弐拾玖の5 究極の嫉妬(やきもち)
若者のカリスマと称され二十六歳の若さで逝ったシンガーソングライター、尾崎豊(一九六五-九二)十一枚目シングルで代表作『I LOVE YOU』(一九九一)に、こんな歌詞がある。
〈何度も愛してるって聞くおまえは
この愛なしでは生きてさえゆけないと〉
未亡人、繁美(一九六八-)によれば、いつも「愛してる?」と尋ねるのは、尾崎の方だったという。
繁美との結婚の前も後も常に別の女性の影があった尾崎は、同時に、繁美に対する独占欲が強く、繁美が男友だちだけでなく、女性の友だちと付き合うことも制限した。ついには、鏡を見ている繁美に対し、尾崎はこんなことを言いだし怒り狂う。
「いったいおまえは、もう一人の自分に向かってなにを話していたんだ!」
《彼は、わたしの考えが彼の考えと同じでないと不機嫌になった、というよりも、彼の方がわたしの考えることと同じでないと、気が済まないようになったと言った方が正しいかもしれない》(東京書籍『親愛なる遥いあなたへーー尾崎豊と分け合った日々』以下同)
《彼は愛を求め、嫉妬し、嫉妬の揚げ句、どんどんわたしとの同化を求めた。相手が少しでも自分とはみ出した行動をすれば、心配でたまらなくなる》
《わたしの存在そのものにやきもちを焼く。究極の嫉妬は、自分の愛する相手の存在自体にやきもちを焼くことだと、思い知らされた》
深海魚のチョウチンアンコウは、雄の体長が雌のそれと比べ極端に小さい矮雄の生態を成す。
体の小さな雄は、大きな雌に寄生するだけではない。雌の体に食らいつき一体化。雌の皮膚から伸びた血管を通じて、栄養などを得るようになる。自力で泳ぐ必要がないため雄の眼やうろこは次第に退縮するが、生殖に必要な精巣の機能は保持したまま。
地球上のすべての動物が一つの種を起源とするなら、現行ヒトは進化の過程で現行チョウチンアンコウと枝分かれする際、結果的にそのような道に進まなかったものの、雄が雌に「同化」することで子孫を成すという道筋をたどり得た。
男である尾崎が女性の繁美に同化を求め、その尾崎の欲求を繁美が理解できないのも、無理はない。
伝説の俳優、松田優作(一九四九-八九)は、最初の妻で後にノンフィクション作家として活動する美智子に婚姻前、こう言っている。
「おれをおまえの家の養子にしてくれないか?」
戦後の民法改正で、「婿養子」という制度はこのころすでに、廃止されている。婚姻して新しい戸籍を作るに当たり、夫の姓ではなく妻の姓を使うことを、令和の現在でも便宜的にこう言っている。養子縁組(民法七九二-八一七条)はまた別の話で、優作がどっちのことを言ったのか、今となっては分からない。
朝鮮半島にルーツを持つ在日コリアンであるなど出自や生い立ちに対する劣等感や、そのことが、美智子を含む周囲に知られた際の不安が優作にあったのだと、美智子は述懐する。
それはそれで、間違いではあるまい。
しかし、優作は、尾崎が繁美に対し求めたのと同じように、美智子との「同化」を望んだのではないか。
優作の場合、「同化」を求める対象は、女性に限らない。
日本テレビドラマ『大都会 PARTⅡ』(一九七七-七八)で、巡査部長の階級の主任捜査員を指す「デカ長」こと黒岩を演じた渡哲也(一九四一-二〇二〇)は、信頼を寄せ片腕となって活躍する相手という役柄だっただけでなく、俳優業としてもプライベートでも、優作にとって尊敬の対象だった。渡の趣味がたき火だと知ると、優作は自宅庭の落ち葉や枯れ枝を集めて燃やすなど「まね」をしていたという。
同じころ、もとより敬愛の対象で家族つきあいをしていた先輩俳優、原田芳雄(一九四〇-二〇一一)の東京・渋谷区大山町にある戸建ての真裏に、妻子ともども居を移している。
