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参拾弐の1 安否伺い

 神奈川県警青葉署留置施設で同室だった四十番の男、野村(のむら)への拘置所への接見(面会)予定を、前倒しすることにした。

 野村の妻らに対する証人尋問が予定される二〇二四(令和六)年六月六日の横浜地方裁判所(ちさい)での公判より前、共犯者の文強(ぶんきょう)の内縁の妻に対する証人尋問が予定される同五月三十日より後に出向くつもりだったのはすでに述べた通り。

 しかし、前年六月一日付け同署刑事課強行犯係巡査長、ピロシキ田中によるスーパー三和への実況見分調書を熟読し、ことごとく笑顔で収まる同店レジ打ち従業員、穂積(ほづみ)恵美(一九七〇-)の警部補、グランパ石場撮影写真を総覧し、考えを改めた。自身の身柄の安全のためだ。


 彼ら警察は、横浜地方検察庁(ちけん)が端緒のスーパー三和にまつわる一連の事件に、勝手には(さわ)れない。しかし、同六月五日、同県警地域部自動車警ら隊員ら四人が武装して臨場、翌六日にも青葉署地域課交番勤務員二人が姿を現したものの、スーパー三和の問題を、つまり地検端緒の事件を抱えるおれに手を出せないまま未消化のUR都市機構問題を、蒸し返す可能性が高い。

 そして、記念日(アニバーサリー)好きの警察は、UR都市機構問題の記念日を前倒しする恐れさえある。

 つまり、前年の株式会社三和総務部長聴取と防犯カメラ映像収録USBメモリー領置の五月二十二日、実況見分の六月一日を、記念日に据えられてしまう。

 そうでなくても、六月五日、六日は、警察として独自に着手できるUR都市機構問題の記念日だ。


 可及的速やかに、野村と会わなければならない。時宜を逸すると、おれ自身の身柄も押さえられてしまう。野村との接点がつぶされてしまう。(ライン)を切断されてしまう。


 横浜刑務所と同じ敷地内に併設される横浜拘置支所に、バスと電車を乗り継いで向かった。刑務所・拘置支所最寄りの横浜市営地下鉄「港南中央」駅で下車した。

 暑い日だった。


 両施設を合わせ東京ドームの二倍の敷地面積がある駅寄りの門から入り、駅からの道のりより長い時間を歩き、敷地内のほぼ逆側に位置する拘置支所前に到着した。

 警備小屋のような建物内は、ベンチがほぼ満席だ。


「弁護士さん?」


 窓口で、アウトソーシング先民間事業所の警備員に尋ねられる。


「違います。一般の者です」

「あっ、そう。じゃ、これ記入して」


 警察の留置施設や拘置所、刑務所で囚人との接見(面会)を願い出る場合、囚人との関係は《知人》、接見(面会)の目的は《安否(うかが)い》と用紙に記入するのがセオリーだ。それが最もスムーズで、それ以外だと怪しまれる。

 だから、そのつもりでいたのだが、手渡された用紙には《安否伺い/差し入れ/宅下げ/そのほか》の選択肢がすでに印字されていた。一番目を丸で囲った。

 二番目の《差し入れ》は、飲食類などほとんどの物を、外部からは持ち込めない。所内の売店で選んで、差し入れてもらう。外から持ち込めるのは、現金のほか、防寒のための衣服など。郵送だと扱いがやや緩くなる。

 三番目の《宅下げ》は、檻の中で使わなくなった物、収容スペースがない物を、引き取る。

 差し入れ、宅下げとも囚人と顔を合わせなくても成立するから、「接見禁止処分」を付されていても、前者は施設ごとに柔軟性の幅があって現金などは認められる。半面、宅下げは、檻の中の様子が外部に漏れてしまうという理由で一切禁止。


