秘密の忘れ物
信が七海に失恋したのは、今や公然の秘密となっていた。
そして信を振って七海が黛と結ばれる事になったという事も―――勿論本田家の誰もが知っている。
そんな信が―――ある日本田家に彼女を連れて来た。
信の彼女は現役の警察官だった。
体を動かす事が得意で武道にも通じており、柔道三段、剣道四段、合気道二段の腕前だと言う。そしてクレー射撃でオリンピックの候補にあがった経験もあるのだそうだ。
女性問題を解決しかねている信にとってこれほど頼もしい彼女はいないだろう。
何より信が熱心に口説き落として付き合う事になったと言うから、七海と黛の結婚予定日が近づきお祝いムードをどう抑えたら良いのかと思い悩んでいた本田家のメンバーは、皆一様に胸を撫で下ろしたのだった。
「あの……南さんは、信の何処を気に入ってくれたのですか?」
「何処と言うか……相性が良かったんだと思います」
「はあ……なるほど」
当り障りのない受け答えをする女性は、冷たく見える容貌を時折ニコリと綻ばせた。
三十歳になったと言うのに、何処か危なっかしく見える信には―――勿体無いくらいシッカリした女性だと家族は皆喜んだのだった。
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「信兄、あんな人とどうやって知り合ったの?綺麗な人だけど―――婦警さんと出会う機会なんてあったんだ?」
彼女を送ってから戻って来た兄に向って、信の弟、心は素朴な疑問をぶつけた。
「……」
信が返事をしないので、心は不安になって声を低くした。
「……もしかして、何かやらかして……捕まっちゃったとか?それが『出会いのきっかけ』なんて、言わないよね……?!」
「いや」
「じゃあ、何?どうやって知り合ったの」
「……忘れ物を……」
信はボソリと呟いた。何故か顔を朱くして。
「飲み屋で偶然会って―――忘れ物をしていったんだ、彼女が」
「忘れ物?」
「それで気になっていたんだけど、道端で偶然勤務中の彼女と再会して―――」
「へえ!」
心は感心したように声を上げた。
「そんな出会いってあるんだね。ドラマみたいだ」
小学校の同級生とずっと付き合い続けもうすぐ結婚する予定の、堅実な心には想像も出来ない世界だった。
「で、その忘れ物って何?それが、縁結びの品だったんだよね」
「それは―――内緒だ」
「へ?」
「恋人との大事な想い出だ。人に言うような事じゃない」
「―――そう言うもの?」
信はしっかりと弟に頷いて見せた。
「……そう言うものだ」
かつて聞きたくも無い女性関係の修羅場を聞かされて辟易した事もあった。優し過ぎるのか優柔不断な処のあった兄だが、今の彼女との関係で良い方向に変わりつつあるのかもしれない。
力強く頷く兄を見て、幼い頃頼もしく思っていた頃の彼を心は思い出した。
こうして信は新しい恋人を手に入れたのだが。
彼女が残した『忘れ物』と出会いの経緯については、終に信の口から詳しく語られる事は無かったのだった。
信が残念な感じになってしまって大変申し訳ありません(汗)
失恋の傷を癒す相手となると……これぐらい強い相手しか思い浮かびませんでした。
お読みいただき、有難うございました。