参拾弐の4 十九歳で長崎留学
共犯関係にある文強の、内縁の妻に対する証人尋問を傍聴してから、神奈川県警青葉署留置施設でおれと同室だった四十番の男、野村との拘置所での接見(面会)をもくろんでいたのだが、すでに述べたような事情で野村との接見を前倒しし順番を入れ替えたから、それを前提での文強の公判傍聴だ。
二〇二四(令和六)年五月三十日。梅雨入り前の、さわやかな風が吹いている。
異動があったのだろう、担当判事が変わっているのが、横浜地方裁判所の開廷表で分かる。午後一時半から二時間の枠が組まれている四階「四〇二号」法廷に入った。
いつもの中国人風女性二人組は、この日も傍聴席に、すでにいた。スーツ姿にオレンジ色ネクタイで、若者が好んでするいわゆるツーブロック・ヘアーの弁護士の男と話し込んでいる。女性二人のうち、小柄かつ痩身で若く見える一人が、弁護士とともに、傍聴席と柵で仕切られる向こう側に入っていく。
司法修習生の男一人、女二人が、書記官の左右に分かれ陣取る。
「一時三十分の××被告人、時間通りでお願いします」
書記官が内線電話の受話器を上げ、文強の姓で、相手にそう告げた。相手は判事かその側近だろう。開廷予定時刻を数分、過ぎている。急かしたいのだろうが、書記官はそんな言い方をしない。
法廷の廊下に面する壁とは反対側の扉が開き、刑務官の男二人に連れられ、手錠姿の文強が姿を現す。灰色のスウェット服のような上下を着けている。
「裁判官が、交代しました」
被告の文強らに遅れ法壇の奥から現れた女性判事は、席に着き、最初に言った。
壮年女性の通訳人がそれを翻訳する。インカムを耳に装着している文強は、うなずく。
「情状証人は、前へ出てください」
中国人風の若い方の女性が、女性判事に促され証言台に向かう。
「×××さんですね?」
「はい」
この女性の声を初めて聴いた。
「住所、職業、生年月日は、先ほど出廷者カードに記入した内容で間違いありませんね?」
「はい」
通訳人の通訳を介さず、日本語で女性は答える。
氏名など証人の個人情報に当たる質問をどこまで行うか、判事の判断にゆだねられる。傍聴席に不審者が紛れ込んでいて正当な証言を妨げられる恐れがあるなどの理由で、一切尋ねないこともある。
「ではまず、うそ、偽りを述べないという宣誓をしていただきます。手元の宣誓書を、声を出して読んでください」
「宣誓。良心に従い、なにごとも隠さずーー」
日本語のアクセントが、やや怪しい。中国人だと知らなければ、どこかの地方の方言かと疑う程度のレベルだ。
「それでは、宣誓をしていただきましたので、これからここで故意にうそをつくと、偽証罪という罪に問われる恐れがあります。そのことを十分に理解した上で、お答えください」
「はい」
女性判事による説明の後、弁護人弁護士による主尋問が始まる。
通訳を介さず、やり取りはすべて日本語だ。
「このように横から聴きますが、答えは正面を向いて、簡潔にお願いします」
「……」
「あなたは、被告人にとってどういう関係に当たりますか?」
「内縁の妻です」
「国籍は日本ではありませんね。どこですか?」
「中華人民共和国です」
「いつ、日本に来ましたか?」
「二〇〇九(平成二十一)年、十九歳の時に来日しました」
「来日の目的と、来日してからの経過を話してください」
「留学のため来ました。長崎で大学に一年生として入り、大学二年から神奈川に移りました。大学は、二〇一四(平成二十六)年に卒業しました」
被告人の弁護人弁護士による主尋問であることと、弁護士との事前打ち合わせが十分にできているのであろう、やり取りはスムーズだ。
「日本に来てからの職歴、家族歴についてお話しください」
「二〇一六(平成二十八)年に、結婚しました。その間、アルバイトで保険会社などに勤めていました」
「その時の結婚相手は、被告人以外の人ですね?」
「はい。別の人物です」
