第210話:覇権国家計画(最終話)
最終回です。少し長めの9000文字くらいです。
『西部諸国横断鉄道開通式典』へ向かう蒸気機関車、士官室。
俺と教導大隊を乗せた列車は、帝国東部の巨大工廠都市を出発し、終着駅である帝国西部の『環山連邦』へと向かっていた。
当初の予定を大幅に前倒しする突貫工事によって敷設されたこの鉄路は、帝国から『豊浦王国』を経由し、西部諸国の入口とも言える『環山連邦』までを一本で繋いだのだ。
目的地である『環山連邦』は、国土を形成する全山を強固に要塞化した鉄壁の国境防衛を誇る。しかし、他国に攻め込まれにくい反面、近隣の港湾国家に通商路を握られており、これまでは内陸国ゆえの経済的な後れを取っていた。
だが、この『西部諸国横断鉄道』が正式開通し、隣国にまで鉄路が延伸されれば、話は変わる。『環山連邦』の主産業である鉱物資源の輸出拡大は確実となり、同時にあらゆる物資の輸入も可能になるはずだ。
俺は、窓の外を流れる景色を眺めていた。そこには、泥と硝煙に塗れた東部前線とは完全に無縁の、穏やかで平和な平原が広がっている。
「大尉。考え事ですか?」
対面に座る少佐が、路面の起伏に合わせて不規則に揺れる車内だというのに、軍服の袖一つ乱さず優雅に珈琲の香りを愉しみながら語りかけてきた。
「いえ、少佐。もし帝都に立ち寄る時間があるなら、あそこの実験農場から高級葡萄酒を拝しゃ……。いや、開発中の試作品を調達したかったんですがね。式典に集まる西側諸国の要人たちへの手土産になったでしょうから」
「大尉。以前から、いや……初めからですか。あなたは帝国に対する愛国心のような感情を、一切持っていませんね」
少佐は、平坦な声で、淡々と俺の胸の内を突いてきた。
「ええ、全く」
俺は迷わず即答した。
理由も因果関係も分からず、ある日突然、気が付いたらこの世界に放り出されていたのだ。帝国という国家はおろか、この世界そのものに対する愛着や帰属意識など、ひとかけらも存在しない。
もっとも、軍に身を置いている以上、命令には従うし、給与分の義務は果たしているつもりだ。
それに、特別監察室の権限が使えたからこそ、これまで旨い食事と清潔な寝台にありつくことができた。残念ながら、大戦の勃発によってそれを優雅に堪能する機会は消し飛んでしまったが。
(――俺が今まで会ってきた同郷の異世界人は十人そこそこか。皆、今の生活のために仕事をしていた。そもそも少佐だって異世界人だろうに、軍人という人種になれば違うのだろうか。俺には分からない)
「ふむ、大尉は相変わらずですね」
少佐は満足そうに微笑むと、再び優雅に珈琲を口に運んだ。
『豊浦王国』の鉄路は、国境を前に二本に分岐している。一本は軍港へと延びる鉄路、そしてもう一本が、俺たちの向かう『環山連邦』へと至る大動脈だ。
列車は何事もなく分岐を過ぎ、車窓の景色はいつしか広大な穀倉地帯へと変化していた。黄金色に波打つその美しい土地は、かつて帝国が復興支援の名目で大規模なODA(政府開発援助)を行った場所(第35話)でもある。
帝国の農薬と肥料によって、この国の食料自給率は劇的に向上した。だが、その豊穣を維持するために必要な資材の多くは、今も帝国から運ばれてくる。『豊浦王国』の美しい豊穣の景色は、帝国無しでは成り立たなくなっている。
やがて列車は、『環山連邦』の国境検問駅へと滑り込み、長い旅の一時停止を告げた。
国境を越えるための各種手続きは、形式的な調査とはいえ数時間は要する。列車は今夜この駅で夜を明かし、日の出とともに出発する予定となっていた。
教導大隊には下車許可が下りておらず、車内待機となっている。ただ時間を潰すくらいしかやるべき仕事がなかった。
――ドゴゴゴッ!
