参拾の2 コロナをバブルと言わせない
「節分」の記念日を過ぎた「株式会社三和」周辺からも、UR都市機構の代理人を名乗る弁護士の法律事務所からも、署長が転出するという神奈川県警青葉署からも、おれに対するおれが確認できる範囲での接触はなにもないまま、中国(中華人民共和国)出身、文強(一九八一-)の二回目の公判期日である二月二十七日を迎えた。
青葉署留置施設で同室だった四十番の男、野村(一九六五-)の共犯者で、国から億単位の金をだまし取ったとして詐欺罪で起訴されている男だ。野村ら共犯関係にある四人のうち、初公判が最後にずれ込んだ。初公判同様、二回目も傍聴のため、横浜地方裁判所に出向く。
傍聴席には前回の初公判同様、文強の身内と思われる中国人風女性二人の姿がある。
文強が入廷した際、「あっ」と思ったのは、両手錠のまま文強を連行してきた男二人のことだ。刑務官の制服を着ている。前回の初公判は、警察官だった。つまり、身柄が警察の留置施設から拘置所に移されている。
共犯の野村たちも、拘置所に移されたかもしれない。
野村の公判傍聴を始めたのは、身柄が青葉署にあるうちに接見つまり面会に行って、おれも勾留されていた同署留置施設を、「外から」取材するためだったのはすでに述べた通りだ。
おれと一緒に留置施設にいたころ野村は横浜地裁によって「接見禁止処分」が付されていたから、その処分が続く限り、弁護士以外は接見(面会)できない。おれは、処分解除のタイミングを見計らうつもりでいた。
ところが、公判で明らかになる野村の経歴や犯行態様が、留置施設内で本人に聴かされていた身の上話と合致することから、夭逝した美しいシンガーソングライターとの「内縁関係」も、単なる与太話ではなく、事実なのではないかと疑いだしたことも、前述した。
夭逝した美しいシンガーソングライターとの関係確認に取材のポイントをシフト。青葉署留置施設を「外から」観察することの優先順位は下がった。だから、野村の身柄がもはや青葉署にないとしても、おれの取材活動へは大きな影響を及ぼさない。
そして、野村の身柄が文強と同じように拘置所に移っていれば、そのタイミングで接見禁止処分は解かれている可能性が高い。接見禁止処分が解除されていれば、アクリル板越しなどの制限はあるものの、対面で取材できる。
この日の文強の公判は、野村、橋本の公判ではすでに出てきていて野村は認め、橋本は否認しているのと同じ時期の犯行に当たる追起訴分。
「間違いありません」
「被告人と同じです」
文強は通訳人経由で追起訴分の罪状を認め、弁護人弁護士は日本語で同意見と述べた。
ただ、野村、橋本を担当する女性検事とは別の男の検察官による冒頭陳述に対し、弁護人弁護士が前回公判同様、一部不同意。これに対し検察官は、共犯者の証人尋問を請求する構えを見せた。
検察側の証人に立つ、立たされるとすれば、罪状を認めている野村以外に考えられない。否認している橋本、上野は検察に反旗を翻しているわけだから、検察にとって有利な証言などしない。
野村に対しおれは、夭逝した美しい女性シンガーソングライターとの関係を知るため取材を続けなければならない。しかし、警察の留置施設にいるにしても拘置所に移されたにしても、直接取材のチャンスは一度だけ。
法制度的な問題ではない。対象の口を割るためには、奇襲によって一度で決める。相手に考える隙を与えない。これまで開陳してきたのと同じ、おれの取材スタイルだ。
次回の期日を三月二十二日と指定し、この日の公判は閉廷した。次回までに一カ月も間隔が空いていない。共犯関係にある四人のうち初公判が最も遅かったので、ほかの三人と並行させるためスケジュールをタイトにしているのだと、おれは受け止めた。それはそれで間違いではなかったが、別の理由もあるのだと後に分かる。
横浜地裁で文強の二回目の公判があったのと同じ日の午後、彼らと同じ刑法二四六条の詐欺罪の初公判が開廷表に載っていたから、のぞいてみた。
その事件に関する基礎知識はなにも持ち合わせていない。被告人のフルネームをスマートフォン「青色二号機」を使ってインターネット検索することもしなかった。
初公判を傍聴して分かった事件の概要は、こうだ。
山形県の定時制高校を卒業後、製パン業界で修行を積んだ被告人、石川民夫(一九四六-)は、二十七歳の誕生日を迎えた一九七三(昭和四十八)年三月、神奈川県大和市で独立開業。順調に売り上げを伸ばし、店は一九七六(同五十一)年、「法人成り」した。
その後も県内を中心に事業拡大し、三十店舗を展開。従業員五百人を抱えるまでに成長した。