「被告人と知り合ったきっかけを話してください」
「二〇一七(平成二十九)年くらいに、初めて会いました。文強と姉が同級生で、姉の紹介で知り合いましたーー」
アクセントが怪しい彼女はしかし、日本語文法については極めて正確かつ、ビジネス用語というか、社会常識をきちんとわきまえている。自身の内縁の夫のことを、「夫」「主人」「旦那」などと呼ばず、日本語風の姓でもなく、出生名を日本語読みした。
口述を正確に録取できる。裁判所にとっても、おれたち傍聴による取材者にとってもありがたい。
そして、彼女は一九八一(昭和五十六)年生まれの文強とは約十歳離れていることが分かる。いつも傍聴席にいるもう一人の年かさの中国人風女性が、文強の同級生である、彼女の姉だと推測できる。
「ーー離婚した後、(文強と)付き合い始め、(文強が経営する)華誠に就職しました。それから、一緒に住むようになりました」
「被告人が不正受給をしていることは?」
「知りませんでした」
「会社に大金が振り込まれていることは?」
「知りませんでした」
「これらのことを、いつ知りましたか?」
「警察に呼ばれて、連れて行かれて、文強は逮捕されたと説明されました」
警察に呼ばれて、というのが文強のことなのか、内縁の妻である彼女のことも含むのか、証言では分かりにくい。弁護士も判事も、聴き返さない。
しかし、法廷での証言に慣れない日本人に比べれば、ずっと分かりやすい。精神状態も落ち着いているように感じられる。そわそわしない。どっしり構えている。「大陸の女」ならではの習性なのかもしれない。
「二〇二一(令和三)年八月、被告人は、海外に出国してますね?」
「はい」
「どこに行きましたか?」
「イギリスとフランス」
「一年半くらい、海外にいましたね?」
「はい」
「その間、どこでなにをしていたんですか?」
「フランスで会社を作って、レストランをやると言っていました」
「二〇二一(令和三)年九月、あなたは出産していますね?」
「はい」
「被告人にとって子どもが生まれるというのに、あるいは生まれたばかりで、海外に行くのはおかしいとは思いませんでしたか?」
「思いました。そういう話もしましたし、けんかにもなりました」
「その間、今回の事件の話は、なかったんですか?」
「ありません」
「事件を知って、どう考えていますか?」
「コロナの助成金の制度を利用して、雇っていない従業員に給料を払ったとうそをついて、内容虚偽の申請をして、申し訳ないと思います」
「被告人の悪いところは。どういうところ?」
「誘われてこんなことをやってしまったのですが、悪いところは、申請してはいけないお金を申請して、もらった(受け取った)こと。すごく悪いことです」
「どういうことを、直さなけばならないと思いますか?」
「本当は、まじめに仕事をして、正当なお金を稼いでほしい。もらってはいけないお金をもらうようなことのないようにしてほしい」
「どうすればよかったかと、思うことはありますか?」
「わたしは、もっと文強のことを毎日、なにをしてお金を稼いでいるのか、本人と話し合うようにして、正当なお金を稼いでいるか、確認しなければなりませんでした」
「被告人が社会に戻ったら、一緒に生活していきますか?」
「はい。一緒に生活していくつもりです」
「その時にはきちんと監督できますか?」
「はい。しっかりやりたいと思います」
「海外に行って帰ってきた時は、監督できていなかったんですか?」
「自分なりにはやっていましたが、迷いがありました。今後はちゃんと監督します」
「被告人が言うことを聴いてくれなかったら、どうしますか?」
「話し合いをして、聴いてもらうようにします。管理できない場合、縁を切るという強い気持ちで臨みます」
終わります、と言って弁護人弁護士は着席する。
では、検察官は反対尋問を、と判事が促す。
(「参拾弐の5 国家公務員と紹介された」に続く)