深夜。地響きのような揺れと、腹に響く爆音が静寂を切り裂いた。
直後、士官室の重い扉が軽く叩かれる。現れた『環山連邦』の国境警備隊員は、感情の起伏を完全に排した色のない声で、事務的に短く告げてきた。
「問題ありません。間もなく鎮圧します。そのままお休みください」
翌朝、朝日の差し込む士官室。
「大尉。昨夜の騒動は、『西部諸国横断鉄道』建設反対派による抗議活動だったそうです」
少佐は、優雅に珈琲を飲みながら、一枚の報告書を俺に手渡してきた。
「鉄道建設反対派、ですか」
俺は受け取った紙面に目を落とした。そこに書き連ねられた犯行の動機を、極めて簡潔に要約するならば――既得権益の抵抗と、変化を拒む文化的な反発、といったところか。
鉄路によって食いぶちを失う馬車事業者や運河の経営者。さらに「先祖代々の神聖な領地を鉄の怪物で汚されたくない」と宣う伝統的貴族や大地主層。
それらが裏で結託して建設を妨害し、そこへ「蒸気機関車の煤煙は美しい山河を破壊する」と主張する、自然派の示威運動組が合流した。
深夜の爆音は、完成したばかりの鉄路を爆破しようとした過激派による犯行だった。しかし完全武装の国境警備隊による“平和的な排除”の前に、数十分で解決した。
仮にこの国境検問駅で破壊活動が成功していれば、同じ思想を持つ反乱分子からの支持や資金を集められたのかもしれない。だが、完全武装の軍隊を相手に、僅か十数名の過激派でどうにかできるわけがないのだ。
彼らが何を生むつもりだったのかは理解できなかった。
もっとも、『西部諸国横断鉄道』が完全開通したあかつきには、今までとは比較にならないほどの、極端な経済的格差の時代が始まりを告げるはずだ。
鉄路は、あくまで効率的な輸出入の最大化のために敷かれている。駅から近ければ富が集まるが、駅から離れれば離れるほど、物資も恩恵も届かなくなる。鉄路という新たな大動脈から見放された辺境は、急速に過疎化するだろう。
予定より少し遅れて動き出した列車は、やがて目的地の『西部諸国横断鉄道開通式典』の会場へと到着した。
式典の開幕まで、あと三日。
だが、会場に並ぶ顔ぶれは奇妙だった。賓客たる西側諸国の要人の姿はまだ見えないというのに、やたらと各国の識別章をつけた兵士――いや、組織化された「軍隊」の姿ばかりが目につくのだ。
単なる式典の警備というなら、主催である『環山連邦』の政府だけで事足りるはずだし、何より動員されている数が多すぎる。
「少佐。なぜこれほど各国の軍隊が集結しているのですか。合同演習の予定は組まれていなかったはずですが」
(……嫌な予感がする。教導大隊も合同演習に参加しろなんて命令が出るかもしれない。塹壕陣地構築くらいなら付き合うが、危険な実弾演習に巻き込まれるわけにはいかない。少しでも情報を集めなくては)
「大尉。合同演習ではありませんよ。帝国への派兵です。……まあ、名目上は『平和維持活動(PKO)』ですね」
少佐はそう言うと、厳重に魔導封印された分厚い機密封筒を、俺の胸元へ突き付けてきた。
封筒を受け取った俺は、式典会場に併設された帝国軍の宿舎へと足を運んだ。その道中、俺の視界を掠めたのは、体躯に合わない軍服に身を包んだ、まだ幼さの残る少年たちの姿だった。
宿舎の執務室に入り、椅子に深く腰掛けた俺は、即座に魔導封印を解いて書類の精査を始めた。
――『環山連邦』、『美州共和国』、『平水共和国』による多国籍部隊編成、および帝国東部戦線における『平和維持活動(PKO)』の実施について。
この三国は、西側諸国が帝国への経済的依存を完全に断ち切るべく、強固な三国同盟を結成していた。帝国への輸出入制限――すなわち『ブロック経済』の導入によって帝国に対抗しようとしたのだ。
しかし『豊浦王国解放戦線』が『豊浦王国』への開始した。――それを合図に参戦条項が自動発動。三国同盟は『豊浦王国』、そして帝国へ向け、連鎖的宣戦布告を突きつけることとなった(第110話)。
