僕と私の茶番劇
「ベルくんベルくん、お散歩いこー」
生贄である事を告げられた少女が、そんな事実などなかったとばかりににこやかに微笑みベルナドットに向けて手を振っている。
呼ばれたベルナドットは、ほんの少し困ったように周囲を見回して……特に村の大人たちの目が厳しくもない事を確認すると小さく手を振り返して少女の元へと近寄っていく。
生贄であるという事実を告げられて二年。
少女は十歳に、ベルナドットは十五歳になっていた。
本来ならば十五歳になった時点で独り立ちしてもおかしくはない年齢なのだが、ベルナドットは村長の孫であり将来的には村の長という立場におさまる予定であるためにこの年になっても村にいた。
ちなみにほぼ同年代でもあったベルナドットの友人たちは早々に村を出ている。少女よりも年が下の子もいないわけではないが、少女はそちらの子たちよりもベルナドットによく懐いていた。
……正確には周囲の村人からはそう見えているだけ、なのだが。
少女が生贄となって門の向こう側へ行くまであと八年。
たった八年なのだ。
少女もあまり無茶な事は言い出さないために、村の大人たちは割と好きにさせている。村長の孫でもあるベルナドットに懐いているなら、ある意味で丁度いいと思っているのかもしれない。
村長の孫。目付け役にはうってつけ。
村人たちの一部がそう考えているのを、少女もベルナドットも把握していた。
お散歩、と言いつつベルナドットを連れて出かけるのはここ最近ではよく見られる光景でもあったしだからこそいつものように二人は歩き出していた。
昨日見つけたお花、今日は咲いてるかなぁ、なんて微笑ましい事を言いつつ去っていく少女とまぁ、咲いてるんじゃないか? などと答えているベルナドットを村人たちはいつもの事だしあの二人は仲がいいなぁなんて微笑ましく見送っていたが。
「――っていうか散歩くらいしか娯楽がないとか田舎マジクソですね!」
「そう言ってやるなよ。そもそもここらじゃ娯楽にかまける程の余裕がないだけだから。最低限飢える事がないだけで、裕福とは到底言い難いわけだし」
村人たちの目も届かなくなったあたりでにこやかに毒を吐く少女と、同意しつつも多少のフォローを入れるベルナドット。
多分、村の人がうっかり目撃でもしようものなら見間違いである事を疑って三度見くらいはするだろうし、ついでに耳もおかしくなったのでは? と疑う事間違いなしである。
村を囲む森。
村のすぐ近くであるならば、時折村人たちも足を運ぶ事があるが、そこから更に奥へと行くと、鬱蒼としていて流石に人が気軽に立ち入れる雰囲気ではなくなる。今の今まで襲われたという話は聞いた事がないが、魔物らしき影を見たとの話もあり、村人たちはあまり奥深くにまではやってこない。
その、まず誰もこないような深い場所に二人はやって来ていた。
村の誰もやって来ない森の奥深く。
そこに二人きり、ともなれば何となく逢引らしい雰囲気でも漂うかと思いきや、二人の反応にそんな色気らしきものも初々しさも欠片もない。
黙っていればそう見えない事もないのだが、お互いが口を開いた直後にそんな雰囲気は爆散していた。
ベルナドットは淡い金色の髪にまるで新緑のような色合いの目、ついでに両親のうち母親に似たのかやや女性らしさがある顔立ちと、父に似たのかすらりと高い背。着ている服次第ではまるで王子のように見えない事もないが、現在着ている服はごくごく普通の村人たちとそう変わらない服である。
一見すれば身分を隠そうと平民の服を着ている貴族に見えない事もない。黙ってさえいれば。
口を開けば気品といったものは吹っ飛ぶのであくまでも黙っていればの話である。
そうして向かい合う少女は、青混じりな黒い髪。それはまるで夜空のような色合いだった。今は邪魔だとばかりに無造作に結われているが、もっとちゃんと手入れをすれば更に綺麗になるに違いないと思える程だ。
目の色はまるで海のような深い青。
こちらも黙ってさえいれば、海の女神か何かと間違われたかもしれない。
ただし、猫をかぶらず口を開けば女神だなどと思った者は幻想だったと即座に現実に引き戻されるに違いないのだが。
「時にベルくん。きみ村長さんとこの子なんだから、何か情報は得られたかね?」
