弐拾伍の1 ジョン・レノン言葉遊び
刑事訴訟法で定められる起訴前の勾留期限が切れる日の朝、神奈川県警青葉署留置施設でおれが試みた別れのあいさつに応じず座位で自身の鼻毛を抜くのに夢中だった四十番の男、野村が、その数日前にカミングアウトした内縁の関係だったという女性シンガーソングライターのことは、横浜区検察庁で略式起訴され隣の建物の横浜簡易裁判所で罰金二十万円の略式命令を受け身柄を放たれてからインターネット情報などで調べた限り、野村によるうそ八百だとおれは認識したから、そのまま放置していた。
ところが、おれ自身と、幼いころ親権を手放した娘の生命・身体・財産の安全確保のため、野村の事件の公判を傍聴するに至り、単なる「うそ」ではない可能性が高まったのは、前述した通りだ。
おれは、いつ入手したのかまったく記憶がない彼女のベストアルバムのCDを繰り返しプレーヤーで回し、添付の歌詞カードを眼で追い、パソコンのキーを打ちインターネットで彼女に関する情報を集めた。
気になることが、いくつも見つかった。
英国のロックバンド「ビートルズ」創設メンバーでリーダー、ジョン・レノン(一九四〇-八〇)による、グループ解散後初のソロ・アルバム曲に、『Love』という作がある。日本出身の妻、オノ・ヨーコ(一九三三-)の影響もあり東洋文化に傾倒していたレノンが、江戸時代の俳諧師、松尾芭蕉(一六四四-九四)の句集に感化され練り上げたという一九七〇(昭和四十五)年発表のこの楽曲は、愛の概念について短くシンプルに書き連ねられている。
野村が内縁関係にあったと主張する女性シンガーソングライターは、レノンのこの曲を聴いているのではないか、日本人の彼女がレノンに感化され、芭蕉を逆輸入したのではないかと疑うに十分な、彼女作詞の曲のフレーズがある。
レノンの『Love』は、簡潔な文法の英語で、「愛」が主語になり、目的語になりを繰り返す。
曲の出だしは、こうだ。
〈Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love in wanting, wanted to be loved〉
愛は、真実。真実が、愛。
愛は、感じること。愛を、感じること。
愛は、望むこと。愛されたいと望むこと。
おれが着目したのは、サビに当たる部分。
〈Love is you, you and me
Love is knowing we can do〉
愛はきみ。きみとぼく。
愛とは、ぼくたちにはできるんだと知ること。
自身が歌う曲のほとんどで作詞を手掛けたその女性シンガーソングライターは、日本語文法の特徴である主語の省略や、倒置法の効果的な使い方で、キャリア初期のある作品において、一番のラスト直前で「あなた」としたところを、二番の同じ個所は、聴き手には意外な展開で、「わたし」と歌う。本来なら一番と同じ「あなた」でも筋がつながるのに、「わたし」としたことで、それぞれ主観が別だった、交差していたのだと気づかされる。
そして、レノンの『Love』同様、「あなた」と「わたし」を合わせた一人称複数形である「わたしたち」も歌詞には登場する。
ビートルズのビートルズとしての楽曲のほとんどは、ジョン・レノンとポール・マッカートニー(一九四二-)との合作であることを表す「レノン=マッカートニー」名義で世に出ている。しかし実際は、メンバー四人がまったく別の作品をそれぞれで創作し、ビートルズとして、あるいはメンバー個人として、さらにグループ以外のアーチストとのセッションで演奏し歌った。
ジョン・レノンは、言葉遊びが好きだったとされる。彼の手による作品を見ればそのことは明らかだし、逆に、熱烈なファンや研究家は、曲を聴けば、歌詞を読めば、メンバーの誰が作ったかの識別が可能だという。
松尾芭蕉に感化された『Love』は、まさにそんなジョン・レノンの言葉遊びによって、そのセンスによって成立した。
ジョン・レノンが米ニューヨークの自宅前で銃撃され四十歳で死亡した一九八〇(昭和五十五)年十二月、おれは中学二年の十四歳だった。ビートルズもレノンも、彼らの曲も、知らなかった。
仏教の概念では「三周忌」に当たる二年後の一九八二(昭和五十七)年十二月八日、総合電機メーカー一社提供の『日立テレビシティ』が、ちょうどその日が放送日に当たる水曜だからであろう、レノンの追悼特集番組を流し、偶然それを自宅で見ていたおれは、衝撃を受けた。それまでビートルズを、ジョン・レノンを知らずに過ごしてきたおれ自身に対してだ。
番組で流れる曲の多くは、耳になじみがある。いつか、どこかで聴いている。ラジオの音楽番組でかもしれない。テーマソングとして採用されたテレビ番組かもしれないし、コマーシャルソングに採用されたものかもしれない。どこかの誰かによるカバーだったかもしれない。NHK子ども向け番組『みんなのうた』でだったかもしれない。
偉大なミュージシャンが亡くなって二年経つまでその存在を知らなかった自分に、腹が立った。知っていた連中を、うらやんだ。なぜもっと早く教えてくれなかったのかと、恨みもした。
もっと早く生まれてくればよかったとも思った。
シンガーソングライター、竹内まりや(一九五五-)の作詞作曲で一九八四(昭和五十九)年発表『マージービートで唄わせて』に、こんな歌詞がある。
〈六四年のレコード棚にある/心震わせたあのメロディ
耳元で鳴り出す
あなたが消えてから/淋しくなったけど
いつの間にか大人になって/涙さえ枯れていた〉
タイトルにも歌詞にも登場しないが、ビートルズのことを、ジョン・レノンのことを歌ったのだと分かる。
歌詞の一九六四年は、竹内が島根県出雲市で過ごした小学生の時代に当たる。おれが高校一年まで知らなかったビートルズサウントを、小学生だった竹内は、知っていたのだ。
これは、世代の差ではない。感受性の問題だ。おれの同級生でも、知っているやつは知っていた。おれは深く恥じ入らなければならない。
野村が内縁の妻だったと主張する夭逝した美しい女性シンガーソングライターとジョン・レノンのつながりは、すぐに見つかった。愛読書に、レノンの詩集があった。
レノンだけではない。古今東西の文芸作品に、彼女は親しんでいた。
レノンが『Love』で歌った人称代名詞「きみ」「ぼく」「ぼくたち」を意外な手法で転用したという仮説も、それが決しておれの思い過ごしや買いかぶりではないことが証明された。
逝去直後、追悼の意味合いを込めレコーディングスタッフが選曲したアルバムCDに添付される歌詞カードのうち、一カ所、「わたし」が「きみ」と誤植されている作品がある。
彼女は歌詞を何度も推敲し、それは、作品として曲が世に出てからも更新が続いた。だから、同じ曲でも歌詞のバージョン違いが存在する。
しかし、ここでは彼女は確かに〈わたし〉と歌っているし、〈きみ〉では前後のフレーズと文脈がつながらない。思いが正しく伝わらない。
生前の言葉遊びと急逝に製作現場が混乱し、天に召した彼女には、もはや誤った歌詞カード下刷りを校閲できなかったと捉えるべきだ。
(「弐拾伍の2 優秀すぎた妹のキャリア」に続く)