だが、それも今や過去の話だ。現在の彼らの前には、帝国が主導して敷設した『西部諸国横断鉄道』が横たわっている。
西部諸国と帝国を鉄路で結び、強固な経済的相互依存が始まろうとしている。かつての敵国同士は鉄路によって、戦うことではなく手を取り合うことを選択したのだ。大砲を背に握手を求めるよりは、よほど合理的だろう。
書類を読み進めていた俺の指が、ある一節で止まった。
――『徴兵年齢の引き下げ』。
三国とも、徴兵年齢を十六歳にまで引き下げるとある。
書類上の大義名分は「経済的困窮からの救済」や「雇用の確保」という甘美な文言が並ぶ。一見すれば、国家による合法的な雇用と教育の機会に見えるが、その実態はあまりに欺瞞に満ちていた。
要するに、経済的に困窮した未成年を社会から隔離し、そのまま戦場へと送り出すのだ。
短期的には失業率の低下や治安維持といった都合の良い「数値」をもたらすだろうが、中長期的に見れば国家の基盤を根本から叩き壊す致命的な悪手でしかない。若年層こそが、将来の経済を支える人的資本そのものだからだ。
だが、この世界に生きる者たちは、誰一人として本当の『世界大戦』を経験していない。それは俺たち異世界人とて同じだ。歴史の知識として知っているに過ぎない。
――帝国の場合は、百年以上も前から先達たる異世界人が国家の深部に介入している(第3話)。
『覇権国家計画』。
帝国を圧倒的な領土と生産力を誇る侵略不可能な超大国へと押し上げ、食料と技術の輸出によって、他国が帝国なしでは立ち行かない構造を作り出す。
高度な経済的相互依存関係を構築し、戦争のコストを到底支払えない水準まで引き上げることで、世界大戦そのものを未然に抑止する。
その目的は達成されつつある。この『西部諸国横断鉄道』は、各国に富をもたらす。そして、その富を維持するために、各国はこれからも鉄道を使い続けなければならない。
しかし、現実は理想とかけ離れている。
今やこの大陸は、覇権を握る帝国と、もう一つの列強たる『赤旗国』による激突を契機として、あらゆる国家を巻き込んだ『世界大戦』の渦中へと完全に沈み込んでいた。
「大尉。各国の徴兵年齢の引き下げについて、どう評価しますか」
少佐は、俺がどんな信念を持っているのか、その底の深さを測るような冷徹なまなざしを向けてくる。
「少佐。東部前線の深刻な兵力不足が、これで一時的には解決するかもしれませんね」
俺は表情一つ変えずに答えた。
『平和維持活動(PKO)』という名の大規模な派兵を実施する三国は、戦後に膨れ上がるであろう膨大な退役軍人や傷病兵の医療費、生活扶助、年金などによって、国家財政を長期にわたり圧迫し続けることになるだろう。
だが、『西部諸国横断鉄道』の利権に参加した時点で、帝国が敗北すればそれまでの話なのだ。今この瞬間に必要なことは、帝国の勝利と戦後に彼らを雇い入れるための経済基盤の維持だけだ。
それに、他国の内政に対して帝国がわざわざ不干渉の原則を破る必要もない。各国とも、生き残るために最も『合理的』な選択のもとに参戦している、ただそれだけの話なのだ。
――三日後。
『西部諸国横断鉄道開通式典』は、大陸の新たな覇権を誇示するかのように、大々的に執り行われた。
式典会場となった巨大な駅には、西部諸国からあらゆる物資が集められていた。開通したばかりの鉄路を征く蒸気機関車によって、富は帝国へともたらされ、同時に帝国からも西部諸国へ向けて大量の食料が運ばれていく。経済的な相互依存の幕開けだった。
しかし、漆黒の列車が運ぶのは物資だけではない。軍服に身を包んだ、最も安価な人的資源――すなわち、軍隊だ。
彼らの行先は、帝国東部前線の近くに位置する小さな村。名目上の目的は、安全な『警備任務』となっているはずだ。だが、前線という名の境界線は、意思を持つ生き物のように日々そのかたちを変えていく。
