第一話
主人公とヒロインの出会いです。
空の向こうに憧れた。
幼い頃、お前の父は空の向こうに居るのだと言われていた。そこできっとお前を待っているから、と。だから、恵まれた才能以上に努力を重ねて、空の向こうに手を伸ばした。
そうして返されたのは、余りに残酷な代償だった。
とある王国と王国の国境に程近い町は、かつて宿場町として栄えていた。否、正確に言えば今も宿場町としての体裁は保っているのだ。しかし、半年ほど前から人々は、常に生活を賊に脅かされていた。数々の町を荒らし回ったと豪語し、武器を振り回す盗賊達に、町は成す術もなく支配されていた。
町の小さな役場で、縮こまっている町長を前に、賊の頭は椅子にふんぞり返る。机の上には、金貨が詰まった袋が置かれていた。
「これが今月の納金だぁ? 足りねえぞ、先月から更に減ってるじゃねえか」
「し、しかし、その……余り良くない噂が流れているようでして、御客の足が遠のいているのです。加えて、我々も冬への備えをしなければいけませんし、」
「お前らの生活なんぞ知ったこっちゃねえんだよ! いいか、三日以内に足りねぇ額を収めろ。そうでなきゃ一日遅れるごとに一人ずつ町の人間を殺していくからな!」
頭はそう言って傍らの椅子を蹴り倒した。町長はますます体を小さくする。
その時、ふと役場のドアがノックされた。長は振り返り、賊の頭も怪訝な顔をする。
「……開けろ」
頭が顎でしゃくると、手下の一人が頷いて扉を開いた。
そこには、一人の―――恐らくは―――旅人が立っていた。
上半身はケープを羽織っており、黒い革製のブーツとズボンはシンプルなデザインだ。目深に被ったフードの奥では、目元を隠す横長の仮面と、嫌に白い肌が覗いていた。
「……宿を取ろうとしたらここに金を払えと言われた」
声は涼やかで抑揚に欠けている。男だろう、多分。
「取り込み中なら出直す」
「客か。いや、すまねぇな、用なら終わった。金は置いて行け」
「……そうか」
旅人は腰に吊るした袋を取る。
「相場は」
「……おい」
頭に言われ、町長は慌てて立ち上がった。
「は、はい! 今の時期でしたら、一泊、金貨三枚で……」
「ならば十二枚払おう。二泊三日滞在する。その間、そのバカ騒ぎをしないでくれ」
旅人は十二枚の金貨を机の上に置き、仮面の中央を指で押さえて踵を返した。町長が引き留める間も無く、旅人は後ろ手でドアを閉めた。
「……良かったなぁ町長さん。いい客が来てくれて」
「……は、はは……」
町長は俯いて渇いた笑みをこぼす。頭は金貨を全て取り、ポケットに突っ込んだ。
粗末な宿の部屋に通され、旅人は肩からかけていた荷物を降ろした。ドアをノックし、返事を待たずに一人の少女が入ってくる。
「……失礼いたします。今日明日、それから明後日、お客様の御世話役を担当させていただきます、ミカと申します」
少女は、旅人の胸元ほどの背丈で、俯いた顔を隠すように前髪は長く伸ばされていた。髪の色は淡い水色、目は深い蒼である。そして、前髪で隠されたその幼い顔の右半分は、髪に似た淡い水色の鱗で覆われていた。粗末な服の袖から覗く手首にも、同じ鱗が見え隠れする。日焼けした肌にその涼やかな髪は不似合いで、それがなお少女の姿を奇妙に見せていた。
「今、人手不足でして……私のような者が担当で申し訳ありません。何でもお申し付けください。洗濯でも、掃除でも、食事でも」
旅人はケープの留め具を外し、それをハンガーラックに引っ掛けた。黒い高襟の中着に半袖の白い上衣を中には着ており、それを留めている腰帯には金色のアクセサリーが二つ吊り下げられている。首には、銀色の鎖のものと、橙色に金の装飾が付いた石のネックレスを掛けていた。旅人がミカを振り返ると、首の飾りがしゃらんと鳴る。
仮面だけは相変わらず付けていたが、露わになった髪は、首元で切り揃えられた青みがかった銀髪であった。耳には小さな紅い石の耳飾りが揺れている。
「用は無い」
「へっ?」
「……用は、無い」
念を押すように旅人が繰り返すと、ミカは慌てて深々と礼をした。
「失礼いたしました! それでは、お食事の時間にまた伺いますので」
ミカがすぐに部屋を出て行き、旅人はベッドに座って息を吐いた。
旅人は仮面に手を添えたまま仰向けになる。そして薄い唇から細長い息を吐き、やがて寝息を立て始めた。
三日月が高く上った頃、旅人の部屋のドアが乱暴に叩かれた。旅人は舌打ちをして起き上がり、ドアを開く。
「す、すみません……あの、」
立っていたのは、ミカであった。旅人はずり落ちかけた仮面を直し、「何だ」と問う。
「えっと……その、とにかく、今はお逃げください! すいませんお休み中に、でも、」
「整理してから言え」
「っ……、その、この町を今支配している人達が、お客様がお金を持っているだろうからって」
言葉の途中で、ひたり、とミカの首に銀色の刃が当てられた。ミカは息を飲む。
「……そう言う訳なんですよお客さん。ちょーっと多めに宿代払って貰えませんかね」
暗闇から顔を出したのは、賊の一人だ。旅人はドアに手を掛けたままそれを見下ろし、それから細く息を吐く。
「……その小娘を、己れが助けてやる義理は無いが」
「お客様、構わずお逃げ下さい!」
ミカが叫び、「黙ってろ!」と賊が怒鳴る。
「こいつの次はあんただ! 金貨を出しな、路銀くらいは残してやるからよ!」
「……それは困るな。これは花を買う金なんだ」
旅人はそして仮面に手をかけ――――
「ミカ、と言ったな。――――目を閉じていろ」
仮面を、少しだけずらした。ミカは言われるまま両目を硬く瞑る。
仮面をずらしてのぞいた右目は、髪の色に似た、淡い青みがかった銀色をしていた。目尻には泣き黒子があり、切れ長の目に長い睫毛は女性的で――――ぞっとするほど、美しかった。
「っ……は、っ……!?」
賊の男はその目を見るなり息を飲み、それから唇をわなわなと震わせてナイフを取り落した。顔色はみるみる悪くなり、息を小刻みに吐き出しながら手を喉に触れさせる。
「……どうした、呼吸の仕方でも忘れたか」
旅人が言うと、男はその場で腰を抜かした。しかし旅人の片目からは目を離さず、次第に目が虚ろになってゆく。
「……次は、心臓の動かし方でも忘れるか」
すぅ、と旅人は目を細める。かちかちと歯を鳴らし、男は必死に首を横に振った。旅人は仮面で再び目を隠す。
「ぶはぁっ! はっ……、」
男は息を吐き、改めて旅人を見上げた。左目の下に涙の絵がある白い仮面は、真っ黒な切れ長の目が旅人の双眸を覆い隠している。男はナイフをひっつかむと、ばたばたとその場を逃げ出した。
「……お客様? もう目を開いても、」
「面倒事は終わった。お前も寝ろ」
旅人はそう言うと、ばたりとドアを閉じた。
「……えっ」
真っ暗な廊下に取り残され、ミカはしばし呆然としてドアを見上げた。