「残念ながら」
「え、ちょっと古文書とか何か他にないの?」
「ねぇよ」
「はぁ~? 残されてる情報とか少なすぎない?」
「あのな、逆だ。むしろここに残ってる情報は多いくらいだ。この世界じゃな」
「お、おぅ……そうか、そうだよね……」
言われて気付く。前世基準で考えれば残されている情報などむしろ何もないくらいの勢いだが、こちらの世界では多く残されているくらいなのだと。ただ何となく生贄を捧げてますよ、くらいの認識しかなかったりする可能性だってあったのだ。生贄を捧げる経緯まであったのだから、そう考えると結構情報は残されていると言える。
「しっかしこれ以上何の情報もないとなると本気で手詰まりかー」
「いや流石に俺も申し訳ないなと思ってはいるんだけどな? じいさんとこにある書物とか他にも目を通してみたけど生贄とか魔王に関する話以外だと過去に村でやってた畑の作物の収穫量とか、覚書程度の情報しかなかったんだよな。何かもっとデータがあるかと思いきやそういうのはなかった」
「なんでもかんでもデータとるのは前世だったら当たり前だったんだろうね」
「まぁ、結構しょーもない事でもデータとってこれ何の役に立つの、マジで、っていうやつとかあったしな」
「あの、村の外とかの地図とかは」
「なかった。聞いたけど無いの一言だった」
「ここから旅立つ人とか、どうやって他の所に行ってるの、それって手探り? 危険すぎない?」
「や、一応外に出るなら近くの町だか村があるとこまでは教えてもらえるらしいぞ。大雑把だけどな。そこから外の人から情報得るとかだろ、どこ行くにしても」
「人と会話するのが無理って人には始まる前から詰んでる状態ですね」
「まぁ、こんな世界じゃそもそも引きこもって誰とも口きかない生活とか無理だろ」
「ネットで通販がない時点で厳しいよね」
「通販……はぁ、俺が前世で死ぬ前に頼んでたゲーム結局届く前に死んだからな……かなしみ」
「私もお取り寄せスイーツ頼んでたのになー。あれ楽しみに仕事頑張ってたのに」
はぁ、と二人同時に溜息を吐く。
少女が生贄である事を告げられたのは、今から二年前の事だ。
そこから一年間、少女は特に何か行動を起こす事はなかった。生贄がイヤだという様子を表に出す事もなく、村から逃げ出そうという事もなく。少なくともベルナドット以外の村の住人からは、生贄である事を受け入れているように見えていた。
ただ何となく、ベルナドットから見るとあの時を境に村の連中とは一線を引いたように思えたのだ。具体的に何があった、とかはないものの。
この時点では少女とベルナドットに同じ村に住んでいるという共通点以外は存在していなかった。
だがしかし。
去年。生贄であると告げられてから一年が経過したある日の事。
少女はおもむろにベルナドットに近づいた。
そうしてある意味初めての会話をする事になったのだ。
「お兄さん転生者だよね」
ストレートにも程がありすぎるほどド直球すぎて、ベルナドットは言葉を失って口を金魚のように開閉させるだけだった。
「て、転生者って、何の事だい?」
この時点でベルナドットの少女に対する認識は得体の知れないものだった。少女も転生者である、という可能性も考えたが、何というかそういった転生者を異物として認識し排除しようという存在がいないとも限らないなと思ってしまったのだ。だからこそ安易に味方だと思って情報を開示するのは危険だと思ってしまった。
故に何とか口を開いて言った言葉は全力で誤魔化そうとするものだったのだが。
「誤魔化したいの? お粗末すぎない? 別にここで素直に頷かないならそれでもいいけど……私以外を誤魔化す準備はできてる?」
きゃるん、と効果音でもつきそうな軽い動作で首を傾げる少女は、ベルナドットが転生者であるという事を既に決めつけているようだった。つ、と汗がベルナドットの頬を伝って流れ落ちていく。
「待ってくれ、その――いってぇ!?」
「今私の名前呼ぼうとしたでしょ。冗談じゃないわ。その名前生贄って意味じゃない。呼ぼうとしたら蹴るからね」
「もう蹴ってるだろ。しかも脛! いくらお前の力がなくてもそこは加減しろよ!」