膀胱がんが腰まで進行していた優作の日本テレビによる遺作ドラマ『華麗なる追跡 THE CHASER』(一九八九)で共演した俳優、香川照之(一九六五-)は、撮影中の優作から、こう言われたと証言している。
「おまえは、おれになれる」
本項冒頭で述べた尾崎豊の『I LOVE YOU』は、シングルで発表される八年前、一枚目のオリジナル・アルバム『十七歳の地図』(一九八三)ですでに収録されている。中退することになる高校在学中の、まさに十七歳のころ製作されたアルバムだ。
尾崎の崇拝の対象である浜田省吾(一九五二―)に、「面白い子を見つけた」と話したという音楽ディレクター、須藤晃(一九五二-)がこのアルバム製作をプロデューサーとして担当。収録曲数が足りないからバラード調の作品を書いてくるよう指示した須藤に対し、タイトルに採用されることになる印象的な冒頭部分の歌詞を尾崎が口ずさみ、ほぼ即興で完成させたという。
〈二人はまるで/捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは子猫のような鳴き声で〉
繁美によれば、尾崎は捨て猫に執着していたという。
幼いころ野良猫に餌を与えたところ、その猫は餌を自分では食べず、くわえてどこかに持っていく。持っていった先には子猫がいて、母親らしい猫は子猫に餌を食べさせる。尾崎が手持ちの餌を何度、母猫に与えても、すべて子猫に渡った。
懐妊した繁美の通院に付き添う予定の尾崎は、どこからか捨て猫を家に連れ帰ってきて、こう言ったという。
「ごめん。この猫をもらってくれる人が見つかるまで、病院には行けない」
神奈川県警青葉署留置施設で同室だった四十番の男、野村が「内縁の夫婦関係にあった」と主張するものの所属音楽製作事務所が否定する、夭逝した美しいシンガーソングライターが、ジョン・レノン(一九四〇-八〇)の楽曲『Love』で表現される「きみ」「ぼく」「ぼくたち」に影響を受けたとしか捉えられない技法で、「あなた」「わたし」「わたしたち」と歌っていることは、すでに述べた。
彼女は自ら作詞したそれとは別の作品で、恋愛相手のことを好きなのはもちろんだが、そんな感情を持つ自分のことも、自分がそんな感情を持っていることさえも好きだと歌う。
「あなた」は「わたし」と似ているとも歌う。あなたもそう思うでしょと、「あなた」に訴える。確認する。
所属音楽製作事務所のタケシタの電話の声が、耳によみがえる。
ーーいろいろなファンがいるものだなと感じます。憧れの対象と自分を同一視してしまったり、自分と深い関係にあると思い込んで、それを自身で信じるようになったりーー
ファンをそういう思いにさせる、妄想に陥らせる危険な魅力が、彼女には、彼女の作品にはあった。
そして、優作、尾崎と同じように、私生活でも創作においても彼女は、他者との距離の測り方に、癖があった。もっと直截的に言えば、間合いを取るのが不得手だった。
「知ってて、それでも一緒にいてくれたのか…/ありがとう、ありがとう…」
朝鮮半島にルーツを持つ在日コリアンで、しかも私生児であると少し前に知った美智子を、優作は強く抱きしめた。優作は涙ぐんでいたという。美智子は優作の首に腕を巻き付け、声を出さずに泣いた。
繁美を伴い訪れた米国ニューヨークのレストランで尾崎は、ピアノ弾きに、レノンの『Love』をリクエストした。
夭逝した美しい女性シンガーソングライターの作品に、尾崎が繁美のために作ったというものと同タイトル曲がある。
(参拾 頓珍漢「1 連絡したい事項があれば」に続く)




