第34話:難民
ズゥゥゥゥン――。
二発目だ。
数キロ離れた集積所にいても、新型長距離要塞砲が空気を引き裂く振動は、肌を刺すような圧力として伝わってくる。
隣国の砦に籠もる兵士たちにとって、この音は二十分おきに下される「死の宣告」に等しい。そして逃げ出す者にとっては、死神が刻むわずか二十分の猶予。
敵の守備隊は二千人近くが集結していると報告を受けていた。対する帝国軍は一個連隊(約三千名)。その内、帝国仮設新型長距離要塞砲基地には千名。
この千名は主力であると同時に新型長距離要塞砲の防衛部隊でもある。
隣国は、砦と地の利を活かした防衛戦を展開し、本隊の到着まで持ち堪える――それが彼らにとっての「正解」だったはずだ。だが、その論理は、この射程外からの物理的破砕によって根底から崩壊している。
ここからは見えない。だが、もしこの重低音が鳴り止む時が来れば、それは砦が「機能」を停止し、物理的に消滅したことを意味する。
俺が、建設工兵大隊の教導補佐という立場で、整備をしていたのは物資搬入経路確保が本来の目的ではない。
今頃は、俺が整備した街道を使って周辺の町から展開した歩兵大隊が、砲撃に震える敵の退路を完全に遮断しているはずだ。彼らの役割は戦闘ではない。
逃げ道を塞ぎ、生存者の投降を効率的に受け入れるための「包囲壁」として機能することだ。
すべては、あらかじめ定められた工程表通り。
二時間後。
砲撃の音は止まった。後の報告によれば、二発目が敵司令部を直撃。隣国の司令官および上級将校は即死し、指揮系統はこの時点で完全に削除されていた。
――帝都、帝国軍参謀本部。
戦時中、俺はほとんど何もしていない。電車オタクと共に周辺の定期馬車を最適化し、救貧院で生産している軍事消耗品の増産調整、物資の在庫切れが発生しないよう手配しただけだ。
特別監察室の窓から見える広場には、帝都の市民が集まっている。
皆が手にしているのは、あの事件で犠牲となった少年が持っていたという『平和を訴える小さな旗』だ。
あの旗は、帝国全土の都市へとある商会が無償配布したと聞いている。……全土に十万本以上。一体、いつからこの「大量生産」の準備していたのか。
隣国との国境線が、事実上二十キロメートルほど「西」へ移動してから三か月。
帝国軍参謀本部では、獲得した「領域」の支配体制について慎重に検討を重ねていた。
中尉が、何の前触れもなく口を開いた。
「少尉。参謀本部より占領統治に向けての会議に参加するよう、要請が出ています」
「少尉の俺に、参謀本部の本会議に参加しろと……!?」
心臓が停止するかと思った。冗談ではない。一介の少尉が、帝国の根幹を司る中枢に放り込まれてどうすればいい。
「中尉。……俺は、遺書でも書いておくべきですか?」
俺の絶望的な問いに、中尉は慈しむような、あるいは観測を楽しむような無表情を向けた。この召集の意味を知っているのか、あるいは中尉自身がこの「仕様変更」を仕組んだ側か。
だが、軍人としての義務は遂行しなければならない。俺は元々、この不潔な世界に耐えられず、綺麗な寝床と旨いスープのために軍に入った。
そして今は、快適で安全な隠居生活のために『覇権国家計画』を進めている。
まずは身だしなみだ。軍服の汚れ、ボタン、階級章。外部を整え、関連する全ての「資料」と「記録」を整理する。俺の任務だけでなく、占領地の現状に関する手書きのメモまで、あらゆる変数を持ち込む必要がある。
――参謀本部三階、特別戦略策定室。
「はい、閣下。費用対効果を鑑みるに、直接統治よりも、将来の継続的な利権確保を見据えた復興支援を行う方が、帝国の国益に資するのではないかと愚考いたします。」
「帝国が、“利益を永久に吸い上げる”体制を構築するか。……少尉、参考にしよう下がって良い」
「はっ。失礼いたします」
俺は最敬礼を送り、背中に刺さるような視線を感じながら、音を立てぬよう会議室を辞した。
二週間後。
中尉から、俺が提案したとされる『帝国吸血構造』の試験運用地に、あの地域が選ばれたと告げられた。
……どうして、俺が提案したことになっているのか。
俺は報告書で読んだ。隣国の守備隊は撤退の際、自国の畑と村を焼き払い、橋を落とした。そして自国民をあえて「難民」とすることで、帝国軍の進軍を遅らせる「人間の盾」として利用したのだ。
隣国軍は、あの新型長距離要塞砲の射程を正確に把握できていなかった。ならば彼らにとっての最適解は一つだ。射程内となる可能性がある全ての土地に、移動先が予測不可能で、かつ「帝国が攻撃を躊躇う」民間人という目標を分散配置する。
目的は合理的で効率的だ。理解はできる。だが、その手段は管理の観点から言えば最悪だ。経費がかかりすぎる上に、将来的な生産基盤を自ら損なう行為だ。