しかし、経理はずさんで、二〇一二(平成二十四)年ごろから資金繰りが悪化。「新規店舗の開業」名目で、内容虚偽の決算書を提出するなどして複数の金融機関から融資を受けた十億単位の負債が焦げ付いた。
石川は二〇二一(令和三)年に失踪。会社は全店舗を閉鎖し、事業停止した。
二年後の二〇二三(同五年)、横浜市内の知人宅に潜伏していた石川は、詐欺容疑で逮捕される。
疾患のため声帯の四分の三を手術で切除しているという石川は、公判冒頭の人定質問時点から声がしゃがれていて、傍聴席ではその発言内容が聴きづらい。
しかし、その声の聴きづらさは、捜査機関つまり検察、警察にとってはかえって好都合。公判でも検事は、やりたい放題。事なかれ主義の弁護人弁護士は、それに迎合する。
「間違いありません」
「被告人と同様です」
石川は罪状をこう認め、弁護人弁護士も同じだと意見陳述している。
検察側の冒頭陳述に続き弁護人弁護士が求めた被告人質問で、石川は、「はい」「いいえ」のほか、それと大差ない短い言葉を発するのが精いっぱいの様子。
主尋問に当たる弁護人弁護士の戦術は、次のようなものだと考えられる。
昭和末期から平成初期の「バブル景気」の感覚で店舗拡大を続けていたが、バブルが崩壊した上、「コロナ禍」の影響で客足が鈍った。コロナ禍で国内経済が低迷し、金融機関による貸し出しの審査が緩かった。
つまり、積極的に詐欺を働くつもりはなかった。計画倒産ではなかった。そこが落としどころだ。
検察官による反対尋問も、弁護人弁護士によるストーリーに沿ったもの、つまり検察が描き弁護人弁護士に認めさせたそのままの内容のように聴こえる。
ところが、声帯の四分の三を切除しているという石川は、傍聴席で聴き取れる限りでは、こんなことを言いだした。
「…バブルでした…コロナが…バブルでした…」
融資先顧客や融資額が目減りした金融機関が、回収不能と認識した上で石川の会社に過剰融資したのだと聴こえる。
金融機関による融資の審査が甘かったと弁護人弁護士も主尋問で石川に述べさせているのだが、コロナ禍自体がバブル状態だったとまではストーリーにない。弁護人弁護士の顔色が変わる。青ざめる。検察官は、声帯が四分の一しか残っていない石川の発言を止める。
尋問で検察官がむちゃな証言をさせようとすると弁護人弁護士が、逆に、弁護人弁護士がむちゃな証言をさせようとすると検察官が、「異議あり!」と挙手したり立ち上がったりでそれら証言をやめさせるのが刑事裁判の常だが、この時は違った。
石川の証言を引き出そうとしたはずの検察官が、石川を黙らせたのだ。石川発言が終わらぬうちに、次の質問に移った。
「異議あり!」と、弁護人弁護士は言わない。「被告人の発言がまだ終わっていない。被告人は続けて」と、裁判官も検察官を制止しない。そんなことをすると公判が混乱し、審理日程が狂ってしまうからだ。
(異議あり! 石川さん、証言を続けて。コロナ禍はバブルだった、銀行が積極的に、石川さんにとっては必要ないはずの額を提示し、回収不能を予見しながら融資したのだと言って! 警察も検察も、怠慢捜査だ。弁護士どころか、裁判所までそれに迎合してる。平成バブルとコロナ禍バブルに、あなたは振り回されたんだよ、石川さん!)
傍聴席のおれは、心でそう叫んだ。声に出したら、法廷をつまみ出されてしまう。
「犯行は巧妙かつ悪質で、被害も高額」として、検察官は懲役七年を求刑。
弁護人弁護士は、「前科はなく(まもなく)七十八歳と高齢。バブル経済の崩壊と、コロナ禍の影響を受けた。アドバイザーが着いていればと悔やまれる。失踪から二年を経過し、すでに社会的制裁を受けている」として、寛大な処分を求めた。
刑法(二五条)の規定により、執行猶予が付けられるのは懲役刑(現・拘禁刑)なら三年以下の場合に限られる。石川が罪状を認めている以上、驚くような判決は出ない。
検察が求刑する懲役七年を、裁判所が半分以下の三年以下に減刑した上で執行猶予を付ける、などということはありえない。つまり、石川は必ず実刑判決を受けることになる。
審理を終える前に、被告人には最終弁論の機会が与えられる。コロナがバブルだったという発言をやめさせられたことについて、石川はなんら異議を唱えなかった。
高齢で前科もなく、刑事司法の現場やそこで暗躍する法曹三者のやり口を、理解できなかったのかもしれない。理解できたとしても、四分の一しか残っていない声帯では、なにも言えないとあきらめたのかもしれない。
判決期日は、翌週の三月七日が指定された。
(「参拾の3 通常の権利義務を妨げない」に続く)




