参拾弐の11 八十三歳、最後の仕事
被告人、野村(一九六五-)の情状証人である野村の女房の証人尋問は、横浜地方検察庁検事による短い反対尋問とそれへの女房による穏当な回答で終わり、女房は傍聴席に戻った。
「クビにしたった」と野村が言う京都の重鎮弁護士とバトンタッチした横浜の国選弁護人だという女性弁護士が改めて横浜地方裁判所に請求した、野村への被告人質問に移る。
弁護人弁護士の主尋問から始まる。
「罪状について、捜査機関の聴取、裁判所の認否で、すべて認めていますね?」
「はい」
「なぜ、事件を起こすことになった?」
「やっぱり…まず、橋本に誘われて断り切れず、アルバイトの人の給料も払わなければならなくて…」
共同正犯で逮捕、起訴されている橋本が代表を務める、大阪で新聞販売店を経営する会社の役員として、野村夫妻は名を連ねている。
この会社は法人登記簿によれば二〇二〇(令和二)年に開業したばかりで、野村や橋本はそれぞれ、あるいは一緒に、別の会社の経営にも参画しているようだ。
公判では、野村が関与する新聞販売店を経営する会社の法人名しか出てきていない。しかし、同じく共犯者で横浜の別の会社経営者、文強との接点などから、野村も橋本も、近畿エリアで手広く商売をやっていた可能性が高い。
「断り切れなかったのはなぜ?」
「(自分は)すぐ『いいよ、いいよ』と言ってしまう性格。注意せなあかんところやと思います。でも、誘いを断って、危害を加えられるのも怖かった。女房とかに、なにかあったらあかんと」
橋本が代表を務める会社に役員として名を連ねる女房が、橋本側から人質に取られているのだというような言い方を、野村はする。
家族持ちは、常に家族の身の安全を心配するという習性を、家族を持ったことのあるおれは理解できる。しかし、野村のこの言い分は、女房をだしに使っている感も否めない。
「アルバイトに給料を払うためのお金が欲しかった?」
「はい。お金もありませんでした」
「一番の原因は?」
「お金が、やっぱり欲しいから。それが一番です」
「悪いことをやっていると、最初から分かっていた?」
「二、三回目から。頼まれて、書類を書いてくれと言われて、おかしいな、と思いました。アルバイトの給与額が少ない、雇用保険に切り替えではどうか、とも言われて」
「(虚偽申請を)やめられなかったのはなぜ?」
「お金は欲しいし、やめて仲間割れするのも嫌でした」
「報復を受けるのが怖かった?」
「はい」
「手にしたお金の額は?」
「一千万円」
「どう使った?」
「そのまんま、次の日に金庫に入れました」
「その後、どうした?」
「二カ月くらい後に、橋本に渡しました」
「自分のために使った分もありますね? 総額、いくら受け取った?」
「千三百万円」
弁護人弁護士が改めて尋ねると、野村は金額を上げた。
事前の協議が、というか弁護士によるレクチャーがうまくいっていない、あるいは、野村が弁護士のレクチャーを忘れている。
「三百万円はなにに使った?」
「会社の支払いと、自分のカードの支払いに」
同室だった神奈川県警青葉署の留置施設で野村は、自分のためには一円も使っていないと言っていた。
「会社に入金されたお金はどれくらい?」
「総額の三〇パーセントが入金されて、その『三〇パーセント』の振り分けは、五パーセントが(社会保険労務士の)上野先生、五パーセントが××××さん、五パーセントが文強ーー」
この計算式は、公判を傍聴した限りでは分からない。それぞれの受け取り額がおれには理解できない。
また、野村証言でフルネームが出たこの「××××さん」には、強制捜査の手は及んでいない。
「割合は、みんなで話し合って決めた?」
「最初から、橋本と文強が割合の話をしてました」
「決められた割合で受け取った?」
「はい」
「その割合に承諾した?」
「反対しても、社長なんで橋本(の言い分)がすべて」