 囚人との関係欄は選択肢がなかったから、セオリー通り《知人》と記入した。


「弁護士の〇〇です」


 窓口にそう申し出る者は、警備小屋で待たされずそのまま次の扉へと進んでいく。

 おれたち一般の者は、警備小屋のようなその建物内のロッカーに荷物を預け、最低限の筆記具を携え、数人ずつ奥の建物に案内される。

 奥の建物内にも警備小屋よりかなり広い待合室があって、ベンチの半分ほどが埋まっていた。


(きゅう)番の(かた)あ!」


 しばらくして、刑務官の制服を着た中年の男に呼ばれた。

 はいはい、と申し出る。


「今ねえ、弁護士の先生が来てるのよ。それで、本人は風呂に入ってて、弁護士の先生にも待ってもらってるの。その後になっちゃうけど、待つ?」


 京都の重鎮が来ているのだと思った。


「待てるのなら待たせていただきます。本人はここにいて、今は接見禁止にはなってないって理解していいですか?」

「うん。そうね」


 生半可な対応で、中年の男は姿を消した。

 しかし、まだ安心はできない。野村が断る、野村に接見を拒否されるかもしれない。

 待つかとおれに尋ねた段階で、おれが来ていることを野村が知っていたか否か、分からない。

 後になって振り返ると、この時点ですでに知らされていた、そして、接見を受けてもよいと刑務官に回答していたのだろうと思える。そうでなければ、待つか、とおれの意向を刑務官は尋ねまい。


 さらにしばらく待たされて、同じように番号を呼ばれた。先ほどの刑務官とは別の中年男だ。


「撮影、通信、録音できるような機材は、所持してないね?」

「持ってません。それ系の物は全部、預けました」


 そう確認され、扉を二つくぐった。くぐりながら、こう言われた。


三十分(さんじゅっぷん)だから。時間が来たら、話の途中でもこっちで打ち切るから」


 青葉署の留置施設の物と同じくらいの広さの接見室に入る。アクリル板の向こうには、誰もいない。粗末ないすを引いて、座って待つ。

 アクリル板の向こう側の扉がすぐに開いて、顔をのぞかせた若い男の刑務官がおれを識別するような仕草をしてから顔を引っ込め、野村が姿を現す。おれは、いすを立ってアクリル板の向こうの二人に礼を示した。

 公判が開かれる横浜地裁での姿と同じで、野村は短髪。足を引きずっているのが、狭い室内の移動でも分かる。手錠ははまっていない。

 苦笑いの表情を、野村は見せる。野村と刑務官がそれぞれ粗末ないすに腰掛けるのを待ってから、おれも再びいすに尻を預けた。


「三十分ですね?」


 刑務官へのあいさつ代わりだ。


「三十分っ!」


 若い刑務官は、そっけない。


(あに)い、(もり)さんていうんやな」


 留置施設で寝食を共にしながら、おれが野村の姓と名前の一部を把握していたのとは逆に、野村はおれの名前を知らなかった。

 京都の私選弁護人弁護士の事務所に電話をした際には別の雅号を名乗っているから、弁護士経由でも正確には聴いていないはず。


「はい。野村さんの名前は、弁護士との手紙のやり取りを盗み見して知ってしまいました」

「ええよ。構わんよ」

「お墓参りに、行きましたよ」

「〇〇のか?」


 内縁の夫婦関係にあったと主張する夭逝した美しいシンガーソングライターの「下」のアーチスト名を、野村は呼び捨てた。


「はい。野村さん、〇〇さんのお墓の場所のことをお話ししたの、覚えてます?」

「うん」

「どこだとおっしゃいました?」

群馬県高崎市(たかさき)

「もっとずっと近くに、ありますよ」

「……」

「〇〇さんの本名についてお話ししたのは、覚えてます?」

「うん。マツシタユウキや」


 青葉署の留置施設では、マツシタユウ「コ」と言っていた。拘置支所で野村がいうフルネームだと、松下由樹(一九六八-)という比較的著名な女優が存在する。


「〇〇さんの所属事務所に行きました」

「……」

「全否定されました」

「……」

「野村さんとの関係について」

「…そんなことを聴くために、わざわざここまで来たんかいな?」


(「参拾弐の2 宣材写真(コンポジット)」に続く)

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