その土地の民が自ら街を作り、土地に愛着を持てば、多少の紛争程度で住処を捨てはしない。それに、無理な直接統治は常に「反乱」という不確定な経費を内包する。
だから俺は、あくまで費用対効果の側面から「復興支援」による間接統治が合理的だと具申しただけなのに。
だが、最も効率の良い設計者に責任を帰属させるというのは合理的だ。
「少尉。正式な命令は後日となりますが、現地入りする準備はしておいてください」
『国境の落日作戦』の元になった俺の論文、その最終章には複数の統治手法に関する評価と、その比較検討をまとめてある。
第四段階において参謀本部がどの結末を選択するのかは不明だが、俺はいつも通り、俺の安寧のために任務を遂行するだけだ。
この世界の概念には存在しない『ODA(政府開発援助)』。
周辺諸国は帝国をどう見るだろうか。慈悲深い聖者か、あるいは底知れぬ怪物か。
……どちらでも構わない。結果として、帝国のシステムに従うのであれば。
西部地方への出発は一週間後と決まった。
元隣国の西部領土には、当然ながら「道の駅(PA/SA)」網など存在しない。帝国で普及しつつある利便性を向上させる設備も、生活を支えるインフラもないだろう。
その上、隣国軍による焦土作戦によって生活基盤は文字通り灰になっている。
帝国内から持ち込む「備品」を大量に選定する必要がある。
帝都の発展に伴い、最近は使う機会が減っていた知識――“現代的なインチキ”を、久しぶりに暴力的なまでの効率で使ってやるつもりだ。
(これは復興支援だ。断じて、経済的植民地化ではない。と自分に言い聞かせた。)
俺は報告書から読み取れる欠乏情報を基に、必要な『備品』を選択する。今ここで用意できるものだけを先行して持ち込み、残りは定期馬車を使って後から運搬させればいい。
備品一覧を作成している俺の背後から、期待に磨き抜かれた無表情を湛えた中尉が問いかけてくる。
「少尉。……楽しそうですね」
「俺は、俺の快適で安全な隠居生活のためにやっているだけですよ」
このやり取りも何度目だろうか。ただの日常会話なのか、それとも俺の「内側」を覗こうとする意図があるのか。
二週間後。
俺は、実効支配下におかれた「元隣国領」に足を踏み入れた。報告書で予習はしていたが、現場の空気が持つ特有の「質」は、直接触れてみなければ分からない。俺はここで、新たな知見を得ることになった。
焼けた土の匂い。
乾いた煙の残滓。
そして、重苦しい沈黙。
かつて村と呼ばれていたはずの場所は、外形こそ保っているものの、内部の“機能”を完全に喪失していた。崩れ落ちた壁、折れた梁、炭化した畑。人間の生活という連続した工程が、外部からの実行命令によって強制終了させられた――その無残な記録だけが残っていた。
近くの難民保護施設へと移動する。
臨時に設置された配給所には、気の遠くなるような長い列ができていた。痩せ細った人影が、一定の間隔を空けて並んでいる。誰も声を上げない。ただ、前方だけを見つめている。
(……供給待ちの列か)
帝国軍による配給は、この地域における唯一の生命維持装置だ。列が維持されている限り、この場所は辛うじて“稼働”している。逆に言えば、この列が崩壊した瞬間、この地域は完全な機能停止に陥る。
周囲からの視線を感じる。
俺の護衛として付いている二個分隊の軍服と武装は、この絶望の中ではあまりにも異質な存在だ。
向けられるのは、憎悪、恐怖、困惑、そして諦念。分類は容易だが、そのどれもが具体的な「行動」へと遷移していない。未処理の感情が空間に滞留し、沈殿している。
その沈殿は、怒号にも反乱にも変換されることなく、ただ薄い霧のように列の上を漂っていた。
供給待ちの列に近づいたその時、一人の子供が俺の方へ倒れ込んできた。
分隊長の曹長が、不確定要素を排除しようと速やかに部隊へ身構えさせたが、俺はそれを制し、子供の状態を観測した。
曹長は怪訝そうな顔をしていたが、俺が止めたことで辛うじて魔導銃を下げ周囲を確認した。彼らにとって、ここ「敵地」であり、倒れ込んできた子供は不確定な攻撃要素だ。彼は俺の護衛という任務を完全に遂行している。
……重度の低血糖か。
さらに列を観測すると、一度配給を受け取った者が、列の末尾に再び並び直そうとしている。
これは列の維持が限界に近いという“構造的な警告”だ。
食糧不足をきっかけとし暴動が、やがて大規模な農民軍へと肥大化する過程は、以前の経験(第11話)で学習済みだ。
今日のパンとスープを渡しても意味は無い。供給量の再計算と配給路の最適化が必要だろう。
中尉が、列を見たまま口を開いた。
「少尉。この光景を見て、どう思いますか」
俺は再度、列を観察した。
「配給量の再計算が必要ですね」
「……そうですか」
俺の脳内で、“現代的なインチキ”を活用した復興支援――の設計図が、冷徹な速度で完成しつつあった。
読んでくださり、ありがとうございました。