「この助成金の制度がなぜ出来たか、理解しているか?」
「『緊急雇用』の方は知らんで、『雇用調整』は知ってました」
野村らは、新型コロナウイルス感染症の影響に伴う特例である、事業所の雇用維持を目的とした「雇用調整助成金」と、その助成金では対象からこぼれ落ちる、雇用保険被保険者ではない従業員の休業を補償する「緊急雇用安定助成金」の二種類の給付金を申請し受け取ったとされている。
「制度の悪用について、どう思っている?」
「この年齢になって、あかん…情けないと…」
「証言台に立ってくれた奥さんに対し、どういう気持ち?」
「…申し訳ない。自分が情けない…」
「長期に及ぶ勾留で、健康状態に不調が生じた?」
「右手が…心臓からのことで、腫れあがって痛い。医務(検診)で不整脈と、走ってはいかんと(言われています)」
おれが受け取った拙い文と字の手紙は、心臓病のせいで右手が腫れあがって痛いのを押してしたためたものなのかもしれない。
「弁護人(の自分)が預かっている、△△△△さんからの手紙の文面は読んだか? 内容を憶えているか?」
「八十三歳の△△さんが、『わたしの最後の仕事』と言ってくれて、書いてくれてて…」
涙声になり、野村は肩を震わせだした。傍聴席から表情はうかがえない。
しかし、その流涙とむせびは、演技ではあるまい。青葉署の留置施設で、おれの「幸せの数」の例え話に対しても、野村は似たような反応を見せた。涙もろいのかもしれない。
そして、「家族ぐるみで付き合いをしている友人」と弁護人弁護士が裁判所に書証として提出を申請した手紙の主は、その年齢や名前、野村と野村の女房による呼称から、女房の伯母だか叔母だかに当たる人物で間違いあるまい。
「…社長の橋本が…起訴されて心も体も…一円も残してないから、△△さんが…この一年、すべてのことをーー」
おそらく演技ではない号泣で、傍聴席のおれは、野村の証言が正確に聴き取れない。
野村自身も混乱しているように見える。聴こえる。
「ーー被害弁償のお金を出してもらうし、出てきたら、三人で協力して償っていこうと思います」
涙声ながらも、発言が聴き取れるまでに証言台の野村は回復した。
弁護人弁護士は続ける。
「出てきたら、再犯を起こさない?」
「絶対にありません」
「犯罪に関与しないため、改めたりやめたりしなければならないと思うことは?」
「安請け合いをしません。誘われても、『こんなことしたら、あかん』と注意できる立場の人間になります」
「これまでは、そういう思いを持てなかった?」
「持てませんでした。(だから)軽はずみなこととか、この年齢になって犯罪に関与してしまう(ことなってしまう)。そういう生活、そういう性格が治せるか心配ですが、治るよう努力します」
終わりますと言って、弁護人弁護士は着席した。
青葉署の留置施設で野村は、女房の伯母だか叔母だかに当たる人物のおかげで女房との離縁を免れていると話していた。この日の公判で証言台に立った女房は、野村の父親との約束ごとだから野村を支えると誓った。相手の身内のおかげで成り立っていると、夫婦が互いに認識している。信頼し合っている。
おれの実母の腹違いの実妹に当たる、おれにとって叔母である、三親等の血族である、中村帝国女帝、中村由紀子(一九四七-)なら、なにをするか? 帝国維持、発展のため、意に沿わぬおれやおれの元妻やその家族や、おれの娘に、いったいなにをしたか?
甥であるおれの逮捕、勾留を奇貨とし、自慢の長男で熊本県警の公安専務員警部、宏(一九七五-)ルートを駆使するなどあらゆる方法を用い、日本国憲法(三四条など)、刑事訴訟法(三九条、八〇条)でおれに保障されているはずの「接見交通権」を著しく侵害。そのことを、身柄を釈放されたおれは、しばらく知らされず、自身で気づかずにいた。
恐ろしいことだ。
(「参拾弐の12 三点セットを準備せよ」に続く)




