参拾参の4 スノークのお嬢さん
新宿区地域振興部戸籍住民課の係長職との応酬は続く。
管内住民に関する担当が、新宿区の場合、総合政策、総務、地域振興、文化観光産業、福祉、子ども家庭、健康、みどり土木、環境政策、都市計画の十部署のうち地域振興部に属する点で特殊だ。
隣の渋谷区は、「区民部」が存在し、そこに「住民戸籍課」がある。マンスリーマンションへの住民票移転について尋ねたうち、文京区も、「区民部」があって「戸籍住民課」。港区は、芝、麻部、赤坂、高輪、芝浦港南の五「総合支所」ごとに、「区民課」がある。
「区の職員と、アウトソーシング先スタッフ、今回はこの『アルティウスリンク株式会社』に限って尋ねます。業務上の、あるいは、私的な交流を、禁じていますか?」
「そのようなことは、ありません」
「アウトソーシング先スタッフでは対応困難な場合、区の職員に対応をバトンタッチすることを、禁じていますか?」
「そのようなことは、ありません」
「今、ぼくが挙げたケース以外でも、両者の間のなんらかのやり取りに、なんらかの制限が存在しますか?」
「存在しません」
「アウトソーシング先で自己完結せよ、というような業務マニュアルは存在しますか?」
「ありません」
「では逆に、アウトソーシング先スタッフで対応できない場合、区の職員が対応を代わることを奨励していますか?」
「ケース・バイ・ケースです」
「ぼくがなにを聴いているか、なんのことを問題にしているか、係長、お分かりですか?」
「おっしゃっていただかないと、分かりかねます」
「電話口のアウトソーシング先従業員と思われるスタッフは、区の職員とのバトンタッチを拒みました」
「そのようなことがないよう努めます」
「このケースでは、対応を代わるべきでしたか?」
「詳細が分からないので、回答できかねます」
「係長。このことをお聴き及びでしたか?」
「そのような指摘が外部からあったということは聴いております」
「外部とは?」
「承知しておりません」
おれがその張本人だと、係長は認識しているはずだ。
「当事者たちに聴き取りは?」
「しておりません」
「なぜ?」
「する機会がありませんでした」
聴き取っていても、「聴き取っていない」と係長は言うだろう。
「区の職員が、アウトソーシング先従業員と思われるスタッフ…『三ポスト』プラス責任者のことと思料します…のことを知らない、という状況についてはどうですか?」
「そのような指摘が外部からあったということは聴いております」
また「貝」を閉じだした。
「係長」
「はい」
「あなた方」
「…はい」
おれは、勝負に出る。
「アウトソーシング先従業員に、自分たち区職員のことを、『職員様』って呼ばせてるね?」
信じられないーーといった表情で、係長の横に控える最初に出てきた女性職員が、首を左右にゆっくり数回、振る仕草を見せる。
日本語や英語を含む世界の言語の多くで、「N」の鼻音は否定の意味を示すのだと、すでに書いた。同様に、世界の多くの文化圏で、首を縦に振るのは肯定、横に振るのは否定の意を表す。
欧州文化圏では、信じられないほどうれしい場合にも、首を数回、横に振る仕草が見られる。しかし、この女性職員は、なにか「信じられないほどうれしい」場面に遭遇して首を振ったのではあるまい。
スウェーデン系フィンランド人の画家で小説家、トーベ・ヤンソン(一九一四-二〇〇一)の『ムーミン』シリーズに登場する青年「スノーク」の妹には、原作では名前が付いておらず、例えば小説の日本語翻訳版では「スノークのお嬢さん」と呼ばれている。
一九六九(昭和四十四)-七〇(同四十五)年と七二(同四十七)年の二回、フジテレビがアニメーション化した際、「ノンノン」という名が与えられたが、世界の言語で否定的な意味合いを伴うこの命名に、ヤンソン側は強く反発。一九九〇(平成二)-九一(同三)年のテレビ東京版は、ドイツ語で「お嬢さん」を表す音に近い「フローレン」で製作した。
「ノンノン」と聴くとおれは、英語圏の連中が、人差し指を立て手首を軸に、車フロントガラスのワイパーのように左右に振る仕草をイメージする。「そうじゃないよ」「駄目だよ」というような否定的な意味合いだ。
女性職員の仕草からも、同じような否定の感情を、おれは読み取った。
「それが事実だとしたらーー」
係長は、表情を変えない。ノンノンの仕草も見せない。
「ーー非常に問題があると捉えます」
「仮定でしか、仮定の話としてでしか、回答できませんか?」
できなければ、「三ポスト」とは別の責任者らしい四人目のヤマウチがそう言っているのだと、取材では「禁じ手」の告げ口めいた話を持ち出すつもりでいた。
「そのような実態があると、承知しております」
係長は、あるいは係長本人でなくてもそれなりの管理職が、当事者らから聴き取っているのだ。録音素材を聴いてもいるかもしれない。
「係長」
「はい」
「アウトソーシング先従業員がなぜあなた方を『職員様』と呼んではいけないか、なぜあなた方はそう呼ばせてはいけないか、係長たちは重々ご承知のことでしょうから、ここではぼくは、言いません」
「……」
「あなた方が、あなた方の職域の中で、お互いをどう呼ぼうが呼ばせようが、それは勝手です。自由です。『ご主人様』とでも『お嬢様』とでも、好きに呼んで盛り上がればいいでしょう。楽しめばいいでしょう」
「……」
「ですが、それを、ぼくら…区民であってもそうでなくてもですよ、外部の人間に聴かせてはならない。その呼称を強制しても、その呼称に同調させてもならない。電話を『代わっていただけない』も同じですよ」
「……」
「分かっていただけますか?」
「ごもっともなお話で、返す言葉もありません」
「挑発なのかな、とも思ったし、今も思ってるんですよ。ぼくを試そうという。あるいは、怒らせようという策略かも、とか」
「そのようなことは、決してありません」
やはり、係長は問題の根幹を把握している。当事者から詳しく聴き取っている。
A4判三十四面にわたる、アルティウスリンク株式会社との契約関係にまつわる文書写しを受け取って、おれは区役所庁舎を後にした。
庁舎近くのカフェに寄って、受け取った文書を一枚一枚確認しながら、スマートフォンで「アルティウスリンク」の社名を検索した。
携帯電話会社KDDI子会社「KDDIエボルバ」と、コールセンターを展開する「りらいあコミュニケーションズ」が合併し前の年の九月に設立された会社と分かり、おれは臍を噛んだ。知っていれば、「きちんとした、ちゃんとした住所」問題までさかのぼり蒸し返し、区役所をもっと強く攻めた。厳しく取材した。
新宿区西新宿二丁目(当時)のアルティウスリンク本社を、新たな照準に定めた。
しかし、後述する事情で、おれはこの関連の継続取材を断念することになる。
(「参拾参の5 シキンの資に、シキンの金」に続く)