木漏れ日の差し込むのどかな村で、素朴な住民たちと他愛のない挨拶を交わし、家畜ののんびりとした鳴き声に耳を傾ける――そんな退屈な巡回警備をしていた者が、翌日には泥と硝煙に全身をまみれさせ、鉄と血を消費し尽くす激戦地へ投入される。
組織の最末端にいる兵士たちに、戦略の全体像など知る由もない。彼らはただ、一枚の命令書と前線の移動によって、肉片と砲弾が飛び交う地獄へと背中を押される。それが東部前線の持つ、冷酷な構造そのものだった。
命じられるままに運ばれていく兵たちにとって、そこがかつてどれほど美しい平和な村だったかという事実など、何一つ命の担保にはならないのだ。
それにしても――。先ほどから、俺や教導大隊に面会を求めてくる軍部の連中が多すぎる。何が目的だ。
「大尉。あまり自覚が無いようですが、あなたはここ西部諸国でも、それなりに名が通っていますよ」
「はっ?……なぜ俺が」
少佐は、緩んだ口元を小さな手帳で隠し、俺と目を合わせることもなく、淡々と事務的な説明を始めた。
「先ほど式典の進行役が、あなたのことを大々的に紹介したのですよ。『帝国において街道整備の重要性を掲げ、流通改革に尽力した最大の立役者。二つ名は――“街道”』とね。さらには戦場においても多大な戦果を挙げ、最高位の勲章を授与され、異例の速さで大尉に昇進。現在は、技術教導特務大隊の副官を務めている、と」
「……」
「大尉。各国は帝国の新聞をくまなく確認しています。連日紙面を飾る“英雄・街道大尉”と、その精鋭部隊たる教導大隊。彼ら軍部としては、それがただのプロパガンダの偶像なのか、あるいは本当に実在する脅威なのか、直接その目で確認できる絶好の機会ですからね」
確かに、俺は一時期、狂ったように道ばかり作っていた。
だが、その理由はただ一つ。この世界の、起伏と泥濘だらけの移動環境が、あまりにも辛すぎたからだ。激しく揺れる馬車、それなのに徒歩と大して変わらない移動速度。現代人だった俺の腰と精神にとって、そんな環境は耐えられるものではなかったのだ。
それがいつの間にか、海軍の連中に「あいつは道ばかり作っている」と皮肉を込めたあだ名として『街道』と呼ばれ始め、気がつけば軍部のプロパガンダによって、国家の英雄にまで祭り上げられてしまっていた。
――「おい、見ろ。あれが噂の“英雄・街道大尉”か。プロパガンダの偶像ではなく、本当に実在したのだな」
――「だが、妙だな。歴戦の指揮官と聞いていたが、覇気のようなものがまるで感じられん」
――「あの教導大隊とやらは、過酷な東部前線で誰一人として脱落者を出していないと噂だが……とてもそんな精鋭には見えないな」
耳を澄ませば、周囲からあらゆる陰口が容赦なく聞こえてくる。
彼らの抱く疑問はもっともだし、新聞報道の大半をプロパガンダだと疑う彼らの勘は、至極正しい。
事実、紙面の内容なんて、事実の断片を都合よく並べ替えたものが大半だ。だが、こうして本人が目の前に立っているものだから、彼らはどこまでが事実で、どこからが虚飾なのか、判断しかねて探りを入れているのだろう。
――三か月後。
帝都参謀本部、特別監察室。
俺は、かねてより待ち望んでいた硝煙の匂いとは無縁の後方任務へと無事に戻っていた。
現在、主に手がけているのは、帝国西部および南部に点在する保税倉庫を最適化するための仕様書作成と、帝国東部に位置する巨大工廠都市へ送り込む物資の流通調整業務だ。
工廠都市の人口は、当初の参謀本部の予定を大幅に上回り、現時点で既に一万二千人を超えている。『西部諸国横断鉄道』は今や『美州共和国』や『平水共和国』にまで延伸され、鉄路を通じて膨大な数の人々が帝国へと流入していた。
さらに、帝国南部に位置する『白綿共和国』の鉄路も拡張されたことで、未曾有の軍需景気に乗じようとする商人や労働者が、巨大な生産と消費を生み出す工廠都市へと集結しつつあるのだ。
