浅沼と小林が警察官を気取っているように、この職員二人も、ロシアの女性デュオを気取っているのだろう。

 デュオのうちの一人はこう言う。

「鍵穴が回らないとどうなるんですか?」

「玄関扉が施錠できないじゃないか。解錠できないじゃないか。出入りできないないじゃないか」

「…玄関…」

「…扉が…」

「…施錠…」

「…できな…」

「…い…」

「…か…」

「…い…」

「…じょう…」

「…できな…」

「…い…」

「…では…」

「…いり…」

「…でき…」

「…ない…」

「いい加減にしろ」

「玄関扉と鍵穴にどんな関係があるんですか?」

「玄関扉のフック型ノブのすぐ上に鍵穴があるだろ」

「…フック…」

「…型ノブ…。鍵穴ってなんですか?」

「鍵を挿す穴だよ」

「なんの鍵ですか?」

「自分の部屋に入るため、出掛けるときにロックするための鍵」

 おれはズボンのポケットからキーホルダーでじゃらじゃら状態の鍵を出し、t.A.T.u.とおれを隔てる腹の高さのカウンター越しに、扉の鍵をつまんで鍵穴に挿し回す仕草をして見せた。

「ああ。そうならそうと、最初っから言ってくれればいいじゃないですか」

 納得した様子のt.A.T.u.の一人が奥から、《補修等受付伝票》というタイトルの用紙を出してきた。t.A.T.u.ごっこは、「ごっこ」でも「気取り」でもなかったのかもしれない。本当におれの言い分が理解できなかったのかもしれない。日本語が不自由なロシア人かもしれない。

《補修内容》の欄に、《玄関かぎ穴回転不良で、施錠・解錠に難》とボールペンで記入し、似非(えせ)t.A.T.u.に手渡した。


 翌日、UR関連事業所従業員の男が来て、シリンダー錠を交換した。

「シリンダー錠の耐用年数って、どれくらいのもんなんですか?」

 作業中の男に、聴いてみた。

「五年から十年ってとこです」

「幅がありますね。でも、前回交換してもらってから、五年は経ってません。これは新品ですか? どこかで使われてたものですか?」

「新品ですよ。修繕で使い古しは取り付けないはずです」

「五年持たないのは、使い方の問題でしょうか?」

「取り付け技術の問題もあります。簡単に故障しないよう、今回はがっちり組みました。それとですねえ」

「はい」

「回りが悪くなっても抜き差しがスムーズでなくなっても、油をさすようなことは、絶対に避けてください」

 KURE 5-56の女性職員のことを思い出したが、なにも言わなかった。言ってどうなるもんでもない。「そんなはずはない」などと、おれの記憶を否定されるのが明白だ。

「専用の薬剤があるんですけど、高価だし買っても使う機会なんてほとんどないでしょうから、鉛筆(えんぴつ)の芯で代用できます。シャーペンの芯でも大丈夫です」

 渋谷やKURE 5-56、U字型ドアガード、t.A.T.u.に比べれば、この男はまだまともだ。会話が成立する。

「最近になってからのことなんですけど、鍵の番号を登録するようになりました。これに必要事項を記入して、管理サービス事務所に提出してください」

 URの団地はもともと、住人の鍵を預からない。受け取った三本のうち一本を預ける仕組みに替わったのかと尋ねた。

「鍵そのものは預かりません。番号を控えさせてもらうだけです」

 男から受け取った二枚の用紙には、こんな活字が並ぶ。


《鍵を交換されたお客様へ(ご注意ください)

 平素はURの業務につきましてご理解・ご協力ありがとうございます。

 さて、この度玄関扉の鍵を交換されましたお客様にご注意申し上げます。

 玄関の鍵につきましてはご入居の際に鍵番号・本数を控えております。

 退去査定の時に鍵番号と本数が異なった場合は退去時査定の対象となり鍵1本当たり数千円のご負担がお客様に請求される事になります。

 これを防ぎます為に別紙の「玄関扉鍵取替による鍵受領書」を速やかに団地内の管理サービス事務所までご提出頂きます様お願いいたします。

 尚、提出の際には「鍵番号」「本数」「部屋番号」「氏名」をお客様にてご記入いただいた上でご提出ください。

 ご面倒をお掛け致しますが、どうぞよろしくお願いいたします。

  (株)URコミュニティ 神奈川西住まいセンター

   技術サポート課

   電話:0466-26-3110

  (ガイダンスが流れましたら④を押してください)》


 文中《鍵1本当たり数千円のご負担がお客様に請求される事になります》部分は太字かつ二重のアンダーライン付きだ。

 もう一枚。


《玄関扉鍵取替による鍵受領書

 玄関扉の鍵取替により下記のとおり新しい鍵を受領いたしまいた。

 鍵番号

 本数  本

 日付

 団地名

 部屋番号

 名前》


 文中《受領いたしまいた》は、おれの転記ミスではない。実際の《受領書》の活字が、そうなっている。


(「陸の5 失(な)くした場合は別問題」に続く)

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