「あらやだ、あなたが私の名前を呼ばなきゃいいだけの話よ」
はん、と鼻で嗤うように言う少女に、ベルナドットは即座に認識する。あ、こいつも転生者だわ。転生者を異物として排除しようとかするような存在じゃなかったわ、と。
「わかったわかった転生者だよ。てか、あんた以外を誤魔化す準備って何するつもりだよ」
「え? ただ私は、ベルナドットお兄ちゃんがリア充爆発しろって言ってたんだけど、リア充ってなぁに? って汚れなきまなこでもって村の人たちに聞いて回ろうとしただけよ?」
「うっわ……」
異世界転生してある意味初めてのドン引きだった。
「俺、リア充とか言ってた?」
「収穫祭の時に」
即答されて、しかも心当たりがあったためにベルナドットは黙るしかなかった。
そういや今はもう村を出てしまった友人たちのうち、ちょっといい雰囲気になってくっつきそうなのがいたのだ。そいつらを見てほとんど反射的にそう呟いていた自覚はあった。まさかそれを彼女が聞いていたとは……
ともあれ、村の連中に聞いて回るような事をされずに済んで良かった。聞き間違えで誤魔化すにしても、祖父あたりに聞かれた場合誤魔化しきれるかどうか危うい。祖父だけではなく両親あたりにも問われた場合、誤魔化しきれる自信がない。そうなった場合のこの世界での家族の反応を思うと後が怖い。
「そう、転生者なのね。じゃあ、同じ転生者同士、仲良くしましょう?」
にこり、と微笑んでいるが。
笑顔の裏にはとんでもない圧が隠れる事なく存在していて。
……拒否権なんてなかった。
少女が望んだのは、生贄に関する情報だった。もっと深く掘り下げたものとか、魔王に関する情報でもいい。とにかく他に何らかの情報がないかとベルナドットに頼んだのだ。流石に自分で村長の家に行って調べ物をさせてほしいといっても、調べる内容が内容だ。もし村長が知ればあまりいい顔はしないだろう。
けれどベルナドットなら。村長の身内である事だし、別に家の中で本を読んでいてもおかしい事でもない。
ベルナドットもそれはわかっているのだろう。だからこそ素直に引き受けてくれた。
どうせ他にやる事もないしな。とは声に出してはいないけれど。
急にベルナドットと接触するようになると逆に怪しまれるかと思い、少女とベルナドットはお互いに時間をかけて徐々に二人が一緒にいてもおかしいと思われないようにじわじわと距離を縮めていった。
そうしてある程度時間が経過してから、少女が転びそうになったところをベルナドットが助けたり、怪我をしそうになっていた所をベルナドットが庇ったりといった、少女がベルナドットに懐いてもおかしくない状況を村人たちに見えるようにやっていた。完全な茶番である。
茶番なので別に本当に怪我をしそうだったりとか、そういう事はない。ベルナドットが身代わりになっても怪我一つないままに終了するような茶番なのだが、村の人たちは何故だかころっと騙されてくれた。
間違った方向に純粋培養かな? と少女が遠い目をしたのは言うまでもない。
村のご先祖様は助けられた事で魔王に生贄捧げるような連中だもんね。この程度の茶番でころっと騙されてる子孫がいても何もおかしくなかったわ。
かくして、二人がよく一緒にいてもおかしいと思われない程度になった頃に、ようやく村長が所持している書庫の確認を終えたベルナドットに情報収集の結果を尋ねたのだが。
結果はお察しであった。
二人が転生者だという事実を明かしてから一年。ほぼ無駄足である。
「私たち……一体何をしてたんだろうね」
「茶番だろ」
「ベルくんはもっと言葉を生八つ橋に包むべき」
「オブラートじゃなくてか!? 八つ橋は流石に問題ありすぎじゃないか!?」
「何となく今食べたい気分だったから」
「流石に無理すぎだろ! 材料ほとんど入手できねぇぞ!?」
「きな粉とシナモン混ぜ合わせればそれっぽい感じにはなるよ。まぁ、餅っぽいものも餡子もないからそれだけ代用しても、って感じだけどね」
はぁ、と溜息をついている少女ではあるが。
「え、あれきな粉とシナモンで代用可能なのかよ……」
どうせならその知識は前世で知りたかったなー、などと思っているベルナドットは少女の様子など目に入っていなかった。
二人とも割かしフリーダムである。