だが――日々黒煙を吐き続けるあの巨大工廠都市の真の姿は、前線を維持するためだけに機能する、冷酷な兵站工場に過ぎない。
北の『比帆諸島共和国』からやって来る移住者のうち、三人に一人が工廠都市の工場へと放り込まれ、そこで『合衆国』製の簡易型陸戦砲を組み立てる労働力となる。
そして、残りの「兵役に志願した者たち」が前線へと送られ、同郷の仲間が作った火砲を使用している。
帝国は今、後方に構える巨大工廠都市の圧倒的な生産力、西側諸国から絞り出した『平和維持活動(PKO)』派遣という名の組織化された軍隊、そして北から集まる移住者によって、東部前線における「物資と人的資源の底なしの消耗」を力技で上回ろうとしていた。
「大尉。『霜冠公国』が、『霧宮王国』および『合衆国』から、陸戦砲をはじめとする各種兵器を大量に買い付けていることが判明しました」
特別監察室に無言で入室してきた少佐が、一枚の諜報部報告書を、俺の机の上へと滑らせてきた。
「少佐。やはり、そうでしたか。今まで確証がなかっただけで、予測はしていましたが」
『霜冠公国』は、全面戦争を展開している『赤旗国』の東に隣接する国家だ。十数年前の革命によって国家体制が激変したと聞いているが、帝国とは国交がないため、その正確な政治体制や内情までは掴めていない。
だが、『赤旗国』軍が、『霧宮王国』製と『合衆国』製の陸戦砲を使用している理由は判明した。
霧宮は帝国に明確に敵対しているが帝国に対して、直接的な武力行使はしたことが無い。また、『合衆国』も帝国に対して陸戦砲の許諾生産に合意している。
つまり『赤旗国』は、隣国の『霜冠公国』から陸戦砲を手に入れているのだろう。そして、霧宮も『合衆国』も『霜冠公国』から求められたので売っただけ。そういうことなのだろう。
特別監察室の窓から見下ろす広場には子供たちが集まっており、遮音性の高い二重ガラスを抜けて、その無邪気な笑い声がかすかに聞こえてくる。
西側諸国からやって来たという大道芸の演者たちが、色鮮やかな衣装をはためかせて即席の芝居を行っているようだ。おそらく、『帝都複合娯楽施設』で開演予定の、壮大な見世物の宣伝を兼ねているのだろう。
帝都は今、新設された鉄路の恩恵をその全身に浴び、未曾有の活気に沸き返っていた。皮肉なことに、大陸全土を巻き込む大戦中であるにもかかわらず、この帝都こそが今、大陸で最も豊かで、最も文化的な黄金期を謳歌しているのだ。
西部諸国や南部からは、突貫で延伸された鉄道を通じて、莫大な資源と最高級の資材が帝都へと雪崩れ込んでいた。
眩い大理石、きらびやかな贅沢品、そして極上の南部絹布。軍需景気で膨れ上がった財布を握りしめる帝都の商人たちは、笑いが止まらないほどの巨万の富を築き上げている。
特別衣料街では、最新の流行である綿長衣を買い求める若い女たちが、華やかな列を作っていた。弾むような彼女たちの会話の中心は、入荷したばかりの布地の色味や極上の手触り、そして最新の流行意匠についてだった。
娯楽施設へ足を運べば、そこでも子供たちが生まれて初めて目にする絢爛な演劇や、見たこともない異国の菓子に目を輝かせ、夢中になって歓声を上げている。
しかし――街を走る鉄路が運ぶのは、富と歓楽だけではない。
同じレールの上を、列車は東部前線に向けて、絶え間なく新たな兵士たちを送り届け続けていた。
それゆえに、この帝都では、若き戦死者たちの葬儀すらも、すでにありふれた「日常」へと成り下がっている。
一年前ならば、まだ違った。金糸の刺繍が施された帝国軍旗に包まれた棺を乗せた馬車の列が通り過ぎる時、多くの市民が自発的に膝をつき、英霊に対して厳かに頭を垂れていたであろう。
だが、現在はそれすらも麻痺している。
