参拾壱の6 健全なる精神
厚生省(現・厚生労働省)で公衆衛生行政の取材を担当していて、よく赴く部署の執務室で、直接の取材対象ではない係長職の話に、何度も振り返させられ、振り返っても納得のいかないことがやはり何度もあった。
「係長の声、うちの会社のデスク職の声質にそっくりなんです。声だけじゃなくって顔つきも」
取材対象の課長補佐自ら執務席横に開いて勧めてくれたパイプいすに腰掛け、課長補佐の話の途中で振り返ったことの言い訳を述べる。
係長と顔も声もよく似たおれの勤務する会社のデスク職は、おれが所属する班とは別部門だが同じ部屋で、部下をよく電話や対面で叱責している。
「解剖学的に見るとね、顔の骨格や肉付きが似てると、喉から口腔までも声帯の形も似てることが多いんだよ。だからさ、声が似るのもなんらおかしな話じゃない」
医師免許を持つ課長補佐が教えてくれた。
厚生省(当時)に勤務する幹部職員は、国家公務員上級(時代によって「甲種」「Ⅰ種」など)試験を通過し採用された「事務官」と、医師、歯科医師、薬剤師の国家資格を持つ「技官」が半々だ。医師である技官を、「医系技官」と呼ぶ。
事務官と技官とくに医系技官がポスト争いに走らぬよう、例えば局長が事務官の場合、その局の「筆頭課」課長には医系技官が就く。局長が医系技官なら、その逆。「たすき掛け人事」と呼んでいた。
キャリア官僚たる厚生省(当時)の幹部事務官は、東京大法学部を中心とする旧帝国大などの卒業者が多いのは他省庁と同じだが、医系技官には、地方国立大医学部医学科卒者が目立つという特徴がある。
田中角栄(一九一八-九三)内閣による「一県一医大構想」(一九七三)で実現した医師育成機関の全国網羅により、高校での学業成績が優勝だったもののさしたる目標がないまま成育エリアで入試最難関の国立大医学部医学科を受験、入学する者のうち、統計上無視できない数が、臨床に関心を持てず、医師国家試験に合格した上で、厚生省(同)など官庁に入職した。採用に当たる人事院も厚生省(同)も、大学入試偏差値でいえばキャリア事務官と同レベルの彼らを歓迎した。
「旅客機で飛行中、乗客に急病人が出ると、客室乗務員が呼び掛けるっていうじゃないですか。『お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか』って。そういう時、課長補佐は名乗り出るんですか?」
「名乗り出るわけないじゃん。狭い機内で十分な器具も薬剤もないのに、その患者の容態が悪化したら、責任を取らされちゃう。知らんぷりだよ」
本音なのかジョークなのか、判断に迷う。
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という格言めいた世迷言は、時の為政者による自身にとって都合の良い曲解ないし捏造であったことが、今や常識だ。
古代ローマ時代の風刺詩人、ユウェナリス(六〇-一二八)は、実際には、こう言った。
「健全なる精神の健全なる身体にあらんことを祈らるるべし」
永く解釈されていたのと、逆の趣旨だ。
つまり、身体が健全だからといって精神が健全とは決して言えず、むしろ逆のことがまま見られるから、健全な身体を持つ者こそ特に、健全な精神を持つよう心掛けるべきである。
高校のクラスメートに、梶原という男がいた。梶原は、同じクラスのある女子に、慕われていた。しかし、大きな問題がある。その女子は、見かけが良くない。はっきり言って、醜い。
「ああいう女子は、実は心がとっても綺麗かもしれんぞ。付き合ってやれ。男女交際しろ」
おれたちは、梶原をからかう。
「逆だよ。見た目が醜いから、ひがんで心も醜い。卑屈なんだよ。通常に接しても、向こうは『攻撃された』ってなんでも悪意に取る」
なるほどと感心させられたから、その瞬間から梶原をからかうのはやめにした。
「美人すぎる××」というキャッチフレーズの嚆矢である、父親から地盤を引き継ぎ二〇一一(平成二十三)年、二〇一五(同二十七)年の八戸市(青森県)市議会議員選挙でいずれもトップ当選。五期連続して務める藤川優里(一九八〇-)は、男性受けするとされるそのルックスについて、コンプレックスがあり気が引けるとコメントしている。
顔の骨格が似ていると口腔内や声帯も似ている可能性が高く声質が似るのは自然だと、厚生省(当時)医系技官が解剖学的に説いてくれた時からおれは、それをさらに飛躍させた説を信念にしている。
顔貌が美しい人は、口腔内も声帯も、身体全体も美しい可能性が高いーー。
周囲を観察していると、おれの説は有意な統計数値を示す。
おれの考える、認識する美女は、ことどとく中性的だ。少年風という意味とは異なる。あくまでも、単一性的。
だから、美しい少女は、少年と見まがう妖しさと危うさを併せ持つ。逆に、美しい少年を少女と見まがうこともある。
しかし、美しい少年は、加齢とともにその中性性を失う。美しい少女は、中性性を保ったまま年を重ねることがある。
何度も例に挙げたシンガーソングライター、森高千里(一九六九-)の不朽の名作『私がオバさんになっても』(一九九二)は、極めて象徴的だ。今や五十路の彼女は、ちっとも『オバさん』になっていない。中性的な美しさを保持したままだ。
『若さの秘訣』という森高の楽曲がある。一九九四(平成六)年発売の九枚目アルバム『STEP BY STEP』に収録され、翌年の二十五枚目シングル『二人は恋人』カップリング曲としてシングルカットされている。
こんな歌詞で始まる。
〈横文字仕事の彼女は/ロックが大好き
見た目も若くてかわいい/ロックおねえちゃん
いまいくつ/36
若いわね/まさに若さの秘訣だ〉
最後は、〈彼女は年をとらない〉が四回繰り返される。
アルバム『STEP BY STEP』発表時の森高は、二十五歳。
歌詞に登場する《横文字仕事》の《ロックおねえちゃん》同様、《年をとらない》森高が、これらの曲を書いた際、自身へ迫りくる、来るべく加齢をどう捉えていたか、あれこれ考える。それを極端に恐れていたのかもしれないし、取るに足らないこととして歌詞のネタに昇華させたのかもしれない。
そして、中性的で美しい顔貌の森高は、口腔内も声帯も美しいのであろう、声が美しい。パーカッション奏者特有のステップで分かる通り、よく曲がり、しなり、伸びる四肢など全身も美しい。
おれたちの歌姫にも、そのことは当てはまる。
「おれたち」とは、おれと、神奈川県警青葉署留置施設で同室だった、「歌姫」と「内縁の夫婦関係にあった」と主張する四十番の男、野村のことだ。
美少年と見まがうような中性的で美しい顔貌を持つ「おれたちの歌姫」は、美しい四肢で「Too much」にステップを踏み、美しい口腔奥の美しい声帯を震わせ、よく通る澄み切った声で、美しい旋律の美しい詞を歌う。
それでは、藤川に、森高に、おれたちの歌姫に、「健全なる精神」は宿っているか。
彼女らの政策を、作品を傍観した限り、精神は極めて健全。なにに対してもひがんだり、卑屈になったりする必要がないから、そういう目に遭わされる経験がめったにないからだろう。
恋愛対象のことを「少年のような」と、おれたちの歌姫は表現する。しかし、無垢で「少年のよう」なのはむしろ、歌姫自身だ。
(「参拾壱の7 ファインディング・ニモ」に続く)




