参拾弐の2 宣材写真(コンポジット)
そんなことを聴きに拘置所まで来たのかといぶかしむ、神奈川県警青葉署留置施設で同室だった四十番の男、野村は、憤っているふうではない。あきれ返っているようだ。
「事件のことやないんか?」
「それにはぼくは、あまり関心がありません。いずれ公判で明らかになるでしょうし」
「……」
「野村さん。青葉署の留置施設で、なぜ彼女のことをぼくに話したんですか」
「身の上話や」
「なぜ事実ではないことを話したんですか」
「事実や」
「ぼくは、彼女が生まれた家を見にいきました」
「……」
「海沿いの街です。彼女が住んでいた建物はもう、ありません。その地区の公民館になってました」
「……」
「そこから引っ越して、思春期を過ごした家も、見にいきました」
「……」
「山に囲まれた街です。そこも、彼女が暮らした家屋はすでに取り壊されてて、別の戸建てになってます」
「……」
「家族構成も知り得ました」
「……」
「群馬県高崎市に縁はありません」
「……」
「野村さん、ぼくの職業をご存じですね? 留置施設でお話ししたの、ご記憶ですね?」
「…うん」
透明なアクリル板の向こうの野村の隣で自身の組んだ膝の上に開いた大学ノートに、熱心にメモを取る仕草の、立会人の若い刑務官の男を見た。なにも反応しない。
警備小屋で用紙に本名を記し身分証明のため運転免許証を提示したから、拘置所側におれのフルネームは知られている。それをいちいちインターネットで検索するようなことを、拘置所がするかどうか、したかどうか、分からない。すれば、おれの素性はあからさま。
野村は、おれの職業に関するワードを発しない。詐欺師だから、「心得」があるのだ。刑務官がおれのバックボーンを認識していようがいまいが、野村はよけいなことを言わない。
「留置施設で話してくれたことは野村さん、今回の事件のあらましも野村さんの身の上話も、ほぼ正確だと分かりました」
「……」
「なぜ、彼女のことだけうそなんですか?」
「うそやないで」
「彼女の生前の所属事務所は、全否定です」
「そりゃ、否定するやろな」
「どこで知り合ってどういう付き合いだったのか、詳しく聴かせていただくことはできますか?」
「ええで。コンポジをな、見せてもろうたんや。一目見て気に入って、会わせてもろうたんや。それからや」
「コンポジ? 宣材写真のことですか?」
「そうや」
芸能業界におけるアーチストの、クライアント向けの履歴書のような、パンフレットのようなものだ。
「どなたに見せてもらったんですか?」
「××の××社長。友だちなんや」
聴いたことのない事業所名、個人名。
スマートフォンなどは警備小屋のロッカーに預けているから、実在するかどうかを含め検索できない。
「ほかにも、彼女と同じような業界の方と、交友関係があるんですか」
野村はなん人かの名前を挙げた。おれの知る名前、知らない名前が混在する。
「なぜ、彼女のことだけ、本名も出身地も、お墓のある場所も、事実と異なってるんですか?」
「それは、兄い。森さんやったな。森さんが、ガセネタをつかまされとる。偽りのストーリーや。それに振り回されとる」
「そうかもしれません。そんな目には、これまで幾度も遭ってます。この商売を始めてなん十年経っても、完全には防げません。壊滅できません」
「せやろ」
「公判では、これまでの公判では、検事の冒頭陳述でも、野村さんと彼女の関係については出てきてません」
「うん」
「警察と検察の取り調べでは、供述してるんですか?」
「じきに分かる」
「今の奥さんとのことは、公判で出てますね」
「……」
アクリル板の向こうの野村が、初めて表情を曇らせた。嫌そうな顔だ。この話題を続けるかやめるか、判断に迷う。
もう少しだけ突くことにした。
「証人尋問に、出廷しますね」
「……」
「六月六日」
「…その期日は、無うなったよ」
「そうなんですか?」
「うん。弁護士が変わったんや」
「京都の××先生じゃないんですか?」
「あのじじいは、首にしたった」
前年九月、野村の初公判について確認しようと駄目元で京都の弁護士事務所に電話をしたら、その日のうちに弁護士本人からコールバックがあって、こう言って断られた。
ーー教えられるわけないだろっ!そんなことしたら、 野村さんに首にされちまう。弁護人を解任されちまうじゃないかっ!ーー
弁護士の危惧が、現実のものになってしまった。
一度接見に来てもらうのに交通費など込みで三十五万円という私選弁護人弁護士に対し、野村は常に強い姿勢の物言いだったのかもしれない。ずっとこういう関係性だったのかもしれない。
「どうしてですか。なにかあったんですか」
「なんにもしてくれへんねん。あのじじい」
捜査機関によって逮捕、勾留、起訴をされ、法律や司法制度に疎いから私選弁護人を依頼するというのは早計。どちらかというと、誤った考えだ。
被疑者・被告人の立場である本人が法や制度を知らないのだから、弁護士がなにをやってくれるのかも皆目、見当が付かない。よほど信頼できる弁護士と太いパイプというか固い絆でもない限り、国選弁護人に任せた方がまし。
そういう面からも、おれの叔母に当たる中村帝国女帝で、自慢の長男が熊本県警公安専務員警部の中村由紀子(一九四七-)は、とんでもないことをしでかしてくれた。おれと弁護士の間の接見交通権の侵害を可能ならしめ敢行したのは、自慢の長男、宏(一九七五-)が、青葉署留置管理課長で「公安専務員仲間」の任警部、片山勝太や、さらに、当時の署長で同じく公安専務員の警視、橋谷田裕樹との間で「太いパイプと固い絆」を構築しているからにほかならない。
横浜地方裁判所での公判における横浜地方検察庁検事の冒頭陳述によれば野村は、前科四犯。おれに話してくれた、報道もされた四半世紀前の自動車保険金詐欺事件では、逮捕、勾留、起訴後、執行猶予付き懲役刑の有罪判決を受けている。
だから、その辺りの事情に野村はある程度、精通しているはず。
「さっき、ここの職員の方に、野村さんは弁護士が接見に来てるからそれが終わるのを待つように言われました。別の弁護士なんですね」
「うん。横浜のな。国選弁護人や」
「六月六日の記述が取り消されて、いつに延期ですか?」
「一カ月以上先や、確かーー」
「ーーいや、分かりました。そんなに先なら、期日はこっちで地裁に確認します」
弁護士が変わるという被告人である野村の都合で、期日が取り消されたのであろう。
別の理由もあるかもしれない。弁護士が変わるのだから弁護方針も変わるはずで、「別の理由」がなくても延期になっただろう。
だとすると、前の月の公判で京都の重鎮弁護士が申請した妻と知人の証人尋問も、予定が変わるかもしれない。
しかし、野村が表情を曇らせた妻に関する証人尋問のことを再び話題に出すのはやめにした。
「野村さん。なにかぼくにしてほしいことはありますか。お金がかかることは無理ですが、できることがあれば。望みがあれば」
メモを取るためノートを開いていたカウンター状テーブルの上に、左手首から外して置いておいた腕時計の針を確認する。
三十分と釘をさされた制限時刻が近づいている。
(「参拾弐の3 国家の感情」に続く)