晴れ渡った空の下、“遺体の一部”しか入っていない棺を抱えて音もなく涙を流す遺族たちのすぐ真横を、帝都の見物を心から楽しむ暢気な旅行者たちが、笑顔で通り過ぎていく。
「大尉。予定されていた『技術下士官予備学校』ですが、予定を大幅に前倒しして開校することが正式に決まったようです」
「そうですか。東部前線の戦局を見れば、そうなるだろうと思っていました」
俺は手元の書類から目を離さずに答えた。
新設される技術下士官予備学校の主任教官兼、副学校長――それが、帝都に戻った俺に宛がわれた椅子だった。技術教導特務大隊は、その実戦的な事務や教程の策定を担当することになる。
要するに、参謀本部は“英雄・街道大尉”の知名度を利用し、技術下士官の候補となる少年たちを、早期から効率よく集めようとしているのだろう。
少年たちに高校教育を行いながら医療、通信、整備、兵器補給といった、高度専門技術を持つ下士官を育成する。その訓練校という試み自体は決して悪くはない。成績優秀な者には、軍大学へ士官候補生として推薦される道も用意されている。
しかし、特別監察室室長、教導大隊の副官、そして今度は予備学校の副学校長か。
他人が見れば、いくら何でも役職を兼任させすぎだと同情するかもしれないが、俺自身は不満など抱いていなかった。銃弾の飛び交う前線から隔離された、安全な後方任務であるならば、肩書きなどいくつ増えたところで何も問題ないのだ。
――帝国は、世界大戦を未然に防ぐために『覇権国家計画』を進めた。
いや、それは帝国だけではない。平和を希求し、自らの利益を追求したあらゆる国家や人間たちが、それぞれの信じる正義と合理的な決断を積み重ねてきたのだ。
その合理性の果てに引き起こされたのが、この世界大戦だ。
「大尉。軍上層部では、戦争継続による戦略的利益は小さく、むしろ停戦を模索すべきだとの声も上がっています」
「少佐。理屈としてはきわめて合理的ですが……前線の兵たちの感情が、それを許さないでしょう」
帝国は今、大量消費を前提とした飽くなき大量生産を続けている。それに伴い、兵器、物資、そして兵員の消耗は膨れ上がる一方だった。
上層部が模索する停戦は、決して敗北を認めたからではない。これ以上戦えば国家そのものが破綻する――そうなる前に、国家の戦争遂行能力を温存するための、冷徹な引き際だった。
だが、前線の泥をすする兵たちから見れば、それはただの「裏切り」でしかない。
無数の戦友を失い、国土を荒廃させられ、その果てに『新たな領土の獲得』すら伴わない講和は「犬死に」と同義であり、軍事的な合理性がどれほど正しくとも、最前線の人間が納得できるものではないのだ。
一方で、銃後の現実はさらに歪んでいる。軍需景気によって国内経済は沸き立ち、張り巡らされる鉄道網や巨大工廠都市は、莫大な雇用と利益を生み出し続けている。
政治家たちは、この好景気に酔いしれる世論の歓声を、都合よく「国家全体の戦争継続意思」だと解釈するのだろう。前線の命が、後方の数字に塗りつぶされていく。
帝国東部を脅かす『赤旗国』もまた、総力戦という名の底なし沼に囚われている。国家のあらゆる資源と社会のすべてを戦争に投入しているあちら側にとって、停戦や敗戦は単なる軍事上の後退を意味しない。
それは、現政権の正統性の喪失、国内統治の崩壊、ひいては国家体制そのものの瓦解に直結する。帝国が停戦を望んでも、『赤旗国』には受け入れられない事情があるのだ。
「大尉。あなたは、一体何のために戦っているのですか」
少佐は、俺の根底にある思想を試すような、値踏みするような真っ直ぐなまなざしを向けている。
俺の答えは、この世界に来た時から変わらない。
「少佐。俺は、俺の快適で安全な隠居生活のためにやっているだけですよ」
誤字が多くご迷惑をおかけしております。少しずつ修正しながら別作品投降して、また続きを書こうと思っています。
最終回まで読んでいただきありがとうございました。




