参拾参の3 背中合わせ
「ーーちょっと、上の者を呼んでまいります」
女性職員は、そう言って席を立った。
デスク上には、彼女が抱えて持ってきた資料が山のように積まれたまま。手を伸ばせば、おれはその山に触ることができる状態だ。
彼女は、自分一人で対応できると過信していたのか。あるいはそれは、上司による判断だったのか。指示だったのか。
会談の早い段階で応援を呼ぶことにした彼女は、賢明だ。彼女一人では、おれの取材に応じられない。新宿区としての公式見解は、示せない。そのことは、後から出てきた男性係長職を交えての鼎談で証明される。
東京・新宿区歌舞伎町一丁目のその庁舎に、おれはアポイント通り出向いた。マンスリーマンションへの住民票移転の可否について、区職員とは真逆の回答をするカサイらが所属する業務委託先民間企業と新宿区との間の契約関係そのほかに関する取材目的だ。
《アルティウスリンク株式会社》ーー。
紙の資料に刷られている、受託者として名が挙がる法人名は、眼にも耳にもなじまない。
「なんの会社ですか?」
「そういう全般の会社です」
「そういうとは?」
「こういう業務を請け負っている会社です」
女性職員が連れて来た彼女の上司に当たる男性係長職は、おれのような正体不明の来庁者の扱いに慣れているように感じられる。海千山千だ。
助手を伴っての取材なら、助手に目配せしてスマートフォンででもタブレット端末ででも、インターネット回線と接続している機器で検索させる。「目配せ」が理解できない、おれの意図をくみ取れないような能なしは、最初から助手には付けない。
しかし、この日のおれは、助手もいない単独取材だ。取材対象の眼の前で、自分でスマートフォンを操作し調べるような間抜けなことはしない。限られた時間ももったいない。
「契約金額二億四千九百三十二万円というのは、単年度ですか?」
「その通り、今年度です」
「この受託企業従業員の人件費込みですね?」
「込みです」
《住民票異動等出入力処理業務》《戸籍附票入力処理業務》《戸籍住民課案内業務》《個人番号カード交付窓口受付業務》《戸籍広域交付受付コールセンター業務》など二十項目の、アルティウスリンクが受託する業務内容が挙げられている。
「この一連の業務のために、この会社から来てるスタッフの総員は?」
「数え方によります。繁忙期かそうでないかによっても違います。われわれは『ポスト』と呼んでるんですが、おおむね四十ポスト」
「今回、ぼくの対応をした方々は、このうちどの業務ですか?」
「ここですね」
卓上の紙の資料のうち、《戸籍住民課案内業務》の欄を係長は示す。
《戸籍住民課案内業務》はさらに、《窓口案内》と《電話案内》の欄に分かれる。係長の指は、《電話案内》の方を差す。
「この電話案内のポスト数は?」
「三ですね」
「繁忙期も三ポストですか?」
「そうです。最大で三ポストです」
「係長」
「はい」
「登場人物は、あなた方の職員というノウラさん以外に、四人いますよ」
マンスリーマンションではなくきちんとした、ちゃんとした住所を決めてから新宿には来いと暴言を吐くカサイ、カサイが逃亡し代わったイトウ、イトウにも対応不能でさらに代わったトミザワ、「職員様」とメイド喫茶店員まがいのヤマウチだ。
「そのうちの一人は、責任者です」
問題の根幹を、係長は認識している。なぜおれがここに来たのか、分かっている。最後に出てきたヤマウチは、《戸籍住民課案内業務》の《電話案内》要員の三人ではない。
「責任者というのは、この三人…もとい…三ポストを統括するという意味ですか?」
「違います。別の業務も管理します」
「事業全体の責任者は、この一人ですか?」
「いいえ。複数います。これも数え方によるんで、きっちりなん人とかなんポストとかは言えません」
「問題の発端は、おそらくこの企業の従業員であろう担当者と、おそらく区の会計年度任用職員の方の説明が異なったこと。お聴き及びですか?」
「聴いております」
係長の回答は、冷静だ。
「どちらの回答が正解ですか? 正確ですか?」
「わたくしどもの職員が回答した通りです」
「新宿区内のマンスリーマンションに、住民票は置けますか? 置けませんか?」
「わたくしどもの職員が回答した通りです」
「なぜ齟齬が生じたんですか? 生じるんですか?」
「そのようなことがないように努めます」
「ぼくが食い下がってたださなかったら、間違ったままの回答だったということですか?」
「そのようなことがないように努めます」
取材対象がこう「貝」に閉じこもってしまっては、もはや「貝殻」は開かない。開けようとすればするほど彼らは固く閉ざす。
だから、話の方向性を変える。
「この受託会社の従業員が詰めるオフィスは、この庁舎内ですか?」
「うちの係が発注している事業に関しては、すべてそうです」
「別の部署がこの会社に発注する業務もあるということですね?」
「あると認識しておりますが、今すぐには回答できかねます」
「分かりました。別の部署については、必要が生じたら別の機会に尋ねます。この『三ポスト』についても、庁舎内ですね?」
「そうです。ここの一階です」
戸籍住民課の執務室が庁舎一階にあることは、事前に調べて把握している。
「アウトソーシング先スタッフのための専用の部屋が存在するんですか?」
「ありません」
「区の職員の方と、同じフロアに混在ということですか?」
「混在ではありません。デスクが分かれてはいます」
これまで勤務してきた事業所や、取材先、あるいはさらにさかのぼって、学校の職員室をイメージしてみる。
「別の島ということですか?」
「いや…島というかですねーー」
「ーー図面で示していただけます?」
「あります」
二枚の図面を、係長は示す。
《戸籍住民課フロア配置図》
《戸籍住民課全体配置図》
「ちょっと分かりづらいかもしれませんが、ここが受託事業者スタッフの共用机です」
「横に並んで机に着いて、作業をしているという理解でいいですか?」
「そうですね。壁に向かう形でですね」
「壁に面してないこの部分の島状のデスク群は、区の職員の方の席ということですか?」
「ここに限っては、そうなります」
「相互に…相互というのは、区の職員の執務デスクとアウトソーシング先スタッフが着く共用机の間という意味ですが、意思の疎通は可能ですか?」
「……」
口ごもる課長は、これが問題の根幹だと認識している。
「両者の間に、遮蔽物は?」
「シャヘイブツ?」
「壁のような物は?」
「…ありません」
「パーテーションのような仕切りは?」
「ありません」
「距離がそう離れているようには、この図面からは読めません。共用机のアウトソーシング先スタッフと、そこから一番違い島の区職員は、背中合わせ。振り返ればお互いに相手が見渡せる、会話のやり取りも可能という位置関係ではないですか?」
「…そういうことになります」
(「参拾参の4 スノークのお嬢さん」に続く)




